二話 とりあえず、今日も最推しが尊くて幸せです

 あれ、なんか綺麗に纏まった筈なのに。何やらひそひそ話をする二人。さらりと銀髪を払って、シュリが微笑する。

 凄まじく美しく、とてつもなく意地の悪い。魔王の笑みだ。


「いや、何。少々恥ずかしい話だが……余も、シェーラが言うようにそなたから求婚されるのではと思っていた。しかし、女性の方から告げられるのは……魔王云々の前に、男として格好がつかないだろう?」


 だから、とシュリが懐から何かを取り出す。彼の手にすっぽりと隠れてしまう、小さな正方形の箱。でも、その中に入っているものは決して小さな代物ではなかった。

 それを彼が片手で器用に開いた瞬間、泣きそうなくらいに綺麗な虹色の光が零れる。


「あ、あー!! 陛下、それはまさか、ティアレイン家に代々伝わる『永世の指輪』じゃないですかー! 魔王が生涯をかけて愛すると誓った人に贈る筈のそれを、どうして陛下が!」


 不自然なまでの説明口調で、ユウギリが喚く。な、何ですと?


「あらぁ、大臣さん。愛すると誓った人に贈るってことは……つまり、婚約指輪ってこと?」

「そうとも言う」

「ほほー? 朝から宝物庫で埃塗れになって、何を探していらっしゃるのかと思えば。それを探していらっしゃったのですか。言ってくれれば、狼の鼻をお貸ししましたのに」


 何かを察したらしく、アルバートもニヤニヤと厭らしく笑いながらあたしを見やる。え? え? 何それ。

 さっきからシュリ、凄い爆弾発言を連発してない? インフルエンザのせいでおかしくなったのだろうか。確かに、インフルエンザの薬って副作用で幻覚を見たりするらしいけど。

 い、いやいや。今はそんなこと気にしている場合ではない。


「だが、当の本人にその気が無かったようだからな。まだしばらく、この指輪には埃塗れになっていて貰うしか――」

「いやあああ!! まさかのプロポーズイベント消滅!? そんなの夢女子にとっては処刑レベルの仕打ちじゃない! その指輪、あたしにちょうだい!」


 指輪を目掛けて走る。何ならドラゴン退治の時よりも、否、人生で一番速く動けてしまった自信がある。

 それでも小憎たらしいことに、シュリの方がやはり上手だった。すぐに立ち上がり、指輪が入った箱を持った手を目一杯に天井へと伸ばす。ただでさえ背が高いのに、腕まで伸ばされたら届くわけがない。

 ぴょんぴょんと跳ねるも、箱に触ることすら出来ないし! 昇ったろか!


「おっと、危ない」

「こんのおおぉ! わざわざ指輪なんて用意していたのなら、最初からこれ見よがしに見せびらかしておきなさいよおおぉ!!」

「やれやれ、自分から私の側近になりたいと言ったくせに。往生際が悪いぞ、勇者殿。もしくは、力づくで奪ってみると良い。手加減はしないがな、ははは」


 ひらりと身を翻すと、シュリはそのまま玉座から離れて瞬く間に部屋から姿を消してしまう。病み上がりとは思えない動きは、明らかに本気だ。

 大人げないヤツめ!


「こ、こんにゃろー!! 待てこらあああぁ!」


 こうなったら絶対に捕まえてやる! 廊下へと出て行ったシュリを追いかけて、あたしも謁見の間を飛び出す。

 そんな二人に、残されたユウギリ達は顔を見合わせるしかなかった。


「……はあ。これでまた、僕の胃痛の種が増えてしまった」

「はっはっは! これから更に賑やかになるのう」

「……騒がしいのは嫌いだ」

「うふふ。陛下のあんなに楽しそうなお顔、初めて見たかもしれないわねー?」

「それは、オリガも同じよ。あの子の、あんなに生き生きとした表情。長い付き合いだけど、久し振りに見たわ。お姉さん、結構嬉しいかも」

『……魔王や勇者だけではなく、臣下達までこの調子とは。なんて嘆かわしい』


 暢気に笑い合うユウギリ達を遠巻きに眺めながら、シキが嘆息する。だが、誰にも見えていないその表情はどことなく柔らかいものであった。



「む、行き止まりか。やられたな」

「ふっふっふ……さあシュリ、年貢の納め時よ」

「余よりも悪いセリフが似合うのはどうかと思うぞ、オリガ」


 デカい図体でちょこまか逃げるシュリに四苦八苦しつつも、何とか行き止まりへと追い込むことに成功した。しかも、近くには窓やドアは無い。絶好のチャンスである。

 でも、油断は出来ない。相手は魔王。流石に大鎌を振り回してくることは無いとは思うが、気を抜いた瞬間に逃げられてしまうだろう。


「さあさあ、大人しくしていれば痛い思いをしなくて済むわよ? とっとと指輪を渡しなさい!」

「この服の中に隠したゆえ、欲しければ脱がせば良い。ああ、だが……女性に服を剥かれて理性を保っていられる自信は無い。襲われても泣くなよ。割と本気で欲求不満なのだ」

「お、同じ手に何回も乗らないんだから!!」


 くそう、シュリめ。いつぞやの不発に終わった夜這いを覚えてやがる。あたしにとっては、記憶から消し去りたい黒歴史なのに。いかんいかん、彼のペースに嵌っては駄目だ!

 あたしから攻めなければ、押し負けてしまう!


「おんどりゃー!!」


 勢いに任せるしかない! 雄叫びを上げながら、シュリへと突進する。余りにも単純で、自分でも呆れてしまうくらいに真っ直ぐな一撃。シュリならば、きっと難無くかわすだろう。

 だから、身体に触れた感触が何なのか。一瞬、理解できないくらいに驚いた。


「あ……」

「え……」


 がくりと、身体の平衡感覚が失われる。膝を打ち付けたのか、鈍い痛みに痺れる。倒れ込んだとわかったのは、彼の顔を見下ろした時だった。

 ずっと、自分よりも高い位置にあった筈なのに。っていうか、前のめりに倒れたにしては、痛みが明らかに少ない。

 何で? 何でシュリを見下ろすような形になっている?


「いたた……猪か、そなたは。しかも、意外と重い」

「そ、それは鎧のせいなんだから! ……って、うわわわ!?」


 さらさらと指先を擽る銀髪。こそばゆい感触に、自分が今どんな格好になってしまっているかを思い知った。両手は逞しい胸元に置いて、彼の太腿に跨ってしまっている。

 よっしゃー、身動きは封じたぜ! あとは服を脱がして、指輪を奪いつつ、イケナイ悪戯をあれこれしてやる!


「ふ、ふふ……! さあ、観念しなさいシュリ。あたしは勇者なんだから、勇者に不可能なことなんてないんだから」

「顔が林檎よりも真っ赤だぞ」

「う、うるさい! あんたがエロい顔で泣いて喘ぐまであたしは止まらない、いや! 自分ではもう止められねぇ――」


 刹那、時が止まったように思えた。不意に額に触れる、温かくて柔らかい感触。あたしを包み込む良い匂いと、視界を閉ざす銀色。

 自分の顔が映り込む程に近付いた、ピジョンブラッドの双眸。その行為の意味に気が付いた瞬間、煩悩はあっという間に霧散した。


「ふむ、それも魅力的だが……そう急ぐことも無いのではないか? 余とそなたには、これから十分に時間がある。もっとゆっくり、もどかしい時を過ごすのも悪くないだろう」

「そ、そう……なの?」

「もちろん、情熱的な一夜も捨て難いが。そなたは今日から余の側近になるのだろう? それなら夜這いでも何でも、好きにすると良い。今度は変なところから忍び込まないで、ちゃんとドアからおいで」


 ぽんぽん、とあやすように頭を撫でられてから床へと下ろされる。何も言えなかった。言葉にならなかった。目の前にあったのが、先程までの魔王らしい微笑だったら何かしら言い返せたのかもしれないけれど。


 耳まで真っ赤にしたシュリに、一体何を言えば良いと言うのか。


「そ、それでは……余は一旦部屋に戻る。これからよろしく頼むぞ、オリガ」


 もう一度、わしゃわしゃとあたしの髪を撫で回して。そのままシュリは立ち上がると、呆けるあたしを残して逃げるように立ち去ってしまった。

 そんな彼を、再び追いかける気力など残っていない。

 

「無理、尊い……控えめに言っても最の高……墓が建つ、むしろ建てる」


 顔を両手で覆って、その場でゴロゴロ転がって。あたしは最推しの尊さに悶え苦しむしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夢女子が異世界で勇者に転生したら、最推しが魔王になりました! 風嵐むげん @m_kazarashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ