最後の一撃
村岡真介
最後の一撃
パカーン!
「ぐう!」
県体準決勝、この相手さえ倒せばインターハイに出れるはずだったのに、攻撃が単調過ぎた。得意の左前蹴りから右正拳突き。緊張で何も思い付かず三度も繰り返してしまった。
高校に入ってから始めた空手。強くなって誰かを見返したいなどという負の目的ではなく、ジャッキー・チェンに憧れて道場の門を叩いたのだ。
高校から始めたやつは五人いた。すぐに仲が良くなり、ジャッキー・チェンの話ばかりしていた。年齢的には少し幼い気もするが、お互いの家にも遊びに行くようになった。
学校には空手部はなく、仕方なく道場に入った訳だが、練習は驚くほどハードだった。最初はとにかく足腰を鍛えるためずっと中腰の型を練習させられた。それで空手の動きの基礎をつくるのだ。
汗がほとばしる。肉体がきしむ。隼人はいくら厳しくても食らいついていった。
半年もしたころだろうか。中高の部以上の一般の部でも練習するように言われた。道場だったので毎日ではないが、二倍ハードになった。ある意味特待生である。帯の色はどんどん上がり、ついに茶帯になった。
先生はもう黒帯をあげたがってたようだが、二年間は黒帯になれない規則があった。
そして秋の県大会で代表に選ばれた訳だ。が負けた。結果は順位決定戦を勝って三位で終わった。
隼人には石田先輩という憧れの人がいた。三年の先輩でとにかく強い。去年は全国大会三位という成績を修めている。
時に自由組み手で当たることもある。身長167cmほどとほぼ同じくらいの体格にも関わらず、対戦して構えると大きく見えるのだ。
礼をして構え、「きあー!」「どりゃー!」など声を出すと気の圧力で勝てる気がしない。
隼人が単調に突っ込んで右正拳突きを繰り出すも、軽く左手で外受けでいなされ反撃の突きを顔面に当ててくる。隼人はそれをほうほうの体でよけるも二、三発を食らってしまう。
力の差は明らかだった。
石田先輩は定石通り左手で相手の全攻撃を受け、右手で反撃をするのを得意としていた。それを見ていると何か突破口がありそうな気がするのだが、鉄の盾を突き破る方法は依然として見えてこない。
空手が強いのと、ケンカが強いのはイコールではない。しかし、石田先輩は違っていた。工業高校に通っており、進学校に通っている隼人にまで石田先輩はケンカも強いと、その名をとどろかせていた。
隼人らは畏怖の念を持って石田先輩を尊敬していた。
見かねた先生が秘策を教えてくれた。普通対戦している時はおよそ四歩の距離を取る。そこで突っ込んでいく三歩目に右足をきゅっとふんばり、一度体を沈ませながら左に拳ひとつ分頭をふり、得意の右正拳突きではなく、左追い突きを繰り出すというものであった。
つまり、攻撃の一番最後の場面から逆算して練習をしてみよと言っているわけだ。
隼人はその日から愚直にその一拳を練習し始めた。
学校の行き帰りもそれで往復し、休み時間も何もすることがなければ、それを反復練習した。
手には簡素なスポンジ入りのパンチンググローブのみをつけて対戦する。ルールは寸止めではなく実際に当てるポイント制で、ときにカウンターで入ったりするとダウンしてしまうこともたまにあった。
(2020東京オリンピックでもこのルールのようです)
タ、タ、キュッ、タ
授業に熱が入らないとこの四拍子をいつの間にかイメージトレーニングしていた。もちろん想定する相手は石田先輩だ。
道場ではしなかった。道場仲間にも言ってない秘密の特訓だからだ。
ところで隣町の道場どうしでしばしば交流試合があった。隼人はなぜかいつも高校の部で一番強いと言われている椎葉という男と対戦を組まれた。先生達に同じくらいの強さと
「きあー!、きえーい!!」
一言で言ってうるさい。身長は隼人より少しだけ高いくらい。左右の回し蹴りを得意としているが、回し蹴りは当たればダメージが大きいものの、前蹴りよりも受けやすいという致命的な欠陥がある。
その日も回し蹴りの連発だ。構えを崩さず少しだけ手を上にひねればいい。「あげ受け」という。
一度受けてしまうとこっちのものだ。中に入って上段、中段へ連打する。ポイント制なのでこれで勝負あり。お互い礼をし「押忍!」と言って下がっていく。
二ヶ月に一度くらいあるその練習試合は、楽しみと言えば楽しみであった。
秋の県大会も終わり冬に入ろうという頃、隼人の母が学校に呼ばれた。緊急の三者面談である。
「……という訳で、授業中に寝てばかりで成績は落ちる一方なんですよ。どうにかなりませんかね」
担任の先生は暗に空手を止めさせろと言っている。母は小さくなり恐縮しきりである。
帰り道、母は空手を止めろとも、続けろとも言わない。隼人は自ら口を開いた。
「二年になるまでは続けさせてくれ。俺、今大きな挑戦をしてるとこなんや」
「分かった。でも大学は国公立しかやらせられんけんね。二年からは勉強頑張りなさいよ」
中学生の時に事故で父が死んだ。それからは女手一つで姉二人と隼人を育て上げてくれた。これ以上空手バカを続ける訳にはいかなかった。
それに石田先輩が高校を卒業するのもあと少しだ。今磨いている一拳で先輩を倒すのも猶予がなくなりつつある。
一度なぜそんなに強いのか聞いたことがある。答えはシンプルなものだった。
「目の前に対戦相手が現れるだろう。そっからはケンカだ。ポイントなんか関係ねぇ。相手をタコ殴りにするだけよ。お前はまだあくまで試合と思っているだろう。それじゃあ、上に行くと勝てねぇよ」
明快な答えだった。納得するしかない。
三学期が始まった。数学が全くついていっていない。高校から急に難しくなった。指数対数なんてなんのこっちゃである。
隼人はそれを補うように英語と国語だけは力を入れて勉強した。暇な時にはひたすら家にあった日本の名作と言われる小説を読んで過ごした。そのおかげで平均点だけはなんとか維持していた。
ついにその日がやってきた。
一般の部にも参加しているのは隼人と、石田先輩のみ。今日は型練習の後、練習試合があるのだ。隼人と対戦するのはやはり石田先輩だ。練習試合は自由組み手と違って、みんなが見守る中、より試合形式に近くなる。
「石田」
「はい!」
石田先輩が呼ばれ、足のストレッチを始める。
「定岡」
「はい!」
隼人が石田先輩の対面に出ていき、礼をする。
ピンと張りつめた空気の中、隼人は例の一撃を頭の中で反復している。
時が来た。隼人は前蹴りのフェイントを放つ。石田先輩は足を地面にぶつけ ドンッ と威嚇をしてくる。
石田先輩も前蹴りを打ってくる。下段払いでさばく隼人。距離が一気に縮まった。
――そっからはケンカだ――
がら空きの脇腹に渾身の一発を打つも、「浅い」の判定。また開始線に戻る。
例の攻撃を繰り出そうと決意する。四歩突っ走っての追い突き。軽くステップを踏むと目の前の怪物に向かって突進する。
一歩、二歩、蹴りは打ってこない。三歩目に石田先輩が左正拳突きを放つも拳一つ分よけている。
四歩目、勝負の追い突きである。スローモーションのように時は流れ、がら空きの顔面を捉えたと思ったその時。
ふっと隼人の目の前から消え次に顎に衝撃が走った。ほぼ当たる距離から顔をよけて見せ、次の瞬間下突き (アッパー) を決めてきたのである。
その驚異の反射神経と技の多彩さになすすべもなく倒れる隼人。仰向けにひっくり返ってしまった。
「一本!」
――勝てねーなぁ、やっぱり
思わずこめかみを涙が伝う。
「大丈夫か。定岡!」
皆が心配そうに寄ってきた。それほど鮮やかな一発だったのであろう。
なんとか自力で起きあがり、石田先輩に向かって頭を下げた。
「ありがとうございました!」
それから春休みまで道場に通い、その青春の日々を謳歌した。最後の日、先生と握手をして別れた。また涙が滲んだ。何をやっても中途半端で投げ出す自分が、空手だけはくさびを打ち込めたような気がしたのだ。
二年生になった秋の事。同じ道場に通っていた藤井が、思わぬ事を言ってきた。
「聞いた?今年の県大会」
「いや」
「椎葉だってさ優勝したの」
不思議と悔いはなかった。むしろかつてのライバルにエールを送っていた。
完
最後の一撃 村岡真介 @gacelous
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます