4.私と貴女とお礼参り
「こんなのいいんじゃない?」
「あーっ、確かに可愛いわね。でも、ちょっと違うかも」
私とティオは、近くのショッピングモールに来ていた。旅行鞄を探すためだ。時は数時間前に溯る。
「おらティオ、起きろ」
数年ぶりの心地よい睡眠から目覚めた私は、隣で寝ていたティオを叩き起こした。
ティオは寝ぼけて自分がいたのがベッドの上であることを忘れて布団から横に這い出し、そのままずでんと落ち、半泣きになる。
歪んだ柔らかなライトグリーンの掛け布団を丁寧に畳んで、私はへたりこむティオの隣に降り立つ。
そして自室の中央に据えられたちいさなテーブルセットに座り、ティオを手招きする。
「おいで」
「はうぁ〜……い」
昔っからこうだ。ティオは、ひどく寝起きが悪い。まるいこぢんまりとしたテーブルに、椅子が二つついている。元は唯一の話相手であったファルスのために二つにした椅子だが、今はティオに。後でファルスの分も買い足して置いてあげよう。三人でお茶を飲めたら、楽しいだろうな……
「ファルスー、お茶」
大きな声で呼ぶと、間もなくファルスが湯気立つティーカップをお盆に載せてやってくる。今日のカップは一番お気に入りの、ふちにつるばら模様のついたもののようだ。気を利かせてくれたのだろうか。
「本日は、ニルギリになります」
「あら!私ニルギリ大好きなのよ〜、ありがとう!」
ベッドから落ちてもまだうとうとしていたティオが、ニルギリと聞いて完全覚醒する。こういうところも、変わらない。
——どうしてファルスが、ティオがニルギリが好きだって知ってるんだろう?
「アンティオー様が、先刻私とおかゆを作っていた時に、並べてある茶筒を見て『私、ニルギリが好きなのよ〜』とおっしゃっていましたから」
こころを読んだようにファルスが言う。そういえば私はティオのことを一ミリもファルスに喋っていないはずで、そういえばアンティオーという名前すら教えた覚えがないのに、しれっと呼んでいるではないか。いつの間に仲良くなったのやら。さすがアンティオーのコミュニケーション能力である。
「きゃーっ、マカロン!マカロンよ!私マカロンもだーいすきなの!」
「お茶菓子は、お好きそうだなと予測して取り寄せました」
「何やってんだか……」
温度調節もひと手間かけて丁寧に淹れられた紅茶のさわやかな香りが、鼻を優しくくすぐる。寝起きの体がじんわり温もるのを感じながら、私は飲み干した。次に、パステルカラーに彩られたマカロンを齧る。美味しい。
「さて、ティオ」
ひと息ついたところで、私は話を切り出す。
「どうしたの、エリー?」
アンティオーが手にしたカップをソーサーに置き、こくんと首を傾げる。そんな仕草も昔と変わらないな、と懐かしく思いながら、私は続けた。
「私は、今日明日中に、旅に出ます」
「そりゃまたどうして!」
「ティオを人形だとしても復活させるのに、私は沢山の場所を渡り歩いた。その中には、実はいわゆる【異世界】もあるのよ」
「ほうほう」
【異世界】と言っても、アンティオーはさほど動じない。それは、ティオが昔持っていた能力は、【異世界】からの影響によるものであることと、あの時代にはもう、その存在は既に明らかになっていたからだ。
【異世界】とは、遠い昔のその昔、世界に跋扈していたといういわゆる魔物や妖怪達、つまり想像上の生き物とされた存在達が、現在暮らしている場所だ。普段はこの世界と【異世界】の境界は閉じられているが、時たま破れて世界に多大な影響を及ぼすとして危険視されている、ということにこちら側の世界ではなっている。
しかし私は、その境界の破れ目は常にあることを知っている。その破れ目とされる場所をひとつ残らず——全て巡ったからだ。
「そこでお世話になった方々に、私はお礼参りをしなきゃいけない。すると約束して、助けていただいたから。正直、しないと文字通り殺される」
「おぉう、それは物騒な。じゃあ今すぐ行かなくちゃね!行きましょう、エリー!」
「待てオイお前、鞄持ってないでしょ」
「私は荷物なんて必要ないじゃない。だって人形だもの」
あ、と思う。そうだ。今のティオの体は人形で、黒魔術を用いて生み出した擬似生命体ゆえに紅茶やマカロンを食べても口腔内で消滅する。外に何かを排出することはない。つまり汚れもしない。着替えもいらないには、いらない——
「あっでも、せっかく色々な所に行けるのなら、そこで何かを拾ったりしたいわね。美しい草花や、綺麗な石……やっぱり私、鞄がいる!買いにいきましょう!」
ということで、今、私達はショッピングモールを練り歩いているのだ。しかし、いっこうにティオの気に入る鞄が見つからない。モール内の店という店は全て回ってしまった。
「うーん、どこにもないわねぇ」
「好みが細かすぎるだろ……」
やれベルトの位置が高すぎる、革の色が気に入らない、もう少し安くならないか……と行くところ行くところにけちをつけていく。私は元気有り余るティオに引きずり回され、ほとほと疲れ切っていたが。
「もう、あそこに行くか」
こんなこともあろうかと、私はさいごにある店を取っておいた。それは、私が【異世界】への旅に出る時、鞄を買った店だ。周りに家ひとつない森の中で、ひっそりやっている。その森はショッピングモールに比べて家から遠く、面倒なので言わずにいた。
「どこ?!そこは、どこ?」
ティオが目を輝かせる。これは行くしかなくなったようだ。ショッピングモールからなら、少しは近い。私はティオの手を引き、その店へと向かった。
「……らっしゃい」
ただでさえ薄暗い森の中で、電球という過去の産物ひとつしか明かりのない店内。すこしかびくさいが、この匂いが癖になる。店の最奥で、白髭を生やした店主が腕組みをして私達を見据えている。
「ああ。あん時の嬢ちゃんか。今度は何用だ」
「この子の為の、旅行鞄が欲しい」
「はーい!アンティオーっていいます、よろしくお願いします」
「……騒がしい嬢ちゃんだな」
手足が球体人形なのには、何も触れない。ここに初めて来て、鞄を見繕ってもらった時に全て話してしまったからだ。旅の前に、自分が今から何をするか、宣言がしたかった私は、会って間もない店主にティオの事から何から丸ごと話してしまった。店主は黙って、それを聞いてくれた。
「こいつはどうだ」
店の奥にあるアトリエに引っ込んでいた店主が戻ってきて、ひとつの大きな鞄を差し出す。私は思わず驚愕した。
「えっ」
それは、緑色の——ランドセルであった。
とても、ぴかぴかの。昔、小学生と呼ばれた義務教育中の子供達が、背負って学校に行っていたという、古の鞄。まさか、こんなものを出されるとは。私は呆れる。まさかこんなのをティオが……
「きゃーっ!私、この鞄がいい!気に入った!」
「えっ」
ティオはその鞄に飛びつくと、買います、買いますと叫んだ。買うのは私だっつの。
「先月ぐらいか、ふと、作りたくなって」
「きっと私のためよ!ねえエリー!これ買って!」
ティオはランドセルを離そうとしない。私はもう諦めて、財布を差し出した。
「有り金全部もらってください。買います」
「代金はいらねえ」
「えっ」
「こんなに俺が作った鞄に喜んでもらってんだ。感無量だよ。持ってきな」
「きゃーっ、ありがとうおじさん!また来ますねーっ!」
「うぉわ」
ティオは私の腕を掴むと、もう片方の手で鞄をひっしと胸に抱き、猛ダッシュで店を後にした。
「元気でな」
店主は何年も他人に見せたことが無いはにかみを浮かべ、走り去る女達を見送った。
「ティオ。こっち包んで」
「はーい、これはここに仕舞えばいいわね?」
「うん、終わったら閉めて」
「おっけーおっけー」
家に帰り着いた私達は、旅支度を始めた。着替えに食料、必要なものを厳選して鞄に詰め込んでゆき、夜が耽ける頃にやっと終わる。
「では、出発します」
「お気をつけて、エリオ様、アンティオー様」
「行ってきマース!」
私とティオは、空に浮かぶ満月を見上げる。何故か、私達を見つめているように感じる。今夜は風が強い。木々がうるさくざわめいている。私は月に向かって、高らかに宣言する。
「では今から——地獄に行きます」
赤い糸と胡蝶の夢 嬢 @yubisaki0713
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