私立クラウド学園

長村ひろ

第1話 近くて遠いあなた(1)〜賀陽栄子

 私立クラウド学園とは地球上で最も豊富な校舎数を誇る雲の向こうにある学び舎である。そこには様々な生徒や教師、職員が日々学び成長し、生きている。恐ろしいほどに頭の回転が速い者、際限ない記憶力を持つ者、生き字引と称されるほどに大量の情報の中から即座に欲しいものを取り出せる者など、百を超える能力を各々が持ち、高め合っている。


 そんな私立クラウド学園目黒校の生徒の一人で生徒会長を担っているのが、伊石通子いいし つうこという女子生徒である。彼女は日本国の古来から伝わるニンジャの末裔でもあり、状況に応じて分身をしたり、身体を大きくしたり小さくしたりといったことができる。頭の回転がとても速く賢いのだが、しっかりとメモをしないでいると忘れてしまうというおっちょこちょいな面もある。


 時は5限が終わり、放課後を知らせるチャイムが鳴る頃である。通子が生徒会室へ向かう長い廊下を歩いていると、一人の女子生徒が近づいてきた。その姿に通子は気づき声をかける。

「あら、あなたは……賀陽さん。賀陽栄子かよう えいこさんよね。どうしたのかしら」

 通子に賀陽栄子と呼ばれた女子生徒は、長い髪をきっちり二つに分け編み込んでいる姿が特徴的である。小柄ではあるが、文武両道を感じ取れる佇まいでもある。そんな栄子ではあるが、目には今にも溢れんばかりの涙が蓄えられている。

「……伊石さん」

「どうしたの、賀陽さん。高河くんと仲良くやってる?」

「その高河くんから……高河椎こうか しいくんから定期連絡のお返事をいただけていません。いつもならすぐにお返事をいただけるのです。しかし……お昼前からお返事がありません」

 高河と呼ばれたのは男子生徒である。彼も栄子同様に文武両道を感じ取れる佇まいをしており、剣道部に所属している。二刀流の使い手で負けなしというもっぱらの評判である。

「なるほど。お昼前ね」

 通子は考えを張り巡らせつつ、栄子の話に耳を傾けている。栄子は涙を流さないように耐えながら話を続ける。

「高河くんのところに行っていた赤気あかきひかりちゃんや留学生のアルディ・エスくんも疲れた表情でわたしのほうにいらっしゃいました。彼女たちは当分来る予定はありませんでした」

 ひかりやアルディは情報を集めて必要な時に即座に見つけ出すことを得意とする生徒たちである。定期的に高河や栄子のもとを行き来して勉強や作業を行なっている。

「だから、今日はこっち側が賑やかだったのね。わたしも最近は栄子さんがいる側に来ることが多いけど」

 たしかに普段は静かな生徒会室へ向かう廊下のまわりに人が多くいる。小柄で頑張り屋な手井ていさんは踊っていたり、暗記が得意な有賀あるがくんは一心不乱に分厚い本を読んでいる。その他にもベンチに座ったり、SNSで連絡したりしている人もいるようだ。

「高河くんになにかあったんだわ……どこにいるのかしら……」

 普段の栄子は毅然としてある種硬めな人物であるが、高河と連絡がつかなくなってしまった今では、そんなことも忘れてしまえるほどの崩れっぷりである。そんな様子を通子は見逃すわけもなく、このままでは高河だけでなく栄子もどうにかなってしまうと感じていた。

「……たぶんね、時間的にもね。高河くんはお腹が空いて倒れてしまったのかもしれない。椎くんに前聞いたけど、普段は早弁用と昼食用のお弁当を複数持ってきているらしいのよ。もしかしたら、剣道の練習が激しくて普段のお弁当では足りなくなったか、そもそも持って来るのを忘れたのか。なんにせよ、お腹をすかせてるのだと思うわ」

 栄子を安心せるためにニコッと笑いながら通子は話す。その温かみを感じたのか栄子は普段の落ち着きを取り戻し、貯めに貯めた涙も身を潜め始めた。くしゃくしゃになっていた表情も幾分ましになってきた。が、それもつかの間、顔は真っ赤になり怒りに満ち満ちた表情へと変貌していった。

「お、お腹を空かせて倒れてる……そんなことでわたしをここまで心配させたり、ひかりちゃんたちに迷惑かけたり、あの男はわたしの気持ちを弄ぶだけじゃ物足りないのかしら。もしもの時のために複数用意している意味がありません!」

「も……弄ぶ?栄子さん、椎くんになにかされ……るわけはないわね。何があったのかしら?」

 栄子の変貌ぶりにドキマギしながら通子は尋ねる。

「そうです。変なことは何もされてはいないんです。定期的に連絡を取り合って、わたしが辛い時にはフォローしてくれて。わたしが風邪で寝込んだ時は一人で頑張ってくれて……」

 怒りに満ちていた栄子の表情が一転して、頰を紅潮させ長い睫毛の奥にある瞳をキラキラさせるようになった。またしてもこの変貌ぶり、落差にドギマギする通子であった。

「栄子さん、もしかして椎くんのこと……」

「はい。わたしが一方的にお慕い申し上げております……でも……」

「あなたたちは「逢ってはならない」掟があるわね……」

「はい……理解はしています。が、はっきりいって辛いです。ほんの数秒もかからずに逢いに行ける距離であるのにも関わらず」

 クラウド学園には様々な掟が存在する。中でも一番酷なのは栄子のようにある人に惹かれている状態であっても「逢ってはならない」というのである。この掟は、ある一定の距離感を保つことで、クラウド学園の運営を維持し続けられることを目標として定められている。現に、椎が倒れている状況で栄子がそばにいたら、共倒れになっていた可能性もなくはない。酷な話ではあるが仕方ない話でもある。

「仕方ないわね。ちょっと網を伝って様子を見て来るわよ」

 栄子の姿が不憫でならなくなってしまった通子はそう宣言し、夕日差し込む生徒会室の中へ颯爽と入っていった。

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