物騒なドライブ

夢月七海

物騒なドライブ



「童謡のふるさとの歌詞で、『うさぎ追いしかの山』ってあるけど、本当に『追いし』で合っているのか?」


 真っ黒なバンの後部座席の背もたれに、体全体で寄りかかるように座っていた青年が、不意にそう発して、車内の沈黙を破った。


「……西沢さんの話って、いつも唐突ですね」


 発言した西沢の目の前、運転席の若い男が、苦笑交じりに呟いた。

 間髪置かずに、西沢は舌打ちをして口走る。


「うるせーぞ、今井。新人の癖に」

「すみません」

「なあ、その『おいし』っていうのは、おいしいって意味なのか? そうだとしたら、追い掛けるって意味の『追いし』だぞ」


 唐突に、西沢の隣に座り、窓の外を見ていた男が、とぼけた調子でそう割り込んできた。

 それを聞いて、西沢も盛大に噴き出した。


「東田さん、それくらいはオレにも分かってますよ。元々は追いかけるじゃなくて、美味しいって意味なんじゃないかって、思っているんです」

「ややこしいな。なあ、古崎はどう思う?」

「心底どうでもいい」


 助手席で終始前方を睨んだ男は、むすっとしたまま答えた。


「リーダーは相変わらず真面目だな。まだ目的地は先なので、付き合ってくださいよ」

「でも、元々が美味しいって意味なら、どうして追い掛けるって意味になってしまったのでしょうかね」

「意味が間違って伝わっていったんじゃないか?」


 なんだかんだ西沢の発言が気になっていた今井と東田も、暇つぶしにならと、議論にのってきた。

 古崎の溜め息が聞こえないふりをして、西沢はわざとらしく肩を掠める。


「いや、最初から美味しいって意味で言っていた。それが、周りから兎を食べるのは可笑しいとか、可哀想だとか言われて、作者が急遽変えたんだ」

「そう思う根拠は何ですか?」


 前方に続く緩やかなカーブを見詰めながら今井が、そう尋ねる。


「ぶっちゃけ、無い」

「西沢、大学の論文を書くには、そう思う根拠が大切だって、習っただろ?」

「オレ、数学専攻なんで、関係ないですー」


 東田の苦言に、西沢は後部座席で背伸びする。

 カーブに合わせてハンドルを切る今井の耳に、隣からの「だから三年も留年すんだぞ」と小声の独り言が届き、彼は噴き出しそうになるのを必死に堪えていた。


「じゃあ、じゃあ、東田さんは、オレの説、どう思ってるんですかー?」

「……西沢の説は、ただの思い付きに過ぎない」


 煽るような西沢の言葉に、東田は顎に手を当てて真剣に考え始めた。


「ただ、もしも美味しいって意味合いならば、本当は兎ではなくて、鰻ではなかったのではないのか?」

「……」

「……」


 予想を上回る東田の一言に、西沢も今井も何も言い返せなかった。

 静まり返った車内で、古崎がぼそりと呟いた。


「それなら、『小鮒釣りしかの川』と被ってるんじゃないか?」

「あ、そうなるか」


 それを聞いた東田は、あっさり納得する。

 再び静かになった車内で、今井と西沢はバックミラー越しに目を合わせた。


「さすが、リーダーと東田さんっすね。今のやり取り、お二人しか出来ないものでしたよ」

「どういう意味だ、西沢」

「だからですね、東田さん、今のはやっぱり、古参の方々でないと入れない雰囲気でしたよ」

「どういう意味だ」


 眉を顰めて詰め寄る東田を、西沢はへらへらしながら受け流す。

 そんなやり取りを聞いていた今井は、苦笑交じりに話し掛けた。


「初めて一緒に『仕事』をするまで、東田さんは冷静沈着な頭脳派だと思っていましたよ」

「今井まで、そんなこと言うのか」

「それは他の後輩たちも同じらしいぞ」

「古崎もか……」


 淡々とした古崎の言葉に、東田は分かりやすく項垂れる。

 その間に、「キャラ作り、失敗してますね」と言った西沢を、彼はギロリと睨みつけた。


 ふと、古崎は自身の腕時計を確認した。デジタル時計は、『AM 1:30』と表示されていた。

 外は真っ暗で、街灯の光しか見えない。三十分近く走っていたが、後続車も擦れ違う車も現れなかった。


「今井、あとどれくらいで着く?」

「二十分くらいですね」

「結構あんだな。なあ、今井、お前も何か、童謡について思い付いたことはないか?」

「ええっ?」


 古崎の質問に答えた今井は、突然西沢にそう尋ねられ、一瞬だけ赤信号への反応が遅れた。

 急ブレーキのせいで、車内の全員がつんのめる。


「アブネーだろ、今井」

「後ろに何かあったらどうするんだ」


 西沢がこめかみに青筋を立てて叫び、東田はバンの後方を振り返る。畳まれた座席の代わりに、ごちゃごちゃと積まれた黒い大きさの異なるケースは、特に倒れた様子は見られなかった。

 赤信号の間、今井は「すみません、すみません」と何度も謝っている。


「それで?」

「それで、って何ですか、西沢さん」

「今井の童謡に関する疑問だよ」

「……話は終わっていなかったのですね」


 信号が変化して、再びアクセルを踏んだ今井に、西沢は立てていた青筋を撫でながら尋ねた。

 今井は西沢の暴君ぶりに溜息を吐くが、背後だけではなく、真横と斜め後ろからも視線を感じるので、問いに答えようと頭を働かせる。


「え、えーと、あ、そういえば、赤とんぼの、『夕焼け小焼け』の、『小焼け』って、一体何のことでしょうかねー」

「リズムを整えるために『小焼け』と付けただけで、特に意味はないそうだ」


 必死に今井が思い付いた疑問を、古崎は助手席側の窓に頬杖をつきながら、あっさりと答えた。

 今度は、後ろの視線が助手席に集中する。


「……なんだ」

「いや、古崎は元々博識だと思っていたが、こういうことも知っていたんだな」

「たまたまテレビでやってただけだからな、東田」

「へえ、リーダーって、テレビ見るんスね。ずっと家で爆弾作っているのかと思いました」

「西沢は俺にそんなイメージを持っていたのか……」


 古崎が本心からショックを受けている様子だったが、その顔が見えない西沢は何事も無いように話を続ける。


「だって、リーダーは、『英会話教室』のリーダーじゃないですか。なんか、そういうことに精通しているような気がします」

「西沢、俺だって四六時中悪いこと考えている訳ではないからな。あと、東田は笑うな」

「悪い、古崎」


 くつくつ笑いを必死に堪える東田を、古崎はバックミラー越しに睨みつけた。

 その隣で西沢は残酷なまでにピュアな瞳で古崎を見詰めていて、彼らのちぐはぐなやり取りを聞かされた今井は、必死に運転に集中しようとしていた。


「なんか、聞いたんスけど、リーダーって、二代目らしいですね」

「ああ。前のリーダーが逮捕されて、他の奴らもごっそり抜けてしまったからな。それでも残った奴らがいて、もうまとめる人が必要だろうということで、なし崩しで俺がリーダーになった」


 突然、西沢は話題を方向転換させ、古崎はそれにほっとしつつ、短い黒髪を掻き上げながら答える。

 それを聞いて、懐かしそうに目を細めて頷いていた東田も続ける。


「昔は古崎も裏方で、下見の『仕事』が九割だったからな。それが、リーダーになって、リスクを減らすために大学も辞めて、確か、三年の時だったか?」

「そうだな。もうあれこれ十年か。あの頃のメンバーで残っているのは、もう俺と東田だけになってしまったな」


 感慨深く呟く古崎は、フロントガラスの中の夜空を見上げる。黄色い光の街灯が、一瞬一瞬過ぎていく。

 一方東田は、しばらく黙ったままだった今井の方を向いた。


「今井は、確か西沢に誘われてはいったんだよな?」

「はい。そうです」

「正直、西沢と知り合いには見えなかったんだが、一体どういう関係なんだ?」

「東田さん、今の発言、俺にものすっごく失礼じゃないっスか?」


 東田の歯に衣着せぬ発言に、西沢はあからさまに嫌そうな顔をして指摘する。

 今井は小さく笑いながら答えた。


「元々知り合いって訳ではなかったんですよ。知り合ったのは本当に最近で」

「あー、確か、一カ月前だったっけ?」

「そうですよ。僕がレポートに追われて、大学に泊まっていた時、コーヒーを買おうと自販機に行ったら、後ろから西沢さんに話し掛けられました」


 今井は車を停車させて、右へと曲がった。

 全く灯りのない、細くてさびれた裏路地をバンは進んでいく。


「西沢さんの第一声は、『お前は英会話教室を知っているか?』でした。僕は『なんですかそれ?』と正直に答えました」

「今井もよくそんな奴と話しようと思ったな」

「それ以前に、西沢も秘密をあっさり見ず知らずの他人に話すなよ」

「あの時、俺、酔ってたんで」

「確かに、お酒の匂いがしましたね。でも僕もすごく眠たかったので、逃げようという気にもなれませんでした」


 古崎と東田のそれぞれの苦言に、西沢は妙に照れくさそうに、今井は何故だか申し訳なさそうに返した。

 段々と舗装がされてなく、周りに家が少なくなっていく道を、バンは躊躇なく進んでいく。


「西沢さんは全部話してくれましたよ。俺は『英会話教室』という犯罪組織に入っている。主な活動は悪いことをしている奴らから金を盗むことだ、って。それで、最後に、『今新メンバーを募集していて、興味あるなら明日、時間があるときに俺んちに来い』って、一方的に住所を言って去っていったんです」

「その翌日の、七時近くだったか? 俺んちに今井が訪ねてきて、詳しい話をして、後日にリーダーに会わせたたんだよ」

「よくそれを聞いて、行こうと思ったな」


 随分と呆れたように東田が言うと、今井もそうですよねと大きく頷いた。


「一方的に、犯罪組織の話を聞かされたので、これで行かなかったら、消されるかもしれないって、思ったんですよ」

「けど、別に話を聞いたからといって、必ず入らなければならないってことも、西沢から聞いていたよな? それを踏まえて、今井のような真面目な奴が入ろうっていうのが、余計に意外に思ってな」


 今井の、一度も染めたことのない黒髪や、全く似合っていない黒のジャージや、今まで万引きもしたことのなさそうな顔つきを、無遠慮に眺めつつ東田が疑問を口にした。


「ええ。入るかどうかは自由だと、分かっていましたが、それでも自分の意志で、『英会話教室』に所属することを選びました。まあ、何というか、ずっと真面目に生きてきた僕ですが、それに少し退屈していたのかもしれません。それに、これがただの盗賊団ではないことも、知っていましたから」

「確かに、普通の犯罪組織とは異なるよな」


 助手席の古崎が、皮肉気な笑顔と共に吐き捨てる。

 バンは周りに建物が一軒もない雑木林の中を進む。ヘッドライトの先には、時代を感じさせる和風の一戸建てがある。中の灯りがついていない。


「だが、俺たちは義賊ではない」


 古崎が冷たく言い放った直後、バンは林の出入り口で止まり、ヘッドライトとエンジンを消した。

 辺りには、虫の声だけが聞こえる。あまりに暗すぎるので、西沢が社内のライトを点けた。


「あれこれ理由を付けても、格好よく見せようとしても、俺たちのやっていることは犯罪行為に違いない。楽をして金を稼ごうとしている発想は、ターゲットたちと同じものだ。そこを勘違いするなよ、今井」

「……分かっていますよ、リーダー。でも、その盗んだお金の大部分を、募金しているなんて、普通じゃできない事じゃないですか」


 小さな声での今井の反論を、古崎は鼻で笑って受け流した。

 腕時計を確認した東田が、古崎を促す。


「古崎、そろそろ準備するぞ」

「今回のターゲットは、架空請求詐欺グループの根城ですよね? あっちには誰もいないっスか?」

「ああ。あくまで根城って訳で、誰かが住んでいる訳じゃあないみたいだ。町中にあったら、人の出入りで怪しまれるからだろうな」


 西沢と東田はそう確認しながら、後ろのトランクの道具を手前に運ぶ。

 トランクから取り出した機器を、今井以外が揃いのジャージの上から装着していく。


「ここも、警備会社には入っていないのは確認出来てる。悪いことしているからだろうな。その分楽とはいかないだろうが。ほれ、今井、これで辺りをチェックしろ」

「ありがとうございます、東田さん。何かあったら、二回コールしますね」


 近くの監視カメラをハッキングして、その映像がリアルタイムで見られるようなっているノートパソコンを、今井は東田から受け取った。今の所は、人が通る様子は映らない。

 それを真剣に見つめる今井の後ろでは、西沢が鼻唄を歌いながら長い金髪を一つにまとめ、上から黒のニット帽を被った。


「今井ちゃーん、見張りと逃走経路の確保、しっかり頼んだぞー。まだまだ新人の仕事だけど、大事だからさー」

「はい。分かっています」

「やっぱ、悪いことしてても真面目だねー、今井ちゃんはー」


 西沢は子供をからかうように、今井の髪をぐしゃぐしゃになるまで撫で回した。

 そんな中でも淡々と準備する古崎は、最後に黒の皮手袋をはめて、前を睨みながら口を開いた。


「一つ、誰も殺さない、一つ、標的は犯罪者、一つ、仲間を裏切らない。これらのルールを忘れるな」


 『仕事』前のいつもの口上を終えた古崎は、移動中のリラックスした雰囲気は影を潜め、冷酷な空気を醸し出している。

 他の男たちも無言で頷いた。


「行くぞ」


 古崎が助手席のドアを開けると、東田と西沢も同じく外に出た。

 枯葉を静かに踏みながら真っ直ぐ歩く三人に、今井は開けたままの窓から顔を出して、声をかけた。


「健闘を祈ります」


 西沢だけが振り返り、にかっと笑って親指を立てた。東田は歩きながら右手を振る。

 古崎は前を向いたまま、小さな笑い声を漏らした。直後に強い風が吹いて、それをかき消していった。

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