終:風は流れる

 さきほどまでの熱気に当てられて、風を求めて出口を探す。


 都合よく、外へと続くであろう白い扉が開いていた。


 釣られる様に、歩み寄る。






 庭を見渡せる手すりのついたベランダに、先客が居た。


黒髪短髪で、やや小柄。質素な身の包みからして誰かは分かる。


 彼こそが探していた人物なのだから。


「やあ、探偵君。君も夜風を浴びに来ていたのかい」


「クルビエさんですか」


 こちらの問いかけに、彼は振り返りもせずに返事だけをした。


 ただ、手すりに体重を預けながら月を見ているらしい。


 どんな感傷に浸っているかは分からないが、構わず話を続けてやろう。


「そういえばキミの助手君が心配そうにキミを探していた。それに公爵のあの愉快そうな顔みたかい? 大変満足していたようだよ」


 ようやくこちらに興味が出たのか、探偵はこちらを振り向いた。


「……心配されるのはいいが、人死にを喜ばれても困る」


 重苦しい口を開いたが、どうにも先ほどまでの彼とは程遠い。


 これでは話の一つも満足にはできまい。


「なんだ、ずいぶんと元気がないじゃないか。これじゃあさっきの穴だらけの推理の解説を求めるのは酷というものかな」


「ほう、穴だらけ」


 挑発が効いたのか、ようやく目に光が戻ってきた。


「ああ、ずいぶんと穴だらけで、真実を見抜く、なんていうのは肩書きにしては大きすぎるんじゃないか?」


「見え透いた挑発ですが、乗って差し上げましょう」


「いいね、そうこないと」


 とは言って見たが、たいした推理だとは思っていた。


 論理的な積み重ねで、マークスの真意すらも見抜いていた。


 ほんの些細なことではあるが、個人的に不思議だった、推理の疑問点を聞かせてもらうとしよう。


「まず一つ目。あの会場に『詠唱』を使えた可能性がある人物が一人いただろう」


「アンガスタさんのことでしょうか」


 話が早い。どうも、彼もこのことは考えてたらしい。


「彼は犯行の瞬間まで音が鳴るピアノを演奏していただろう?ボクの指鳴らしと同じように鍵盤を叩けば、それだけで『詠唱』ができる」


 一応、現実的ではないとは言ったが不可能ではない。可能性自体はあっただろう、と考えていた。


「明かす必要のない秘密は明かさない主義でして」


「それは要らない嫌疑をかけないためだろう? ここでは話しても構わないだろうに」


 ふむ、と探偵は考えるそぶりをした。


「まあ、いいでしょう。実際のところ、アンガスタさんの居場所は見晴らしも悪いわけではありませんでしたし、『詠唱』が可能であると仮定すれば魔術をキリカさんに向けて打つ事は可能でしょう」


 実際に一度ピアノの場所に立っているようだし、その言葉は実感のあるものだった。


「しかし、膨大な詠唱が必要、というのであればやはり不可能であると結論付けるべきです」


「膨大、と言っても90小節。ピアノの端から端まで使えば何とかなるんじゃないか?」


 ほんの少し眺めただけだが、彼の踊るような指さばきなら、自然に端から端まで叩いていたとしても驚きはしない。


「二つ否定材料があります。まず、クルビエさんは指鳴らしについて私が尋ねたとき、同じ音では不可能、といいましたね」


「ああ。ボクの指じゃあ四小節が限界ともいったね」


「小節、というからにはメロディとも思っていましたが、あなたが言うには音階で表せるものらしい」


「ああ、それはちょっと誤解を与えたかもしれない。口で『詠唱』するには小節と言って間違いないんだが」


 慣例的なものでつい小節と言ってしまうが、実際には代替効果による『詠唱』は音で区切られている。


「それなら分かりやすく90音というべきだったか」


「そのほうが初学者にはわかりやすいでしょう。しかし、90音はアンガスタさんには出せなかったんです」


「どうしてだい?」


「簡単な話です。ピアノの鍵盤数は88鍵しかありません。90個の音は出せないんです」


 なるほど、単に知識不足だったが、大きな盲点だ。


「それに、一流の魔術師にして冒険者でもあるあなたの見解が90というなら、一介の音楽家に過ぎない彼はより多くの音を用いねば難しいでしょう。現実的でない、以上に不可能であると言ってもいいかと」


「なるほどね、よく考えていたわけだ」


「それで、これだけで私の推理に『穴がある』と言ってきたわけではないでしょう?」


 こちらから挑発していたのに、いつの間にかペースを握られている。


 まあ、そういうのもたまには悪くない。


「もちろん二つ目もあるさ。二回目の殺人をマークスがどうやってするつもりだったのか、キミは一切説明していない」


「……それについてはあまり語りたくありませんが」


 探偵の言葉の歯切れが悪い。


 その姿は先ほどの推理を語っていた人間とは程遠い。


「どうして? 理由くらいは聞かせてくれ」


「他ならぬあなたを殺す方法ですから」


 こちらを見ながらためらいがちに言う姿は、どうにも真剣だった。


「そんなこと気遣わなくてもいいのに」


「それに、手段そのものはいくつか考えてはありますが、手元の飲み物に毒を入れたあと他の殺人に偽装するというのは変わらないでしょう。同じような殺人をもう一度やるつもりだったのかもしれません」


 まあ毒で殺すとは言っていたか。


 これ以上考えても自分の殺し方のことだし、気分が悪くなるだけではある。


「他には何かありますか?」


「ふむ」


 大した質問を考えてきたわけでもない。


 彼の調子も出てきてしまったし、これ以上特に推理の穴など突くつもりもない。


「無いようなら終わりとしましょうか」


 彼は切り上げようとするが、ここで会話を終わりにしたくもない。


 質問自体はある。推理の穴とは違うが、実に不可解な言動だったし聞いてしまおう。


「最後に一つ。マークスの奴を犯人だといったとき、どうしてキミは途中で推理を止めて、自白させようとしたんだい?」


「それは推理の穴、というよりは単に気になったことだと思いますが」


 探偵は納得がいかないらしい。


 推理の穴に関係ないところは答えなくても良いだろう、ということか。


 だがこの質問の答えだけは聞いておきたい。


 聞かなくてはならない、と言ってもいい。


「白状するよ、別にキミの推理に穴があると思ってたわけじゃあなくて、どうしてそんな推理をしたのか聞きたかっただけさ」


「なら私の推理に穴はなかった、と」


「ああ、そう訂正させてもらうから、推理を一旦中断した理由をボクに教えてくれ」


 探偵は納得したようにうなずいた。この男、実に面倒くさい性格をしている。


「それもあまり大した理由ではありません。あの先を推理するとどうしても二件目の行われなかった殺人まで話す必要があります。そうなれば殺人を計画した、あるいは殺人未遂と周りの人は考えてしまいます」


「実際そうだったんだ、言ってしまえばよかったのに」


「途中で心変わりしたかもしれないでしょう? 命を救うことにあれだけ熱心だったドクターなら、そういうこともあるかもしれないと期待していました」


 彼がドクターと呼ぶとき、羨望と情景が入り混じったような、複雑な感情を呼び起こしているように見える。


「『真実』を見抜くと豪語していた割に、犯人に肩入れするのはどうなのかな」


「探偵と違って、医者というのは実に良い職業でしてね」


 探偵はまたも手すりに体を預けると、遠い星空を眺め始めた。


「私は人が死んでからでないと、何も解決できませんでしたが、彼は違う。感染症を治療、予防する手法を確立するなんて大偉業もいいところだ」


「ならキミも彼のように医者でも志せばいいだろう。若いんだし、遅くはない」


 20代前半、といったところか。夢を目指すなら十分な若さだ。


「……別に、探偵をやめて医者になりたいわけではないのです。実際、視野の広さと証拠を見つけ出すことにはそこそこ自信がありますから、天分とも思っています」


「キミがそう思うのなら、それでいいんじゃないか」


「それでも、大勢の命を救うと信じていた彼と。たった一人の死を明らかにした私とでは、どちらが正しかったのか、と考えてしまうのです」


 水をつかむような話で。


 届かぬ星に手を伸ばすようなものだと思う。


「……どうしましたか。あなたのような魔術の研鑽を積んできた、一途な方からすると浅ましい悩みですか」


 こちらを向いた探偵の顔は諦めきった、老人のような顔だった。


 ケツでもたたいてやれば勝手に復活するかもしれないが、彼の心にトゲが残るだろう。


 だが、好ましい悩み、と励ましたところで薄っぺらい言葉になる。


 あえて、言うのなら。


 論理的な言葉であるべきだろう。


「なあ」


「なんでしょう」


 大きく、夜空の大気を吸い上げ、吐き出す。


「キミは命を救えなかった。それだけなのかい」


「ええ。ドクターの行いは正しいものではありませんでしたが、私もまた助けられなかった一員です」


 星は見えるくせに、隣すら見えていない。


「……視野が広いと自分で言っていたくせに、目の前のことにすら気がつかないとは」


 探偵はここまで言っても意図を理解できていないらしい。


 とぼけたような顔でこちらを見るばかりだ。


「マークスはどれだけたいそうな言葉を持っていても最後には人を殺してしまっていた」


 彼の偉業は探偵以上に知っているから、彼を悪と断じるつもりはないけれど、人を殺めた罪以上に人を救っていたのは事実だ。


 それでも。


「キミは、一つの真実を明かして。何より、ボクの命を救ってくれただろう」


 この探偵がボクの命を救ってくれたのも事実だったのだ。


「過去にとらわれる必要はない。未来を見ていけばいいじゃないか」


 少々気取りすぎたせいか、恥ずかしくなってきた。


 自分自身をごまかすように、探偵の隣で同じように星空を眺めることにした。


「……救ってましたか、命」


 小さく、自分にも言い聞かせるような声だった。


「ああ。救っていたとも」


 ちらり、と横顔を眺めてみれば晴れ晴れとした笑顔で。


 まあ、多少の勇気を振り絞った甲斐はあったか、と思わされた。





 星を眺めていて、ふと、思い出した。


「ボク、まだキミの名前を聞いてないんだけど」


「……そうでしたか?」


「ああ。誰も彼も君の事は探偵としか呼ばない。キミも探偵としか名乗らないし」


「どうも、こちらの国だと人名に意味があると、意味が多すぎて発音しにくいらしいんです」


「意味が多すぎる、というのは聞かない表現だ」


「ほら、こちらの言葉は意味を直接伝えるというか、言語を解さないで意思疎通をするというか。そんな方式でしょう?」


 今現在も行っているグランブルトの会話形式のことを言っているのだろうか。


「まあ厳密には一種の【伝達】魔法だ。キミもつかっているだろう?」


「ええ、こちらに来てそれだけは死に物狂いで覚えましたよ。言葉が通じない苦しみと言葉が通じる喜びを味わうことができました」


「まあ【伝達】魔法を使えると会話の一つ一つが便利になる。なんせ伝えたいことを【伝達】するだけだから、相手がわかっていないことでも相手の言葉に置き換えられる。……ああ、意味が多すぎるっていうのはそういうことか」


 相手の言葉に置き換えられない言葉だと相手には理解されず、ただの音のように感じる。しかし、意味があること自体は【伝達】される。


「人名という音で認識しているものに意味が存在していると、『意味が多すぎる』という認識もわからんでもないかな」


「何度伝えてみても誰も彼も上手く発音できないようで。ちょうど探偵という肩書きもありますから、それに甘んじたわけです」


 探偵はなんでもないことのように言うが、それはひどく寂しいことではないだろうか。


 名前があるのに、それを誰にも呼んでもらえない。それはまるで空に瞬く星のひとつのようで、誰にも覚えられず忘れ去られていく。


「それは悲しいことだ」


「そうですか?」


「ああ。だから、キミの名前を教えて欲しい」




「京二郎です。……残念ながら、きっとあなたにも呼ぶことはできません」


 一度も呼ばれたことがなくて寂しいのだと、一言口で言えばいいのに。こいつはどうも本当に面倒な性格をしているらしい。


「キミの名前を、隅から隅まで教えて欲しい。意味も、形も、全て。そこまでやればきっとわかる」


 ボクの意思が伝わったのか、あるいは突っぱねる方が面倒だと思ったのか。


 彼はふむ、と顎に手を当てると懐の手帳を取り出し、さらさらと何かを書き始めた。


「こんな漢字ですよ」


「一文字ずつ解説してみてくれ」


「京は……大きな町の一つです。首都のようなものと思えばいい。二は数字でふたつめを表して。郎は男性のことを示します」


 思い出すような、懐かしむような、そんな言い方だった。


 温和な彼の顔が、故郷の姿も豊かで平和なところだったと思わせた。


「……これでも言えないんじゃないですか」


 以前もそんな経験があったのだろうか、少し悲しげだった。


 その顔を見ているのも腹立たしいが、ボクを侮られているのはもっと腹立たしい。


 歴代最高の魔術師の名は伊達ではないと思い知らせてやろう。


 意味が多すぎる、というのは一度の言葉に多くの意味を込める魔術と近しいところがある。


 魔術を『詠唱』するときのように、じっくりと唱える。


「ふうん、京、二、郎。……どうだい?」


 言えた。


 十二分だろう、と思ったが彼はどうも不満げだ。


「もう少しスムーズに居えると完璧ですかね」


 この男は注文が多い。


 あるいは、もっとうまくできると期待しているのだろうか。


「京二郎。どうだ、これで十分だろう」


 自分の名前を聞いて、彼はうなずいた。


「しばらく人の口から聞いてなかったから、新鮮にさえ感じます」


 京二郎はここまで言わせてようやく満足いったらしい。


「なんだ、こっちに来てから誰にも呼ばれてなかったのか」


「ええ。ここまで名前一つ呼ぶために食い下がる人も珍しかったですから」


 それはどういう意味だ、と聞こうとして、やめた。


 京二郎のまんざらでもない顔を見れば、そんな言葉も出ない。


「友人になるんだ。名前くらいは呼んでやらないと」


「友人? 私とクルビエさんが?」


「さんなんていらないよ。クルビエと呼ぶといい」


「……なぜ私と友人になろうと?」


「気に入ったから。十分な理由だろう?」


 京二郎は少しあっけに取られると、口元を手で押さえて、笑いをこらえているようだった。


「なんだ、そんなにおかしな事は言ってないつもりだけど」


「いや、私もクルビエさんのことが――」


「クルビエ」


「失礼、クルビエのことが気に入っていたから。同じようなことを考えるものだ、と思ってね」


 笑いながら言われても、何か馬鹿にされているようにしか思えないが。


 不思議と悪い気分にはならなかった。




 遠くから、馬車の音が聞こえてきた。


 こんな遅くにわざわざ馬車が来た、ということは公爵がようやく警察を招く気になったのだろう。


「これでようやく解放される」


 京二郎がぼそりとつぶやいた。


 これで終わりか。


「さみしいものだ」


 口に出てしまったのも、仕方ない。


 そう思っていると、横から一枚の紙を渡された。


「私の住所だ。好きな時に遊びに来てくれ」


「ぶっきらぼうな誘い方だな」


「寂しそうなあなたを気遣ったのに散々な言われようだ」


 京二郎は夜風も浴びきった、といわんばかりに屋敷に戻っていった。


 引き止める言葉もないし、振り向くことなく別れを告げよう。


「遊びに行く。だからまた会おう」


 探偵はこつ、こつ、と歩み去っていく。


 十歩ほど歩いたところで、その音が止まった。


 振り向いてほしいのだろうか、とも思ったが見送りをしてやるほど殊勝でもない。


 ほどなくして、こつ、こつ、と音が聞こえ始めた。


「また会おう、お嬢さん」




 一瞬、頭が真っ白になった。


 後ろを向くがもう誰も居ない。


 表向きも、書類上も男で通しているから、誰も知るはずはないはずだったのに。


 声や服装で見破られる事はないと思っていた。


 どうしてだ、と聞くべき相手はすでに姿を消していた。


 彼からもらった紙には雑な文字で住所と、『例え魔術を扱うときでも、その美しい手指を晒すべきではないと思いますよ』とだけ書いてあった。


「……本当、面白い男だよ」


 少し、京二郎という男に興味が湧いた。


 気が向いたら、彼の住所に一度くらいは行ってみてもいいかもしれない。

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異世界探偵 京二郎の目糸録 水戸 連 @mitten_wrench

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