第5話 練習

「さて、今日やる宿題は終わったかな?」

「ういー」

 完全に机に突っ伏した瑞池が壁の時計に目を遣ると時刻は深夜二時を回っていた。

 当然のことであるが、夏休みの宿題全てを一日、いや一晩で終わらせることなど不可能である。

 よって、香坂美影完全監修の下で宿題解消スケジュールが組まれることとなった。

「数学は終わりました……」

「よし。じゃあ今日はこのくらいにしときましょうか」

 優しげな美影の言葉に、瑞池は危うく安堵の声を漏らすところだった。

宿

 その言葉で安堵感は消え去り、代わりに背筋に氷を入れられたような寒気が走った。

 間違いない。

 この後に、彼にとって素敵な何かがやってくるなどという都合のいい展開はない。

「ちょっと待ってよ。その言葉からすると……」

 そんな怯えた態度に、ニヤリと笑うと「ご明察」と呟いた。

「えぇ、今からちょっと魔法の修行に入ってもらうわ」

「今何時だと思ってるんだよー。明日でいいじゃん」

 ドSめ、との言葉は辛うじて飲み込んだ。

 そんな駄々をこねるような言葉に美影は「駄目よ」とピシャリと言った。それは、有無を言わさない強制の意思が感じられた。

 瑞池が黙ったのを確認する。

「アンタね。自分の体に爆弾がくっついてるってわかってる?」

 その言葉で息を呑まざるを得なかった。

「私がいつでもいるわけじゃないのよ。ある程度コントロールの練習をしてもらわないと困るわ」

 そう言われると流石の瑞池もそれ以上は渋ることはできない。

「でも、修行って何をするんだい?」

 魔法なんて漫画やアニメ程度の知識しかない瑞池は、さっぱり何をしていいのかわからない。

「特別に気負うことなんて何もないわ。さっきまでやってたことと変わらない」

「?」

「学校の勉強も、スポーツのトレーニングも、魔法の修行も変わらない。

 目的を明確にして、そのための計画をたてて実行し、その結果から計画を修正する」

 魔法使いのくせに、やたらと科学的な手法を好むのも彼女の性質だった。

「でも、俺何したらいいのかさっぱりなんだけど」

「アンタには、まず、その竜の力を完全に断つことができるようになってもらうわ」

 言われてもピンとこない瑞池は首を傾げるが、そんな瑞池を置いてけぼりにして美影は話を進めた。

「アンタには十分以上に封印はかけてあるけど、それでも周期的に魔力が漏れ出ることがある。

 その流れを掌握してもらわないとこの町の大結界から攻撃対象にされかねないの。学校に通うっていうなら、それくらいなんとかしてくれないとね」

「漏れでてるの? 魔力」

 そんなこと考えたこともなかった瑞池は、身体を捩っていたるところを観察したが、さっぱりわからない。

「ま、普通の魔法使いでも、そうそう分からない魔力だけどね。流石にこの町の防衛システムまでは誤魔化せないわ」

 そう言って、どこから取り出したのか線香に火をつける。

「何それ」

「見てればわかるわ」

 その言葉通り、変化はすぐに現れる。

 漂う煙は瑞池の肌に触れたときに濃い朱色に染まる。

「それも魔法のアイテムなのか?」

「法魔香って言ってね。

 特殊に加工した香草をすり潰してから線香みたいに加工したものよ」

 どうも、その煙は魔力に触れると色を変える性質を持ち、魔力が持つ波長によって色を変える性質を持つのだという。

「ちなみに私は空色になる。こんな風にね」

 法魔香から立ち上る煙を右手で遮るようにかざすとその部分から青く染まる。

「ふんふん。私とは違う系統の色みたいだから混ざって見えなくなることもないみたいだね」

 そのことに満足したように束ねた法魔香を大きく二、三度振って煙を体に纏わせた。

「見てなよ」

 そう言って、空いた左手を突き出すと先ほどより広い範囲で青く染まった。

「このコントロールができれば、魔力を広げることができるし……」

 その言葉と反応するように大きく青が広がり、

「魔力を完全に抑えることもできる」

 その言葉に反応するように青色の煙が白く染まった。

「この辺は初歩の初歩。ある程度練習すればすぐにコントロールできるようになるわ」

「魔法ってそんなに簡単なの?」

 思ったよりもお手軽で驚いたが、美影は「そんなはずがないでしょう」と呆れたように言う。

「というよりあなたの場合は特殊なのよ。大抵の場合、一番の問題は魔力なんて常識では計り知れないものをいかに掌握するか、っとことだからね」

 彼女曰く、人の常識という奴はなかなか強固がんこで、魔法や魔力の存在を認知した程度では崩れたりしない。

「けど、あなたは図らずも『竜』と融合したしまったから。その工程が一気に短縮できた」

 実を言うと、瑞池の体からは今も微量に魔力が漏れ出ている。

 もちろん美影の封印が施されてはいるが、それでもなお完全に抑えきれない魔力が彼の体にある。


 否、正確には竜の魔力が。


「でも、今まで全部美影さんにやってもらってたことたぜ。今更なんだって……」

「あのね。竜ってのがどれだけ希少で強大かはこの夏休みで嫌ってほど思い知ったでしょ。

 危険視する人間もいるけど、ほとんどの魔法使いからしたら喉から手が出るほど欲しいものなの。

 当然だけどうまく隠さなきゃ、命を狙う魔法使いが押し寄せてくることだって考えられる」

「だから力の使い方を覚えろってこと?」

 そのためにまず必要なのは竜の魔力を抑えることなのだということが、瑞池には意外だった。

「てっきり、街一つを吹き飛ばすくらいの技とか使えるようにするのかと思った」

 冗談めかして口にしたが、美影はその冗談を笑うことはない。むしろ、見るからに不機嫌となる。

「……そんなことを冗談でも言わないで」

 その言葉が少し以外で、瑞池はたじろぐ。

「いや、まぁ、不謹慎だったかな」

 反省したかのような態度にため息をつきつつもそれ以上は言及しなかった。

「で、修行ってことだけど。抑えつけるって簡単に言うけど、それってどうしたらいいんだ?」

 その質問の代わりに「はい」と応えて一つの紐のようなものを見せる。

 それは白、赤、青の3色の紐を縒って作られたもので、長さは20センチくらいだろうか。

「何これ?」

「ミサンガよ。知らないことないでしょ」

 その同意を求めるような美影だったが、生憎だが瑞池はあまりそのことに詳しくない。

 部活動とかで「みんなで優勝目指して頑張るぞ」という時に使うおまじないである、という知識程度は持ち合わせている。

 素直にそのことを告げると、「そのくらいで充分よ」と、そのことに対して気を悪くすることはなかった。

「でも、ミサンガに力があるなんて聞いたことなかったけど」

「そりゃ、そこらの女子高生が作った程度じゃそんな効果はないわ。

 でも、"おまじない"も魔法の一種だからね。ちゃんと材料や工程を工夫して、魔力を込めて編んだらかなり効果があるわ」

 それに加えて材料も特殊で、ナナカマドの葉や根などの霊草、銀などの鉱物、鯨の髭などの生体などを繊維に加工し、魔法的に強化したものをり合わせて作られている。

 実のところ、その見た目に反して、見る人が見れば、かなりの逸品であった。

「ミサンガねぇ……」

 が、哀しいかな。

 所詮は素人の瑞池が、美影の手の中にある紐を見ても、それが凄いものであると言うことは微塵も伝わらない。

「で、これが一体なんの役に立つの?」

 そんな情緒もない質問にもう慣れつつあるのか、その質問に答えることはなく、手にしたミサンガを瑞池の右手に巻きつけると「set」と呟く。

「ーー!」

 その後の変化は劇的で、煙の色が朱色が濃く、大きく広がるのがわかる。

 そして、煙だけではない。先ほどよりも手がほのかに温かくなったのを感じ取れた。

「このミサンガは私が掛けた封印の拘束をほんの少し緩めることができるの」

「これが僕の魔力?」

 正確には竜のだけど、と美影は律儀に付け加える。

「これからあんたには皮膚感覚を頼りにこの魔力の流れを掴んでもらう。

 そうね、今晩中に今漏れてる程度の魔力くらいは安定化してもらいたいわ」

 その安定化というものがどのような状況なのか分からない。

 そして、その安定化とやらの難易度の高さはもっとわからない。

「……それって、今晩中にできないとどうなるの?」

 その質問にニコリと微笑んだ。

「聞いてみたい?」

 ……続きは恐ろしくて聞くことができなかった。


(今日は眠れないかもなぁ……)

 彼は予知の魔法の才能は無いはずだが、奇しくもその予感は的中することとなる。

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