それでもこの冷えた手が

青い向日葵

ICUの天使

 自己免疫疾患の影響で、小さな傷がいつまでも治らないことがよくあります。ちょっとした疲れが溜まって、起き上がれないくらい具合が悪くなってしまうこともしょっちゅうなので、ああ、また膝の傷が腫れてるかなあ、少し痛いかなぐらいの違和感で、平常通り生活していたのです。


 何となく悪化しているようだし、痛みも強くなってきたから病院に行くべきだろうか、と考え始めたその翌朝には、激しい痛みと高熱で歩行もままならない状態まで酷くなっていました。

 自分の身体の限界を感じて、普段ならそこまでしないのですが、子供に救急車を呼んでもらって、早朝に搬送されました。


 すぐに血液検査が行われ、結果を待つ間にも患部の炎症は「蜂窩織炎ほうかしきえん」と診断され、無菌室に移動して抗生剤の投与が開始されました。動脈点滴という頸動脈に差し込む点滴なので、当然寝たきりです。首を半分くらいしか動かせません。

 それでも何故、自分がICUに入院しなければならないのか理解が追いつかず、大袈裟ではないのかと思っていました。


 検査によると、皮膚の深部の壊死(蜂窩織炎)だけでなく、合併症として「敗血症」の診断が出され、肝臓と腎臓の著しい機能低下も見られるとのことで、重篤な緊急入院患者として手厚い治療が施されました。といっても、集中治療室で薬物療法を徹底するという方法でしたが。


 集中治療室ICUは二十四時間体制なので、一般病棟のように夜は九時に完全消灯というわけではなくて、夜中まで明るい照明を点けっぱなし、機械音や患者さんの叫び声、看護師さんの走る足音、いろんな光と音が騒がしく、眠れる環境ではありませんでした。不満とか愚痴ではなくて、意外だったというか、個室は静かなのかなと勝手なイメージが先行していたので、隣の部屋の音声が筒抜けだったり、明かりを消してほしいと申し出るまで消灯されなかったり、寝たきりなので何をするにもナースコールで忙しい看護師さんを呼ばなければならず、結局、大人しく様子をうかがっていたら深夜になり、明け方になり、朝の検温の時間になっていたことも。それでも、昼間の静かな時に睡眠は取れるので問題ありませんでした。


 衝撃的だったのは、ある医師ドクターが電話している内容がはっきりと聞こえてきて、隣の部屋に搬送されて入院している患者さんは身元引き取り人がいなくて、医療費のことも退院後のことも目処が立たないという話でした。

 他人のプライバシーなので聞きたくないけれども、大音量で聞こえてくるのです。


 どうやら若くはない大人のOD(オーバードーズ)つまり薬物の過剰摂取による自殺未遂で、胃洗浄によって一命を取り留めたものの、身寄りがなく今後の行き場もないという話でした。居た堪れない気持ちになります。

 自分はOD自殺の遺族(配偶者)でもある為、他人事とは思えなくて、その日は特に重たい気持ちで過ごしました。その患者さんは病棟を移動した為、その後どのように過ごしているのかわかりません。


 そんな状況で、子供たちとも引き離され、娘の誕生日にお祝いの言葉を伝えることさえ出来ない孤独な環境で、私は回復出来るのかわからないまま、広がる痛みに耐えていました。

 そうして一週間が過ぎても、シャワーどころか洗顔すらできずに寝たきりで、身体中にチューブを繋がれて無菌室に隔離されていました。


 担当の看護師さんは一日交替で、同じ顔も見られましたが、それでも短期間だったので数回会う程度でした。その中の一人の若い女性が、清拭(身体拭き)の時に、私の剥がれかけたネイルの残る指先とアザや傷のない普通の肌色を見て、

「綺麗な手ですね」

 と言ってくれました。社交辞令ではなくて、ボロ雑巾のようになった最悪の状態の容姿の中から、一番まともな部分を探して、褒めてくれたのです。

 炎症のある足などは原形を留めておらず、皮膚の色も生きている人間とは思えないくらい変色していたので、人としての尊厳を、私はその一言で不意に思い出しました。


 一人きりで特異な空間に置かれ、命の危機にあって、生きたいと思える要素が見つけにくい状況の中、本来の自分らしい部分がまだ生きていることを見つけてくれた何気ない言葉は、私に生きる希望を与えました。

 爪切りも保湿クリームも持ってなくて、爪は巻くほど伸びて先が割れていましたが、緊急入院の直前に自分で塗ったマニキュアを落としていなかったので、部分的に爪には色彩が残っていたのです。


 生きて帰って、綺麗に爪を切って、また色を塗りたいと思いました。久しく忘れていた「未来」という概念、自分の為に何かしようという意欲、生きることへの執着。回復の為に必要なエネルギーは、きっと、こういう気持ちからしか湧いてこないものです。

 あの若くて綺麗な看護師さんは、そんなことまで意識して声掛けをしているのかどうか、ただ純粋に人柄が善いのか、どちらにせよ、本物の天使だったと思います。


 その後まもなく、私は内蔵の機能を持ち直し、高熱も下がって、ベッドに寝たまま洗髪してもらうことができました。

 その翌日には準ICU(隔離ではない部屋)、やがて一般病棟へ移動して、理学療法士さんの指導のもと本格的なリハビリを開始。二週間後には、自分の足で歩いて退院したのです。

 久しぶりに帰宅した日には、家で掃除機をかけて洗濯をしました。子供を迎えに行き、普段通り団地の階段(四階)を往復して歩いていました。



 ◇ ◇ ◇



 今回は、文中にタイトルは出てきませんが、手がきっかけで生き返った心のお話、実話です。


 言葉は、人を傷つけることも出来ますが、命を救うことだって出来ます。今までに頂いた優しい言葉の数々に感謝の思いを込めて。



 最後までお読み頂きまして、ありがとうございます。

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