ブレンドコーヒー
茅田真尋
1
まさかこんなことになるとはなぁ。同種族のコーヒー豆どもで満たされた瓶のガラス壁を透かして、俺は義兄の保管されているブルーマウンテンコーヒー豆の詰まった瓶に目を向けた。
これまで、義兄とはガラス越しにいろいろな会話を交わしてきた。自分たちの栽培された産地のこと、生育してくれたコーヒー豆農家のこと、収穫され、市場に乗り、この喫茶店にやって来るまでの経緯などいろいろだ。
ブルーマウンテンブランドのコーヒー豆はジャマイカで栽培されており、義兄は当然ながらカリブ海地域の出身だ。それに対して、ブラジル産の俺は南米大陸出身である。共通点と言えるものはまるでなく、文化や風土は完全に異なるものだった。
そんな生まれも育ちも品質さえも違う俺たちは、それぞれの境遇を伝え合った。特に俺の心を惹きつけてやまなかったのは、世界のどこまでも広がるという海という広大な池の話だった。
そんな風にして自然と俺たちの仲は深まっていき、ついには義兄弟の契りを交わすほどの間柄になった。コーヒー豆に兄弟だなんて、と滑稽に感じるかもしれないが、喫茶店という多種多様な人間の集会場に常に身を浸していると、ふと、そいつらの真似ごとをしたくなるというのが人情というものだ。豆が人情に目覚めるだなんて、自分でも可笑しくなってしまう。もしかしたら兄弟の契りを交わすずっと以前から、既に微量の心は芽生えてしまっていたのかもしれなかった。
ブルーマウンテンのほうが兄になったのは、単にこの喫茶店に入荷された順が速かったからというだけだ。それ以外に深い意味はない。
だが、自分の過去を朗々と語る兄の口ぶりからは、極めて誠実な人柄が伺えた。畑に植わっていたころ、花の蜜を求めて群がる羽虫どもと、無駄口を聞いてばかりいた俺とは大違いである。
だからかどうかは判然としないが、義兄の香りは芳醇であった。ガラスを二枚隔てていても、そのほのかに甘やかな芳香がこちらにまで漂うようにさえ感じられた。人格だけでなく、コーヒー豆としての品質も義兄は一流だった。
それにひきかえ、俺はどうなんだろな。自分の体臭なんて嗅げるはずもないけど、たぶん義兄の足元にも及ばないんだろうな。コーヒー豆に足が生えていたらの話だが。
このまま時が過ぎてゆけば、一足先に義兄は喫茶店のマスターに焙煎され、お客様のもとに運ばれていくのだろう。義兄であればきっとその客の心を満たせるはずだ。そして、それに遅れて俺も焙煎され、平凡なブラジルコーヒーとして客に提供されるのだろう。自分の風味をじっくりと吟味してほしいだなんては思わないが、少しでもうまいと感じてもらえればそれで本望だ。そんな風な思いを胸に抱き、今日まで俺は窮屈な瓶の中で日々を過ごしてきた。
だが三日前になって事態は急変した。突然うちの喫茶店のマスターが余計なことを発案してしまったのだ。普段はブレンドコーヒー一杯五百円なところ、一週間限定で二百円に値引きするというのだ。もちろん値段が下がること自体には文句はない。損をする可能性があるのはマスターだ。彼の独断で好きにやってもらえばいい。
だが、ブレンドコーヒーの需要量の増加だけは俺のとっての重大な懸念だった。平時には、ちゃんとブレンド専用の豆が別枠として用意してある。だが、これからの一週間でブレンドの供給量が増えれば、在庫不足になることは自明だ。そうなると、本来なら、単品で焙煎される手筈だった俺たちに、商売っ気の強いマスターの眼は向くことになるだろう。
俺は、別に自分自身の出しうる風味に誇りを持っていたりなんかはしない。ブレンドコーヒー上等だ。むしろ、他種族の豆どもが俺の拙い風味をフォローしてくれるやもしれぬ。
だが、義兄とブレンドされることだけは絶対に厭だった。義兄は一流のコーヒー豆だ。それを三流コーヒー豆である俺の手で汚すような真似は絶対にしたくない。
焙煎の際に至って、義兄が俺を拒絶することはないだろう。そんな冷たい男ではないのだ。コーヒーになったら、さぞやアツアツのホットコーヒーになることだろう。だが、たとえそうでも、三流コーヒー豆のちんけなプライドがそれを許さなかった。今更ながらに悲痛な後悔が押し寄せる。ブラジルの地に植わっていた際、良質なコーヒー豆になれるようにもっと精進するべきだった。そうすれば、胸を張って義兄とのブレンドを受け入れられたはずなのに。
考えたくもないが、万が一、義兄が俺とのブレンドを拒んだとしても、既に後の祭りだ。焙煎の采配をふるうのはマスター。俺たちには何の決定権も与えられていない。
頭上の蓋が小気味よい音を奏でて、ぱかりと開けられる。ついにその時が来たのだ。瓶の入り口から差し込まれる赤く凶悪なスコップに俺はなされるがままだった。すまねぇ、兄さん。こんなできの悪い義弟を許してくれ。深い悲壮にさいなまれながら、俺はスコップにやさしく救い上げられる。
ブレンドコーヒー用の挽き機が間近に迫る。どうやら、ブラジルコーヒーが投入される最後のブランドらしい。中では既に義兄が審判の時を今かと待ちわびていることだろう。
こうなってはまな板の上の鯉である。言葉とは不思議なものだ。豆の俺に足を生やしてくれたり、人間にもしてくれて、しまいには魚類にまで変身させてくれた。
挽き機へ大量に投入されたコーヒー豆の中にちらりと義兄の姿が見えた気がした。せめてもの懺悔として、直接謝罪の言葉を述べさせてほしい。これまでろくでもない生涯を送ってきた俺にも、そのくらいの権利は与えてくれても良いのではないだろうか。
ブレンドコーヒー 茅田真尋 @tasogaredaru
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