【書籍化記念SS】宵の国戦記 最強の暗黒騎士は平穏に暮らしたい
長月東葭/DRAGON NOVELS
〈四大主〉の宴
「――宴の席を用意させておる。ゆっくりしてゆくがよい」
「「「「お言葉に甘えさせていただきます、陛下」」」」
一糸乱れず、一同が声を
――魔族領、〈宵の国〉。中心地、〈
灰色の光に照らされた玉座の間には、出入り口が存在しなかった。
〈大回廊の四人の侍女〉――全身を白と黒だけの給仕服で包み、四角い頭巾に頭髪を
無音と静止に満ちた、
そんなこの世の果てのような場所で、ぽつんと据えられた孤独な玉座に身を沈め、能面のような無表情に
〈少女の姿をした何か〉……魔族たちの頂点に立つ者、〈宵の国〉の絶対君主、〈淵王リザリア〉その人である。
リザリアの金属光沢を
〈四大主〉。〈宵の国〉の四方を守護する、魔族軍最高戦力。四人の
「陛下の御
複雑な
「うふふっ、陛下……是非に、
真っ白な薄手のローブに身を包み、絹のように真っ
「おぉぉ、リザリア様……この老骨、ありがたき幸せにございまする……!」
深紅の
「御歓待の席、謹んで
そしてこの物語の主人公、金の文様細工の入った漆黒の
「そうか……そういたすがよい」
大理石のように真っ白な肌に、それにも増して
「無礼講であるぞ、〈四大主〉よ」
ゴーダたちが振り返ると、先ほどまで何もなかった
「――皆様、大変お待たせいたしました」
「――お席の御用意が整いましてございます」
全く見分けの付かない見た目に、更に全く聞き分けのできない同じ声で、〈四人の侍女〉が言葉を継いでいく。
「――お食事も品々
「――御注文を伺いますので、何なりとお申し付けを」
そして侍女たちが互いの動作を精密に合わせて、深く腰を折り、四つの美しい声を単一の声音に重ね合わせた。
「――どうぞ、心ゆくまでお楽しみくださいませ」
***
〈四人の侍女〉は〈四大主〉それぞれの
時刻は真夜中を過ぎた頃。人間とは異なる生活周期を送る魔族にとって、その宴の始まりはさほどおかしなことではない。
が、そこに一人、妙に尻の据わりの悪い者がいた。
「……」
「あら、ゴーダ、どうなさいましたの? 先ほどからもぞもぞと」
椅子の上に何度目かの居直りをかけたゴーダを横目に見て、ローマリアが不思議そうに言った。
「む、いや、何……普段は既に床に着いている時間でな。習慣から外れたことをすると、落ち着くまでが難儀だ」
腰に
「まぁ、
ローマリアが、「まぁ」とわざとらしく
「……悪いか?」
ゴーダは腕組みをすると、むっと不機嫌な表情を浮かべてローマリアを
「いいえ? 悪いだなんて、そんなことは思っておりませんわ、えぇ」
彼の眼光を見つめ返しながら、魔女がにこりと
「ただ、そう……まるで下等な人間のようなことをされますのね、と、そう思っただけですわ。うふふっ」
微笑に揺れていた美しい顔立ちがグニャリと
〈四大主〉とは、魔族として生まれた者が
その中でも、殊その出自の異常性でいえば、「元人間の転生者」という経歴のゴーダは抜きん出ている。
そのことを
「それはわざわざ、余計な世話をどうも。ついでに言っておくと、私の居心地が悪いのは決して睡魔のせいではない」
ゴーダの指の動きが止まり、そして魔女にじとりとした視線を投げつける。
「――なぜ貴様が私の隣の席に着いているのだ、ローマリア」
「あら、席が
さも不可抗力の結果であると言わんばかりに、ローマリアは小首を
「知っているか? テーブルの向かいにはまだ空席があるぞ」
早々と席に着いている二人の向かい側、身を乗り出しても半ばにすら指の届かない大テーブルの
「……んふふっ」
「いいえ、席はここしか
ローマリアがクスクスと小馬鹿にして笑う。眼帯の下に隠れた右目も
「……嫌な女だ」
ゴーダは思わず眉間に手をやった。
「ふふっ、そう言う
***
深夜から始まった宴の席は、延々と続いていた。
玉座の間には代わり映えしない灰色の光が差し込むばかりだが、ゴーダが最後に懐中時計を
「
広大な長方形の大テーブル、玉座に最も近い上座に〈淵王リザリア〉が頬杖を突いて座している。
上座に次いで、最年長のリンゲルト、「〈宵の国〉最強」の称号を持つゴーダが向かい合って座っている。リンゲルトの隣席、はるか下座にカースが構え、対してローマリアは手を伸ばせばゴーダに触れるほど近くに椅子を寄せて
〈四人の侍女〉は、それぞれが〈四大主〉の席の真後ろに
「カカカカッ! いや愉快や愉快!
カタカタと音を鳴らして歓喜しているのはリンゲルトである。白骨の顎を大きく開き、空っぽの
「――リンゲルト様、おかわりは
リンゲルトの接待を担当している侍女が、すっと席の横に歩み出た。
「おぉ、これはかたじけない!」
教皇が侍女へ、空になった杯を差し出す。そこへ向けて侍女が手にした
リンゲルトはそれを、一息に骨だけの
「うむ、甘美! 野馬の生き血というのは格別ですじゃ」
「――お口に合いましたようで、何よりにございます」
教皇の
「――
そう口を開いたのは、リンゲルトを接待していた侍女か、それともカースに付き添っている方の侍女だったか。余りに同じ音色の声は、それすら判然としない。
話題に出されたカースと呼ばれた男はといえば、ナイフとフォークを器用に使って野馬の肉を生のまま口に運んでいる。
「確かに美味です。我らは〈森〉に住くうものの肉以外は
相当に個性的な食事をそれぞれ楽しんでいるリンゲルトとカースに対して、ゴーダはといえば極めて標準的で人間的な食事をしていた。
白磁の皿に盛られた煮込み肉と
「……」
グラスに
わずかな音も立てずに
「……あら、なぁに? そんなにジロジロと見て」
彼の視線に気づいた魔女が、淑女然といった態度で言った。
「それも何かの嫌みのつもりか?」
暗黒騎士の目線が、魔女の顔からテーブルの上へと下がる。
ローマリアの前には、彼が注文した品々と全く同じ物がもう一組並べられていた。魔女は自分の専属となっている侍女へではなく、ゴーダに付いている侍女にわざわざ同じコース料理を二人分回すよう告げていたのだった。
「
「ああ、特にお前とはな」
「まぁ、
魔女の用命を受けた侍女が姿を現すのを待ちながら、何でもないというふうにローマリアが続ける。
「わたくしはわたくしで、別の注文をしたかったんですの。ですからこの中で一番食事の趣味が合う
「安心しろ、間違ってもそれはない」
「あら、そぉ」
ローマリアが
「――大変お待たせいたしました、ローマリア様。御注文のお品をお持ちいたしました」
ローマリアが
「アはっ! まぁ、嬉しぃっ! 取り寄せてくださいましたのね」
暗黒騎士への関心を
「――はい。百八十年ものの〈
カラン……と白磁の皿を鳴らしたのは、ゴーダの手から落ちたスプーンだった。
「なん……だと……っ」
「んふふっ、
侍女から受け取ったボトルに頬ずりしながら、ローマリアが幸せそうに喉を鳴らした。
「ややっ、ローマリア、〈火葬酒〉じゃと! 貴様、いける口か!」
がたりと椅子を鳴らして立ち上がったのはリンゲルトである。その酒に目がないのか、幽鬼のような目をじっとボトルへと向けた。
「あら、御老体もお好きですの? うふふっ……それでは一杯、お付き合いいただけて?」
「やめろ! その酒を開けさせるな……!」
慌てたゴーダが静止の腕を伸ばしたが――時既に遅し。その手は虚空を
高等術式〈瞬間転位〉。魔女の
トクトクと小気味よい音を立てて、酒がボトルから杯へと
「んふっ、カースもいかが?」
続いてカースの真横に瞬間移動したローマリアが、ニコニコと勧める。
「? 知らぬ酒ですが……いいでしょう、いただきましょう」
「よせ! それは本当に
「うふふっ、それでは……かんぱぁいっ」
彼の静止も
「……」
無言の内に、生肉の盛られた皿に顔面を埋めて卒倒したのは〈
「ぷはぁぁ……カカカカッ!」
幽鬼のように笑ったのは、〈渇きの教皇リンゲルト〉。その
「アはぁっ……
「……やってしまった……!」
まるで目の前に悪夢を見るように、〈魔剣のゴーダ〉が頭を抱え込んだ。
〈火葬酒〉――その名に恥じぬ、〈宵の国〉原産の最強最悪の度数を誇る酒である。
***
昼を
「ヨヨヨイ……ヨヨヨイ……!」
どこかの怪談話に出てくるような、恨めしげな
「ヨヨヨ……〈四大主〉がこうして集い、杯を交わしておれるのも、ひとえに〈淵王〉陛下の御人徳あったればこそ……! この老骨めは幸せにございます! 〈宵の国〉万歳! ヨヨヨっ!」
〈火葬酒〉にやられたリンゲルトが、骨だけの両手で顔を覆って周囲の目も
この亡者は、先ほどからやれ「侍女の接待が素晴らしい」だの、「この食器はいついつの時代の名品である」だの、他の三人に向かって「貴様らは
「リンゲルトの泣き上戸が出てしまった……」
困り果てたように、ゴーダが頭を抱えている。
「ヨヨヨ……ゴーダ、何じゃその冷たい目はっ。貴様、年寄りに好きに酒も飲ませてはくれんのか! ヨヨヨイ……っ」
「そうやって酔い潰れたお前を毎度背負って送り届ける羽目になる私の身にもなれ……!」
「ヨヨ……近頃の若いもんはまこと老いた者に冷たいわい、ヨヨヨ!
「……何をどう見たらそうなるのだ……」
前方、テーブル向かいのリンゲルトにゴーダが
「いいかリンゲルト、私は女を酒で
「――ふぅっ」
突然、耳の裏と首筋に、生ぬるいそよ風が吹いた。
「はっ?!」
その感触に、思わずゴーダが飛び上がる。それに次いで、吸い込むだけで泥酔してしまいそうなほどの濃い酒の臭いが立ちこめる。
「ゴォーダァァ……」
ローマリアが、ゴーダの肩と腕にだらりともたれ掛かり、
「もぉぉ、なんれすのぉ? 黙ってばかりじゃありませんか……つまらないれすわぁっ」
その手には悪名高き〈火葬酒〉がボトルごと握られていて、魔女はそれを直接ラッパ飲みしている始末だった。
ずいと身を寄せてくるローマリアに、ゴーダはひくりと頬を引き
「っ……私が寡黙なのではない。お前が騒がしいだけだ!」
「んもぉっ、わらくしが何れすってぇ?」
魔女の
「相変わらず面倒な酔い方をする女だと、そう言ったのだ! いちいち絡んでこないでくれ……っ」
「だから
「ゴーラが構ってくれませんわぁっ。目の前にこんなにいい女がいますのにぃ……この
頬を酔いに赤らめているローマリアが、がばりとゴーダに抱きついて、うだうだと彼を揺する。
「ええいっ、
「えぇ……? へーかがぁ? そうれございますのぉ、リザリアさまぁ?」
ローマリアが
「ふむ……構わぬ。
一切の感情を表に出さないリザリアだったが、その無表情の下でこの場を面白がっているような揺らぎが
「ふふっ、れすってぇ、ゴーラァ。ねぇえ?
にへらと表情を崩して、魔女が前後に身体を揺する。絡みつかれたままのゴーダは掛けている椅子ごと左右に振り回され、頭がぐらぐらと左右に踊った。
「くっ……手に負えん……!」
「ほらぁっ、
〈火葬酒〉のボトルを突き出しながら、ローマリアが軟体生物のように四肢を絡みつけてくる。かすかに漂う香水の甘い香りと、強烈な酒の臭い。長い黒髪のさらりとした肌触りに、ローブの薄生地の感触。はだけた布の下から
「貴様……幾ら何でも油断し過ぎだぞ! 酔っているとはいえ、誰彼構わずそんなふうに無防備を
「――わたくしだって、相手ぐらい選びますわ」
「っ!?」
ゴーダの肩に両腕を回したまま、ふいにローマリアが至近距離から真剣な声と眼差しを向けた。
「リンゲルトにも、カースにも……こんなことしませんわ。こんな
「う……むぅ……」
「
「何をいきなりそんな――」
「どうですの、と
「……それは……」
ローマリアに詰め寄られ、ゴーダはいつの間にかもごもごと言葉に詰まっている。
「……私は男尊女卑の考え方は好かん。お前以外の女にまで、こんなに冷酷に接したりなどせん……」
「ふーん……ふぅーん?」
「こんなことを、わざわざ言わせるな、たわけ……」
「……ふふっ」
クスクスと嘲笑した魔女の
「ゴーダ……――ゴォーラァ」
そして眼前のローマリアの顔が、へべれけの酔っ払いの表情に再び崩れた。
「はっ?!」
「ゴォラァ、飲んれましてぇ? 飲みなさぁいっ」
ボトルを振り回して、ローマリアが満面に酒乱の相を浮かべる。
「くっそ、こいつ……やはりただの酔っ払いか!」
「つきあいの悪いお方にはぁ……こうれすわぁっ」
ぐびりとボトルを傾けて、ローマリアが口に〈火葬酒〉を含む。
そして魔女はそのまま、酒に湿った唇を暗黒騎士の
「っ! な……! やめろ! こっちにくるな!」
ゴーダの静止を無視して、ローマリアは唇をどんどん近づけてくる。
「ん……」
「やめろ……やめろ!」
「んー……」
「……やめろぉぉぉっ………」
――ゴクリ。
目を閉じていたローマリアの耳に、喉の鳴る音が聞こえた。
ゴクゴク……ゴクン。
はてなと魔女が
「っ……ぶはっ……!」
中身を空けた暗黒騎士が、袖で口を拭う。
「あらぁ、良い飲みっぷりれすわねぇ!」
それを見て上機嫌になっている魔女を
「ふ、ふふ……どうだっ、これでもう、お前も馬鹿な
手からボトルがすり抜けて、ガシャリと割れる音が聞こえる――それを最後に、彼の記憶はぶつりと途切れた。
***
――宴の始まりから、三日目の深夜。
「――
「――陛下も大変喜んでおいでにございました」
「――長くお引き止めいたしましたこと、御容赦くださいませ」
「――楽しんでいただけましたようで、私どもも
精密に等間隔で整列した〈四人の侍女〉が、深々と腰を折り、美しいお辞儀をしてみせる。
「――またの御来訪、我ら一同、心よりお待ち申し上げております」
そして四つの声音が一つに重なり、単一の音色に溶け合った。
〈四大主〉も、高位の存在らしい堂々とした
ずずんと重低音が響き、〈淵王城〉の巨大な門扉が閉ざされた。
「……う゛っ……!」
その振動が
「嫌ですわ、ゴーダ……悪酔いを引き
ローマリアが、品性を疑うような目をゴーダに向ける。
「やれやれ、酒の加減も分からんとは……これだから
リンゲルトが
「リザリア陛下の
カースが参ったように
「貴様ら……
三人から糾弾され、ゴーダは説教の一つでもかましたいところだったが、
あれほど泥酔していたにも
ローマリアが彼の横を素通りしたとき、魔女の
「ふふっ……あんなに乱れた
「……? 何のことだ?」
ゴーダが眉をひそめる。
「あら? あらあら……
「ちょっと待て、一体何のことだ。何の話をしている」
「ゴーダ、宴が始まってから
「は? な……三日? 三日経っていたのか?! そんな馬鹿な……!」
慌てて懐中時計を
「〈火葬酒〉……本当にあの酒は……!」
「それでは、わたくしもこの辺りでおいとまいたしますわね」
「待て! こんな訳の分からんまま引き揚げるつもりか貴様!」
「あら、わたくしはちゃぁんと分かっていますもの、んふっ」
「くっ……
「さぁ? どうですかしら?」
「私は覚えていない! 私は何もしていない! 間違ってもお前に手を出してなどいないからな!」
「うふふっ、えぇ、
「くっ……!」
「それでは、御機嫌よう、
「……ローマリア!」
最後の最後、ゴーダは意地もプライドも捨てて説明を求めようと手を伸ばしたが、もうそこにローマリアの姿は影も形もなかった。
「っ……有り得んっ。私が、酒に飲まれて間違いを犯すなど……っ、絶対に信じないからなぁぁぁっ!」
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