それいけ! 自動人形のだいぼーけん


 ――魔族領〈宵の国〉。


 その地の西方では、南北へ長大に延びる高さ三百メートル超の天然城壁〈大断壁だいだんへき〉が、そのまま人間領〈明けの国〉との国境線としてり立っている。


 限りなく登攀とうはん不可能なその大絶壁を越えて〈宵の国〉へと至る手段は、たった一つしか存在しない。


 〈星海せいかい物見台ものみだい〉――〈大断壁〉にめり込むようにして建てられた、大地と天を結ぶ巨塔を攻略すること。


 そこは魔族軍最高戦力、〈四大主〉が一人、〈三つの魔女ローマリア〉たった独りによって守護される要衝である。


 中空構造の塔の内部に螺旋らせんを巻くのは、無数の魔法書を収蔵する大書架。


 膨大な叡智えいちと記録の保管庫でもあるその場所を、魔女一人で管理しきれるはずもない。


 だから魔女は、使い魔たちを飼っている。


 おそろいのねずみ色の「服」。これもまたねずみ色をした「つば広帽子」と「靴」。それに「手袋」とがそれぞれふわりふわりと浮遊して動き回り、「小人一人分の群れ」を形成する存在。


 魔女が一体一体丹精込めて縫い上げた、自動人形たち。


 今回の主役は、彼らである。




 パッパラペッパップー。


「たいちょー」役の人形が、おもちゃのラッパを吹き鳴らした。



「いたぞー、とつげきー」



「「「わー」」」



 〈たいちょーの人形〉が小さな手袋で頭上を指差すと、それに合わせて十体ほどの人形たちが歓声を上げて階段を駆け上がっていく。短い手足をいそいそと回し、小柄な背丈には少々高すぎる段差をピョコピョコとよじ登っていく姿が愛らしい。


 巨大な塔の内部で何百重と渦を巻く螺旋らせん階段に沿って、大きな書架が壁一面を埋め尽くす光景は圧巻。文字通り目が回る眺めである。


 〈たいちょーの人形〉の指し示した螺旋らせん書架の一角 へ人形たちが駆けつけると、彼らはキョロキョロと辺りを見回した。



「? どこどこー?」



「? いないいなぁい?」



「たいちょー、いないよぉ?」



 どうやら彼らは何かを探し回っているようだった。


 書架から「よいしょよいしょ」と自分の身の丈ほどもある魔法書を引っ張り出して裏をのぞき込む人形。棚に渡した横板をよじ登る最中に足下を滑らせて「ひゃー」と転がり落ちる人形。手すりもさくもない螺旋らせん階段から身を乗り出して「あれれぇ?」と一巻き下の階層を見回す人形。どれもこれもが落ち着きなく跳ね回っている。



「むむむー?」



 階下の〈たいちょーの人形〉が、腕組みしてつば広帽子を右へ左へプラプラと傾ける。ただ遊び回っているようにしか見えなかったが、どうにも彼らは困っているようだった。



「……またどっかいっちゃったー。どーしよー!」



「「「うわーん」」」





 ***



 ――数刻前。



「――いいですか、あなたたち。よぉくお聞きなさい?」



「「「なーにー?」」」



 ぞろぞろと群がった人形たちが、その声に合わせてつば広帽子を上向けた。


 小柄な人形たちの視界にまず映るのは、真っ白な霧のようなローブ。塔のはるか上方の天窓から差し込む月光に照らされて、薄い生地が透けている。


 次に見えてくるのは、艶のある長い黒髪。絹のように滑らかなそれは肩へ背中へと水のごとく流れ落ち、その流線がなまめかしい女の身体を浮き上がらせる。


 そして最後に見上げた先に飛び込んでくるのは、吸い込まれそうな大きな瞳。どんな宝石よりも美しいはず翡翠ひすいは、しかし左の一つしかのぞいていない。


 右目にかけられた眼帯が、絶世の美女にゆがんだ影を落としていた。


 彼ら自動人形の主人、〈西の四大主〉、〈三つ瞳の魔女ローマリア〉その人である。



今宵こよいは良い月夜。〈月光の蟲干むしぼ し〉を――魔法書のき物ばらいいを行いますわ。いつもやっていることですから、やり方は分かりますわね?」



「「「はーい!」」」



 腕を広げて言って聞かせる魔女に向け、人形たちが元気よく手袋を振り上げて返事する。まるで母親と、それに引率される小さな子供たちのよう。



「ふふっ、元気があってよろしいですわ。ですけれどね? 今日蟲干しする書架は、いつもと勝手が違っていてよ」



「「「なーんでー?」」」



 風になびく幼木のように、人形たちが一斉に同じ方向へつば広帽子を傾ける。


 魔女の翡翠ひすいの瞳が、螺旋らせん書架の一角を見やった。



「……〈禁呪書架〉。この〈星海の物見台〉が収蔵する魔法書たちの中でも、とりわけ強い魔力を宿す忌み読書。知性のある者がそれをのぞき込めば、本人の意思に関係なく術式を『読まされる』危険な書物ですわ。わたくしもあまり近寄りたくはないのですけれど、そろそろあそこの蔵書も蟲干ししておかなくては危険です」



「「「?? よくわかーんなーい」」」



 人形たちが帽子に両手をやって、広いつばを折り曲げてモジモジとする。



「……うふふっ。そうですわね、少し難しいお話をしてしまいましたわね、ごめんあそばせ? それでは、これだけお聞きなさい――あそこの書架から御本を持ち出して、踊り場でお月様に当てて悪いものをはらって、そしてもう一度書架に戻すまで……決して御本を開かないこと。このお約束、守れますわね、あなたたち ?」



「「「はーい、わかりましたー!」」」



 人形たちはその場でピョンピョン飛び跳ねて、全身で肯定を返した。



「ふふっ、お利口さんたちですわ。それではわたくしは〈星見の鐘楼雲の上〉に参りますので、後はよろしく頼みますわね。嗚呼ああそうですわ、もしもお約束を守れない悪い子は――」



 ふっと声音を低くした魔女が、腰をかがめて人形たちをのぞき込む。口を真横に結んで目を細めたその表情は、「冷徹」の一言。



「――そんな悪い子は、大きなお鍋でグツグツ煮込んで、ペロリと食べてしまいますからね? お気を付けなさい……」



「「「わわわー……」」」



 冗談のような物言いとは裏腹に、真実射抜くような魔女の眼差しを受けて、人形たちはつば広帽子の下、生物であれば頬に相当する部分に両手袋を押し当ててブルブルと身震いした。



 ***



 ――そして現在。



「おまえが転んじゃうからだよー」



 傷んだ先端にぱっくりと口の開く靴を履いた人形が、隣に立っていた自動人形を両の手袋でポコポコとたたいた。



「やめてよー、やめてー」



 〈傷んだ靴の人形〉に責められているのは、帽子のつばに深い切れ込みの入った人形。身体を丸くして帽子の上に手袋をやり、いやいやと頭を振っている。



「『蟲さん』くっついてる古い『ごほん』、おまえがひっくり返すから『あし』が生えてどっかいっちゃったー! 『ごすじんさま』に怒られちゃうー。おなべでグツグツされちゃうぞー? ペロリと食べられちゃうんだぞー?」



「わーん、やめてー。やめてってばー」



「こらー! ポコポコメソメソやめなさーい」



 〈傷んだ靴の人形〉と〈切れ込み帽子の人形〉がヤイヤイとやっていると、〈たいちょーの人形〉がおもちゃのラッパを吹き鳴らした。「パッパラペッパップー!」と気の抜ける音が螺旋らせん階段に反響して消える。



「みんなでさがすのー! じゃないと『ごすじんさま』、こわいこわいだよー?」



「「はーい……」」



 〈たいちょーの人形〉に怒られた二体が、帽子の先端をシュンとしぼませた。



 ***



 その後続けられた捜索は、難航していた。



「『蟲さん』、いないねー?」



「『あし』の生えた『ごほん』、ないないだねー?」



「こっちかなー?」



「そっちかなー?」



「それともあっちかなー?」



「どっちだろー??」



「「「うーん……うーん……」」」



 困ってしまった十体ほどの自動人形たちが、仲良く頭を抱えてフヨフヨと揺れる。



「こらー! うんうんフヨフヨやめなさーい」



 階下から監督している〈たいちょーの人形〉が、悩むばかりで手を止めている人形たちに喝を入れる。おもちゃのラッパを振り上げて、プンスカと飛び跳ねた。



「だって疲れちゃったー」



「たいちょー、なんにもしてないじゃんー」



「いいないいなー。『たいちょー』の役、ボクもやりたいー」



「「「ねぇー、かわってかわってー!」」」



 行方不明の禁呪書を探し回っていた一団が、辛抱途切れて階段へ身を横たえると、彼らは一斉に「やだやだー!」と駄々だだをこねだした。



「むー……っ!」



 集団サボタージュを食らった〈たいちょーの人形〉が、プルプルと小さな身体全体を震わせる。再び「こらー!」と、小鳥の鳴くような可愛かわいらしい声で怒声が飛ぶかと思いきや――



「――……今日はボクが『たいちょー』の役ってやくそくだもんー! ラッパ鳴らすのボクだもんー! やだやだやだー!!」



 突然「うわーん!」と泣き声を上げると、〈たいちょーの人形〉はどの自動人形よりも激しい駄々だだっ子振りを発露した。ピョンピョンと跳ねて地団駄を踏み、ゴロゴロと転がり回って全身で抗議する。



「……むぎゅ」



 そして、激しく転がり回った拍子に。


 〈たいちょーの人形〉が、書架と書架の間にできた隙間へ帽子をめり込ませてしまった。



「……。……わーん! 抜けなくなっちゃったー! たすけてたすけてー」



 〈たいちょーの人形〉の小さな靴が隙間からのぞいて、パタパタとばた足するのが見える。



「もー、なにしてるのー?」



「しょーがないなー」



「わがままだなー」



「「「よーいしょ、よーいしょ」」」



 トテトテとその場に集まってきた自動人形たちが力を合わせて、めり込んでしまった〈たいちょーの人形〉を引っ張り出そうとする。



「なんかひっかかってるー」



「いっしょにひっこぬけー」



「もーちょっとー」



「「「うーんしょ、うーんしょ」」」



 彼らが大騒ぎしていると、やがて書架の隙間から〈たいちょーの人形〉のつば広帽子がズルズルと引きり出されて――シュポン! と引っこ抜けた。



「「「きゃー」」」



 勢い余った自動人形の一団が、将棋倒しになってその場へ重なり合う。



「わー、びっくりしたー。みんなありがとー」



 フルフルと帽子を振ってほこりを落とした〈たいちょーの人形〉が、無垢むくな子供のように素直にペコリと自動人形たちに頭を下げた。


 その、視線の先に。



「……」



 乾いた獣の皮膚のように黄ばんだ表紙に飾られた、分厚い『ごほん』が転がっていた。


 開いた書面を下にして、オモテ表紙・ウラ表紙・背表紙の三面を全て上に向けている。『ごすじんさま』に見つかると「めっ」と注意される、『ごほん』が傷んでしまう広げ方。



「あー、いけないんだー」



 自動人形の一体が、『ごすじんさま』の言いつけを守って『ごほん』へ駆け寄る。


 瞬間。



「§£♯Å∬」



『ごほん』が、しゃべった。


 続けざまに、『ごほん』がゆらりと立ち上がる。昆虫のように細長い六本の『あし』は肉感が皆無で、ペラペラに薄い。所々で途切れているようにも見えるそれは、よくよく目を凝らせば書面からあふれ出した「文字」が空気中に物質化して連なったもの。


 〈切れ込み帽子の人形〉がひっくり返してしまった禁呪書が、それを探す彼らの前に再び姿を現したのだった。


『ごほん』と自動人形たちが、しばし無言で見つめ合い――



「「「……『蟲さん』、みーっけ!」」」



 彼らは一斉に手袋で『ごほん』を指差して、キャッキャと歓声を上げた。



「つかまえろー! それー!」



「「「わー」」」



 パッパラペッパップー!


 〈たいちょーの人形〉がおもちゃのラッパを思い切り吹き鳴らし、自動人形たちが一斉に蟲憑きの禁呪書へ飛びかかった。



 ***





「¶∽∂*∑;」



 蟲憑きの禁呪書が、「文字」で作り出した細長い六本足をワラワラとうごめかして螺旋らせん階段を駆け上っていく。



「とつげきー、とつげきー!」



 奇抜な容姿で逃げ走る蟲憑きの禁呪書と、可愛かわいらしい喧噪けんそうを上げてスタコラと追いかけ回す自動人形の集団。


 はたから見れば、何とも微笑ほほえましい光景にも見える。


 が。



「『やりへー』、いきまーす」



 禁呪書がちょうど、人形たちの集団より半周りほど螺旋らせん階段を先行した頃。〈傷んだ靴の人形〉が、ゴソゴソと服の中から何か取り出した。


 人間の成人男性が両手を広げた程度の長さの、おもちゃの槍である。



「ねらってねらってー……それー!」



 ヨタヨタとおもちゃの槍を振りかぶると、人形はヒョイとそれを放り投げた。


 ――ギュオン!


 そのおもちゃが人形の手を離れた瞬間――鋭い軌跡を描いて、「本物の槍」が空を裂く。


 ドスッと鈍い音を立てて、投擲とうてきされた槍が人形たちの所在する螺旋らせん階段からちょうど対角線上にあった書棚へと突き刺さった。


 無邪気な言動を取っていても、そこは〈三つ瞳の魔女〉が直々に縫い上げた人形たちである。ただ可愛かわいいだけが能ではない。その戦闘力は、決して侮れない。


 槍は蟲憑きの禁呪書の『あし』を一本切断することに成功する。が、本体はいまだ無傷。



「⊇∈∵ゞ」



 人形たちが追撃をかけるより先に、己に迫る危機を感じた禁呪書は塔の中心、中空の只中ただなかへと身を投げた。


 ヴヴヴヴッ。と、不快な羽音。


 開かれたオモテ表紙とウラ表紙から「文字」でできたはねを伸ばし、禁呪書が人形たちの目の前を緩やかに降下していく。



「あー! なにそれー!」



「ずるいずるいー」



「いいな、いいなー」



 一生懸命に上り階段を追いかけていた人形たちを置き去りにして、禁呪書は一転階下への逃げ道を切り開いた。取り残された自動人形の集団は螺旋らせん階段の縁へ駆け寄って、キャイキャイと歓声を上げるばかり。



「……むぎゅ!」



 そして幸か不幸か、蟲憑きの禁呪書の降下地点に一人居合わせていたのは、階下で「がんばれー」と声援を送っていた〈たいちょーの人形〉だった。



「わー、たいちょー、すごいすごい!」



「『蟲さん』捕まえちゃったー」



「『ごすじんさま』にバレちゃう前に、おかたづけ、おかたづけー!」



 そのままき物を払っちゃえとさえずる人形たちに、応えるように。


 奇妙なラッパの音がとどろいた。


 あの聞いていると気の抜ける、おもちゃのラッパの音色ではない。


 それは本式の管楽器に迫る迫力。気品高く、荘厳そうごんで、そしておぞましい、天使の吹き鳴らす終焉しゅうえんの笛の音のような。


 不気味な音色に合わせ、「パラパラ」とページめくれる音。


 禁呪書――忌み読書。知性あるものがそれを広げたが最後、知識の有無を問わずに“読まされてしまう”呪いの書物。


 たとえ自動人形であろうと、その例外とはなり得ない。


 ゴッ。と、階下の空気が膨張して塔の螺旋らせんに風が吹き上がった。


 〈たいちょーの人形〉に己を読ませた蟲憑きの禁呪書が、そこに書かれた古い術式を起動する。


 青く冷たい月明かりの差す、その影に。沈んだはずの陽光がのぞいた。


 万物を焼き払い、永遠に燃え続ける天の炎――その禁呪書の名を、〈太陽擬たいようなずらい〉。


 ひとたびそれが地上へともれば消す術のない、滅びの業火。



「わわわわ……」



「ど、どーしよー」



「『ごすじんさま』におこられるー……」



「おなべでグツグツの、ペロリだよー……」



 階上の人形たちは、どんどん強くなっていく「真夜中の日の出」の光を呆然ぼうぜんと見やり、魔女に叱られる のを想像してプルプルと震えるばかり。


 〈たいちょーの人形〉も、演算能力を全て禁呪書に乗っ取られて、最早もはや「こらー!」とも「うわーん!」とも言わずぐったりとなっている。


 万事休すかと思われた……そこに。



「ボクがいくー!」



 階下から照り上げる逆光を受けてのっしと立ち上がる、小さな人影が一つあった。


 〈切れ込み帽子の人形〉。禁呪書〈太陽擬たいようなずらい〉をうっかりひっくり返してしまった張本人である。



「おまえじゃムリだよー」



 弱音を吐いてみせるのは、彼のことをポコポコとたたき回していた〈傷んだ靴の人形〉。



「弱虫のおっちょこちょいに、できっこないよー」



「だまらっしゃいっ!」



 〈傷んだ靴の人形〉が、その声に驚いてピョイっと跳び上がった。眼前には、〈たいちょーの人形〉よりも堂々と胸を張り、手袋を腕組みさせて仁王立つ〈切れ込み帽子の人形〉の、覚悟を固めた男の風情。



「おまえ……」



「ここで逃げたら、ダメなんだよー! 『でなければ、私はアイツに合わせる顔がない!』 だから、ボクがいくったらボクがいくー!」



 一瞬、〈切れ込み帽子の人形〉の舌足らずな口調が、異常に流暢りゅうちょうなものに変わる。周りの自動人形たちが不思議がる前にそれは消えてしまっていたが、その頃には彼らの心は決まっていた。



「……よーし!」



「やるぞー!」



「がんばるぞー!」



「「「えいえいおー!」」」



 滅びの日の出を背に受けて、人形たちが小さな拳を振り上げた。



 ***





「Å∽§∑ゞ*∵¶∬♯∂;⊇∈£」



 〈たいちょーの人形〉を押し倒した蟲憑きの禁呪書が、「文字」でできた『あし』で人形の小さな身体を押さえつけ、パラパラと猛烈な勢いでページめくりながらじっとのぞき込んでいる。


 不気味なラッパの演奏は鳴りむことを知らず、激しくなっていくその曲調は「終曲」が間近であることを思わせた。


 ラッパの独奏が終わったときが、消えない業火に世界が燃え上がるとき。


 そんな中に。



「「「うーんとーこしょー」」」



 世界の危機の真っ最中に、無邪気な声が混ざり込んだ。



「「「どっこーいしょー」」」



 何とも脳天気で、ともすると楽しそうでもある子供たちの声。



「∵ゞ¶*?」



 蟲憑きの禁呪書が、そのにぎやかさに思わず釣られて、はてなと声のする方を向いた。



「うー! ゎーぃ……」



 声が前後に、行ったり来たり。



「もっとブラブラってしてー、もっとー」



「ほいきたー」



「「「よーいせ、よーいせ」」」



 人形たちのその小さな身体では、はるか階下へ降下した禁呪書を走って追いかけていては到底間に合わない。


 〈切れ込み帽子の人形〉の勇気に奮い立った自動人形たちは、奇策に打って出たのだった。


 十体ほどの人形たちが互いの靴をつかみ合ってズラリと一列に連結すると、彼らは螺旋らせん階段にしがみついた一体を命綱として、宙に飛び出してブラブラと大きな振り子運動を始めたのである。


 空中ブランコの要領で、掛け声に合わせて人形たちがそれぞれ身体をブラブラ揺らせば、先頭の人形は猛烈な速度で空中を往復する。



「「「きゃー、たのしー!」」」



 目的も忘れて、何体かの人形たちがキャッキャと楽しそうに声を上げた。



「こらー! キャッキャしてちゃダメー」



 〈たいちょーの人形〉に代わってそう叫ぶのは、連結の前から二番目で揺れている〈傷んだ靴の人形〉。



「「「はーい、ごめんなさーい……」」」



「よろしー」



 後列がシュンと黙り込んだのを 見てから、うむりとうなずいた〈傷んだ靴の人形〉が前を向く。


 彼が足をつかんで、人形たちの空中ブランコの先頭で風を切っているのは、〈切れ込み帽子の人形〉である。


 〈傷んだ靴の人形〉が、モジモジとしながら口を開く。



「あのねー、ビリビリ帽子ー」



「なーにー? ボロボロお靴ー」



「弱虫なんて言っちゃて、ごめんねー?」



 〈切れ込み帽子の人形〉が、後ろを振り向く。



「ちがうよー? 『蟲さん』お外に出しちゃたの、ボクのせいだもんー。ちゃんとおかたづけ できない子は、『ごすじんさま』に『めっ』ってされちゃうんだよー?」



 ケロリとしている彼の口調は、ポコポコとたたかれたことなどもう気にしてはいなかった。


 〈傷んだ靴の人形〉も、それに釣られてぱぁっと元気を取り戻す。



「おなべでグツグツ、やだもんねー?」



「ペロリと食べても、ボクたちおいしくないもんねー?」



 仲直りした人形二体が、クスクスと互いに笑い合った。



「「だからちゃーんと、おかたづけしなくっちゃー」」



 ……。



「「「いーち、にーぃの、さーん!」」」



 一際大きく揺れた人形たちの振り子が、頂点に達する。



「――それいけー!」



 〈傷んだ靴の人形〉が〈切れ込み帽子の人形〉の靴を手放し、その背中を声援とともに押し出した。



「えーーーーーーーい!!」



 〈切れ込み帽子の人形〉が、詠唱を終えようとしている禁呪書〈太陽擬たいようなずらい〉の下へと飛んだ。


 ……自動人形。


 …… 一針一針想いを込めて縫い合わされた人形たちには、魔女の思い出と感情が詰まっている。


 ……特に、“最初の人形”である彼には。


 ……それは呪いか。恨みか嫉妬か。あるいは祈りの感情か。それとも――。


 ……魔女自身にも無意識のうちに、その想いは彼の武器へと具現する。


 ――ギュオン!!


 魔女の両腕にすっぽりと収まってしまうほどの大きさだった〈切れ込み帽子の人形〉が、ゆがんだ鏡に映り込んだかのように急激に形を変え、一瞬のうちに彼を創った魔女の背丈よりも大きくなる。


 なめした革で編まれたブーツ。ぴっちりとしたロングコート。目深に被ったつば広帽子に、「得物」を握る大きなグローブ。


 ……魔女の使い魔。その正式名称を――〈狩人かりゅうどの人形〉という。


 ――カチン。



「……」



 〈切れ込み帽子の人形〉は、本来の姿でもって蟲憑きの禁呪書と交差した瞬間に、攻撃を終えていた。


 彼が振るう、魔女の想いを形とした武器――。


 ――それはかの暗黒騎士、〈東の四大主〉、〈魔剣のゴーダ〉の振るう〈カタナ〉に、うり二つ。



「∂¶ゞ∑∈……」



「文字」でできた全ての『あし』を一刀両断された禁呪書が、ふらりと倒れる。


 その先には、天窓から差し込む月光の青白い舞台。


 パラパラパラパラ。


 猛烈な勢いで禁呪書のページめくり戻り、最後にパタンと小気味よい音を立ててオモテ表紙が閉じた。


 ほこりのような粒子が噴き出して、月明かりを受けてキラキラと輝けば、それはき物が払われていくあかし。


 いつの間にか元の小人の大きさに戻った〈切れ込み帽子の人形〉が、月光を浴びた禁呪書へトコトコと近づいて、手袋でツンツンと突き回す。その背後では自律回路を再起動させた〈たいちょーの人形〉が、「うーん」と目を回しながら起き上がるところ。



「……『蟲さん』、やっつけたー!」



 〈切れ込み帽子の人形〉が、可愛かわいらしい声で勝ちどきを上げた。



「すごいすごーい!」



 〈傷んだ靴の人形〉が、いまだ空中でブラブラと振り子運動しながら歓声を上げる。



「やったやったー!」



「かっこいいー!」



「ばんざーい!」



 他の自動人形たちも小鳥のような声で騒ぎ立てる。そして最後の「ばんざい」に合わせて螺旋らせん階段にしがみついていた命綱役の人形がうっかり両手を離すと、空中ブランコになっていた人形たちが一斉に放り出されて宙を舞った。



「「「きゃー」」」



 ――魔女の使い魔、自動人形たち……禁呪書〈太陽擬たいようなずらい〉、お手入れ完了。



 ***





「あなたたちぃ? お仕事は片付きまして?」



 塔の最上層部から螺旋らせん書架へと下りてきた魔女が、さてそろそろ終わりましたかしらと辺りを見回した。


 〈禁呪書架〉に目を向ける。綺麗きれいに整頓された禁呪書の並びに、蟲の気配はもうどこにもない。き物払いは特に問題もなく済んだ様子。


 しかし魔女の呼びかけに、「はーい」と返事する声はない。



「? 坊やたちぃ?」



 小首をかしげた魔女が、人形たちを探してうろうろとする。


 そして。



「……あら、まぁ」



 書架の陰をのぞき込んだ魔女が、驚いた様子で口許くちもとに手を当てた。


 ……。



「ぐー、ぐー」



「すやすや……」



「すぴー……すぴー……」



 むにゃむにゃと寝息を立てながら、自動人形たちが山のように折り重なって眠りこけていた。


 まるで遊び疲れて、そのまま寝入ってしまった子供のよう。



「……ふふっ」



 それを見て思わずクスリと笑った魔女が、冷たい夜気に羽織っていたカーディガンをスルリと手に取る。



「何だか知りませんけれど、お疲れ様でしたわね。ゆっくり、おやすみなさい……」



 カーディガンをそっと人形たちにかけてやると、魔女は〈切れ込み帽子の人形〉に顔を近づけた。


 ……。



「……? ごすじんさま……?」



 人形が、寝ぼけた声で主人を呼ぶ。


 魔女は「しぃー」と唇に指を当てると、翡翠ひすいの左目をウインクさせた。


 次の瞬間には、〈西の四大主〉の姿は跡形もなく消えていた。


 ……。


 少しだけ〈魔剣のゴーダ〉に似せて作ったその人形に、魔女が口づけしたことを知る者は、この世界のどこにもいない。

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【書籍化記念SS】宵の国戦記 最強の暗黒騎士は平穏に暮らしたい 長月東葭/DRAGON NOVELS @dragon-novels

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