事件についての考察

2018年8月25日、午後16時30分頃、高尾駅北口側の改札内トイレにて、計21枚のレポートを発見した。


手書きのものだったが、一字として違わぬよう電子テキストとして書き写し、前記のようにまとめた。


2011年4月16日に、三鷹市上連雀で佐原光一(28)の遺体が発見された。死因は充電コードから漏電した電流のショックによる心臓麻痺とされている。遺体の引き取り手である佐原光一の両親は、茨城県の土浦市に住んでおり、遺体の引き取りを拒否している。遺体の引き取りを拒否する例は決して少なくないが、家族仲も飛び抜けて悪いわけではない佐原光一の両親が、どうして遺体の引き取りを拒否したのかは、現在も調査中である。

調べていくと、佐原光一の遺体は遠縁である渡辺文枝によって引き取られている事がわかった。渡辺文枝は篠原佳純の実父である渡辺徹の母の妹、すなわち篠原佳純の叔母にあたる人物である。篠原佳純の叔母と佐原光一の繋がりは複雑であり、以下で詳細を記す。


佐原光一の母である佐原洋子は1989年4月5日に、6歳になる佐原光一を普通養子縁組に登録し、篠原佳純の叔母である渡辺文枝の娘、伊野美香子(旧姓渡辺)が里親として引き取った。佐原光一自身、おそらくその時の記憶はいくらかあるはずであり、自身の過去について他の人とは違うことを自覚していると思われる。

佐原光一を養子に出した理由は、金銭面の問題と、佐原光一が抱える障害にあると予想される。佐原光一は幼少期から少年期にかけて重度の自閉症(当時は認知度も低く、明確に自閉症だとは診断されていない)を患っており、また佐原光一の父が手がけた会社が、ちょうどその頃あたりに倒産に追い込まれた事実がある。

佐原光一はその後約1年間、伊野美香子とその夫との間で過ごすが、再度佐原洋子の元へ引き取られた。佐原洋子から詳しい話しを聞くことは出来なかったため、そこでどのようなやり取りがあったかは分からない。調査を続行し、分かり次第報告を行うつもりである。


佐原光一の親権は佐原洋子の元にあるが、遺体の引き取り先を探す際に伊野美香子にまで連絡が行き、その母である渡辺文枝に引き取られたという次第である。



次に篠原佳純についてを記す。

篠原佳純は2009年7月に初めてその存在が確認された違法薬物、Cドラッグを投与されたと予想される。

Cドラッグという名前は通称であり、他にはCD、海、海水などとも呼ばれたり、ただCとだけ呼ばれることもある。ここではCドラッグという名前で当薬物を呼称する。

Cドラッグの含有成分は諸説あり、またその出所は後述する考察程度に留まり、明確には分かっていない。Cドラッグは注射器に入っている液状の薬物であり、動脈注射が推奨されている。しかし文献はほとんど残っておらず、使用者と作成者の話しを聞くこともほとんど叶わなかった。

しかしCドラッグの存在を知る人物(ここでは便宜的にA氏と呼ぶ事にする)から、少しだけ話しを聞くことが出来た。Cドラッグは無償でやり取りされていて、A氏によると東京にある某大学病院(ここでは便宜的にZ大学病院と呼ぶ)が作ったと噂されていたという。その大学病院の教授にアポイントメントを取り、話しを聞いたがそんな事実はないとの事だった。A氏はCドラッグを癌研究の為に作られた物だと言っていた。

なお、これまでに綴ったCドラッグに関する情報の全ては、A氏からのみ伺った話しである。


以下で私のCドラッグに関する考察を記す。


CドラッグがZ大学病院の研究の為に作られた事は、前提として仮定する。癌研究は現在もまだ発展途上で、当時はそれ以上に未知なことが多かった。そして、癌の発生のメカニズムや癌を取り除く方法についての研究は注目されがちだが、同時に癌になりやすいかどうかをデータとして取ることも大事になる。タバコや不摂生、栄養不足や運動不足など、これらが癌になる原因となりうるとはよく言われるが、それはあくまで相関関係を示したいくらかのデータによるものであり、まだまだデータは少なく確証たりうるものもない。また、タバコが癌の原因となるのであれば、具体的にどの成分なのか、栄養不足や運動不足が原因となるのであれば、基準とされる明確なラインはどこなのか、これらは未だに確固たるものがない。

おそらくCドラッグは、タブーとされる人体実験を秘密裏に行う為に開発されたものである。含有成分として発癌性物質と考えられるものがあり、それを投与された人物の経過報告から、相関関係を調べるつもりであったのだろう。そして目星がついた因子の作用機構の詳細を調べる事が出来れば、確かに癌研究は飛躍的な発展を遂げる。しかし、各因子に関して、作用機構の詳細を調べるには実際に被験者を直接調べるしかない。

篠原佳純の入院した病院は、住んでいた家からは遠く不自然な距離感があった。そして、その病院は先に話したZ大学病院である。

話しをCドラッグに戻す。A氏はCドラッグのブローカーの一人であったと言う。実際に注射器を見た事があるらしいが、ピンクっぽいラベルが見えたと言っていた。注射針の規格として、それは針の太さが1.2ミリであることを表している。また、液体の色は暗くてよく見えず、黒っぽかったが、それはあくまでも透明の液体が光の関係で黒く見えただけの可能性がある事を注意していた。

しかし、結局Cドラッグの情報は上記のように少なく、その原因としては二つあると考えられる。一つ目は情報が全く露出しない形式を取っていた所にある。ブローカーは何人も介して渡しており、その受け取り先である被験者は金で口止めできる状態にある人物に絞ってある。

二つ目はもう既に流通していない可能性があるという点にある。A氏はCドラッグを二つ、ブローカーから受け取り別のブローカーに渡したと言うが、当時はCドラッグが普通に流通していたのに、ここ数年はめっきり見なくなったと続けた。


篠原佳純の癌の原因はCドラッグと見て間違いない。篠原佳純の体調の不具合も、Cドラッグの副作用と考えていいだろう。


次に、篠原佳純の死についてだが、犯人は吉野奏太(47)という人物で、2011年1月2日に行方不明の届け出が出ている。吉野奏太は一人暮らしで、付き合っている半同棲状態の彼女がおり、その彼女が行方不明の届けを出した。

吉野奏太の狂行の理由は分からないが、少なくとも行方不明になる直前までは普通で、休日にデートなどもしていたらしい。これは実際に吉野奏太の彼女だった人物から聞いた事である。

吉野奏太の彼女だった女性からの話しで、一つ気にかかる点があり、以下にそれを記す。


2011年1月1日、正月のその日に、吉野奏太は彼女と小金井公園でデートをしていたと言う。途中、年配の女性に声をかけられ、吉野奏太と年配の女性の二人で会話をしていたらしい。

その年配の女性が誰なのかは、今となっては分からないが、もしも渡辺文枝であったら、いくつかの不明な点を事実と繋げる事ができる。しかしそれはただの推測であるから、私はここで考察を終えようと思う。




篠原佳純、佐原光一、両名のご冥福をお祈りいたします。

また、私がこの事実を知ったという数奇を呪いましょう。


2018年9月12日

渡辺喜美

フリージャーナリスト(戦争と平和、人権、環境問題)

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