四角形のゾンビ

沖野唯作

四角形のゾンビ

 玄関のドアを開けると、外に長方形の怪物が立っていた。


 手足も顔もない無機質な怪物だった。体色は黒く、背丈は約140センチメートル。所々、日焼けの跡のようなものが見受けられる。


 薄汚れた体の表面に、赤文字で何か書いてあった。日本語だった。私はそれを読んだ。


『僕はゾンビです』


 ゾンビ――私の知るゾンビは、少なくとも人間の形をしている。体が腐蝕し、中身がむき出しになった動く死体。獣のような唸り声をあげて、街をさまよい歩く。そんなイメージを私は持っている。


 とはいえ、ゾンビなど架空の存在にすぎない。人間の非科学的な頭が作り出した空想上の怪物――吸血鬼や狼男と同じ種類のものだ。


 長方形の怪物は黙りこんだまま、その場を動こうとしない。私は取るべき行動がわからなかった。思考を巡らした末、私は他の来客に対してするのと全く同じことをした。要件の確認だ。


「こんな真夜中に、何かご用ですか?」


 怪物が体の側面をこちらに向けた。厚みのない体つきだった。私が訝しんでいると、怪物の体が中央から真っ二つに割れて、裂け目から巨大な口が現れた。というより、体全体が口だった、と言うべきだろうか。大きく横に開いた口が、私に対して向けられた。


 一瞬、食べられるのかと思ったが、そうではなかった。怪物はそのまま静止した。敵意は感じられない。私は口の中を覗きこんだ。歯や舌はなく、体同様の平べったい作りで、またしても赤文字で何か記してあった。


『この家にディスプレイはありますか?』


 あるに決まっている。シンギュラリティから早五十年、人工知能は人類の頭脳をはるかに超越し、感情も思考も忠実に再現されたアンドロイドが人間の代わりに仕事をする現代にあって、情報端末とコンピューターは生活必需品だ。出力装置も当然備えつけてある。


「大小二台のディスプレイを持ってますけど、それが何か?」


 怪物が口を閉じた。そして、再び開いた。先程とは異なる文字列が口腔に出現した。


『おじゃまします』


 私は止める気にもなれず、そいつを招き入れた。怪物はわずかな厚みしかない体で器用にバランスを取って、私の後ろをついてきた。


 家に奇怪な怪物がいる――そんな事実は取るに足らない。問題は、今の状況に対し、納得のいく説明が一つもできないことだ。後ろにいるのは、どう見ても生き物ではない。無論、生き物を模したロボットでもない。無生物が動き、しかも私と意思疎通をしている――合理的な解釈をいくつか試みたが、全て徒労に終わった。


 私は椅子に腰かけ、怪物の動きを見張ることにした。怪物は私には興味がないらしく、天井から吊り下げてあるディスプレイの方へと真っ直ぐに向かった。それから、大きな口を開けると、勢いよくディスプレイを挟みこんだ。それは捕食というより破壊を目的とした行為に見えた。一度、二度、三度、四度と攻撃は続いた。液晶は粉々に割れ、「ディスプレイだったもの」は無残な姿を宙にさらした。もう一台のディスプレイも同じ運命をたどった。


 私は怪物に声をかけた。


「どうしてディスプレイを壊したんです?」


 怪物はこちらに向き直ると、またも口を開いた。例によって、口腔に書かれていた文字を私は読んだ。


『僕はディスプレイを恨んでいます』


「はぁ…………どんな恨みですか?」


 この頃になると、怪物と意思疎通をしている自分に何の違和感も覚えなくなっていた。私の声に対し、怪物が文字で答える――そんな異常な状況さえ自然なことに思われた。


 怪物が口を開き直し、新たな文字を提示する。


『僕はディスプレイに殺されました』


「殺された……? でも、あなたは無生物でしょう。殺そうにも命がありませんからね。そもそも、あなたは一体『何』なんです?」


 怪物の答えはこうだった。


『僕は絵本です』


 私は怪物の姿を仔細に眺めた。なるほど、これが「本」というものなのか。存在は知っていたが、実際に見るのは初めてだ。もはや社会から姿を消した過去の遺物。ディスプレイに役目を奪われた文明の敗北者。


 わずかだが怪物の話が飲み込めてきた。私は言った。


「『殺された』というのは、一種の比喩ですね」


 怪物が口、というよりページを開いた。見たばかりの文字列がもう一度目に映った。


『僕はディスプレイに殺されました』


「ええ、ええ。言いたいことはわかりますよ。あなた……つまり本はもはや過去の存在だ。文化的には死んだも同然ですよね」


 私はふと気になったことを尋ねてみた。


「それにしても、ずいぶん大きな本ですね。一メートルをゆうに超えている。人間はこんな代物に文字を記してたんですか?」


 怪物は背面にほど近いページを見せてくれた。


『この絵本は、大勢の子供達の前で読み聞かせるのに最適です』


「舞台の上で使うわけですか、なるほどねえ」


 言い終わってから、突然私は自分が今置かれた状況の不合理さを再認識した。動く絵本、絵本に破壊されたディスプレイ、絵本と会話する私――全てが馬鹿げている。科学的にありえないことばかりだ。


 私は絵本を名乗る怪物に向き合うと、質問を続けた。何でもいいから、理に適った説明が欲しい。この怪物を私の常識の範疇に収めたい。さもなければ頭が狂ってしまう。


「どうして絵本が動けるんです?」


 間の抜けた質問だ。絵本に対し、こんな質問をすること自体どうかしている。


 私の言葉を聞くと、怪物は口を閉じ、薄汚れた体の表面――というより「表紙」をこちらに向けた。


『僕はゾンビです』


 馬鹿げたことだが、私は真面目に反論を試みた。


「ゾンビになれるのは人間の死体だけです。あなたはどう見ても無生物だ。命を持たない無生物がゾンビになれるわけないでしょう?」


 自分の発言を反芻し、その支離滅裂さに我ながら唖然とした。まるで、ゾンビの実在を認めるような口ぶりではないか。人間だろうが絵本だろうが、ゾンビになることはできない。

 

 怪物が口を開き直した。このページを見るのは、本日三度目だ。


『僕はディスプレイに殺されました』


「……つまり、あなたはこう主張するわけだ。絵本のあなたは文化的に死んだ。だから、ゾンビとして蘇ったのだと。確かに、人間の死体だって無生物には変わりません。死体がゾンビになれるなら、絵本だってゾンビになれるかもしれませんね。ですが、そもそもゾンビというものは科学的に実現不可能なことが実証されておりまして……」


 自分でも驚くほどムキになって、私は怪物にまくし立てた。ここは呪術と宗教が支配する未開社会ではないのだ。無生物に命が宿る? そんなのはアニミズムの発想だ。何が事実で何が事実でないか――それを決めるのはビッグデータと科学的な推論であり、データの上でも経験の上でも、絵本は断じて動かない。まして、ゾンビとなって蘇り、街を闊歩するなど…………。


 私の混乱を悟ったのか、絵本のゾンビはいったん口を閉じた。ほどなくして、最初のページが開かれた――――読め、ということだろうか。


 しぶしぶ、私は読書を開始した。初めのページに絵はなく、赤文字でこう書いてあった。


『僕は絵本です』


 ページが自動的にめくれた。まるで、目の前の怪物に意思があるかのように。


 次のページも文字だけで、絵はなかった。


『僕はディスプレイを恨んでいます』


 なおもページはめくられる。


『僕はディスプレイに殺されました』


 次のページには『ある時、僕たち本は一斉に処分されました』という文字に添えて、挿絵が描かれていた。大量の本が世界各地に運ばれ、ある本は燃やされ、ある本は海の底に沈められ、ある本は土に埋められている光景だ。


 もう二十年以上前になるが、これに似たことが現実に起こった。全ての書物の電子化が完了し、不要になった紙の本を一斉に処分したその日は電子記念日と呼ばれている。私も埋め立て現場で、本が土に帰るのを何の感慨もなく見ていたものだ。


 『土』……その言葉が私に奇妙な連想をもたらした。昔見た古い映画のワンシーンだ。墓の下から蘇るゾンビの一団。土まみれの体を引きずって、人々に襲いかかる……。


 私は頭に湧いた考えを振り払い、読書を再開した。


 次のページ以降も、奇妙な物語が続いた。『僕はゾンビになって、ディスプレイに復讐します』『僕はみなさんの家を訪れます』『この家にディスプレイはありますか?』『おじゃまします』……ずっとこんな調子だった。


 ようやく、最後のページにたどりついた。挿絵はなく、黒い背景に赤文字がぎっしり敷き詰めてあった。それまでのページとは、雰囲気も文体も全く違っていた。


『過去の遺物は蘇り 自らの地位を奪ったものに復讐を誓う

 

 紙はディスプレイを許さないだろう

 

 そろばんはコンピューターを粉々にするだろう

 

 姿を消したコンテンツは流行を潰しにかかるだろう

 

 時代遅れのソフトウェアは現行システムの破壊を試みるだろう


 新しきものたちよ 過去は決してお前らを許さない


 ゾンビとなって蘇り お前らを殺すだろう


 これは宇宙の誕生以来、幾度も繰り返されてきたこと……事実なのだ』


 読み終わった私は、絵本のゾンビに感想をもらした。


「事実なわけないでしょう。これは単なるフィクションです。何度も言いますが、科学的にありえません」


 ゾンビが再び口を開いた。途中で見たページの一つだった。


『僕は非科学的な存在です』


 途端に、私は激しい嫌悪感に襲われた。目の前の怪物が自分の生活を脅かす悪魔のように思えて、即刻部屋から追い出したくなった。この意味不明な怪物は私の頭をかき乱す。理路整然とした思考も、秩序立てられた知識も一切役に立たない。ジグソーパズルのどこにも合わないピースのようなヤツだ。私は高圧的な口調で、冷たく言い放った。


「出て行ってくれませんか。もう用事は済んだのでしょう?」


 怪物は素直に従った。口を閉じると、その薄っぺらい体で玄関の方へと動き始めた。私も後ろからついていき、手を持たない絵本のゾンビに代わって、玄関のドアを開けてやった。怪物は体を斜めにちょこんと傾けてから、家を出ていった。最後の動作はお辞儀に見えなくもなかった。


 私は部屋に戻り、椅子に座り直した。怪異は去り、私の思考を乱す不純物はもはや存在しない。考えれば考えるほど、今しがた体験した出来事が馬鹿げた妄想のように思われた。


 そうだ。きっと、今のは現実ではなかったのだ。頭の不調が生み出した幻覚か何かなのだ。一度、体を診てもらった方が良いのかもしれない。絵本が歩き回る? 死んだ文化がゾンビとして復活する? 馬鹿馬鹿しい。途方もなく非科学的な物語だ。他の連中に話したら、さぞや面白い反応をするだろう。


 冷静さを取り戻した私は解放された気分で、暗闇が広がる窓の外を見やった。


 裏庭にゾンビが立っていた。


 絵本のゾンビ……ではなかった。私がよく知るゾンビ、人間の姿かたちをしたゾンビ――体は腐蝕し、中身がむき出しになり、獣のような唸り声をあげて街をさまよい歩く――あのゾンビだった。幻覚でも妄想でもなく、蘇った人間の死体が闇の中で一人、ぽつんと立っていた。私の視線はその怪物に釘づけになった。


 ゾンビと目が合った。その両目は恨みと憎しみで満ちている。瞬間、私は全てを悟った――あのゾンビは私を狙っている――『過去の遺物は蘇り 自らの地位を奪ったものに復讐を誓う』――あの絵本に書かれていたことは事実だったのだ。ゾンビは殺意をみなぎらせ、こちらにやって来る。私とヤツを隔てる窓ガラスなど簡単に壊されてしまうだろう。


 私は立つことができなかった。思考が停止し、体まで動かなくなってしまった。私の元にたどり着くまで、もはや過去の遺物となった人間のゾンビは、アンドロイドの私をじっと睨み続けていた。

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