第十話:真の理由
「真の理由?」
そういわれても、ぴんとは来ない。
「初めにこの会場で殺した理由だ。この会場で殺人が起きたことで、一体何が起きただろうか」
何が起きた、というのは抽象的な言い方だ。
「ほら、一度確認しただろう、犯人が予測しているであろう出来事」
一度確認した、といえば公爵の一声のことだろうか。
「公爵によってこの会場に閉じ込められること、ですか」
「そうだ」
しかし、それを前提に考えるならマークスの発言に矛盾がある。
「マークスさんは一番初めに警察への連絡を提言しているんですよ?」
もしあのまま公爵が意見を変えていたらどうするつもりだったんだろうか。
「そのくらいの発言で公爵が意思を翻すことはないと分かっていたんだろう。私でも想像はつくし、その提言のおかげで結果として『魔術』による死だと誘導することもできた」
そういえば、『魔術』でしかないのに『魔術』は使われていない、と言ったのはマークスが初めだった。
思えば、あのときから騙されていた、ということだ。
「そして、私のような捜査を委任される人間がいなければ、どうなることが予測されるだろうか」
「犯人が見つかるまで長丁場になるでしょう」
「そして長丁場になれば人間は食事をしなければならない」
「……それは、つまり」
毒で死んだ人間がいれば、その場で食事をしたがる人間はいないだろう。
しかし、こんな自殺か他殺かも確定できない、不可解な死体だけなら、腹が減れば食事を取ることはおかしくない。まして、飲み物程度なら喉が渇けば口に含んでしまうだろう。
「この中にもう一人毒で殺したい人間が居たからこんな隠蔽方法をとった、と」
「そう考えるのが自然だ」
探偵はテーブルに置かれていた、被害者の飲んでいたオレンジジュースの入った瓶を手に持った。
「そして、毒を混ぜるなら瓶に混ぜるだろう。近くによるとき自然に触れても違和感を持つ人間は少ないだろうし、水に溶けるまでの時間も稼ぎやすい」
「しかし、あの瓶は事件発生時にはフタがしてありました。毒を入れるのは難しいのではありませんか?」
今しまっているのに、被害者が料理を取りに行くときだけ開いていた、というのは不自然だろう。わざわざ近づいてふたを開ければそれこそ誰かが違和感に気がつくかもしれない。
「【転移】の魔術を使えばそう難しくもないんじゃないか? 君が【操水】をグラスの中にやっていたのと同じ要領でならいけるだろう」
「……確かに、それならそんなに難しくはないでしょうか」
瓶の厚さ程度なら手で触れれば『詠唱』なしでも内部に【転移】は難しくないか。
「毒を入れた理由も、毒を入れた経路も判明した。後はこの毒が何か分かればいいのですが、ドクターは何か判別方法をご存知ではありませんか?」
「フン、毒なんて入ってるものか」
マークスは機嫌の悪さを隠そうともしていない。
「ならクルビエさん。あなたならご存知ではありませんか? 【治療】の魔術が困難である物質でかつよく水に溶ける毒を」
「そこまで行くと候補は少ないけど、調査の方法も分からないな。なんせ魔術的に反応しないからこそ【治療】が困難なんだ」
「後は、そう。彼のイヤリングに使えるほど小さく加工できるとなおいい」
その言葉を聞いて、マークスの目が見開かれた。
「その根拠は?」
クルビエが聞き返すのも当然だ。
「万が一身体検査があったときに毒を入れておいても疑われず、かつ咄嗟のときに二人目を殺すために毒を仕込むのであれば、身に着けるアクセサリーにでも仕込んでおくのがベストです」
そして、納得がいったようにクルビエはにやりとした。
「そこまでの条件に一致するなら毒性を魔力に頼らず、かつ処置が難しい、人工的に対魔力喪失症をもたらすエギスで間違いない」
「そのエギスの判別方法は?」
「まあ、魔力を保有する金属のミスリルかアダマンタイトに反応させる、あるいは生命体が摂取して、対魔力喪失の反応をすれば間違いなくエギスだよ」
「ミスリルとアダマンタイト、というのをクルビエさんが持ち合わせていたりはしませんか?」
「持ち合わせはない。ああ、スリエスならもしかしたら」
視線を向けられたスリエスは首を横に振った。
「残念ながら竜殺し程度にしかそんな希少な素材は持ち歩かない」
「それは本当に残念です。他に、誰かミスリル、あるいはアダマンタイトを持ち合わせている方は?」
探偵は求めるように周囲を見渡すが、誰も手を上げる様子はない。
ミスリルもアダマンタイトも手のひらに載せる程度でこの『会合』の参加費を優に超える。
理由もなしに持ち歩く人間は居ない。
「残る手段は生命体の摂取、ですか」
探偵は手袋をしたまま、瓶のふたを外した。
「その対魔力喪失症というのはどんな症状がでますか?」
「少量なら抵抗力の低下。ただ、毒として使うなら大量に摂取するだろうから脳と肉体を繋ぐパスがなくなって体が動かなくなるとか。まあ体が麻痺するには違いないし、死に至らしめることも考えられる、かな」
「じゃあ、飲んで麻痺の症状が出ればエギスで間違いない、と」
探偵はとぽとぽとテーブルにあった一度も使われていないグラスに毒を注いだ。
「待て、君は何を考えて――」
彼はグラスを持って、マークスの前に立った。
まさか。
「探偵さん、あなた何をするつもりですか!」
「なに、ただの実演だよ」
右手によって高く持ち上げられたグラスから、液体が自身への口へと注がれた。
その毒杯は口に触れるや否や、というところで凍結していた。
探偵は凍結した毒杯を興味深そうに下から眺めている。
「【凍結】の魔術ですね。ドクター、実に見事な精度だ。これならキリカさんの内臓も上手く凍結させられたことでしょう」
凍った毒杯はテーブルの上に置かれた。
「そんなのんきなセリフを聞きたかったわけじゃあない! アンタ、今自分が何をしようとしたのか分かってんのか!」
どれだけ探偵が追求しても手を上げなかったマークス医師は、この探偵の暴挙に対して首を締め上げるまでに至った。
「魔術師が隅から隅まで説明してたじゃねぇか! その瓶の中身は人間一人をコップ一杯どころか一口で殺せる毒だって! なんだって自分で試そうとするんだ!」
医師の激情を受けても、探偵は揺らぎもしない。
「だって、あなたなら止めるでしょう。あれだけ命を救うことを熱心に語ったあなたなら」
「……なに?」
「あなたが医者としての志を忘れていないか。それをどうしても確認したかった」
医者の腕は探偵の首から離れ、力を失ったようにだらりと下がった。
「アンタ、それだけの確認のために自分の命を賭けたのか」
「重要なことです。人の命を救うために、成した偉業を誇らないあなたが。どうして人を殺したのか。私にはどうしても分からなかった」
「……なんだ、そんなことも分かってないのにオレが犯人だと思ってたのか」
「あなたが犯人でない、というならいくらでも話を聞きましょう。私は今でもそうでないことを願っている」
「……ふん、イヤリングの毒を知ってるなら疑う余地なんてなかったろうに」
マークスはイヤリングを触りながら、自嘲する様に笑っている。
「オレがその呪術師を殺した理由か? ここまでわかってたあんたなら、すぐに気がついたんじゃないのか?」
「人の心までは読めませんから。是非、あなたの口から言っていただきたい」
「はん、確証が取れない、程度の理由だろう? いいぜ、ご破算になっちまったついでだ、全部語ってやる。――より多くの人間を救うためだよ」
人を殺しておきながら、人間を救う。
「実に矛盾した物言いではありませんか?」
「いいや、ちっとも。アンタはこの呪術師が感染症の蔓延した土地でどんなことを教えてきたのか知ってるのか?」
「残念ながら、何も」
「精神を強く持つために一箇所に集まれだの、魔力を保つために手を洗うな、病人は健康な人間に囲まれてこそ癒えるだの――全部、行われるべき治療とは魔逆だった!」
「隔離、洗浄。感染症においては必要不可欠な対処です」
「そうだ。オレが正しい予防を広めるまで10年はかかった。いや、そのあとに残った悪しき習慣を撤廃するのは今も努力している。何でか分かるか? この女が間違った予防だけじゃあなく、正しい医療も行ってきたせいで、無用の信頼度があったせいだ」
「正しい治療をしてきたことを責める事はないでしょう」
「いいや、そのせいで多くの人間がこいつを信じきって病に冒された。ただ抵抗力が弱る病でも、ただそれだけで子供や老人は死に近づく。実際に何人も死んできた! 分かるか、この罪深さを!」
今までこらえていた恨みなのか、マークスの言葉は激情が渦巻いていく。
「キリカも近年じゃ反省していただろう。自分の名前で、自分の足で。その間違いを指摘して回っていたんだ」
クルビエがその激情の訂正をするが、彼は止まらない。
「ハ、その訂正と同時に効果があるかも分からない呪術を再度広めてるんじゃ意味がない。かえって悪影響だった」
「……そういう見方もあるか」
「そうだ、探偵さんよ。オレがもう一人殺すって言ってたがそいつの検討はついてたのかい?」
探偵はちらりとその人物に一瞬目線をやった。
「クルビエさんでしょう?」
「よくわかったじゃあないか」
名指しされたクルビエは一度ビクリとすると、マークスの殺意から一歩後ろに引いた。
「自信のある消去法ではありませんでしたが。誰が犯人であったとしても、私怨に寄らない、医療に関する動機でキリカさんを殺すならば、同様に医療の権威であるドクターとクルビエさんも対象に入るでしょう。ドクターが犯人なら残りはクルビエさんしか居ません」
「もう一つ足しときな。Sランク冒険者なんて化け物を殺すのなら毒くらいしかないってな」
マークスは、クルビエ指を向けた。
「そうさ。そこの人々を救うための魔術を自らの利益にしか費やさない、愚かな魔術師もこの機会に殺してやろうと思っていた」
「はは、それなりに長い人生だったけど、名指しで殺してやろう、なんて初めて聞いたよ」
指を向けられたクルビエは、気圧されるように後ずさりした。
「その技術があれば、その不老の術のメカニズムが少しでも広まれば、救われるはずの命だってあったはずなのに。若ささえあれば抵抗できた病なんていくらでもあったのに! それだけじゃあないはずだ。一家相伝の秘匿されている魔術はまだあるだろう! それさえあれば、それさえあれば……」
マークスは感情のままに言葉を叫ぶ。疲れ果てたか、最後のほうはどんどんと言葉が弱くなっていく。
「確かに、受け継いだ魔術の中に医療に応用できる魔術があったことは否定しないが。個人の権利をばら撒いてまで他者に尽くせ、なんてのは逆恨みだと思うよ」
クルビエは淡々と語る。しかし、その表情は覆い隠されて読み取ることはできなかった。
「ふん、利益に心を奪われちまったやつは信念すら見失っちまうのか」
医者はゆらり、と探偵の方を向いた。
「なあ、探偵さん。アンタがどこから来たかなんて知らないが、オレからすればずいぶんと病理について知識があるように見える」
「基礎中の基礎のようなことばかりですよ」
「一般人でも理解があるって事だろう。なおさらすばらしい。そんな探偵さんからすれば、正しい知識を広めるために尽力しようとしたオレは、何か間違っていたんだろうか」
「私に問うのですか」
「そうだ。きっと、オレの予防法が、治療が、正しかった世界を知っているであろうアンタなら。オレがやったことでどれだけの人間が未然に救われるか見当がつくアンタなら。きっと、オレの正しさが理解できるんじゃあないか?」
マークスは自身の正しさを信じきっていて、どうあれ肯定されることを望んでいるように見えた。
「限りなく、正しかったと思いますよ」
「そう思うか」
「ええ。キリカさんを殺してなどいなければ」
探偵の呟きを聞いて、マークスは笑い出した。
「そうか、クク、ククク、ハハハハハ!」
怒るでもなく、泣くでもなく。周囲があっけにとらわれるのも気にしないで、ただただ高笑いが会場に響いた。
「探偵」
「なんでしょうか」
「アンタも同類なんだろう」
医者の顔は何か吹っ切れたようで。
「よくお分かりで」
探偵が浮かべていた表情は、夢を諦めてしまった老人のような顔だった。
犯人も指摘して、事件も解決して、全ては終わりを迎えたのに。
それでも、彼は悲しい表情を浮かべていた。
「探偵さん」
呼びかけてみても、彼はこちらを振り返らなかった。
「ロビン君、それと公爵。後はお任せします」
それだけ言って、彼はフラリと現場を後にしてしまった。
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