女と男


────……田中は、自身を呼ぶ凛とした女の声を聞いた。


「……えぇ、はい」


反射的に掠れた色で紡げば、吐息と共にこぽりと湧き出た血の味が口の中に広がる。

形容しがたい味わいと鼻孔に満ちるそれの香りは、彼の虚ろな意識を今に引き戻す。


「……う」と瞼を開ける前に呻き声を零したのは、体を包み込む統一された感覚。

つまりは痛み。現状を認識し把握する事を許さない真っ白な衝撃が彼を犯していた。


呼吸すら止まる。意識が落ちる事により塞き止めていた波は今度は彼を逃がさない。

体を捻らす。手を伸ばし爪でギギギと地面を掻く。だがそれは新たな痛みを生む。


折れていた肋骨が肺に更に刺さり、ずれた背骨がはみ出ていた神経を押しつぶす。

ねじ曲がっていた右足は骨が肌を突き破り、抉れた指先には小石がめり込んだ。

罅が入っていた奥歯は食いしばられ砕け、潰れた眼球は瞼に更に押し込められる。


痛い《たすけて》


痛い《ゆるして》


痛い《ころして》


足掻けば足掻くほど、もがく程に脳が煮立つ程の苦しみが彼を襲う。

時間にしてみれば所詮僅かな間であるが、彼にとっては終わりが見えぬ無間地獄。


彼が解放されたのは数分後、脳が限界を迎え意識をシャットダウンした為であった。


……

…………

────……しばらくして、田中は凛とした女の声で目を覚ました。


「えぇ、わかりました」


反射的に掠れた声と共に”瞼を開けば”そこは薄暗く、ひどく息苦しい空間であった。

窓のない石造りの部屋。頭を押さえながら男は左右を見渡すが部屋には何もない。

牢獄の様な場所という感想を晴れない思考で考えながら、彼は声が鳴る正面を向く。


目の前では、松明台の火がゆらりと揺れている。室内を照らすのはこの明かりか


「……やっと起きたか。だがあの怪我から回復するとは」


傍には薄影の中、簡素な椅子に座り足を組む、赤いドレス姿の女がいた。


酷く不気味な女であった。纏った雰囲気では無い、顔に刻まれた広範囲の火傷。

そしてチシャ猫に似た人を小馬鹿にした笑顔、彼を見る決して楽しんでいない目線。


女に見た男はその瞬間、頭に僅かに残る痛み。それを上回る何かで顔を歪ませる。


翡翠色の瞳、整った容姿に、後ろで纏めた艶やかな白金色の髪。

ドレスは薄影の中ですら淡く輝く金糸細工、鮮やかに美しいと呼べる女であるが


「流石」


──あぁ、これは不快感というものだ。男がしばらく忘れていた感情だ。

人を”家畜”を見定めるかのような視線、人の底を見透かすような視線だ。


男は、本能的に感じたこの感情のまま女を目を細め睨みつけ

女は、その様子に動じる事も無く、むしろ愉しむかの様に言葉を紡いだ。


「”勇者さま”であらせられる」



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