人間なんてこんなもん、というのは。

その言葉の真意を解釈するのにとまどっていると、彼女がまた口を開いた。


「しろくんは、さ。

なにがすき?」


おれはふたたび、言葉に詰まった。

なにがすき、って、抽象的すぎて。


「なんでもいいから、言ってみて。

好きなもの。

映画でも、りんごでも、講義でも、セックスでも、お金でも、なんでもいいから。」


流れるように彼女の口からでてきた言葉にうろたえながらも、答えた。


「映画と、ゲームと、車と、数学と、綺麗な自然の風景。」


「それだけじゃないでしょ?」


おれが口ごもると、彼女は煙草から口を離して鋭く突っ込んだ。


「うるさいバンド」


「ほかに」


「ステーキ」


「ほかに」


「目が大きくて可愛いアイドル」


「ほかに」


「妄想すること」

 

「ほかに」


「……自慰行為にふけること」


「ほかに」


「AVみること」


「ん、そういうことだよ」


彼女のくちびるは満足そうに緩く弧を描いて、煙草をくわえた。


「まだある。

ものでは、ないけど。」


「なに?」


少し興味を示した彼女の、いつもより派手で数倍大きく見える瞳をまっすぐ見据えた。



「きみだよ、さくら」


うっ、と、彼女が狼狽えるのがわかった。

大きな息とともに煙を吐いて、彼女はおれから目を逸らした。


「わたしを、責めてる?」


「いや、まったく。」


「……なにそれ、」


彼女は安心するふうではなく、呆れたように言葉を地面に投げ捨てた。


「じゃあどうしてそんなこと、」


「君が好きだから。

それ以外ある?」


「しろくんは、バカなの?」


嘲るように彼女はちらりと横目でおれをみた。


「人間なんてこんなもん、だろ?」


「……そうだったわね。」


ふっと笑みを浮かべて、彼女はおれから目を逸らした。


「わたしは、友達とかと賑やかに生きるよりもひとりが好きだし、今は仕方なくこんな格好だけれど本来は地味な服装が好きだし、静かな環境のなかで本を読むことも好き。

でも、――でも、という逆接を使うのはわたしはおかしいと思うのだけれど――わたしは男の人と体を触れあわせて快感に溺れることが、まあ簡単に言えばセックスが、好きだし、こういう夜のまちを歩いて、ときにはお酒を飲みまくるのが好きだし、――わたしだってきみが、すき。」


彼女は最後、顔を赤らめた。

涼しげな顔でセックスだなんて言ってしまうのに、ほんのすこし目を伏せて恥ずかしそうにおれを好きと言う彼女はなんともいじらしかった。

それは、この数分で見た様々な彼女のなかで、唯一、おれがもともと知っている彼女だった。


「つまり君が言いたいのは、

たとえば、優しくて穏やかでもの静かな人で、実はセックスが大好きな人がいたとする。

ひとびとはその人を、もちろん、優しくて穏やかで静かなひとだと言う。

もし、彼女がセックスが大好きだということがまわりに広まったらひとびとは意外だと思うだろう。

けれど、人間なんて、様々な矛盾した要素で構成されたものであって、この人はこんなひとだからこんなことは絶対にしないだろうなんてものはない。

相反する様々な面を持ち合わせていたって、それはすべて、その人を構成している立派な要素であってそれらは意外でもなんでもない。


っていうことで、合ってる?」



「はは、さすが。

わたしが言いたかったのは、そういうことだよ。

だって、あまったるーいパフェが好きなひとでも、からいキムチを好きなひとなんてたくさんいるでしょう?

それと同じようなこと。

わたしは二重人格でもなんでもなく、ただ、じぶんの好みが、世間から見ると相反する矛盾したものだらけってだけ。

べつにね、大学でおとなしいキャラを演じてるとか、そんなんじゃない。

大学で派手な格好をしないのはそもそも地味な格好が好きだからだし――ここでこんな格好なのは、こんな格好をしなきゃ男なんて捕まらないから――、大学では煙草を吸わないのは煙草を嫌いな人のことを考えてそうしてるだけ。

だから、今の私も大学での私も、ぜーんぶ、わたしってこと。」



「たぶん、なんとなくは理解できた、気がする」


曖昧におれが言うと、彼女は優しく笑った。


「なんとなくわかってくれれば、じゅうぶんだよ。

――それでしろくんは、わたしを、どうするの。」


今まで堂々としていた彼女の瞳が突然、不安げに揺れる。

それは決して、じぶんのしたことを棚にあげておれにすがりつこうと媚びるようなものではなくて、ただ純粋に、おれと離れたくないというような気持ちが表れているだけのものだった。


「どうも、しない。

ただ、」


この先の言葉を言ってしまえばもう引き返せないことがわかっているから、言葉が喉の奥につっかえたまま、出てこない。


「ただ?」


彼女のひとみはまだ、不安げに揺れている。


「おれも、さくらと同じような人間かもしれないと、おもった。」


彼女は驚くふうでもなく、ゆっくりと煙草の煙を吐いた。


「なんとなくそんな感じ、してた。

しろくん、こんなわたしに、さほど抵抗なさそうだもん。」


「うん。

じぶんでもおどろくほど、ない。

だっておれ、セックスをしまくることとか、べつに、悪いことじゃないとおもうから。」


「はは、わたしも。

セックスなんて、こどもをつくる、大切な行為なのにね。

世の中のひとって、なーんか、セックスしまくることとかに嫌悪感とか表しちゃってさ。

たしかに、中絶とかは良くないと思うよ。でも、だれのことも傷つけないなら、いいのにね。

だから、わたしは、セックスいっぱいすることなんて、好きな食べものいっぱい食べることとなんら変わりはないと思ってる。」


そんなことを言っている彼女は、さきほどは既婚者と体を重ねていたはずなのにね。

彼女の意見には賛成だけれど、心のなかでなんだか苦笑してしまう。



「まあでも、」


彼女は急にしんみりとした陰を顔に貼り付けた。


「じぶんが穢れていく感じは、しなくもない。」


さっきまでの勢いはどこにもなく、彼女はただ、じぶんの足元を見つめていた。

すこしだけ苦しそうな顔を、しながら。


「だから、セックスが好きっていうのは、ちょっと複雑かな。

はは、なんでだろ」


言葉をこぼした彼女が、意味もなくヒールで立てた音が、カツカツと響いた。


「おれとすれば、いいんじゃない?」


にやりといたずらっぽく笑って、彼女は口を開いた。


「愛があればって、やつ?」


「うん」


「やってみる?

したこと、ないもんね。」


「うん」



おれが返事をするや否や、彼女は煙草を携帯灰皿に押し込んで、おれのほうを向いた。


「ほら、はやくいこ。」


はやくはやく、と手招きする無邪気な彼女の表情を見ながら、おれは頭のどこかで驚くほど冷静に、おれたちの将来を予感していた。


ああきっと、これからどんどん、おれと彼女はくるっていくのだろう、と。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

風船が、割れるまで 星陰 ツキト @love-peace

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る