ただのお節介だったんだ

コマチ

第1話

それはそれは暑い日だった。

眩しいどころではない、目も眩むような、開けてられないような酷い暑さの日だった。僕はそこで見たんだ。誰にそんな与太話と言われようと、僕はたしかに見た。

これは僕の嘘か幻か分からないような、夢のような、本当にあった話だ。


僕はコンビニのレジ袋を片手に、体力を着々と奪うような日差しの中歩いていた。袋の中の飲み物も酷い汗をかいている。帰宅したら直ぐに冷蔵庫にいれなければダメになるだろう。急ぎたくもないが、致し方なく歩くスピードをあげた。

「あっつい」

口にすればますます暑くなるような気もするのだが、口からは裏腹に溢れた。


そんな時だった。

一迅の涼やかな風が吹いた。驚いて思わず目を見開いたのは確かに覚えている。風がやってきた方を振り返った。

そこには一人の女性がいたんだ。

当たり前のようにそこに立っていて、お決まりのような白いワンピースを着ていた。一瞬幽霊の類かと変な汗が少し出た。しかし、彼女はしっかり二本の足があり、影もきちんとそこにあった。

「御機嫌よう」

鈴のような声だった。いや、しかし、「御機嫌よう」などという言葉遣いに眉をしかめた。

「あら、挨拶は返してくれないのかしら」

「え、あ、どうも」

僕の返答はそんなものだ。正直目の前の不可思議な人物よりも、この暑さにうんざりしていたのだ。情緒もへったくれもあるもんか。

「あなた、暑そうね」

そりゃそうだろうとも。この日差しの中、汗をかかないやつなんかいない。だがどうだ、彼女は涼やかな顔で、汗なんかかいちゃいない。ますます幽霊の類じゃないかと思ってしまう。

「そりゃ暑いですよ、この猛暑日ですよ」

「それもそうね、私だって暑いわよ」

幽霊ではない、私も人間なのよ、とその瞳が悪戯そうに笑んだ。

「…じゃあ、これで」

構ってる間も僕の汗は止まらない。早く帰ってしまおうと思った矢先にこれだ。たまったもんじゃない。

「あ、ちょっと待って」

彼女は何やら必死そうな声で僕を呼び止めた。

「なんですか?」

「駅、どっちかしら?」

相も変わらず涼しげな、夏よりも冬、白銀の雪が舞う世界の方が似合いそうな顔でさらりと「困ってます」という彼女。いや、先程の冬が似合うはやめておこう。この雰囲気で冬はあまりにも、そうだ、「消えてしまいそう」だ。

「駅は、こっからだとちょっと歩きますよ」

「あら、そうなのね。でもまあいいわ、どっちの方向?」

「方向だったら…」

僕は駅のある方を指差す。しかし駅は見当たらない。歩くとなると一時間はかかる。それほどここは駅から離れているし、ただの住宅街なのだ。コンビニまでも徒歩20分。ただ、車でいけば駅までも15分程度だろう。

「一時間、歩けるんですか」

「そんなにかかるの?」

「かかりますよ」

「困ったわね…」

彼女は顎に手をあてて、悩んでいるようだった。何に悩んでいるのかはわからないが。

「ああでも、バス停ならわりとすぐそこにありますよ。ただ、バスは一時間に一本なので、タイミングが難しいかもしれないですね」

「バスがあるのね。いいわ、そこはどこ?」

「バス停ならそこのコンビニの角を曲がったところに」

今度はコンビニを指差す。彼女は理解したように頷いた。

「引き止めてごめんなさい」

「いえ、まあバスを待つようならコンビニに入ってたらいいですよ」

「そうね、そうさせていただくわ」

白い彼女は最後ににっこり笑うとコンビニへ向かっていった。僕も家へ向かって歩きだす。コンビニ袋の中のルーズリーフががさりと音を立てた。ああ、そうだ、家に帰ればクーラーは効いた部屋が待っているが、心底嫌な課題も待っているのだ。


そして少し歩いた後、僕はふと気付いた。彼女、カバンなんて持っていなかった。財布とか持っているんだろうか。白いワンピースも見た限りポケットなんてついていなかったし、スマホケースに定期やICカード、クレジットカードとかいれてあったりするだろうけど、今このご時世スマホで地図も出さずに人に道を聞くのも珍しい。

「あの人、バスに乗れるんだろうか…」

思わずクーラーの効いた部屋で呟いた。風に揺らいで紙っぺらがカサカサと音を立てた。少し僕は考えた後、課題をやりたくないという後押しも手伝ってバイクの鍵を手に持った。コンビニ程度の距離でバイクに乗り出すと、本当に歩かなくなりそうで先程は徒歩だったが。


バイクに乗るとコンビニは一瞬だった。

「あ、いた」

彼女はコンビニの店内で雑誌コーナーにいた。僕に気づく様子もなく、何やら読んでいる。バイクを駐め、店内の彼女に歩み寄った。

「あの」

彼女は驚いたようにこっちを見上げた。

「あら、さっきの」

「どうも。帰ってから気付いたんすけど、あなたお金持ってるんですか」

バスに乗る分の、というのはつけ忘れたがまあいい。

「…そういえば持ってないわ」

彼女は気まずそうに目を逸らした。

「バイク、乗って行きますか」

僕はハナからそのつもりで来たし、彼女が手持ちに何もないとなれば乗るしかないだろう。なのに彼女は狼狽した。

「えっ、いや、それは、バイクの二人乗りということかしら」

「はい、メットならありますよ」

「いえ、そういう問題ではなくて」

「ほかに何か問題ありますか?あなたバスに乗るお金ないんでしょう」

「それはそうなのだけれど!」

雑誌コーナーで揉める僕らをみる店員の目は冷ややかだ。

「駅まで送るんで、そのあとは自分で何とかしてください」

僕はそれだけ伝えて一足早くコンビニから出た。付いて来なければ帰るだけだ。

けれどやはり彼女は困った顔をして僕のバイクの方へやって来た。

「…二人乗りというものは初めてなのよ」

「そういう事ですか。ジェットコースターみたいなもんですよ」

「それも乗ったことがないのよ!」

彼女は精一杯の威嚇のようにそう吠えた。

「僕に掴まっときゃ怪我なんてしませんよ」

小さな頭にいつも自分が使うフルフェイスのヘルメットを被せる。自分は予備のハーフを。

「怖いんなら目瞑ってたらいいですよ。すぐ着きますから」

「分かったわ」

腹を決めたように僕を見て頷く彼女だが、そんな決心をするほどのことを今からするわけではなくて、なんだか僕はおかしかった。


運転中、僕の腰に回る腕は細く白く、しなやかだった。カーブや止まるためにブレーキを握る度、彼女は小さくうしろから「うっ」とか「ひっ」とか声を出していた。

しかしバイクに乗ってしまえば駅なんて近いものだった。

「もうすぐ着きますよ」

後ろに声をやると、「へ?」と間の抜けた声がした。

「言ったじゃないですか、すぐだって」

言いながら駅のロータリーに停まる。

「降りていいですよ」

「え?ああ、はい」

彼女が覚束ない足取りでバイクから降りるのを確認して、僕もバイクから降りた。彼女に被せたヘルメットを回収する。後部席の下に自分が着けていたメットを仕舞いながら、彼女に問いかけた。

「駅まで来たかったようですけど、どうして」

「…こっちが、私の家だから」

「じゃあまた何であんな場所に?」

僕のその問いに答えは無かった。訝しみながら後部席を元に戻して振り返ると、そこの彼女の姿なんて無かった。


そこには真白い猫が一匹。

にゃお、と鳴いてゆっくりとした瞬きをして、去って行った。


呆けながら家に帰りシャツを脱ぐと、背中に白い毛が数本、ついていた。

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