第16話 闘病中に考えた努力について

闘病中(とはいっても、完全なる自業自得なのだが)、走馬灯のように公認会計士試験に挑戦した日々が脳内を駆け巡った。そして、ドラゴンボールおっさんは努力について考えた。自分が合格出来ないのは、努力が足りなかったせいなのか、でも、自分よりも圧倒的に勉強時間(努力)が少なくても涼しい顔して合格していった受験生も沢山いる、それとも、自分は努力の方向性を誤っていたのか、そもそも努力ってなんだ????


巷では『努力不要論』という書籍がベストセラーになっていた。しかし、ドラゴンボールおっさんは、この地獄のような苦しい状況(病気の方じゃなくて、試験に合格出来ない方な)から抜け出す唯一の手段を『努力』だと考えていた。おっさんの愛読書 少年ジャンプの世界では、悟空もベジータもナッパもみんな修行(努力)して強くなっているじゃないか?!!お釈迦様が地獄に垂らしたくれた一本の蜘蛛の糸、地獄からの唯一の脱出経路である努力、そして、何より今の自分にとっての唯一の心の拠り所である努力を不要とバッサリ切り捨てる書籍。ドラゴンボールおっさんはこの書籍を毛嫌いし手に取ってみることはしなかった(そして、合格して数年が経つ今でも開いてみたことはない)。


しかし、考えてみたら野球選手が野球の練習をするのは努力と言えるのだろうか??職業を全うするために必要な準備をしているだけであって努力しているわけではないような気がする。何より彼らは野球が好きだから野球を職業に選択し、その野球をしている。努力どころか好きな事をやっているだけにも思える。仮に普通の人が100練習するところを毎日120やって、その差額20の積み重ねでプロ野球選手になれたというのであれば、努力とは単なる差額概念に過ぎないのか??手塚治虫は死ぬ直後まで漫画を描いていたという。その行為は誰よりも漫画を上手に描くための努力なのだろうか、それとも、心底漫画が好きで漫画を描きたいから描いているだけなのだろうか。夢を叶えるゾウの著書である水野敬也氏は著書の中で、人間は好きな事しか続ける事が出来ないと書いている。自分にとってそこまで好きな事ってなんだろ??それが会計士試験の勉強ではないことだけは明らかである。では、嫌いな事を嫌々頑張ることが努力なのだろうか??それも違う気がする。


しかし、一つだけ確かな事がある。クソ公認会計士試験に挑戦すると決めたのは他でもない自分だ。そう、自分は自分で決めた事をやっているに過ぎない、したがって、自分がやっていることは努力などではない!!合格に必要なのは、合格最低点を上回る事が出来るだけの知識量とそのアウトプット力のみである。脳内に立ち込めていた深いモヤがキレイに晴れて色んなものがリセットされた瞬間だった。


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スナフキン会計士 受験仲間 ドラゴンボールおっさん編 @dounikanarusa

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