やがて東京大学になる

トクロンティヌス

やがて東京大学になる


首都内某所 某国教育再生実行会議。


 スーツ姿の男がPowerPointで書いたポンチ絵を元に説明をしている。その書き文字はポイント8.5くらいの大きさで、居合わせている他の人間たちが資料を顔に近づけたり、離したりしながら眉間に皺を寄せている。


「ふむ、ではこの教育・科学省からの提案についてご質問のある方は? ……では、服部委員」


「先程、高等教育局長から説明のあった資料の38ページですが……ここにある『地方大学を再編成する方向で検討する』というのは具体的にはどのように進めるつもりなのでしょうか」


 面倒な顔をして議長が名前の出てきた局長に答弁するように合図を送る。局長の方も、何を今さら言っているのだという顔をしている。それもそのはずで、地方大学の廃止については十年ちかく前の議論で、すでに五年も前に政治的な決着がついているはずであった。


「えー……服部先生のご質問内容についての資料は資料38ページのポンチ絵枠外の注意事項にも――やや小さくて見えにくいかもしれませんが――書いてありまして、具体的には超成35年の超成天皇陛下のご退位に合わせて、国立大学法人を一般の学校法人化し、そこから五年間は国庫から補正予算等を活用して予算をつけ、各学校法人の“自主的な”活動を支援します。そこから先は一民間企業ですので――」


「国家は関係ない、と」


 服部はギロリと局長を睨みつける。某国南部地方から衆議院議員として選出されている服部にとってこのような地方棄民政策ともとれる案を許すことができるはずがなかった。


「では、質問を変えます。今おっしゃられた五年間の特別予算とはどの程度の規模を想定しているのでしょうか?」


「……服部議員、それは教育再生とは関係ないのではないですかな?」


 今度は議長の鋏田が釘を差す。服部は腹のあたりでワイシャツがはちきれそうになっている議長を一瞥して言う。


「それは私立大学の学長でもある鋏田先生の言葉とは思えませんな。では、鋏田先生は『予算をやるから西稲荷大学は移転して下さい』と言われて予算規模も聞かずに黙って教育・科学省の言うことを聞くのですか?」


 服部が食って掛かると鋏田は「問題のすり替えだ!」と顔を真っ赤にする。


「すり替えでも何でもないですよ。わが国の国立大学法人はその根拠法である国立大学法人法によって、その業務内容が規定されている――つまり、私立大学とは異なり教育、研究以外の外貨獲得事業をすることに一定の制限がある状態です。そこへ来て、急に5年後には自立して下さいというのであれば、その“支度金”については、国立大学はもとより、この教育再生案が成功するか否かにとっても重要な問題でしょう」


 服部はそう言い切る。高等教育局長は額に滲んだ汗を必死になってハンカチで拭いている。どうやら彼らにとって都合の悪い質問であることは確かなようだ。


「えー……その……えっと……教育・科学省としましては、何分将来的な予算の問題ですので……その、財務・金融省とも相談が必要となり……」


 服部はもごもごと繰り返す局長に「想定している予算規模で構わないのです」と一喝する。


「……その、5年間で200億です」


 この答えには、さすがに鋏田を除くすべての委員がざわざわとし始める。


「5年で200億……1年間40億を79の国立大学法人に配るだけ……だと……」


 服部も絶句する。

 年間一億にも満たない金を配るだけで、これまで営利活動を――法律で制限されてきたために――ほとんどしてこなかった国立大学法人に「採算が取れるようになれ」と言っているのである。皆が呆気にとられるのも無理はなかった。


「それでは各大学が受け取る補助金は年間一億にもならないはずです、一体それでどのようにしろというのですか!」


 議場にいた委員たちが声を上げる。そうだ、そうだという相槌があちこちから上がり議場の空気が熱気を帯びてくる。


「え、えー……その、ですね。ですから、そのあたりのことは……各大学法人の皆さまで自主性を発揮して……えー、その“工夫”と申しましょうか……大学法人ごとに様々な取り組みを促す意味でも、高等教育局としての見解を無理強いすることなく……そのあくまで自主的な活動を……例えば、合併とか――」


 服部は(やはりそこか)と局長をもう一度睨みつける。


 超成16年に国立大学から特殊法人である国立大学法人に移行し――それを理由に――年々削って来た国立大学に国庫から配る運営費交付金も超成三十年となると、すでに削る限界が来ていて、政府として『数を減らす』と『さらなる運営費交付金の削減』を実現するためには、合併などの統廃合を促すしかない。それであれば、生き残りのために国立大学法人同士で合併を模索するだろう。そしておそらく、教育・科学省は200億の予算を等配分せずに、傾斜配分――つまり、合併を模索している法人に多く配り、それ以外には少なく配ることで5年間のうちに相当数の大学法人を合併させるつもりなのは明白であった。


 鋏田がさっきから余裕のあるように振舞っているのは、私立大学のなかでも一番か二番に大きな西稲荷大学にとって、ライバルである首都圏の国立大学――特に首都に隣接している縦岬国立大学や百枝大学が疲弊すれば、その分のあぶれた優秀な受験生たちを受け皿として西稲荷大学が獲得できるからだろう。


 同じことが地方でも出来るのであれば服部もそれほど食い下がらなかったのかもしれない。しかし、地方の私立大学の疲弊は国立大学のそれをはるかに上回っており、もはや受け皿などにはなり得ない。西稲荷大学や四田大学がそのすべてを吸収していくだろう。それを地方出身の議員である服部が見逃すわけにはいかなかった。


「……これは国家として、この教育再生における地方国立大学の問題に支払える金額が200億しかない、ということでよろしいですか?」


 服部は努めて冷静に言う。議長の鋏田が局長に合図を送る。


「え、ええ。そう読み替えていただいても差し支えありません」

 服部はその言葉を聞いて、すかさず今度は鋏田に問いかける。

「鋏田議長、ここは教育再生案を策定するための会議――で、あっていますね?」

「そうですが……何か?」

 鋏田は怪訝な顔をして答える。服部はにやりと口角を上げる。


「では、私はここに『地方国立大学再生のための東京大学解体と学部ごとの移転』を提唱します」


 議場が大きくざわつき、高等教育局長はぽかんと口を開けている。


「……な、何を?」


 鋏田がやや上ずった声で服部に説明を求める。


「ですから、この首都にあり国立大学のなかでも最も大きな運営費交付金と、国内二番目の敷地面積を持っている東京大学を解体し、学部ごと、あるいは学科ごとに地方に移転するのです。農学部は北海道大学に、工学部は京都大学と大阪大学に、理学部は岐阜大学と合併した新・名古屋大学に――って具合にね。首都には、二年生まで学生が学ぶ教養部と附属病院だけを残せばいい。移転後に空く広大な首都圏の土地は一部を残して、売却すればよろしいかと」


「し、しかし、東京大学は国際ランキングでは今のままでも高評価で、解体する必要などないのでは?」


 呆気に取られていた高等教育局長が尋ねる。


「高等教育局はその国際ランキングとやらが重要――という見解でしたね。しかしそうであれば、東京大学を解体し、各地に移転したとしても、名称を『東京大学○○校』としておけば問題ないのではないでしょうか。なにしろ、東京大学はなくなっていないのですからね」


「研究者が安心して研究できる環境がすでにある東都大学をわざわざ潰すなど……」


 今度は服部の二つ横の委員が言う。


「潰す……とは言っていませんよ。そっくりそのまま部門に切り分けて移転するだけです。それとも何ですか、東京大学の研究者は『首都に居ないとできない研究がある』とでも?」


 質問した委員はうーんと腕組みをしたまま頭を捻る。


「地方の大学に求められているのは研究ではなく、職業人としてのスキルであると高等教育局の調査でも――」


 すぐさま反論するかのようにもう一度局長が声を上げる。


「では、東京大学など研究を重視する大学では職業人のスキルは学べないのですか? そんなことはないでしょう。現に東京大学を卒業して、職業人として活躍している方は大勢いるのですから。それは『地方には地方大学出身者しか就職しない』なんて間違った前提が作り出している“ただの幻想”ですよ」


「東京大学にはわが国の高等教育の歴史があるのですよ!」


 東京大学出身である鋏田が今にも倒れそうなくらいこめかみに血管を浮き立たせて叫ぶ。


「それが地方大学にはないとでも? それに東京大学はなくならないのですよ、、です」


 それをあざ笑うかのように服部はひらりとかわす。


「地方国立大学が5年で自立するためには200億は少なすぎますが、東京大学を解体し、その機能ごとに地方に移転するには5年と200億は十分でしょう。なに、足りない分は財務・金融省に“おねだり”すればいい。彼らも、運営費交付金の削減に手詰まりの今、そう無碍に断りはしないでしょう」


「そのような切り捨て論が教育の再生につながるとでも思ったのか!」


 また鋏田が絶叫する。


「……おやおや、何を勘違いしているのですか? 最初に『地方国立大学は職業人育成機関として再編すべき』と切り捨てていたのは、そちらでしょう。だから私はあえて逆の、を展開したまでです。それに学問を行う場がどうしても首都圏である必要はない――というのは先ほどまでの皆さんの議論で明らかですからな」


「こんなものは議論するまでもない。議事録にすら残す必要もない」

 そういうと鋏田は議事録を取っていた高等教育局員に指示を出す。


「……ええ、それで構いませんよ。私は急ぎ地元に戻りこの教育再生実行会議が、地方から大学という高等教育機関を取り上げるもので地方棄民政策であると市井に訴えることにします。そしてこの『東京大学解体論』を掲げ、次の衆議院選挙に新党として立候補しましょう。私の考えと、あなた方の考えのどちらが正しいのか――選挙という戦いで示すだけです」


「では、これにて失礼します」


 そう言って服部は議場を後にした。




超成三十五年――


 天皇陛下退位の式典に合わせて、様々な労働組合による集会が各地で開かれていた。そこには大学の労働組合も参加していて、そのノボリが掲げられている。


 ある意味、いつもの光景である。


 ただ、以前と違ったのは『東京大学北海道校』や『東京大学京都校』などその名前のすべてが『東京大学』となっていたことと――――式典の会場でそのノボリを見て、にんまりと笑う服部の姿があったことであった。



(了)

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