スノースマイル
学校が終わり、外へ出る。
肌に触れる外気の冷たさに、思わず首が竦む。
今日もまた、いつものところへ向かう。彼女がいる病院だ。彼女が意識を失った今も、週に一度は必ず訪れている。学校から少し離れたところに建てられたそこへは、バスを使う程遠くはなく、お金もかかってしまうので、徒歩で行っていた。
この季節になると、歩く度に冬の冷たさが体の中に染み込んでくる。
マフラーとコートは持ってきているのに、手袋を忘れたことを後悔した。
あの日、彼女に手袋の話をしてからすでに一年が経っていた。
あの頃はまだ彼氏がいて、あんたもまだ元気だったな、なんて感傷に浸ってしまいそうになる。
思わずこみ上げてくる何かを、頭を左右に振って誤魔化す。暗い気持ちになりそうな心を切り替える為に、音楽を流すことにした。
イヤホンを耳に付け、スマホの音楽ストリーミングサービスで、冬の歌をリクエストする。私の希望に沿ったプレイリストが自動で作成され、一曲目を流し始める。
悲しみを表現しているかのようなピアノのイントロを聴いて、曲を飛ばそうかと思ったが、なんとなく聴いたことがあるような気がして、やめた。
――夜に向かって雪が降り積もると
悲しみがそっと胸にこみ上げる
歌い出しを聴いて思い出した。「白い恋人達」だ。
――涙で心の灯を消して
通り過ぎてゆく季節を見ていた
最近の歌はあまり聴かないという彼女が、自分の好きな曲だと言って教えてくれたんだ。
――外はため息さえ凍りついて
冬枯れの街路樹に風が泣く
それから、私は彼女に色々な曲を紹介するようになった。自分の好きな曲や流行りの歌を聴いて、これは良い、これはいまいちだ、なんて話し合う時間が、楽しかった。
――あの赤レンガの停車場で
彼女が意識を失ってから、教えたい曲は溜まっていく一方だった。いつになったら、彼女と話ができるようになるんだろうか。
――二度と帰らない誰かを待ってる Woo…
何故かそのフレーズだけ、耳に残った。
嫌な予感がして走り出す。
歌がサビに入る。
――今宵 涙こらえて奏でる愛のSerenade
今も忘れない恋の歌
二度と帰らないなんてやめてよ。あんたに話したいことも、聴いてほしい曲も、まだまだたくさんあるんだ。
――雪よもう一度だけこのときめきを
Celebrate
ひとり泣き濡れた夜にWhite Love
私をひとりにするなんて、絶対に許さないから。
間奏を挟んで、曲が2番に入る。
――聖なる鐘の音が響く頃に
最果ての街並みを夢に見る
走り続けてせいで、息があがりきっていた。心臓が早鐘を打つ。
冬だというのに体が熱い。思わずマフラーを外し、コートを脱ぐ。
――天使が空から降りて来て
春が来る前に微笑みをくれた Woo…
先程までよりも強く、冷気が体を包み込むが、今はそれさえ気にならなかった。ただ、一刻も早く、彼女の元へとたどり着きたかった。
――心折れないように負けないように
Loneliness
白い恋人が待っている
あんたが目覚めるのを1年待ち続けられたんだ。あんたの意識が戻るなら、5年だろうが10年だろうが待ち続けてやるから。
――だから夢と希望を胸に抱いて
Foreverness
辛い毎日がやがてWhite Love
だから、お願い。私を置いてひとりにしないでよ。
――今宵 涙こらえて奏でる愛のSerenade
今も忘れない恋の歌
息も絶え絶えな状態で病院に到着する。私の鬼気迫る様子に、顔馴染みの看護師さんたちがびっくりしているが、今は気にしている場合じゃない。急いで彼女の病室へと向かう。
――せめてもう一度だけこの出発を
Celebrate
ひとり泣き濡れた冬にWhite Love
エレベーターを呼ぶが、それよりもこっちの方が早いだろうと、階段を登り始めた。一段飛ばしで駆け上がる。途中で何度か転びそうになりつつも、目的の階まで上がる。
――Ah ah…
早足で廊下を渡り、ようやく、彼女の病室に辿り着く。いつもは閉まっているはずの扉が、何故か開いていたので、そのまま飛び込んだ。
――永遠のWhite Love
My Love
そこにあったのは、いつもとは違う光景だった。
彼女がいつも寝ているベッドは、背もたれが少しだけ起こされていた。
――ただ逢いたくて もうせつなくて
その上で、窓の外を見ていた君が、こちらを振り返った。
――恋しくて…涙
「久しぶりだね。」
「スノースマイル、上手くいった?」
思わず彼女に飛びつく。
こちらを抱きとめ、優しく撫でてくれる彼女の手が、彼女が本当に生きていることを実感させてくれた。涙が止まらなかった。
ひとしきりこちらが泣いて落ち着いた頃、ちょんと肩を叩かれた。
顔を上げてみると、彼女がどこからか小さな鏡取り出して、私に突きつけてこう言った。
「あんたの泣き顔笑えるよ」
呆れたが、本当に笑ってしまった。
彼女も笑っていた。
窓の外では雪が降り始めていた。
手袋 西藤有染 @Argentina_saito
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