孤城の独り

松風 陽氷

孤城の独り

昔々、桜の森の奥に、大きな角と牙を持ったを持った身体の小さな一匹の化け物がおりました。化け物は何故自分が此の森にいるのか、何時から此処にいたのか、何も解りませんでした。只々、桜の樹を眺めるだけの日々を送っていました。

或る時、化け物はこう思いました。

「此の森から出たら、一体何が有るのだろうか」

一度そう思ってしまうと、もう居ても立っても居られなくなり、化け物は森を出てみる事にしました。森の外への期待で胸が膨らんだ化け物は、自分なりに目一杯のお粧しをして森を歩き出しました。

路の途中で大変美しいお花畑を見つけた化け物は

「お花を配って歩いたら、出逢った人達と仲良くなれるかもしれない」

と思い、持っていた籠に溢れんばかり沢山の花を入れました。今日は何だか、誰とでも仲良くなれる様な、そんな気さえしたのです。

森から出ると目の前には、活気溢れる街を行き交う人々が楽しげに笑っておりました。化け物は初めて見た此の世界に胸がドキドキしました。

「森の外にはこんな素晴らしいものが有ったのか!此れを今まで知らなかったなんて!」

化け物は笑顔で街へ駆けて行きました。街の中には八百屋や靴屋、仕立屋やパン屋等、沢山の商店が並んでおり、化け物は飛び跳ねながら歌ってしまいそうになりました。

広場に着くと化け物は、噴水の淵に座って本を読んでいる一人の少女を見付けました。

「あの子とお友達になりたい」

そう思った化け物は、出来るだけ驚かせない様に、本の邪魔にならない様にと、気を配りながら少女に声を掛けました。

「こんにちは。君と仲良くなりたいと思ってて、少しだけ、僕とお喋りしてくれませんか?」

今迄誰とも話したことのない化け物は、少女になんと声を掛ければ良いか、分かりませんでしたが、其れでも、彼なりに頑張って、考えて、言葉を紡ぎました。

すると少女は化け物の方を見る事なく、本を読みながらこう言いました。

「如何してお喋りなんてしなくちゃいけないの、何にも楽しくないじゃない。」

化け物は困りました。何と言っていいか分からなくなって仕舞ったのです。化け物は、此の世にはお喋りをする事が嫌いな人がいる、という事を初めて知りました。

「でも、君は今一人じゃないか、寂しくないのかい?」

化け物がこう尋ねると、少女は

「別に、そんな事思わないわ、一人の方が余程楽だと思うの」

と、答えました。

化け物は益々困って仕舞いました。あんなに活気が溢れ楽しそうに生きる人間の中に、こんな考えの人もいるという事を知って、何だか奇妙な感覚に襲われました。そしてふと、籠の中の花達を思い出しました。

そうだ!これをあげたらきっと彼女も喜んでくれるに違いない!そうしたら僕とお喋りしてくれるかもしれない!

そう思った化け物は、籠の中から選りすぐり、一等美しいと思った花を一輪取り出して、本を読む彼女に差し出しました。

「君に此の花をあげるよ!僕がさっき摘んできたんだ、とても美しい花だよ!」

すると少女は本からやっと目を離し、花を見ました。しかし、その瞬間、顔を勢い良く上げて大声で叫びました。

「きゃあああ!化け物よ!」

少女は本を忘れて化け物から後退りし、其の拍子に、本は噴水の水の中へ落ちて仕舞いました。化け物は落ちた本を取ろうと噴水の中へ入り、歪む水面に手こずって全身を濡らしつつ、やっと探し出しました。

「あったよ!取れたよ!」

そう言って水から上がると、もう、少女の姿は何処にも有りませんでした。

其の代わりに大勢の人々が水に濡れてぐしゃぐしゃの化け物を囲んでおりました。皆々、とても恐ろしい顔で化け物を睨み付けております。化け物は何が何だか訳の分からぬまま酷く怯えました。こんな事は初めてでした。しかし、籠に花が有るのを思い出した化け物は、今度こそはと思って目の前にいた男に差し出しました。

「此の花、とっても綺麗でしょう!貴方にあげます、どうぞ」

すると男は、其の花を差し出してきた手ごと勢い良く叩く様に払い除け、怒鳴りながらこう言いました。

「やめろ!近付くな!穢らわしい化け物の分際で!さっさと此の街から出てけ!」

其の言葉を皮切りにして、人々は散々狂った様に叫びました。

「消えろ!」

「化け物じゃ!」

「くたばれ!」

「恐ろしいわ!」

「出てけ!」

「死んじまえ!」

「なんて忌々しいの!」

「気味が悪い!」

「失せろ!」

そう言って人々は化け物に向かって石を投げたり、汚い靴で蹴ったり、棒で殴ったりしました。お粧しをしてきた化け物は見る見る内にドロドロに汚れていきます。

「痛いよ!怖いよ!如何してそんな事をするのさ、僕は嫌だよ!」

化け物は大きな声でそう叫びました。しかし、化け物の声は誰にも届きませんでした。先程男に差し出した花はもう誰かの靴の下でぐしゃぐしゃに潰されていました。其れを見た化け物は何だかとても悲しくなって、人々から逃げる様に走り出しました。すると背後でパァンという大きな音が鳴り響きました。化け物が驚いて身を竦めると、自分の肩の辺りに血が流れているではありませんか。化け物は鉄砲で撃たれたのでした。化け物を撃ったのは街で有名な腕利きの猟師で、其の猟師の男は怯える化け物に向かって

「小せぇんだからちょこまか動くな!狙いずれぇだろうが!」

と怒鳴りました。

殺される!

そう思った化け物は一目散転がる様に森へ帰りました。ぼろぼろと流れる大粒の涙を拭うことも出来ないまま、痛む身体を死に物狂いで動かして走りました。肩から流れ出る血は紛れもなく赤色でした。

桜の森へ辿り着いた化け物は、恐怖と痛みで蹲りながら泣き続けました。三日間、ずうっと泣き続けました。しかし誰も化け物を慰めてはくれません。森には化け物以外、誰も居ないのでした。

涙が止んだ化け物は、もう何も感じませんでした。

此の森から出なければ痛くもないし、悲しくも、怖くもない。

そう思いました。そして化け物は此の森に城を作ろうと考えました。

自分だけの城。自分を外の世界から守る為の城。

誰も入れない様にと、敢えて門や扉は作りませんでした。

出来上がった城は想像以上に素晴らしい物で、化け物は大変満足でした。しかし、一人で城に居るというのは心が空虚で満たされて行く様な感覚がして、化け物は再び泣き出して仕舞いました。

「城を作ったのに、もう何にも無くて安全なのに、何でこんなに涙が出て止まらないんだろう。」

化け物には分かりませんでした。しかし、化け物は城での生活も次第に慣れて行き、もうすっかり寂しさというものを感じなくなりました。長い年月、平穏で快適な生活を送りました。

もう幾年の時が経ち、何度桜が枯れたでしょうか。その日も又、化け物は何時もと変わらず城の中で揺れ椅子を漕ぎながら窓の外を眺めておりました。すると、塀の外で何やら物音がするではありませんか。化け物は驚いて目を見張りました。塀をよじ登って来たのは一人の少年でした。化け物はカーテンで姿を隠したまま窓の外に向かって叫びました。

「誰だお前は!出てけ!入って来るな!失せろ!」

すると少年は言いました。

「其処に誰か居るのかい?此の城の扉は開けてくれないのかな?」

化け物は答えました。

「此の城に扉なんて物は無いんだ!良いからさっさと出て行けよ!」

すると少年は城の壁をよじ登って来るじゃありませんか。化け物は驚いて窓から後退りをしました。少年は窓の縁に手を掛けると、軽々しくひょいと部屋へ入って来ました。そして何と、化け物に近づいて行くのです。少年は怯えた化け物の手を取って言いました。

「震えているの?悲しいくらい酷く冷たい手をしているね。ずっと一人で居たのかい?」

化け物は其の手を勢いよく振り払い除けて言いました。

「僕に触れるな!さも無いとこの牙でお前を喰ってやるぞ!」

化け物は人間どころか生き物さえ食べた事がありませんでしたが、つい咄嗟にそう言い放ちました。しかし少年は恐れる事なく言いました。

「そうか、君はずっと一人で寂しかったんだね。じゃあ、僕と友達になろうよ」

化け物には分かりませんでした。如何してそんな事を言われるのか、何故相手は此の牙や角を見ても逃げ出さないのか。化け物は酷く困惑して、其の部屋から逃げ出しました。

少年は別の部屋に逃げ込んだ化け物を追い、再び其の手を取って優しく声を掛けました。

「大丈夫。何にも怖い事なんかないさ、君は怯えていなくても良いんだよ」

化け物は言いました。

「人間なんか信じられるものか!友達なんか僕には要らない!僕は一人でも全然平気なんだ!寂しくなんかないやい!」

すると少年は少し考えてから、何かを思い付いたように微笑んで言いました。

「じゃあ、僕のチェリーパイを食べてみてよ、きっと君も気に入る筈だ。何てったって僕が作るチェリーパイは街一番なのだからね、君のお気に召したら毎日此処で作らせてくれよ。」

今迄森の木の実や葉っぱ等を食べて過ごしていた化け物はチェリーパイを知りませんでした。チェリーパイとは一体どの様な物なのだろうか、そう思った化け物は少し俯き気味で

「此の城のキッチンは斜向かいの扉だ、使いたくば好きにしろ。」

と、吐き捨てる様に小さく呟きました。

それを聞いた少年は大変喜んだ様子で街へ戻り材料を買い、大急ぎにチェリーパイを作りました。やがて焼き上がったチェリーパイは化け物の目の前に差し出されました。初めて見る物に恐る恐る口を付けた化け物は其の美味しさに感激して、一気に全てを平らげてしまいました。

其の様子を見た少年は嬉しそうな顔で

「此れからも此処で、作らせてくれるかな?」

と、化け物に尋ねました。すると化け物は

「チェリーパイの為だ。お前と友達になる積りは無いからな。」

と、ぶっきらぼうに答えました。少年は

「有り難う!」

と、満足そうに元気良く答えました。

その日から化け物の城に一人住人が増えました。少年は毎日楽しそうに城での生活を満喫していました。化け物は毎日変わらず揺れ椅子に腰を掛け、窓の外を眺めていました。

少年は、そんな化け物の手を取って

「一緒にボールで遊ぼうよ」

「鬼ごっこなんか如何だい」

と、毎日話し掛けました。しかし、化け物はその度に少年の手を払って

「僕に構うな」

「勝手に一人で遊んでいろ」

と、釣れない態度をとりました。

化け物は今迄一人で過ごして来た為、人との遊び方が分からず、其れを知られるのが恥ずかしかったのです。

ある日、少年は化け物の手を取りながら少し淋しそうな顔で言いました

「君は今迄、此の城で一人、過ごして居たんだね。ずっと淋しかったんだろう?でも、もう僕が居るのだからね、君は大丈夫、独りぼっちじゃあないんだよ。だからそんな悲しそうな顔をしないでおくれ、笑っておくれよ。」

すると化け物は熱り立って少年を突き飛ばし叫びました

「煩い!同情のつもりなのか、馬鹿にするな!それならば今直ぐ出てけ!お前なんかに僕が分かってたまるか!」

化け物は少し悲しくなりました。今迄少年が化け物のそばに居たのが、同情の為だったのだと思ってしまったからです。少年は慌てて言いました。

「違うよ!同情なんて、そんなんじゃないよ!そうじゃなくって、只、僕は、君の悲しそうな顔が見たくないだけなんだ。君に心から笑って居てほしい、そう思っているだけなんだよ」

少年は優しい心の持ち主でした。しかし、化け物は其の少年の無垢な優しさが、如何しても信じられなかったのです。化け物は、抱き締めようと近付いて来る少年の腕に鋭く噛み付きました。少年の顔は激しい痛みの為歪み、腕からはぼたりぼたりと真っ赤な血が流れました。しかし、少年は、化け物を驚かせまいと、小さな悲鳴も発しませんでした。少年のそんな姿を見た化け物は、自分のした事が途轍も無く恐ろしく感じられ、少年を置いて城から逃げ出しました。

城を出て、桜の中を只ひたすらに走り続けました。初めて自分が怖いと思いました。自分が大嫌いになり、酷く胸が苦しくなりました。後悔、という物を初めて知りました。

其の日、化け物は城に戻るのが恐ろしくて堪りませんでした。

若しかしたら、少年はもう、城には居ないかもしれない。怒って何処か遠くへ行ってしまったかもしれない。

家路を歩く化け物は、怖くて怖くて身体が冷たくなる思いでした。一人になるために作った城が、いつの間にか少年と二人で暮らす暖かい場所となり、化け物の中で少年の存在は掛け替えのないものとなっていたのです。其のことに気付いた化け物は、なんだか急に少年に会いたくなりました。今なら素直になれるような気がしたのです。

「僕ったら、素直になれなくって、怒ってばっかで、噛み付いて、傷付けて・・・謝らなくっちゃ!そして、ちゃんと、有り難うって言うんだ!」

化け物は全速力で走って帰りました。しかし、門や扉の無い城に入るには塀と壁を乗り越える必要があります。化け物は、一生懸命登りました。今迄一度も登った事の無い、自分が造り上げた大きな壁に苦戦しながらも、一つ一つ、煉瓦をしっかりと握り締め、掌がボロボロになっても諦めずに登り切りました。

化け物が部屋の窓から入ると、少年は横たわった状態で居ました。其の息は絶え絶えで顔は血の気が無く青ざめていました。床を見ると未だに腕から流れる血は止まっておらず、絨毯には真っ赤な模様が広がり続けておりました。化け物は少年を抱き抱えて言いました。

「大丈夫か⁉︎あぁ、どうしよう、血が止まらない、どうすれば良いんだ」

慌てて取り乱す化け物に対し、少年は笑顔を作って言いました。

「ああ、帰って来てくれたんだね、有り難う、とっても、嬉しいよ。僕は、君を怒らせてしまったからさ、追いかけようと、しても、ちょっと倒れて、動けなくなってしまってね、ごめんね、」

今迄少年は素直の優しいままで、化け物に接して来ました。化け物は今になって其の尊さを感じたのです。化け物は、初めて、少年の前で泣きました。

「謝るな、君は謝るんじゃない。寧ろ謝るべきは僕の方だったのだよ、今迄、素直になれなくって、怒ってばっかで、御免なさい。噛み付いて、傷付けて、御免なさい。そして、ずっと、僕の隣で、笑って、手を取ってくれて、有り難う。本当はとても、・・・嬉しかったんだ。」

すると少年は笑顔のまま目を閉じて、静かに涙を零して言いました。

「僕、今、物凄く、幸せな気分だ。君と、友達になれて、本当に、僕は、」

そう言うと、少年は動かなくなってしまいました。

刹那の静けさ。

少年の瞼に降り来る一片の薄紅色。

化け物は吠えました。

哭き叫び続けました。

喉が潰れて、声が枯れても尚、化け物の慟哭は鳴り止みません。

森の桜が全て散っても、青々とした若葉が芽吹いても、葉が色を変え枯れ落ちても、枝が白く化粧をしても、化け物は絶えず、何年も、何年も、少年を抱えて泣き続けました。

やがて、泣き疲れた化け物は、ある事を決心しました。それは、城に門と扉を造る事です。そして、化け物は、其処からもう一度、街へ出ようと思いました。

化け物は壁の一部を壊し、立派な門と扉を造りました。そうして、いつかの様に、お粧しをし、沢山の美しい花を籠に入れ、街へと向かって弾んだ息で駆けて行きました。

もう化け物は街や人々が怖く有りません。

何故なら、化け物の心にはずっと少年の笑顔があるからです。

少年は孤独で寂しい思いをしていた自分にずっと優しく寄り添ってくれた、ならば次は、自分が誰かに寄り添う番だろう。化け物だって人間だって、言葉が通じるものなら分かり合えるのだから。

と、化け物は思ったのです。


大きな角と牙を持つ身体の小さな化け物は、ずっと怖かった人間を理解しようと努力しました。そうしていつの日か、心の優しい化け物は、街の人間達皆と仲良くなり、街の人気者になりましたとさ。



終わり













  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

孤城の独り 松風 陽氷 @pessimist

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ