第6話 教室の一幕
九月二日。
県立如月高校は、始業式翌日にもかかわらず、半日とはいえ授業が始まる。
「……」
元々勉学に興味のない瑞池が元気がないことなどいつものこと。常ならば、泰生や順平もいつものこと、と気にすることなどない。
「なんかさ。いつに増してヤツれてないか?」
いつもは愚痴る程度の元気さは残しているのだが、今日は口を開く元気すらないと言わんばかりに表情も暗い。
「授業が始まるまでは寝ていたい……」
「いや、あまりだらけない方がいいぞ」
「なら、授業中まで寝ていたい」
「余計に悪くなった!?」
まぁ、こんな馬鹿な話をしているうちは大丈夫だろうと、順平はやや安堵すると同時に何があったのか興味が湧いた。
「昨日はやっぱ宿題を片付けてたのか?」
「あー、まぁそれもあるね」
「"も"?」
まさか本当のことを全て話すことはできないので、「ま、やることは色々あるってこと」と手をヒラヒラ降って受け流す。
順平の返事を待たずに、瑞池は机に突っ伏して寝る態勢を整える。
始業まであと十分。
充分な睡眠など期待すべくもないが、多少はマシだろう、と思い目を瞑る。
しかし、
「あまりだらけてるとせっかくカバーした成績に障るぞ」
その一言が耳に障った。
「成績ィ?」
少々、ムッとしたような言葉だった。
瑞池は自分の成績に頓着していない。
そんなもので自分の価値が決まるなどと思っていなかったし、将来など気の持ちようでなんとかなると疑っていない。
順平はそんな心の裡を知ってか知らずか、なおも言葉を投げる。
「お前がどうするのかわからないし、大学に行かないかもしれないが、決まっていないなら選択肢は多いに越したことはないさ」
瑞池にとって順平は「いいヤツ」ではある。しかし、口にすることは難解で説教くさいところがあり、それには多少辟易していた。
だから、その話を全て聞き流す。
「ま、立派な人間になれるようにしろってことだな」
聞き流すつもりだったのに、その言葉にドキリとしてしまった。
表情が強張ったとこを気がついたのか「言い過ぎたなら謝るけど」と口にしたが、瑞池は首を振って「いや、そうじゃない」と答える。
瑞池はこんなこんな言葉を思い出した。
「竜の力を得るためにお前は人間であることを辞めたんだ」
瑞池の力を見てこんな言葉をぶつけた一人の魔法使いがいたことを。
(俺は人間として生きていけるのか?)
昨日は全くと言っていいほどに修行の成果は得られなかった。
しかし、この修行を地道に続けて、もしこの先に竜の力を自在にコントロールできるようになった時に、「自分は人間である」と胸を張って答えることができるのだろうか?
「ジュンペイはやっぱ大学に行くのか?」
さほど友人の興味を持ったわけではない。
ふと首をもたげそうになった不安を誤魔化したかった。
「なんか、したいことでもあるのか?」
ただ方そう聞くと、順平は照れ臭そうに「まぁな」と笑う。
それは何なのかを問う前に、順平は勝手に口にする。
「キャンパスライフだよ」
「は?」
「大学のキャンパスライフなんて一度は憧れるモンだろう」
「ってそれだけ?」
らしからな物言いに、少し肩透かしを食らった。
順平を非難するわけではないが、瑞池には試験や課題に追われる日々があと数年伸びるのが楽しみだという感覚は同意しかねる。
「なんか建設的な動機はないの?」
「残念ながら」
そうは言っても順平にはそれを負い目と感じている様子は見受けられなかった。
「今の俺には高尚な目標も、詳細なキャリアプランなんかないからさ。
出来るだけ良いとこに行って、選択肢を増やしたいんだよ」
「選択肢ねぇ」
そういう意味では瑞池はもう躓いた。
魔法使いと戦い、魔法の修行を行い、これからも命を狙われる。
取られる選択の幅には、すでに大きな制限がかけられていると行っても過言ではない。
自分はどこへ向かいどこへ行くのか。
魔法使いに言わせれば、この夏休みに瑞池は人間ではなくなった。
その自覚は瑞池には一切ない。
一切なかったのだが、自分の進路と重ねたときに気づく。
今まで考えてこなかった。
しかし、人間でなくなった今になって、人間としてどう生きるのかが、切実な問題となろうとしている。
なんとも皮肉なことか。
「なぁ、瑞池。本当にどうしたんだ?
いつもならそんなに深刻にならないだろ?
俺が進路の話とかしたら『進路? いや、バラ色だろバラ色。……ところでバラってどんな漢字だっけ?』とかいうキャラだろ。
両親になんか言われた?」
「俺はそんなバカなことは言わない」
確かに漢字で薔薇とは書けないけれども。
いや、ひょっとすれば、昨日まではそう口にしてたかもしれない。しれないが、今日はそんな気分にはならなかった。
※
その一つ上の階にある三年五組の教室。くしくも同時刻に同じような一悶着が起きようとしていた。
「美影ちゃん」
「実里」
そう言ったのは狭川実里。同級生で、人懐っこい性格と小柄な体格が相まって、子犬のようだとクラスの女子のアイドルであった。
「どうしたの? それ去年の教科書だよね。もう復習してるの?」
「……貴方、高三の夏休み終わった後にそんなこと言われるなんて思わなかったわ」
そのリアクションに満足したのか、実里はクスッと悪戯っぽく笑う。
「冗談だよぉ。私もこの夏休みは流石に勉強したもんね。
私ね、美影ちゃんに聞きたいことがあったんだよ」
「聞きたいこと?」
しかし、答えを促すと急に勢いが萎んだようにモゴモゴとする。
「なによ、らしくないわね。ズバッと訊きなさいよ、ズバッと!」
イラッとした美影の声に、実里は一瞬怯んだが、「ず、ズバッと!」と美影の言葉を反芻し、意を決したように口を開いた。
「美影ちゃんが男の人とお付き合いを始めたってウワサを聞いたんだけど……ホント?」
一瞬、美影の脳は機能を停止していた。
それほどまでに実里の質問は、唐突で、予想外で、破壊力を秘めていた。
「何よ、そのウワサは‼︎」
その鋭い声に実里はビクリと身体を震わせる。
そして、周囲が一斉に振り向いたことに気がつき、我に帰る。身を隠すように背中を丸めて、「誰が言ってたのよ」と小声で耳打ちする。
「えっと、間違いなの?」
つられるように実里も小声で確認する。
「間違いも間違い。根も葉もないし、ついでに実もない」
小声ながらも力を込める。否定の意思がヒシヒシと感じられる言葉だった。
「そ、そうなんだ」
少し安堵したように、しかし少し残念そうに表情が緩む。
「じゃあ、昨日の放課後に男と密会してたとかーー」
「ふんふん」
「帰り道に男の人と帰ってたとかーー」
「ふん?」
少し風向きが怪しくなだだことに気付いたが、少し遅かった。
「千年桜の木の下で告白していたとか、そういう話はウソなんだね」
「……」
今度は美影が言葉を詰まらせる番である。
明らかな変化に実里も怪訝そうに顔を見た。
「えっと、それはウソではないけど、ウソでもあるというか……」
「え、どういうこと?」
「いや、とにかく詳しく話せないけど、お付き合いがどうこうという話でもなくてだね」
「美影ちゃん!!」
つい、しどろもどろになる美影を実里はビシッと制する。
「ズバッと言いなさい!ズバッと!」
「ぐぅ」
どう話したものか纏められずにいると、実里が「ひょっとして……」と口を開く。
予知や計測の魔法など持たないが、嫌な予感が背筋を走った。
「目撃された三回とも、違う男の人と一緒だったんだね!」
「はい?」
何を言い出したのかわからず、思わず聞き返した。
「特定の男性ではなくて、取っ替え引っ替えしてたんでしょ」
「人を尻軽みたいに言わないでよ!
全員同じ男だったわ!」
「へぇ、やっぱりおんなじ人なんだぁ」
ここに来て、嵌められたことに気がついた。
時々、こんな質の悪い引っかけをする。
「と、兎に角。そんなんじゃないのよ!屋上にいたのも、帰り道が一緒だったのも」
「桜の木の下で告白したのもたまたま?」
「そう! ……ってか告白じゃない!」
実里の顔には「ひっかからなかったかー」と不満の様子がありありと出ている。
これでは子犬というよりも子猫だ。
「そ、そうよ。私は学内奉仕部でしよ。
あの子が入るって言ってるから手を焼いてあげてるのよ」
「そうなの?」
正確には、監視するために無理やり連れ込んだのである。しかし、この状況でそんなことを馬鹿正直に話したりはしない。
「そうよ!」
ピシャリと無理やり終わらせようとしたが、「でも、その男の人大変だね」と美影は言った。
「え? 何でよ」
美影としては放置できない一言に訊き返す。
「ひょっとしたら、男の人には下心があるのかもしれないよ」
「え?」
「だって、美影ちゃんと二人っきりで手取り足取りでしょ。完全な男の子なら意識するなっていう方が無理でしょ」
「いや、それは……」
そんなことはあるはずもない。
(私はアイツの保護者ってだけだし……)
それに万が一、そうなっても美影にはその意思はない。
今はつるんでいるとはいえ、彼女は魔法使いで彼は竜なのである。
どういう関係を築こうが、最終的に行き着く場所は敵対でしかないのだから。
「うん、ないよ。やっぱりないわ」
セブンワンダー 2 あらゆらい @martha810
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