第9話


あれから何日かたったが、廊下で矢野くんとすれ違った時には挨拶をしてくれた。無理に距離を詰めてこない矢野くんはとても優しい人だった。でも、私が気になっているのはやっぱり千景くんで。なんでこんなにもやもやしているのか、自分でもわからない。


そんなことばっかり考えているから、授業もなかなか頭に入ってこない。



「さあ、帰ろっかなー」

「果乃は?」

「帰るよー、なんか今日は頭が働かない」

「矢野のこと考えてる?」

「そんなんじゃないよ」


私が考えているのは…


「果乃。」





突如として、教室の空気は一瞬にして凍りついた。


千景くんが急に振り返って名前を呼んだから。それがものすごく大きい声で、何が起こったか全員わからないし、もちろん私もわからない。あの日から挨拶くらいは交わすものの、やっぱり全部が夢じゃないかと思うほど、ほぼ接点がないに等しかったから。


「今、千景が名前で呼んだ…」

「え、え、どういう関係?」

ヒソヒソと話す声。



「果乃、ちょっと!」

「へ?」


千景くんに腕を引かれ、びっくりした私は引かれたまま。教室を出る。


「千景くん?どうしたの?!」

「ごめん、ちょっとだけ…」


廊下ですれ違う人も、先生でさえも、みんながとにかくびっくりしていて、風を切るように早歩きでそのまま屋上まで手を引かれたまま来てしまった。




「…千景くん?」


千景くんはしゃがんだまま、下を向いていた。私は千景くんの横に腰を下ろした。




「…矢野とは、付き合うの?」

「矢野くん?」

「うん」


なんで?なんで、そんなこと聞くの?


「‥友達から始めてほしいって言われたよ。まず友達になるのは良いと思って、返事はしたよ」





「…そっかー。あー、早とちった俺ー…」

「え?どういうこと?」


そこでやっと顔を上げてくれた千景くん。恋愛経験がほとんどない私が勘違いしてしまう位に、千景くんの顔は真っ赤だった。


「明日、デートして…」


「デート?!」



「うん、明日色々話すから。


とりあえず…今言いたいのは、矢野と付き合わないで。矢野のものにならないで」



今日は太陽に照らされている千景くんの髪が金色に透けていた。風にゆらゆら揺れる少し伸びたパーマ。私ははじめて正面から、はちみつのような彼を見た。


高鳴る胸でようやく気づいた、あの道を抜けて初めて会ったときから、千景くんはただの気になる存在じゃなくて、これは恋だということ。


千景くんが好き。




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はちみつの景色。 まる @rno

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