第55話 副魔王 ボーナスを無駄遣いさせる

「死ねんかったか」


 しわがれた声がぽつりと落ちた。


「死んでやりたかったのだがの」


「ばあさん! こっちへ!」


 トーマは魔境の預言の元へ駆けた。

 その老婆の肩を掴み引き寄せたところを、音もなく金色の尾羽が掠めていく。


「!」


 スパっとトーマの制服の表面が切れた。

 特殊繊維の制服のはずだった。大抵の刃物はこの布に傷をつけることはできないはずだった。ひやりとした。けれど、思ったほど怖くもなかった。

 自分でも驚くくらい冷静でいる。


「トーマ! あの羽が! こっちまで戻って! 早くっ!」


 ロクシャーヌの声と同じくして、尾羽の先が突き刺さんとトーマ目掛けて襲い来る。それらを紙一重でかわし、老婆を担ぎ上げて後方に退いた。

 入口付近のロクシャーヌの元まで戻ると、尾羽の攻撃は止んだ。

 鏡を操作してロクシャーヌが言う。


「あの魔獣の攻撃範囲、この舞踏場の中だけみたい。この辺りはギリギリ範囲外」


「なるほど」


 ふう、と息を吐いた。


「あの鏡を独占したいだけだから、こっちから中に入らなきゃほとんど無害っぽいんだよね。でも攻撃力は凄いよ。光属性の魔法を幾つもの持ってる」


 嘘だろ。真逆の属性じゃないか。


「……しかも、魔力は無限充填できるから無尽蔵ってわけか」


 でも不思議と怖くないのだ。危機察知能力がバカになってしまっている。

 今なら倒せそうな気がしているが、それは錯覚だ。


「ばあさん、ここから逃げよう」


「……、ふん。なんだね。村の糞餓鬼のような物言いじゃないか。警察官の本分はどうしたんだい?」


 鏡の預言者たる妖怪糞ばばあが嫌味ったらしい言い方をし、ヒヒ、と小さく笑った。


「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ!」


 ボロボロの布切れを引っ掛けただけの、ほぼ全裸のみすぼらしい憐れな姿。トーマは制服の上着をサッと羽織らせた。もともと小さい体躯だが、背や腰、足が曲がり、更に老婆を小さく変えている。そのため、上着でさえ丈が床に余っていた。


「……、トーマ。お前は本来、平凡な人生を歩む平凡な秀才だった。あの村長の孫娘とは違ってね」


「なんだよ、いきなり」


「平凡ながら幸せな生涯のはずだったのだがの……。全く、なんなんだろうねえ。今はその先がまるで見えなくなってしまっている。全く、全く……」


 やや憤慨しているかのように、老婆は全くと何度も繰り返した。


「トーマよ。助けにきてくれて感謝するよ。本当にありがとう。長生きしてみるもんだよ。こんなに胸が熱くなる最期になるとは、思いもしなかった」


 老婆はトーマの手を握った。

 そのまま、ロクシャーヌを見た。


「ロクシャーヌ」


「は、はいっ」


「……こうやってちゃんと話すのは二回目くらいだね。赤の他人であるババァにたいして命を懸けるなんて、なかなか出来ん。お前はちゃんとした教育を真面目に受けていたら、ちゃんとした組織か組合で立派な階級になれるくらいの補助魔術技師になれただろうにね」


「……」


「そんな道もあったのに、なんともったいないと視ていたもんだが、まあ、それはそれで良かったのかもしれぬの。この先は、視える道と視えぬ道があるが……、言わんでおこうか。しかし、よくぞその鏡を持ってきてくれたね。どれ、一旦返してくれんかね」


「え、あ、は、はい」


 ロクシャーヌは慌てて鏡を老婆に渡した。


「ありがとう、ありがとう。……使い方も教えんかったが、よく使いこなしているようだ。もしも割れずに残ったら、引き続きこの鏡を使ってくれるかい?」


「え……、でも、……、」


「この鏡は貴重な魔道具での、恐らく今の代の文明に作られた物ではない。前の文明の遺物。……、それを模して作ったのがアレでのう」


 老婆が上を見上げる。

 そこに浮かぶのは、極彩色の鳥に護られた鏡。


「ロストテクノロジーを模すには、己の力を過信しすぎた……。若気の至り。自信過剰。ヒヒ、恥ずかしい限りよ」


 見上げた先の鏡は白銀色の光を反射している。


「のう、トーマ」


「なんだよ」


「ちょっとばかし、今から頼らせてせもらってもいいかね?」


 思いがけない言葉に、トーマの眉間にわずかにシワがよった。


「なにするつもりだ?」


「あの鏡を割ろうかと思ってのう」


「はあ? 今? 俺たちは婆さんを助けにきたんだぞ? なんで、……、それにあのバケモンみたいなモンスターがへばりついてる鏡を割る? いや、それ今やることじゃなくないか?」


「そーよ、お婆さん!」


 ロクシャーヌも続けた。


「一旦ここは退いたほうがいいよ? 鏡とか処理をするにしてもさ、討伐隊を組んで再度来たほうがよくない? 警察に通報したり、あとはギルドに依頼したりしてもいいし!」


 今自分達がいる場所は、極彩色の怪鳥も間合いのギリギリ外側だ。不思議と攻撃をしてこない。

 もしかしたら、こちらから手を出さないならば無害に近い習性なのかもしれない。

 だが、あまり側にいたくはなかった。

 早急に撤退すべきだ。

 奇しくもあの魔力を振り撒く鏡のお陰で、魔力はもとより体力や気力も復活している。

 来るときよりも楽に屋敷内を突破できるはずだ。


「それはならぬのだ……、頼む、トーマ。ワシは……、この呪いを今解かねばならない」


 それが奴との約束なのだ。

 と、老婆は小さく溢した。


「…………、わかった。婆さんには世話になってるし、今なら魔力も回復してる。偶然にもサガン様対策で抗魔法の腕輪もしてるし」


 腕輪が効いてる実感は乏しいが。もっと協力なタリスマンを次のボーナスで特注したほうが良いだろうが。


「サポートくらいならやってやるよ」


「クソガキが」


「クソガキじゃねーし。警察官だっつーの」


「ふん。魔法もろくに操れんくせに、なにが警察官か」


「んだと? このババア」


 すると老婆はヒヒヒと嬉しそうに笑った。


「やはり村の子供はそれくらい生意気でないとらしくないの」


 トーマ、ロクシャーヌ、そして魔境の預言者は怪鳥の間合いから更に数歩下がり、それぞれの役割を決めることにした。


「ワシはあの鏡を割るのが目的なのだが、呪いを解くには幾つかの条件がある。一つは、解呪されるべき対象が直接割らなくてはいけない」


「つまり、トーマやあたしじゃなく、お婆さん本人が直接割らなきゃダメってことね」


「そのとおりだ。二つ目は、物理攻撃しか通用しない。というよりも、魔法は全て吸収もしくは跳ね返さされてしまうから、必然的に物理攻撃しか効かぬのだ」


「んじゃ、魔法が付与されてる武器とかならどうなんだ?」


「付与されとる魔力と武器の持つ強さのバランスにもよるかの。魔力頼りが過ぎる武器だと反射で逆攻撃を食らう。あれ自体が高レベルの魔法の盾のようなものだ」


「盾……。防具なのか、あれ」


 割れるのか? と疑問が湧く。鏡なら簡単には割れそうなイメージだったが、盾と言われたら割れる気がしなくなってきた。


「三つ目は、……こちらの鏡が割れてはいけないのだ」


 そう言って、老婆は抱えている鏡を撫でた。


「あの鏡は、これを模して作り、そしてワシはこの中身をそっくりそのままあれに移そうと考えておった。古のロストテクノロジーを復活させ、現代のテクノロジーで更に進化させようと考えて……企んでおった。しかし、そううまくはいかなかった。あれとこれはかなりそっくりな、まるで別物だったのだ。作り方も構造も似ても似つかない。しかし出来たものはほぼ同じ。……お互いに反発し合い、奪い合ってしまった。古の鏡のうち性能の半分以上は新たな鏡に移行されたが、残りの約半分はこちらにある。が、もしもこの鏡が壊れたならば、全ての性能があちらへ移行されてしまうだろうの」


「…………、なんかやばそう。…………だとは思うけど……、こっちの鏡があっちに能力移ったら、具体的になにがどうやばくなるの?」


 ロクシャーヌが聞く。すると老婆は少し俯いた。


「どうなるかはわからんが、…………、いや、すまん、わかる。…………。あれは自我を持っておる。自我というより、ワシだ」


「………?」


「………?」


 トーマとロクシャーヌは顔を見合せ首をかしげた。


「あれは、この鏡の残り半分を奪えなかった代わりに、契約主であるワシを取り込んだのだ。…………術者を、喰らったのだ」

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魔王が辞表を受理しない 十龍 @juutatu

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