エンジェルinスチーム
湯野正
決闘
ごうごうと壁に風がぶつかる。
寂れたコーヒーショップの外は砂嵐だ。
砂嵐は蒸気と混ざり、重い泥の嵐になる。
コーヒーショップには、機関が蒸気を吐き出す音と砂嵐が壁にぶつかる音だけが満ちていた。
コーヒーショップに客はいない。
当然だ。こんな天気で町の住民は外に出ないし、旅人など滅多に来ない。
マスターはいつものように新聞を読んでいた。
そんな時だった。
重い扉が開き、入ってきたのは風と泥、だけではない。
人だ。
重く黒い泥に塗れたマントを羽織った男だ。
「…いらっしゃい、旅人とは珍しいね」
男はマスターの言葉には答えずマントの泥を落とし、ゴーグルとマスクを外してカウンター席に座った。
「コーヒーを」
「品はあんのかい?」
男は黙って腕を突き出し、マスターの手の上で握った拳を開いた。
男が渡したものは、黒い塊だった。
「これは、石炭か!あんたどこで…」
マスターは暫く男の返答を待ったが、相手は一切相手をせずに手袋を外し始めた。
マスターはため息をついてコーヒーマシーンに向かい、上部の蓋を開けて大豆を注ぎいれた。
右側のレバーを下ろすと一度大きく蒸気が吹き出し、一定のリズムで蒸気が抜ける特徴的な音とともにコーヒーマシーンが作動したことを告げた。
「…大豆か」
静かにマスターの挙動をじっと眺めていた男がぽつりと漏らした。
「あんたどんな都会から来たんだ?まさかこんな寂れた店にコーヒー豆があるとでも?」
「…すまん」
それ以降会話は生じなかった。
砂嵐が止むまで、男はゆっくりとコーヒーを飲んだ。
けたたましい音を立て乱暴に扉が開き、三人の男が入ってきた。
先頭に立つ小太りの男はにやにやと嫌らしい笑みを浮かべながらずかずかとカウンターに近づいた。
小太りの男は旅人を一瞥すると鼻で笑い、席に勢いよく座った。
「おやじ、サンドウィッチだ」
「はい、かしこまりました」
小太りの男の横暴な態度に関わらず、マスターは恭しく従っていた。
「いいなぁアニキ」
「パン食えるなんて、流石だよな」
少し遅れて小太りの男の取り巻きと思わしきノッポの男と痩せた男も席に着いた。
「パンなんて大したこたぁねえよ、なあおやじ!二人分追加だ」
「最高だぜ!」
「ヒュー!」
「はい、かしこまりました」
対価を払っている様子もないのに、マスターは金庫から黒いパンを取り出し、卵も使ってサンドウィッチを作り始めた。
旅人はマスターを暫く見た後、自身の装備品の確認を始めた。
暫くして男たちの元へサンドウィッチが運ばれた。
ノッポと痩身の男が味わって食べているのに、小太りの男は大きな一口で次々と口に運び、すぐに完食した。
「パンは湿気てるし固い、卵は新鮮じゃねえ、ひでえサンドウィッチだなぁ!」
「申し訳ありません…」
「パンに文句言うなんてアニキくらいだぜ!」
「やっぱりアニキは違うな!」
男たちが横暴に振る舞う中、旅人は一切気にせずに装備品の確認を終え、立ち上がった。
その様が、小太りの男は気に入らなかったらしい。
嘲るように笑いながら旅人に向かって喋りかけた。
「おい旅人、もしかしてお前これがなんだかわからないんじゃねぇか?パンだよパン、見たことあるか?えぇ?」
しかし旅人は一瞥もくれず、店の外へ歩き出そうとした。
小太りの男は顔を真っ赤にして立ち上がり、旅人の胸ぐらを掴んだ。
「俺様が聞いてんだぞ!」
旅人は小太りの男の剣幕にも一切怯まず、淡々と言った。
「あちこち旅してきたが…」
「あぁん?なんだって?」
「豚の言葉は習えなかったな」
「ッ!?なんだとテメェ!」
小太りの男は拳を震わせ、目を血走らせた。
喧嘩が始まると身体を強張らせたマスターだったが、小太りの男は一度深呼吸をすると手を離した。
しかしそれは、彼が落ち着いたという事では決してなかった。
「おい、表に出ろ、決闘だ」
「け、決闘!」
マスターは慌てたが、取り巻きの男たちはにやにやと笑っていた。
旅人は一度目をつむり、頷いた。
「…いいだろう」
「おいっ!旅人さん!」
「おやじは黙ってな!行くぞ」
小太りの男は肩を怒らせて外へ出て行った。
「ヘヘッ」
「お前、死んだぜ」
取り巻きの男たちも旅人に嘲笑を浴びせてから続いた。
そのまま旅人も続こうとしたところで、マスターが止めた。
「待てって旅人さん!あいつは領主様の息子なんだ!腕は大した事ねぇが得物は一級品だ!今まであいつに勝てた奴はいねえ!悪いことは言わねぇから、土下座してでも謝るんだ!受けちゃいけねぇ!」
旅人は振り返り、口の端を片方だけ少し上げ、自分の腰のあたりを叩いた。
「俺には、天使がついてる」
旅人は扉を開けた。
蒸気で湿気った風が入り込んだ。
「覚悟はいいかぁ?」
コーヒーショップの前、
お互いの距離は十歩ほど。
砂嵐はとうにすぎ、地面のコンディションは悪くはない。
「俺はいつでも構わない」
「へへっ、そうかよ」
小太りの男は腰のホルスターから得物を取り出した。
旅人もそれを見てから得物を抜いた。
「掛け声は、わかるな」
「当然だ」
「俺から行くぜ」
風が強く吹いた。
漂う蒸気が、一瞬だけ消えた。
それが始まりの合図––––。
「ベイ!」
「ゴマー」
「「ゴー!」」
お互いの射出機から放たれたベイ・ゴマーが空中でぶつかり火花を放つ。
「行け!ゴールド・エンペラー!」
着地した小太りの男のベイ・ゴマー、黄金のベイ・ゴマー『ゴールド・エンペラー』が旅人のベイ・ゴマー、純白のベイ・ゴマーに吶喊する。
「出た!アニキの速攻だ!」
「アニキのゴールド・エンペラーはアタックタイプ、これで勝負ありだぜ!」
凄まじい勢いと回転力でゴールド・エンペラーが旅人のベイ・ゴマーにぶつかる。
いつのまにか集まっていた野次馬たちも、呆気なく勝負が決したと予想した。
しかし––––。
「なにィ!?」
「俺の天使は、そんな程度じゃ倒せないぜ?」
純白のベイ・ゴマーは、無傷。
回転を緩めることなくその場に佇んでいる。
「ちッ、なら止まるまでぶつかるだけだ!ゴールド・エンペラー!」
何度も、幾度となくゴールド・エンペラーが純白のベイ・ゴマーに攻撃を仕掛ける。
しかし、何度やっても純白のベイ・ゴマーは揺るがない。
むしろゴールド・エンペラーの方が段々と回転を弱めている。
このままではジリ貧なのは明らかだった。
小太りの男の額に汗が浮かび、顔には焦りが見え始める。
「ゴールド・エンペラー!何故だ!?」
だが、変わらない。
何度しかけても相手の優勢は覆らない。
小太りの男は歯ぎしりし、叫んだ。
「お前ら!加勢しろ!」
なんと、恥知らずなことに取り巻きたちに応援を要請したのだ。
「お、おい、途中での加勢は––」
「うるせぇ!俺がこの町のルールだ!」
野次馬の一人が咎めようとしたが、叶わない。
「行くぜ!」
「悪く思うなよ!」
男たちの射出機からベイ・ゴマーが飛び出す。
それはゴールド・エンペラーと同じタイプのベイ・ゴマーだった。
流石の旅人のベイ・ゴマーも、三対一では分が悪いのか、徐々に押されてきた。
そして、顔色に余裕が戻ってきた小太りの男がトドメに入った。
「お前ら、やるぞ!」
「おう!」
「がってん!」
三体のゴールド・エンペラーがジリジリと間合いを詰め、純白のベイ・ゴマーを三方向から押さえつけた。
「これが俺たちの必殺技、ゴールデン・デス・トライアングルだ!」
「ゴールデン・デス・トライアングル!?」
「聞いたことがあるのか!?」
小太りの男たちの必殺技を目にした野次馬たちが騒ぎ出した。
「ああ、普通攻撃を受けてもダメージの何割かは受け流せるんだ。だが三体のベイ・ゴマーで三方向から押さえつけると、力の逃げ場がない。この技を受けたベイ・ゴマーは、粉々に砕け散るしかない」
「粉々に!?そんな…ああっ!」
ゴールデン・デス・トライアングルを受けているベイ・ゴマーから、白い何かが飛び散り始めた。
野次馬たちの間に諦めのムードが漂う。
それは、まるで空に舞い散る雪か羽のようだった。
歯嚙みをしながら勝負を見守るしかない野次馬たちの一人の手に、白い何かが落ちた。
「これは、違う!カケラにしては軽すぎる!」
野次馬たちはハッとして飛び散る何かを見た。
たしかに、ベイ・ゴマーのカケラならもっと重い。飛び散っても舞うはずがない。
「まさかこれは、塗装––––」
「––––その通りだ」
それは今まで黙っていた旅人の言葉だった。
旅人は目を見開き、叫んだ。
「真の姿を見せてくれ、俺の天使!」
その瞬間、三体のゴールド・エンペラーが弾け飛んだ。
「何ぃィ!?」
「嘘だ、ゴールデン・デス・トライアングルが破られるなんて!」
「一体何が––––」
純白のベイ・ゴマーがいた場所、そこには無傷で回転を続ける漆黒のベイ・ゴマーが佇んでいた。
「
誰かが呟いた。
それは不思議と皆の耳に届いた。
「クソクソクソクソッ!色が変わったからなんだってんだ!」
激昂した小太りの男が叫んだ。
「マグレに決まってる!もう一度だ!」
「お、おう!」
「そうだ、マグレだぜ!」
三体のゴールド・エンペラーがジリジリと漆黒のベイ・ゴマーとの間合いを詰める。
そして三方向からの同時攻撃が再開されようとし––––。
「いけ!再びのゴールデン・デス––––」
「––––舞えッ!!」
ベイ・ゴマーが、飛んだ。
「な、何ぃぃィィイい!!!?!?」
漆黒のベイ・ゴマーは空に飛び立った。
三方向から同時に攻撃するはずだったゴールド・エンペラーたちは、当然お互いにぶつかる。
その隙を、逃すはずがない。
「
空に、黒い線が引かれた。
漆黒のベイ・ゴマーが、地面に向かい高速で突っ込んでいった軌道の残光だ。
凄まじい衝撃が辺りを襲い、砂煙が舞った。
そして、収まった時そこには、砕け散った三体のベイ・ゴマーと、変わらず回転を続ける漆黒のベイ・ゴマーがいた。
「「––––ぉぉぉォォォオオおおお!!!」」
遅れて野次馬から歓声が上がった。
旅人は騒ぐ観衆と呆然とする三人に目もくれず、漆黒のベイ・ゴマーを大切そうに拾いホルスターに収めると、歩き出した。
旅人がいないことに観衆が気付いた時、彼は既に蒸気の中へ消えていた。
ブラックエンジェル。
この町の住民が見たのは、伝説の幕開けだった。
エンジェルinスチーム 湯野正 @OoBase
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