僕の彼女は冬虫夏草

茅田真尋

僕の彼女は冬虫夏草

 これは僕の少し奇妙な休日の話だ。



    朝



「かんてん、かんてんだ! かんてんくれー!」

 朝から騒々しい声で、僕はたたき起こされる。眠い目をこすり、ゆっくりと声の方へ視線を遣る。掛け毛布はとうに跳ね除けられ、声の主は腕をぶんぶんと車輪のように回していた。

「早くしろ、朝だぞ? 朝飯だぞ!」

 銀の長髪はしなやかに背中へと流れ、頭頂部は所謂お団子ヘアだ。真っすぐに切りそろえられた前髪に、緑の瞳、つやつやの顔。全身は仄白く、所々にひだが付いている。それはまるでフリルのように軽やかで、ちょっとしたドレスみたいだ。

 そして、女性美をふんだんに盛り込んだような、長くしなやかな脚が彼女の白い胴体から伸びて――いたらよかったのだが。

 残念ながら彼女に脚はない。先天的な障碍や怪我によるものなどでは断じてない。

元々存在しないのだ。彼女の身体は鉢に植わっているのである。土中では、彼女の――尻尾と言ったらよいのだろうか?――がするりと伸び、末端にはツクツクボウシだか、カイコだが知らんが、何かの虫が繋がれているはずだ。頼まれても掘り返したくはない。

彼女――コルディは冬虫夏草なのである。なぜそんなものが早朝からぎゃーぎゃーわめきたて、人間の僕に主食である寒天をおねだりするのか。

もちろんまっとうな人間の一人として僕も疑問に思った。だから、その所をコルディに尋ねてみたことがある。(冬虫夏草と会話する時点で既にお前は異常だというクレームは受け付けまい)

 すると、彼女曰く、冬虫夏草の笠には数種類あるのだという。棍棒型、たんぽ型、耳かき型……などいろいろあるらしい。だから、人型があってもおかしくないのだという。

 なんという詭弁であろうか! それで僕が納得できるはずもない。だけど、現にこうして存在してしまっているのだから、反論などもはや何の意味も持たなかった。

「おい! いつまで寝てるつもりだ、寝坊助」

 口汚い言葉で、コルディは頻りに飯を催促する。こいつの主食は三食全て寒天である。人間の食べ物では一番坐りが良いようだった。

 僕は冷蔵庫から、買い置きの寒天を取り出し、皿に乗せてコルディの前に出してやった。当然ながら、彼女は自分で歩けはしない。下半身を生き埋めにされた人間のようなものだ。

 不便そうだから、虫から切り離してやろうとしたこともある。口から栄養は摂取できるみたいだし、別にかまわないと判断したのだ。

だけど、コルディは顔面を真っ青にして、首がちぎれんばかりにかぶりを振りまくった。詳しくはわからないが、冬虫夏草にとって根元の虫は非常に重要なのだという。

コルディは、お前は首を切られても生きていけるのか、と僕に訴えてきた。どうやら、胴と虫をつなぐ部分は、首と同じくらいに重要な部位らしい。僕は彼女をギロチンの刑にかけようとしたも同然のようだった。

僕は洗面台へ行き、歯を磨き、顔を洗った。そして居間に戻ると、

「おい、早くしろ! お前の食事はまだか」

 また、罵声を浴びせられた。コルディの皿には、無傷の寒天が残っていた。

「先食べてればいいだろ」

「寂しいことを言うな! 一人で喰ったって味気ないだろ。飯は皆で食べるのだ」

 僕は大きくため息を吐く。

「……本当にわがままな植物だよな」

「わたしは植物ではない! 菌だ、きのこだ! きのこの女の子、きの娘だ!」

 しょーもない洒落を飛ばすくらいの知能はあるらしかった。

「わかった、わかった。急いで作るから、ちょっと静かにしててくれ」

 僕はスクランブルエッグとトーストだけの簡素な食事を作り、居間に戻った。

「「いただきます」」

食事中だけは、この騒がしいきのこも静かになる。

コルディは食器を使えないため、手づかみで食事をとる。だけど、寒天は思いのほかつるつると滑るので、口に運ぶだけで一苦労のようである。けれど、それに関してコルディが文句を言ってきたことは一度もない。それだけ、寒天がお気に入りなのだろう。そのため、コルディの食事ペースはいつも極めて遅かった。

 朝食後はベランダの草木に水やりをする。僕の趣味はガーデニングだ。

コルディはある日いきなりベランダの植木鉢に発生したのである。人型のきのこ、それも会話機能付きだ。もちろん最初はかなり気味悪かった。だけどまぁ、それゆえ、コミュニケーションのとれる相手なわけで、捨てるわけにもいかないじゃないか……。

「わたしにも、お水をくれー」

 ベランダの僕を、コルディが呼ぶ。花の水やりを終えた僕は、コルディの生えた土にも丁寧に水をかけてやった。丁寧なのは決して彼女を思ってのことではない。万が一、手元を滑らせ、彼女自身に水をかけてしまうと、長いお説教の始まりだ。

居候の身でありながら、どうしてこんなに態度がでかいのだろう。まったく親の顔が見てみたい。そういえば、コルディの両親に顔はあるのだろうか? 案外、普通のきのこだったりして。

幸い、今日は水を掛けずに済んだ。コルディはたいそう満足そうだった。

休日の僕は自宅でダラダラと過ごす……はずなのだ。だけど、

「ひまだー。さとる、なんかするぞ」

 始まった。動けもしないくせに落ち着きがないのだ。僕は精一杯不満そうな目線をコルディに送ってやった。

「なにかって……することもないだろ」

「なんでもいいのだ! とにかくわたしと遊べ!」

 「遊ぶ」の命令形なんて初めて聞いた気がする。遊びは強制されるものだったろうか?

「そうだ、またトランプでもいいぞ」

 以前に遊んでからというもの、トランプがすっかり気に入ってしまったようなのだ。

「でも、お前ババ抜きしかわからないじゃないか」

 コルディはむっつりとする。

「それはお前が教えてくれないからだろ! ババ抜きが嫌なら、他を教えてくれ」

 口調の乱暴さとは裏腹に、コルディの顔は期待感に満ちている。既に心は新しいゲームに向かっているのだろう。

「……わかった」

「おお!」

 コルディの表情がぱっと明るくなる。

「ババ抜きやるぞ」

「さとるのけちんぼ!」

 コルディが悲痛な叫びをあげた。考えてみて欲しい。新しいゲームの説明をするのと、単にババ抜きに付き合うの。どちらが楽だろうか。そんなの、答えは言わずもがなだ。

 トランプを持ってきてシャッフルする。コルディは顔こそまだ不服そうだが、既に対戦体勢に入っている。結局、何もしないよりはましということだろう。

 両者に手札が配られ、数字のダブったカードを捨てていく。二人しかいないと、大抵のものはダブるのだ。今回も例にもれず、僕の手元にはたったの五枚しか残らなかった。ジョーカーは見当たらない。コルディの手札にあるのだろう。

 コルディは捨てるのも遅い。ダブりを見つけるまでに時間がかかるのだろう。

以前、代わりに捨ててやろうか、と申し出たことがある。だが、コルディは、「そう言ってイカサマする気だな、そうはいかないぞ」などと決死の表情で訴え、こちらに手札を晒すことはなかった。

ババ抜きにイカサマの仕様はないと思うのだが。少なくとも、僕は知らない。だが、本人が拒否する以上仕方のないことであった。

「よし、行くぞ!」

 ようやく捨て終わったようだ。コルディが僕の手札から一枚カードを引く。ハートの五だ。どうやら、ダブりが生じたらしく、コルディは今のカードとスペードの五を場に捨てた。

 次は僕の番だ。コルディが扇形に開いた手札を僕に突きつける。彼女の手札は残り四枚だ。僕は右から二番目のカードをチョイスする。

「……おい、力を緩めてくれないか?」

 選んだカードはなかなか抜きとれなかった。コルディが根元をしっかり押さえているのだ。

間違いなく言えることが一つある。今僕が指を掛けているカードはジョーカーではないということだ。コルディはこういうバレバレの小細工をよく使うのである。所詮はきのこよのう。

「い、いや、別のカードがいいんじゃないか? よく選ぶといい」

 あたふたとコルディが取り繕う。だが、そんなことしても無駄だ。

 熟考の末、僕はこれをチョイスしたのだ。今更変更の余地はない! 僕は無理やりカードをひったくった。

「何! ジョーカーじゃねぇか!」

 まさかの結末に僕が驚愕するや否や、コルディはゲラゲラと笑い転げた。植木鉢ごと転がるので、絨毯が土まみれになった。

「やーい、やーい、引っかかった!」

 顔をぐしゃぐしゃにして、コルディは思いっきり僕を馬鹿にした。予想よりも学習能力はあったということか。

 気を取り直し、ゲーム再開。次はコルディの番だ。引きやすいように手札を鼻先に寄せる。こうもしてやらないと、腕が届かないのだ。

 不幸にも、コルディはジョーカーを引いてくれなかった。悪運の強いやつである。

コルディ、僕、コルディと順繰りにカードを引いていく。そして――。

 僕の手札は残り二枚。コルディの手札は一枚となった。コルディの手番である。ちなみに僕から見て右側がジョーカーだ。

 コルディは既に勝利を確信しているのか、余裕しゃくしゃくである。

「わたしの勝ちだ!」

 一足早い勝鬨を上げて、コルディは迷わず右側のカードをひったくった。

「おい! なぜジョーカーなんだ? わたしの勝利宣言はどうなる」

 コルディは僕に抗議するが、自分の選択の結果だ。自己責任でお願いしたい。

 僕の番だった。早い所勝負を決めて、僕は夕飯の買い出しに出かけねばならなかった。だから、ここで決めてみせなければ! 言葉を返すようだが、

「僕の勝ちだ!」

 渾身の一撃をコルディの手札に叩き込む。結果は――。

 ジョーカーだった。

 崩れ落ちる僕。

 再びコルディが笑い転げる。土がどんどん減っていく。今日はそれも買い足さねばならぬ羽目になりそうだ。

 そしてゲームは続く。

「そりゃ!」(コルディの掛け声)

「……」(僕の無言の一手)

「とうりゃあ!」(コルディ渾身の一撃)

「あう……」(無意味に終わったようだ)

「そこだ!」(僕のチェックメイトのつもり)

「……」(手元のジョーカーを見つめながら)

 互いに一糸乱れぬ攻防……!

 コルディ、僕、コルディ、僕、コルディ、僕…………………………―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――∞

 極限に迫る死闘の結果、僕の敗北が決定した。



   昼



 予想外の長期戦により、時刻は既に正午を回っていたので予定を変更した。買い出しの前に昼飯を食べることにしたのだ。

 その案を聞いてから、コルディはずっと飯を催促している。静かにしてほしいが、先ほど見たように、こいつの寒天だけ用意しても無駄なのである。

 チャーハンと寒天を持って居間に戻ると、朝と同様にコルディの大車輪パンチが空を切っていた。これが彼女のおねだりポーズなのである。

 昼飯を完食し、さて買い出しに出ようかという所でコルディが言った。

「夕飯、腐葉土がいいな」

またもわがままが始まった。基本的に三食オール寒天で問題ないはずなのだ。だが、こいつは時たま贅沢をしたがる。寒天も悪くないが、腐葉土はなんとも言えぬジューシーさがあるんだそうだ。人間の僕には理解不能である。

「……また今度な」

 にべもなくそう答え、僕は家を後にしようとする。

「いいじゃないか! 土くらい。お前はどうしてそうけちんぼなんだ?」

 しぶとくコルディが食い下がる。

「近所のスーパーに腐葉土は売ってないんだよ。買うなら、隣町のホームセンターまで行かなくちゃならない」

「行けばいいじゃないか。そこに腐葉土があるのなら!」

「どうして僕がわざわざそんな遠出をしなくちゃならないんだ?」

「わたしは動けないのだぞ? 歩けないのだぞ? ならば、お前の足がわたしの足だ! さあ、行くのだ! 主君の命に背く足などあっていいはずがない!」

「人の身体を勝手に奪うな!」

 僕が一喝して見せると、コルディは腕を組んで考え込んだ。

「……うーむ、仕方ないな。それじゃ、帰ってきたら新しいトランプを教えてくれ。それで手を打とう」

 僕に拒否権はないのか。いずれにしろ、僕はこいつに何かしてやらねばならぬのか?

「さあ、どうする!」

 コルディがびしりと指を突きつける。己の正しさを信じて疑わない。そんな態度である。その自信はどこから湧くのか、ぜひとも僕は問うてみたい。

「……じゃあ、トランプな」

「よし!」

 コルディ、渾身のガッツポーズ。そのはずみに鉢がぐらぐらと揺れる。とっさに縁を掴んでバランスをとる。

 また一つ面倒ごとが増えた。

……どのゲームにしようか。

七並べなんて簡単でよさそうか? ……いや、よく考えるんだ。二人きりの七並べほど、退屈なものはないだろう。

互いの手が休まることはきっとない。二人で延々にカードを並べ続ける羽目になるのだ。下手すれば、ババ抜きよりもつまらない。

あいつに教えたら最後、僕はそのゲームに付き合わねばならないのだ。少しは楽しめるものが良くないか?

ぶつぶつと独り言をつぶやきながら、僕は家を出た。扉が閉まる直前、

「いってらっしゃーい♪」

 機嫌のよさそうな、コルディの声が僕を見送った。



 家に帰ると、既にコルディはスタンバイ完了のようだった。居間の中央に仁王立ち(足はないけどね)して僕を待ちかまえている。

「さあ、さとる。やるぞ」

「……はいよ」

 レジ袋を机に置き、僕はコルディの前で胡坐をかいた。トランプを手に取り、適当にシャッフルする。そして、一枚、一枚床に並べ始めた。コルディが怪訝そうな目で僕の手を追う。場ができると、コルディは上目遣いで僕を見た。

「手札はないのか?」

「ないよ。これは神経衰弱ってゲームだ」

「ほー。なんだか物々しい名前だな」

 コルディの顔つきが少し真剣になる。確かに神経衰弱なんて実際に起こったら、大事になりそうである。ところで、きのこに神経はあるのだろうか?

「まず、この中から一枚引く」

 僕は適当にカードを拾ってコルディに見せた。

「ダイヤの四だな」

 コルディが確認した後、僕はカードを元に戻した。

「そして、もう一枚引く」

「連続攻撃だな」

 ……攻撃ではないのだけれど。好戦的なきのこである。まあ、いいか。

 二枚目のカードはクラブの八だった。

「二枚のカードを見比べて欲しい」

 コルディが鉢から身を乗り出す。

「ダイヤの四とクラブの八だから、数字が違うな?」

 コルディはうなずく。

「だから、これらはまた裏にして、そのままにするんだ」

 コルディはだんまりと並べられたカードを見つめている。

「どうかしたのか?」

「何が面白いんだぁ、これ? お前くらいだぞ? こんなん楽しいの」

 僕だってこんなことを繰り返す気はない。まったくせっかちなきのこだ。わざと言ってるんじゃないのか?

「説明はまだ終わってないよ」

 むっすりと僕は言い返す。

「なんだ、そうだったのかぁー」

 僕の口調も意に介さず、コルディは無邪気に笑った。どうやら、悪気はなかったみたいだ。

「次の人も同様に、カードを一枚引く」

 ありがたいことに、今度はスペードの八が出た。これで説明もしやすい。

「ここでさっきのクラブの八を引くと、数字がダブるな?」

 僕はクラブの八をひっくり返した。

「これで、この二枚はその人の物だ」

 場からカードを外そうとすると、

「そうはいかないぞ!」

 なぜだか突然邪魔された。

「ダブったカードをなぜくすねるんだ!」

 「くすねる」なんて言葉、どこで覚えてくるのだろう。だが、それを言ったら、こいつが言葉を発する時点でそもそもおかしいのだ。当初の疑問に戻ってしまう。

「いやいや、そういうルールなんだよ」

「いつも捨ててるじゃないか」

 どうやら、ババ抜きと混同しているらしかった。

「今だけババ抜きは忘れてくれ。とにかく、こうして手番を繰り返し、最終的な獲得枚数の多い方が勝ちになる。わかったか?」

「……ダブらせて、くすねればいいのだな」

「まあ……そういうことだ」

 どうやら「くすねる」はお気に入りらしい。もう少しきれいな言葉を好んでほしかった。

「理解したぞ、さあ、やろう! …………………いや、ちょっとタンマ」

「どうした?」

「寒天喰いながらにしよう。もうおやつの時間じゃないのか?」

 食い意地の張った菌である。昼食をとってから、まだ一時間ほどしかたっていない。だけど、お預けにする理由もないので手早く用意してやる。

「ではでは、改めて。わたしからでいいか?」

 僕は適当に促した。

「じゃ、それにしよう」

 いきなり僕の膝元を指さした。

「は?」

「『は?』じゃないだろ! わたしは届かないのだぞ?」

 コルディは目いっぱい腕を伸ばしている。確かに手前二列のカードくらいしか引けそうにない。

 コルディの体重がかかり、鉢が傾いてきている。大惨事となる前に、僕は渋々指定されたカードをひっくり返してやった。

ジョーカーであった。しょっぱなからか。僕は心の中で少し笑ってしまった。

「お前、わざとやったな!」

「選んだのはお前だろ!」

 僕の抗議もろくに聞かず、ふくれっ面のコルディ。

「でも、そんな顔することはないさ。ジョーカーも二枚あるはずだから、ダブらせればお前のものだ」

「ババなどいらぬわ!」

「だから、ババ抜きは忘れろと言ったろ!」

 神経衰弱ではジョーカーも他のカードと変わらぬことを、僕は改めて説明してやった。まあ、言わなかった僕も悪いかもしれない。

「よし、ではもう一枚ババを引けばいいのだな?」

「そういうことだ」

 コルディは凄まじい形相でカードの群れを睨みつける。透視するぐらいの意気込みなのだろう。そんなことはもちろん無理だが、そんな彼女の様子はなんだかおもしろかった。

「これだ!」

 コルディは直近の一枚を勢いよくひっくり返した。

 スペードの一であった。

「なぜこういう時に限ってでんのだ!」

 ババ抜きならば、望まずともすぐにババが手に入る。コルディはその感覚だったのかもしれない。

「ぬぅ、さとる、早く引け!」

 コルディは唾を散らして怒鳴り、寒天をやけ食いした。僕に当たられても困るのだが。

 カードをめくる。クラブの一だった。

 迷わず僕はコルディの足元――いや、鉢元?――のカードを引いた。

「おい! 最初に引いたのはわたしだぞ? それはずるいぞ!」

「これが神経衰弱なんだよ。相手がめくったカードの数字と場所も記憶するんだ。そうしなきゃ、なかなか取れないぞ?」

 コルディは悔しそうに鉢を揺らした。最初はなかなか慣れないと思う。癇癪を起さねばいいのだが。

 その後も手番を回していったが、結局コルディはほとんど取れなかった。目的のカードの隣をめくってしまったり、行を一段間違えたりと惜しいミスがかなり目立った。

 挙句の果てにコルディは不貞腐れ、ゲームを投げてしまった。なんだか予想通りな気もする。先ほどからこちらに背を向け、ぶつぶつと文句を垂れている。

「こんなつまらぬことをするのは愚か者だけなのだ。ババ抜きのが断然面白いではないか…………」

 云々。

 僕の時間を返して欲しかった。



   夜



 夕食が終わると七時であった。この後は風呂である。だが、その前に僕にはやらねばならぬことがある。この冬虫夏草、生意気にも入浴習慣があるのだ。

「今日のお風呂は何かなー」

 居間から楽しげな声が聞こえる。風呂に種類も何もないと思うだろうが、コルディの関心は酒の種類に向いているのである。彼女の入浴には酒を用いるのだ。

僕は台所で芋焼酎を温めている。コルディはなぜかこれがお気に入りだ。

 熱した酒とタオルを洗面器に入れて置いておく。すると、僕が風呂に入っている間に、コルディもまた身体を拭くことになっている。

「おお! 今日は焼酎か。ええの、ええのう♪」

 彼女にとって、酒は入浴剤のようなものらしい。僕にはよくわからない。

 突然、彼女は僕を睨んだ。手のひらを反すような冷たさである。

「お前がいたら、始められないだろ! せっかくの湯が冷めてしまう」

「はいはい、了解です」

 僕は肩をすくめてみせた後、風呂場へ向かった。

 きのことはいえ、やはりそこは女の子なのか、コルディは決して僕の前では風呂を始めない。だけど、それも変な話だと僕個人は思っている。

 だって、コルディは元々素っ裸なのだ。きのこが服を着るはずもない。

 だが、それでは常時艶やかな女体を晒しているのかと言うと、それも違う。前述したとおり、コルディの身体には無数の笠が付いているのだ。それがちょうどフリルのようにはためき、一見すると純白のドレスを纏っているように見える。

 だから、コルディは裸でありながら、所謂裸ではなく、実質裸体はないのである。服を着たまま風呂に入るようなものだ。それゆえ、恥ずかしがる理由はないはずなのだが、そこは本人?――なりのプライドがあるらしかった。

 風呂から上がると――。

 いきなりタオルが飛んできた。

「おい、まだわたしは入浴中だぞ?」

 コルディは素早く自分の身体を隠そうとするが、タオルは既に手元にない。

「なんで、タオルがそっちにあるんだ?」

 お前が投げたんだろ。

慌てふためくコルディの身体が仄赤く染まっていく。元が白いから、桜色のような塩梅になる。これはこれで少し綺麗な気もする。

「お、お前上がるの早すぎやしないか?」

 時計を見ると、既に八時近かった。そっちが長風呂なのだ。

 だが、ここで文句を垂れても仕方がないので、ひとまず脱衣所に退散する。去り際に一言、

「終わったら言えよー」

 とだけ伝えておいた。

「わかってるさね!」

 背後から、コルディの金切り声が聞こえてきた。

 三十分後。終了の合図はまだ来ない。用もなく、脱衣所に突っ立っている身にもなってほしい。

 こっそり様子を見に行く。

「zzzzzzzzzzzzzzzz」

「起きろー!」

 僕の一喝に、コルディがぱっちりと目を覚ます。

「おお、びっくりした! どうしたんだ? さとる」

「終わったら呼べって言ったろ」

「んーと、………………そうだったっけ?」

 このきのこ、しらを切りとおすつもりだ。図太い神経である。きのこに神経が通っていればの話だが。

「んー、まあそうだったかも? 悪かったなー」

 珍しい。謝ってくれた。いつもなら、このままうやむやであろうに。

「やけに素直だな」

「うーん、なんだか気分がいいのだ。だから、今日はわたしが折れてやろう」

 なんという上から目線だ。少なくとも折れる側の台詞ではない。だが、ここで噛みついて文句を言われても堪らないので、ひとまず黙っておく。

「だが、もう今日は眠いのだ。起きたばっかだが、寝かせてくれんか?」

 小首をかしげて、コルディはそう言った。本当に眠そうである。無理に起こす必要もなかったかもしれない。

僕は毛布を持ってきてやった。眠る際には毛布で全身をくるんでやるのが習慣である。

使い続けた毛布は土汚れがひどい。だが、そっちの方がむしろ落ち着くのだと彼女は言う。だから、僕も買い替えたりはしない。

「そうだお前、唄なんかは歌えないのか?」

 ふにゃけた口調で、コルディが訊いてきた。

「なんだ? 突然」

「いや、眠るまでのお供にしようかと思ってな」

 要するにコルディは子守唄を求めているのである。まあ、唄くらいは歌ってやらないこともない。

 僕は定番曲の「ねんねんころりよ」を歌ってやった。

 だが、なぜか次第にコルディの表情が険しくなっていく。少し苦しそうだ。どうしたのだろう。

「……へたくそだから、もうよいわ」

 自分から頼んで何たる言い草! 僕もこいつに少しは礼儀と言うものを教えてやった方がいいのかもしれない。

「おやすみな、さとる……」

 コルディが消え入るような声で言った。今にも熟睡してしまいそうであった。

「ああ、お休み」

 僕はそう言って、毛布で頭を覆ってやった。

コルディはいつも僕より先に寝る。いや、僕を先には寝かせないのである。だから、僕は普段から若干寝不足なのだ。

 だが、その睡眠障害も今や夢の中だ。せっかくの機会である。僕も早く寝ようかと思う。

 やっとコルディと過ごす長い休日が終わった。……まったく、休日なんて名ばかりだ。僕の場合、むしろ平日のほうが疲労はとれるかもしれない。悲しいことである……。



   翌朝



「「かんてん、かんてんだ! かんてんくれー!」」

 そして、昨日と同じく、僕は騒々しい声に起こされる。さっさと寒天と自分の朝食を用意せねば。それまで、この騒音が止むことはない。

「「早くしろー、さとる。朝だぞー」」

 ん?

 僕は違和感に気付く。声が妙だ。

 嫌な予感にかられ、僕はコルディの生える鉢を見た。

「「よっ」」

 目に飛び込んできたのは、二匹のコルディだった。仲良く並んで狭い鉢に収まっている。

「増えてるぅー!」

「なんだ今更。お前、アナモルフも知らないのか?」

 左側のコルディが言った。

「知らん、知らん知らん知らん!」

 僕は髪を振り乱して必死に否定した。こんなものが二体も存在していいのだろうか。

「ほれ、ジャガイモや桜は接ぎ木をして増やすだろ? あれと一緒だ」

 混乱する僕をよそに、左側のコルディは飄々と説明した。はあ、つまり、あれだ。無性生殖とかいうやつだ。そうか、冬虫夏草もそれができたのか……!

 だが、よくよく見ると二体のコルディには差異があった。

左側のコルディはお団子ヘアである。

だが、右側のコルディに団子はない。頭頂部はぺったんこである。どうやら、こちらが新しくやってきた個体のようだ。

その差がどうにも気になって、僕は右側のコルディの頭部を覗き込んだ。少し頭を撫でてみる。

「おい、やめてくれよー」

 右側のコルディはくすぐったそうに首をすくめた。自分の手のひらを見る。細かい粉が付着していた。

「…………フケ?」

「フケじゃないわい!」

 右側のコルディが激昂する。

「落ち着け、落ち着け。さとるは馬鹿だから知らんのだ。アナモルフとテレオモルフで形状が変わることをな」

 左が右をなだめる。そして、さりげなく僕は馬鹿にされる。専門用語をひけらかしてくるあたりが微妙にうざい。きのこのくせに!

 だが、おかげでぺったんこヘアのコルディの怒りは静まったようである。軽い咳払いをして彼女は言う。

「ならば、お馬鹿のさとるに私が説明したげよう。アナモルフによって発生した不完全型の個体の笠には無数の粉粉が付いておるのだ。逆に、テレオモルフによって発生した完全型の個体の笠には粒粒がくっついている。だが、それは普通の冬虫夏草の話なのだ。人型の場合は髪型に反映される」

 お団子ヘアのコルディが続く。

「まあ、平たく言えばそういうことだ。要するに生まれ方が違うのだ。だから、こいつはわたしの双子と言うか娘と言うか、分身と言うか。よくわからんがとにかく、これからはこいつも一緒に世話になる」

「勝手に決めるな!」

 だが、僕の抵抗もむなしく、

「「よろしく頼むぞ! さとる」」

 二匹は揃って、憎らしいほどの笑顔を向けてきた。

「はぁ…………」

 僕はがっくりと肩を落とす。

 なおいっそう騒がしい僕の生活が始まりそうだった。

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僕の彼女は冬虫夏草 茅田真尋 @tasogaredaru

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