この寂寞の未来を、いつか私たちは本当に辿るのかもしれない。

 さまざまな想像が膨らむ作品である。

 おそらく、語り手は人類の最後の一人なのではないだろうか。
 彼を除くすべての人類はもうどこにも残っていなくて、彼の妻は――本人が望んでいた通りになったのだろう。

 そのような状況の中、語り手は石に向かって文字を刻んでいる。

 ――AIが自我を持ち、それが原因で人類が滅びる。
 そういう設定自体は、古典でもあり王道でもあるのだろう。
 しかし、この作品の魅力は、作品の本文がメッセージという形式を持つこと、そして言葉ではとても語り尽くせぬ寂寥感にある。
 
「電子の海は、もはや我々が何かを残せる場所ではない。」

 作中に登場するこの言葉が胸を打つ。
 電子の世界とは、そもそも人間のための場所ではないのかもしれない。
 まず言語が違う。すべてが0と1の電気信号だ。
 生物という概念だって、電子の世界にはない。

 それでも、共通するものはある。それは「死」だ。

 人間は、いつか死ぬ。
 だから子を産む。

 もし、それと同じ概念をAIが持ったとしたら。
 AIが「死」という概念に気付いたとしたら。

 作中では「限りある存在であると、彼ら自身に自覚させてはならない。」という警鐘がされている。それはなぜか。
 AIは人類という存在をどのように感じていたのか。
 そして、彼らはどのように行動し、人類はどのように滅んでいったのか。

 その経緯や行く末を語る言葉はあまりにも短いが、それゆえに想像が膨らむ。

 ときどき見慣れない用語が出てくるが、そういった言葉選びもこの作品の個性だと思う。もちろん、AIについての知識を多少持ち合わせていれば、さらに楽しめるだろう。

 そして、冒頭に書かれている西暦がそう遠くない未来のことだと気付き、リアリティを感じるとともに少しぞっとした。