敬虔なる美少女教徒が美少女を崇めるエッセイ

黄鱗きいろ

第1項 まずは美少女の定義から始めよう

 はじめまして。私は敬虔なる美少女教徒を名乗る者です。ああ、違うんです! 新興宗教とかそういうものではなくて! いや、宗教なのかな。どうなんでしょう。解説のKさんどう思いますか?


「宗教ですね」


 ありがとうございます。それでは我々の信教である美少女について、これからエッセイというやつを始めていきましょう。えっ、誰にしゃべっているのかって? 君ですよ君。モニターの向こうでにまにまこちらをうかがっている君以外にだれがいるっていうんですか。


 そもそもですね、美少女というものを君は理解したいと本当に思っているのですか? もしそうであれば諦めなさい。彼女たちは崇高で理解しがたく、それでいて慈愛と戯れでできているのです。分かりますか!? 分かります! よろしい!


 彼女たちを真に理解するということは、不可能であると断じてしまっていいでしょう。そう、不可能なんです。不可能……でもそれを知りたい! その気持ちは大いに分かります。ですがそれは徒労に終わると覚悟しなさい。君の行為は無意味であり、君の欲は無価値なのです。


 美少女を崇めよ。それこそがこの世の真実です。


 さあ前説はこれぐらいにして、本題に入りましょう。すなわち、美少女がなんたるかという話です。美少女とは、広義ではうら若い女子のことを指しますが、狭義の美少女はそれと似て非なるものであります。


 美少女とは何か。その問いは深淵なる答えを求めるものではありますが、あえてここで一つの言葉にするとします。


 美少女とは愛です。


 この場合の愛とは、多くは慈愛という意味を持ちます。もちろんこの限りではない美少女も多く存在しますが、今日は導入なので慈愛の美少女にのみ触れていきましょう。


 慈愛の美少女とは少女の形をした母、と取っていただいてもかまいません。昨今のジェンダー論ではこういう「母性」といったものを否定しがちなのですが、この言葉を取らなければ私にはこの衝動を現すことができないのでそこはご容赦ください、いいですね?


 美少女はすべてを愛しているのです。すべての愛は美少女からの賜りものであり、美少女はその愛を惜しむことなく我々に降り注いでくれているのです。


 例を上げましょう。


 あそこにコップがあります。ありますね? その中に君が入れられているとします。美少女はそこに大いなる愛を注ぎ込んでくるのです。無論、君は溺れてしまいそうになります。


 そこで愛を受け入れ溺れ死ぬのもいいでしょう。ではそれに反し、水面を求めて泳いでいく先には何があるのか。コップからあふれた愛を美少女は両手で受け止め、君もその中に落ちていきます。


 浅瀬になった愛を君はゆっくりと受け入れるでしょう。美少女はそれを待ってくれるのです。無論、その愛を受け止めきれず、彼女の手の内から逃げ出してしまう者もいるでしょう。ですが美少女はそのどちらをも許します。


 得るものはなく、見返りもない。もはやそれはアガペーです。アガペー……そういったものを……受け止めてほしい……。


 どうですか。そろそろ君のかたくなで蒙昧な目も開かれてきたのではないでしょうか。外を見ましょう!


 嗚呼、窓の外、大いなる宇宙を行くセーラー服よ。その内側に秘めたる彼女たちの肉体よ!

 今の君には見えるはずです。彼女たちの白磁のごとき柔肌も、重力を失ってなお美しくなびくその髪も!


 興味深そうに船へと寄ってきた美少女たちは、私に一瞬だけ視線をよこし、ふわりと離れていきます。私はもうすぐ大気圏に到達します。彼女たちはその内側に入ることはしない種族美少女なのです。


 神聖なる彼女たちと別れを告げ、私は穢土へと降り立つでしょう。薄暗い陰の中で小さき美少女が息をひそめる、惑星オルトへと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

敬虔なる美少女教徒が美少女を崇めるエッセイ 黄鱗きいろ @cradleofdragon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ