コネクトコレクション

miura

第1話

 ああ、災難とはこういうことを言うのだなと僕は思った。

 冷静で客観的になっているとも言えるし、ただぼんやりしているだけとも言える。

「信じらんねえよなあ、こんなガキが少佐だなんて」

 鉄格子の向こうに置かれた簡易的な椅子と机。そこには見るからに柄の悪い男が二人座っていた。彼らは僕をこの地下牢へ押し込めた奴に命令されて以降、半日くらいずっとここにいる。

 飽きないのかな、こんな薄暗い所にいて。

 そんなことを思った瞬間、ザッとカードが舞った。どうやら二人はカードゲームに興じていたらしい。つまり見張りという役目にはとうの昔に飽きていたということだ。

「ま、世の中には俺たちみたいな傭兵にゃあ分からないことがたくさんあるんだろうよ。――負けたからってカード散らすな」

 ゲームに勝った方の男が若干冷静にそんなことを言う。面長で無精ひげの目立つ男だった。

 一方の負けた方は盛大に舌打ちをして僕の方を睨みつける。彼はいかにも傭兵というようないかつい体とむさくるしい顔立ちで、できれば関わりたくないなと僕は思う。あれは絶対にめんどくさいタイプだ。

「うるさい。だいたいな、何で俺たちがこんなひょろっとした奴の見張りなんかしてなきゃいけねえんだよ。少佐だか何だか知らないが、どうせコネだろ、コネ」

「ああもう負けたからって苛々するなよ。仕方ないだろ、上からの命令なんだから」

「上ってな……俺たちゃフリーの傭兵だぜ?上も下もないだろが」

「分かったよ、言い直す。仕方ないだろ、雇い主様からの命令なんだから」

 そうしてわざとらしく吐き出されたため息が、更に負けた方の男の怒りを増長させたようだ。

 彼は再び舌打ちをして立ち上がると、何を思ったか僕の牢へと近づいてきた。そして鉄格子の隙間に顔を挟みこむようにしてこちらをじろりと睨みつける。

「へえ、美少年、てのはこういうことを言うのかね」

「オイ、やめとけよガーダ。そいつに手出しすると例の雇い主様がうるさいぜ?」

「別に俺にそっちの趣味はねえよ」

 どうやらこっちの男の名前はガーダというらしい。半日たってようやく得た有益な情報だった。

 別に彼の名前に興味などないが、個人情報は情報としては有益な部類に入る――まあそれ以外に聞こえてくる情報がジャンクすぎて過大評価している可能性はあるけれど。

「でもまあからかうくらいはいいだろ?」

「ガーダ」

「うるさいな。このくらいしなきゃモトが取れねえよ」

 からかったくらいで取れるモトなんて大したことないな、と思いつつも僕はじっと黙って男の次の行動を待つ。けれどどうやらそれが相手には怖がっているように見えたらしく、ガーダの顔が少しだけにやりと歪んだ。

「これ、何か分かるか?」

 にやにやしたままのガーダがポケットから小さな箱のようなものを取り出した。しかし周りが暗いせいでそれが何かよく分からない。

 僕は仕方なしにゆっくり立ち上がり、彼の方へと近づいた。

「実はお前がここに来た時こっそりな。拝借したんだよ」

「ったく相変わらず手クセ悪いなお前は」

 そう言う向こうの男の言葉の中には笑いが含まれていた。どうやら彼も何だかんだでこの余興を楽しむことにしたらしい。

 ガーダの太い腕が無理やり鉄格子の間から差し込まれる。そうしてようやく近くなったその箱を見て、思わず僕はそれに手を伸ばした。

「だーめ」

 男の反応の方が一瞬早く、僕が箱を掴む前に目の前から箱が遠のく。僕は取られたものの正体を知って柄にもなく狼狽した。

 なぜ盗られたことに気付かなかったのだろう。そもそも最後に吸ったのはいつだ?

 僕は頭の中の記憶の箱をひっくり返し、最後に吸った場面を見つけ出した。そうだ、今日の朝だ。今日の朝起きて吸って以降、一本も吸ってない。

「最初はタバコかと思って拝借したんだが――」

 ガーダが箱を見せつけるようにして小さく振った。

「“ライザーガルム”。こりゃ医療薬だな」

「……返してくれ」

「お?喋れるのか?」

 ガーダが驚いたような声を上げた。

 そういえば僕がここに来て喋ったのは今が初めてだ。だけど今はそんなことどうでもいい。

「それがないと僕は動けなくなる。返してほしい」

「ふうん。病気持ちの少佐さんか。【王国】もこんな少年を役付きにするってことは、人が足りてないってことなのかねえ」

 僕の箱を眺めながらガーダがのんびりとそんな分析をする。僕はだんだんと自分が苛々し始めるのを感じていた。

 もうずっと、12時間以上吸っていない。一度気付いてしまったらもう駄目だった。早く、早く吸わなければ――

「お願い、吸わせて」

 僕は精いっぱいのかわいらしい声でお願いをしてみた。そっちの趣味はないと彼は言っていたけれど、憎たらしいよりはかわいらしい方がいいだろうという判断だ。

 案の定こちらに目を向けたガーダは、すぐバツが悪そうに顔を逸らした。

「……ほんとこんなところに閉じ込めとくのはもったいねえな。早く闇市で売り飛ばしちまえばいいのによ。そこらの女より美人だぞ」

 ガーダの物騒な感想に、もう一人の男も賛同した。

「上もそのつもりなのかもねえ。その手配をしてる間、こうして見張りをつけてるのかも」

「なるほどな」

 そんなわけないだろうと言いたいところだけど、あえて反論するのが面倒だった。それにそんなことより今重要なのは。

「ねえ、返して。早く吸わないと僕――」

「ああ、分かったよ」

 ガーダがごそごそと胸ポケットを探りだした。そうして牢の中に僕のものと同じくらいの四角い箱が投げ込まれる。

「吸いたいんだろ?俺のをやるよ」

 顔を上げると再びにやついた顔に戻ったガーダと目が合った。

「あの――」

「ああ、火か?ほら、特別に貸してやる」

 カツン、と床に何かが当たる音。手を伸ばすと安物のライターがそこにあった。

「ほら、吸えよ。吸いたいんだろ?まあ、俺のタバコだけどな」

 ははは、と人を小馬鹿にしたような笑い声がこの狭い牢獄に響く。「あんまり虐めるなよな」ともう一人の男が笑いながら話す声も聞こえた。

 僕は手にしたライターを見つめ、数秒考える。

 このまま諦めるか、あるいは粘るか。

 答えはすぐに出た。

「仕方ないな」

 投げ込まれたタバコの箱にゆるりと手を伸ばす。思ったより軽いそれは中身が少ないことを意味していた。ため息をつきたくなる気持ちをこらえて僕は箱の蓋を開ける。やはり少ない。3本しか入っていないではないか。

 今度は我慢できずにため息を盛大に吐き出して、僕はその箱からタバコを一本取り出し咥えると、仕方なく例の安物ライターで火をつけた。

 大きく息を吸う。

 肺に煙が充満する。

 満たされる。安堵する。そして、

「――ああ、生き返る」

 僕は思う存分その感情を楽しみ、そして肺の中から煙を吐き出した。白い気体が上へと昇り、消えていく。

 しかしタバコが安物のせいでいつもほどの幸福感や満足感はなかった。これだから安物は。

「お、お前……」

「ん?ああ、ありがとう、これ。でも今度はもうちょっと高いのにして。これ味が安っぽい」

「そうじゃなくて……」

 タバコを吸いながら男たちの方を見ると、二人とも呆けた表情を隠さずにこちらを見ていた。ちょっとそれが面白かったので暫くタバコをふかしながら眺めることにする。

「何?」

「何、じゃねえよ!お前、薬が欲しかったんじゃ……!」

「うん。そう。だから、ありがと」

 感謝しているのは嘘じゃない。僕はそれを表すために小さく笑顔を作ってやった。

 しかしなぜかそれが男の癇に障ったらしい。ガーダが派手な音を立てて牢の鉄格子を蹴りあげた。

「馬鹿にしてんのかてめえ……!」

「馬鹿になんてしてないよ」

 僕は眉を吊り上げているガーダに近寄り、彼にタバコの箱とライターを差し出す。しかし彼は受け取ってくれず、ただこちらを睨みつけているだけだった。

 いらないのなら貰っておこう。どうせ残り2本しかないのだし。勝手にそう判断して僕はジャケットの内ポケットにしまった。

「その箱の中身は正真正銘のタバコだよ。僕にとってニコチンはどの薬よりも大切な薬。あ、キミが盗った僕のタバコ結構いいやつだから。特別にキミにあげる。大切に吸ってよ?」

「な……じゃあ何で“ライザーガルム”って書いてあるんだよ!」

「それ、ライザーガルムの空箱。そこに普通のタバコが入ってるだけ。ほら僕、一応未成年でしょう?見つかるとめんどくさくて」

 そう、以前一度見つかって面倒な事態になって以来、僕はライザーガルムの箱にタバコを入れることにしている。そうすればタバコを吸っていても、医療品だと説明すれば大抵は丸めこめるからだ。

「元々ヘビースモーカーなんだよね、僕。ほんとはもっと吸いたいんだけど……口煩いのがいるから。でも一日3本は吸っとかないとね」

 キミも喫煙者なら分かるでしょ?この気持ち。そういう意味を込めて笑顔を向けたら再び鉄格子を派手に蹴られた。

 何だよ、もう。

「コイツ何なんだ一体……!」

 吐き捨てるようにガーダが言う。

 僕としても説明してあげたい気持ちはあるけれど、それをするには時間と労力が必要だ。そして時間と労力が必要なことをするのが僕はとても苦手だ。

「やっぱ潜入捜査向いてないなあ」

 ふうっと煙を吐きながら僕は呟いた。

 大体こんな風に地下牢に閉じ込められる予定なんかじゃなかったのだ。本当は捕まった後すぐに闇オークションに売られて、僕はそこに関わっていた人物と経路を確認するだけのはずだったのに。

 こんな半日も薄暗くて狭いところに閉じ込められて、正直僕の我慢も限界に近かった。

「ああ、もういいや面倒くさい」

 短くなったタバコを投げ捨て、足でもみ消す。

 ずっと牢の隅で小さくなっていたので肩も首も凝っていた。ぐるぐると回して凝りをほぐす。

「さあ、お遊びはこれまでにしよう」

 そう言ってから、ふと間違いに気が付いた。

「いや、違うな」

 だから、小さく笑って僕は言い直すことにした。

「さあ、一緒に遊ぼうじゃないか」



 

「合図があるまでおとなしくしててくださいって言いましたよね」

 威圧感のある丈の長い軍服コートに身を包み、人を何百人と殺してきたかのような強面をさらに凶悪にして、愛すべき僕の部下はまず小言を口にした。だから僕は彼の苛立ちを倍増させるべくわざと愛らしい笑顔でにっこりと笑ってやる。

「君の手際が悪いせいだ。僕のせいじゃない」

「どう考えてもこの鉄格子が曲がったのはあなたのせいでしょうが」

 短い黒髪をがしがしと掻きながら、部下は見事に歪んだ鉄格子に目をやった。人が一人通れる程度に歪んでいるそれは確かに僕の仕業であり、実際僕が檻の中から抜け出すために歪ませたものだ。けれどそうでもしなければ脱出できなかったわけで、ほかにどうしろというのか。

「仕方がないだろ。タバコを盗まれてたんだ。あいつが悪い」

「……未成年だから吸うなって言いましたよね?」

 口を尖らせつつ、床の上で伸びている二人の男に目を向けると、頭上から底冷えのする低い声が降ってきた。しまったと思ってももう遅い。

「吸ってない。取り返しただけだ」

「じゃあなんですかあの吸い殻は」

 暗がりだというのに檻の奥に落ちている吸い殻を目ざとく見つけた部下は、上司である僕へ鋭い視線を向けて腕を組む。こういう態度をとるから周囲に「最強の軍人」とか「元アサシン」とか噂されるのだけど、そのあたりはおそらく本人も気づいているだろうから何も言わないでおいた。

 ちなみにその噂はどちらも間違っている。

「そういう小言の多いところお前のじいさんそっくりだよ」

「墓前によく報告しておきます」

「やめろ」

 この部下、変に真面目なところがあるから本当に報告しそうで怖い。幽霊なんかは信じていない僕だが、あの爺のことだ、夢に出てきて説教くらいはされそうでうんざりする。

「御託はこれくらいにして、肝心の報告をしろ。どうして僕はこんなところに即連行された?事前情報では子供は闇オークションのルートへ流されるはずだ。こんな薄暗い独房に入れられるなんて聞いてない」

 そうだ、そういう情報があったからこそ「子供」である僕が物乞いのふりをして組織のアジトに忍び込んだわけである。食料を盗もうと侵入し、迂闊にも見つかってしまう哀れな子供を演じるはずであったのに、結果としては何一つ演じる暇なく厳重に拘束されこの薄暗い牢屋に放り込まれた。となると相手は僕のことを「知っていた」と考えるのが順当だろう。

「はい、前情報に誤りはありません。過去忍び込んで見つかった子供たちは値踏みされ、ランクに分けられて「保管」されています。我々はあなたを追跡しながらその保管場所とそれに関わった人物を確認していく予定でした。けれど今回あなたは全く別のところに隔離されてしまった。しかも我々の追跡も遮断された」

 もし情報に誤りがあったのならなぜそうなったのかを正しておく必要がある。諜報部隊にネズミが一匹でも紛れ込んでいたら大変だ。駆除作業は早いに越したことはない。けれど部下はその懸念に対して「否」と答えた。つまり。

「……ドジを踏んだ奴がいるな?」

「ええ、誠に遺憾ながら。あなたがポイントAにたどり着く少し前に、あなたの追跡と護衛をするため付近を張っていた者が軍人であるとバレてしまいまして」

「変装くらいはしていたんだろう?どうしてそんなことになる」

「軍のバッジをつけていたそうです」

 部下は表情を変えないまま襟もとについた小さなピンバッジを指した。軍の紋章が形どられた銀のバッジは、強き軍人である何よりの証であり何よりの誇りだ。

 だがそれを潜入中に付けたままにするのはただの阿呆の証だと教えてやりたい。

「どこの部隊だ」

「マゼラン部隊です」

「あいつか。うん、よく覚えておこう」

「……どうせ忘れないくせに」

「うるさい」

 聞こえると分かっているのに小声で嫌味を漏らす部下を睨み付けた。もちろん効果はない。むしろ淡々と返された視線が癪に触った。

「報告を続けても?」

「……どうぞ」

「はい。とにかくそんな状況下で見つかった不審者――つまりあなたのことですが――がただの物乞いである可能性は低い。それでひとまずここへ隔離されたようです。そうこうするうちに捕まった例の阿呆、もとい護衛が拷問を受けてあなたの正体も話してしまったので、とりあえず傭兵も配置しようということになったみたいですね」

「なるほど最悪だな」

「でもあなたの見た目が功を奏しました。ええ、まったく少佐には見えないですからね。組織内でもあなたが件の少佐なのか、実はただの物乞いで少佐は別のところに潜んでいるのか、意見が分かれていたようです。そのおかげで時間稼ぎができました」

 ようやくわずかに口の端を持ち上げて笑みらしき表情を見せる部下。残念ながら笑んでいると分かるのは僕を含め数人しかいないだろうそれを眺めながら、こいつが上機嫌になるのは総じて僕を貶める時だなと気が付いた。

「“彼”があなたの「見た」情報からここを割り出してくれたんですよ」

 唐突にそんなことを言われて、反射的に僕の片眉がピクリと動いた。

「……どうやって?僕はここまで目隠しされてきたんだ。場所なんて分からない」

「――分かってるくせに」

 最後の言葉は部下のものではなかった。

 いつの間にか地下牢の入口に立っている男。茶色のローブを羽織り、黒のシャツと深緑のズボンを身に纏った彼はどう見ても一般人、せいぜい旅商人にしか見えない。決して派手な出で立ちではない彼だったが、周りがいかつい軍人だらけのせいか何だか妙に浮いて見えた。

「来てたのか、カタギリ」

「そりゃあ、まあ。それよりちゃんとアールにお礼言った?」

「なんで」

「お前がちゃんと「見てる」だろうから確認しろって言ってくれたのはアールだよ」

 くたびれたローブのポケットに両手を突っ込みながらカタギリがこちらへ近づいてくる。いつも通りのやる気のなさそうな顔。強面でガタイの良いアールの隣に立つとますます弱そうに見える。決して線が細いというわけではないし背が低いというわけでもないのに、まったく強そうに見えないし実際強くない。それでも彼の緑の瞳だけが不思議に強い光を宿しているのが気に食わない。

「あなたなら保険を掛けていると思いましたので」

 隣にカタギリが並んだのを一瞥してアールが口を開く。最近こいつらが結託しているのは分かっていた。分かっていたけれど何か気に食わない。

 僕はついと顔を上げ、口の端だけで笑って見せた。

「へえ?僕みたいな上司を信用してくれてるんだ?」

「ええ。仕事に関してだけは」

「……可愛くないな」

「可愛さなど不要です」

 まあ確かにこの男に可愛い要素は不要かもしれない。多少げんなりしてカタギリに視線を移した。可愛さを求めて彼を見たわけではなかったが、それは正しく相手にも伝わったらしい。当たり前だろう、というように彼は肩をすくめた。

「で、エルカ。お前はこのイレギュラーを想定してたのか?」

「まさか」

「じゃあ何でポイントAで……資料部屋で部屋の状況を「見た」んだ?」

 今回の侵入場所は組織の資料部屋だった。侵入すると同時に警報装置が鳴る部屋だ。僕が「食べ物を盗みに来てうっかり見つかった物乞い」になるにはうってつけの部屋でもある。

 そういうわけで部屋にはリストやら地図やらが大量に散らかっていた。もちろんその中には僕が閉じ込められていた「秘密の場所」もあっただろう。僕は部屋をぐるりと見まわし、あとはできるだけ近づいて「見て」おくことにした。もちろん資料を読み解いたわけではない。そんな時間はなかったので文字通り「見た」だけだ。

 けれど保険を掛けるにはそれで十分。

「辞書の役割を果たしておこうと思ってね」

「嫌味な言い方だ」

「でも真実だろ」

 カタギリに一歩近づいてわざと彼のパーソナルスペースを侵害した。カタギリの右眉が持ち上がる。どこか人当たりの良い顔をしているくせに彼は存外警戒心が強い。彼の嫌そうな顔が面白くて、僕はついでに少し背伸びをして相手の顔をのぞき込むことにした。

「それで、どうだった?僕の頭の中を「見た」感想は」

「敢えて聞くことでもないだろう。いつも通りだよ」

「いつも通りって?」

「吐きそうってこと」

「レディーの記憶を覗き見といて吐きそうとは失礼だな」

 くつりと笑いがこぼれて口の端に乗った。ああ、これでは緊迫感が出ないではないか。まあ僕が本気で怒ってるだなんて向こうもさらさら思っちゃいないだろうけど。

「何がレディーだ。いつも「女の子みたいね」って言われても否定しないくせに」

「だって本当に「女の子」なんだから、否定することじゃないだろ?」

 一人称と見た目のせいでよく少年と間違えられる僕であるが、性別は女だ。髪だって男にしては多少長いし体も小さいのに、大抵「女の子らしい少年」に間違われる。原因は体に全く丸味がないことと僕のこの言動なのだろうけど、残念なことにそれをどうにかするつもりが僕には一切ないのだった。

「……何」

 ぽつりとカタギリが問いかける。僕が黙って彼の両目を凝視しているせいだ。嫌そうに顔が歪んだところで、僕は彼の緑の目にふっと息を吹きかけた。

「やめろ」

「どうせそっちは義眼だろう」

「そういう問題じゃない」

 右目を抑えながら一歩後ずさるカタギリ。面白くて僕は二歩彼に近づいた。

「一方通行なんてアンフェアだと思ってさ」

「は?」

「だって僕はどんなに目を凝らしてもお前の頭の中を見ることはできない。それってフェアじゃないよね」

「俺だってどんなに頑張っても全てを記憶することなんてできない。じゃあこれもアンフェアか?」

 まなざしを強めて彼の足が踏みとどまった。受け入れろと言っているのだろう。現状を。宿命を。そして目的を。

 僕は見たものすべてを記憶する完全記憶能力者。

 カタギリはそんな僕の記憶を「見る」ことができる唯一の人間。

 僕らの脳内には互いをつなぐ特殊で悪趣味なチップが埋め込まれている。この国、いやこの世界で最も賢く最も愚かな科学者の手によって。

「二人とも能力的に十分アンフェアなところがフェアですよ」

 睨み合っていた僕らを諫めたのはアールだった。

 彼はこちらに近づくと僕らの間に割って入る。

「そろそろ撤収です。イレギュラーはありましたが任務は完了。戻って報告です」

「……はいはい。――逃げるなよ、カタギリ」

 長身のアールが前に立ったことでカタギリの姿は全く見えなくなったが、挑発だけは忘れずにしておいた。アールから咎めるような視線を送られたが無視する。どうせ相手だって気になどしていない。

 その予想に違わず、向こうからは失笑のような笑いと共に端的な返事が返ってきた。

「逃げようたって俺もお前も逃げ場所なんかないじゃないか」

 この世界のどこにも、逃げ場所なんてない。

 とても残念なことに僕らはそれを良く知っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コネクトコレクション miura @m20713101

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ