1 シャンドラル家とエマ

 700年の昔、この地で起きた戦争に勝利し、できた王朝がシャンドラルだった。領土はさほど広くなかったが、海や山の恩恵を大いに受け、農耕にも貿易にも向いていた国土は、瞬く間に文化水準の高い豊かな国家を創り出した。海に面した港町は各国から商人が集まり、国際色豊かとはまさにこのこと。北部に広がる針葉樹の森は、この国独特の美しい景観を生み出していた。


 シャンドラル家第39代の王・ユートリヒは政治の手腕が良く、経済は大幅な成長を見せた。また、公共事業にも力を注ぎ、国民からは賢君と呼ばれた。

 ユートリヒの長女に生まれたエマは、幼い頃から父から王族としての教育を受け、時には兄に混じって兵法を学んだりもした。エマは学習の要領がよかった。一度学べばすぐに習得し、13になる頃には学ぶべき事柄をすべて修めた。食事のマナー、話し方、ダンス、文学、楽器、王族に必要なことはたくさんある。それをこんなにも早く身に付けてしまったのだから、周囲の期待が高まっていったことは言うまでもない。

 年頃になると、母はエマを社交界へ出すようになった。誰もが憧れる煌びやかなドレスをまとい、優雅なダンスで見るものを魅了した。彼女にダンスを申し込む男性は後を絶たなかった。

 一躍社交界のトップに躍り出たエマだったが、内心は憂鬱だった。彼女は綺麗だが金と欲望で溢れる社交の場よりも、月に一度訪れる貧民街で慈善活動をする方が好きだった。働いても明日の生活がやっとの人々を前に、少しでも力になりたかった。両親はエマの気持ちに理解を示したが、まさか1人で看護を勉強しているとは思いもしない。エマは実に4年もの間密かに勉強を続け、国家資格である医師の資格試験に見事一発で受かってしまった(この頃は医学がまだ発達しておらず、けがの手当てや一般的な病気への対処に関する知識を問う試験)。娘の合格を知った両親は娘の意志を認め、エマを女性王族としては異例の、保健衛生事業を取りまとめる大臣に就かせた。

 晴れて自分のしたい活動ができるようになったエマは、舞踏会や王室の行事、会議がない日は必ずと言ってよいほど毎日慈善活動に出かけた。食べ物を与えたり、公衆衛生を整備したり。それだけにとどまらず、文字がわからない子らには読み書きを教え、建物を借りては臨時の診療所を開いたりもした。王女自ら活動しているとあって、エマが出かける先にはいつも大勢の人が集まり、国民からの信頼は厚かった。

 

 エマが大臣に就任して2年―――19歳になった頃、結婚の話が持ち上がった。シャンドラル家にはエマの上に兄が1人と8つ歳の離れた弟がいたから、彼女は隣国や同盟国に輿入れするものと思われた。つまり政略結婚である。しかし、周辺国には未婚の、いい年頃の男子がいなかった。そこで王は国内に目を向け、毎週のようにパーティーを開いてはエマに男性との交流を持たせた。王女との結婚を狙わない手はない。国中の貴族の男子が参加した。地位や権力を目当てとする者、王女の美貌を我が物にしたいと考える者。王家に近づき出世や利益を望む者。どんなに地位が高く、顔が良く、性格の良い男であってもエマは求婚を断り続けた。彼女には結婚する気がなかった。父が開いたパーティーのおかげで、申し分ない社会的ステイタスの男たちの中から夫にする者を選りすぐることができたが、王族という孤独を共に歩かせたくなかった。

 毎週のパーティーも30回近くなっただろうかというときに、ある青年と出会った。その青年は毎回参加していたのかもしれないが、話をするのは初めてだった。話といってもエマがバルコニーに出たとき、彼が先客としていたから一言交わして出ていっただけであるが。たしか南西部の貿易で財を成しているダンツィ家の長男だったと思う。名は知らなかった。


 王女が決心を固めるのを皆が待ちわび、注目しながら1年の月日が流れた。事件が起きたのはその頃だった。

 ここのところ国のいくつかの州で保健事業がうまく回っていないとういので、暇をみつけては視察に訪れていた。大きな貿易港を有するザルツェンスクでは、下水処理が整っておらず、労働者階級の街を中心に悪臭と感染症が蔓延していた。流行していたのはチフス、コレラ、ペスト。行政に水路を作るよう指示し、臨時で病院を開き、エマは自ら何日も徹夜で看病にあたった。

 広く庶民に向けた病院だったから、王女がいようと防犯や護衛はたいして意味がなかった。ある夜、婦人用の診察室を閉めようとしたところへ男が押し入ってきた。そのとき部屋にはエマ1人だった。婦人用だから側近のキルクはおらず、連れてきた看護師も眠っている時間だった。隣の病室に患者がいることを思うと声は出せなかった。

「おい、お前が姫さんか。」

 男が距離を詰めながら尋ねた。

「そうですけど、ここは婦人用の診察室ですし、今日はもう閉めますのでまた明日にお願いします。」

「んなことはどうだっていいんだよ。わざわざ患者のいない時間に来てるってわかんねーかなぁ。」

 この人、おかしい。本能的にそう感じたが毅然と言う。

「この後も仕事がありますしお帰りください。人を呼びますよ。」

「そいつぁできねーなぁ・・・」

廊下の方へ向かおうとしたその瞬間だった。男はエマの腕を掴み、自分へ引き寄せた。声を上げようとするも口を塞がれ、両手は男を押すがびくともしない。

「おい騒ぐんじゃねえ。王にお前の首送るぞ。」

凄味を帯びた声で男が言う。この男ならしうる、と思った。父にも従者にも、ましてや患者にも危害を加えさせるわけにはいかない。従うしかなかった。口に布が押し当てられ、みるみる意識が遠のいていく。力が抜け、床に倒れこむと、男が体を担ぎ上げたのがわかった。そこでエマの意識は途切れた。

 固い床に放り出されて目が覚めた。頭が重くて思考が回らない。きつく口は布で縛られ、手も頭の上で縛られていた。人気のないどこかの建物らしかった。自分の状況に絶望が込み上げてきた。多分この後私は・・・容易に想像がついた。一人で徹夜するのはいつものことだから誰も異変に気付かないし、助けも来ない。これから我が身に起こることを静かに待つしかなかった。

 暫くすると男が入ってきた。狂気じみた目で品定めするように見られ、寒気がはしる。

「何されるかわかったみたいな目ぇしてんなぁ。」

歪んだ顔が迫ってくる。男は口角を不自然に釣り上げてささやいた。

「結婚がまだなんだって?あーあ、嫁に行けなくなっちまうなぁ。」

男はエマに跨ると胸元に顔を寄せ、首筋を舐めた。その間にブラウスはスカートから引っ張り出され、素肌に沿って武骨な手が胸まで届く。乳房を掌で包み、力任せに揉んだ。男の息が乱れていく。額には汗が滲み、目には狂気を宿していた。エマはずっと眉根を寄せ、唇を噛んで耐えた。この男の手に堕ちたくない。ブラウスを縦に破り裂き、躰が外気に触れる。瞬間、胸の真ん中に生温かい感触が降ってくる。唾液を絡ませ、吸い付き、揺れるたびに男の興奮は高まった。口と片手で上をいじり、暇になったもう片方がスカートに降りてくる。裾を捲し上げ、固い掌が脚を這い上がる。思わず声が漏れた。エマの目からは涙がとめどなく零れ落ち、男はその顔に煽られていった。下の手が辿り着いたとき、エマは恐怖で濡れていなかった。下着を剥ぎ取られ直に手が触れるとエマの顔は更に歪んだ。胸を放し、男は下に顔を埋めた。男の力を前に抵抗は空しかった。まだ男をしらないそこへ舌が侵入してきた。気持ちが悪かった。躰のすべてをこの男に支配される、そう感じた。舌、その次は指。きつく閉ざされたそこへ男はどんどん入ってくる。ついには男のものを許した。突き抜ける激痛とともに、自分が壊れていく感覚だった。

 いつ男が行為を終えたのか、いつ部屋から出ていったのか、誰がどうやって助けてくれたのか、どれくらい眠っていたのか全部わからなかった。目が覚めたときには王宮の自室で寝かされていた。

 2日後にはまたパーティーがある。父は「男の人が怖いかもしれないし、無理に出なくてもいい」と言ってくれた。しかしエマは出席を決めた。集まってくる貴族たちは恐らく王女が強姦に遭ったことを耳にするはず。参加者が減ることは予想がついた。さらにこの場を利用して人を怖がることをアピールできれば結婚の話を流せると考えた。

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