安繁町
春之之
安繁町(短編小説)
大体準備をしたら腹が減るものだ。俺もそうだ。クーラーが聞いているから汗はかいていないけれど、使ったエネルギーを補給してくれと言わんばかりに空腹を感じる。部屋は随分と片付いた。この重なっている大量の段ボールをマンション入り口のゴミ捨て場に置きに行かないといけないし、そのついでに前のコンビニで何かパンでも買って食べよう。なんとなくカレーパンが食べたい気分だ。あのサクサクの衣に、ドロッと流れてくるカレールー、噛んだ瞬間に鼻を突き抜ける香りがたまらなく好きなのだ。
靴を履いて段ボールの束を担いで下に降りる。段ボールを投げるようにドサっと置いた後、俺は腹に入れるものを求めてコンビニへ向かう。途中ある横断歩道で止まっていると、この住宅街でも結構人が多い。それにみんな、何やら楽しそうに笑っている。この安繁町は人口が減りつつあるのが当たり前の昨今で珍しく、年々居住者が増加している町なのだ。各いう俺も大学を卒業して職も見つからず、親に資金援助だけしてもらってフリーターとして引っ越さないといけなくなったところでこの町を知って、興味を持ったのだ。年々人口が増えている安繁町。きっと福利厚生がしっかりしているとか、治安がいいに違いない。横断報道が青になる。通りかかった小学生(ランドセルを背負っているからそうだろう)が笑顔で「おはよう、ございます!」とあいさつをしてきた。俺は戸惑いながらも手を振って返事をした。こんなに素直な子、俺が通っていた大学周りにはいなかったし、実家にもいなかったなぁ。改めてこの町の良さってものを体感した気がする。
コンビニに入ると冷気が出迎えてくれる。俺の入店に気づいた店員が物凄い笑顔で「いらっしゃいませ!」とハキハキとした声を発した。店員を見つめると、物凄い笑顔でお客さんに接していた。さっきの子どものときはかわいいと思ったけれど、大人もああなのか。それほど労働環境もいいってことか。だったら家から近いし俺もここでしばらくは生活費を稼ぐのもいいかもしれない。さて、お目当てのカレーパンカレーパン……。
あれ? ない。カレーパンが売り切れている。
「……なんだこのアンパン推し」
思わず声に出てしまった。自分が求めていたカレーパンはPOP(商品の名前と値段が書いてある紙)こそあれど、そこに商品はない。それよりもその隣からずらーっとアンパンが並んでいるということだ。食パンよりも並んでいるスペースが広いのはどうにも異常だった。
餡子が名産だったりするのかな? そういうとこ詳しく調べなかったからわからないけれど、カレーパンが食べたかったのに今更他のパンを食うのもなんか癪だ。んー、他のパンもあんまりだなぁ……。
「いらっしゃいませー!」店員の大きな声が聞こえた。思わず声の方を見てしまうと、恐らくさっき入店したであろうガラの悪そうな身体のデカいおっさんがカゴを乱暴に取ってこちらに向かって歩いていた。急いでいるのか鼻の穴を大きく開けてこちらに来るので、自分に用があるわけがないが迫力があって思わず怯える。大きく開けた鼻で向かってくるのでまるで突進してくるカバのようだ。あのおじさんこの辺の人だろうか? だったら当分は呼び名はカバオだな。今後俺がここでバイトすることになったら毎日のように会うに違いない。そんな冗談を頭に浮かべるとカバオは俺の隣に来て持っているカゴに何個もあんぱんを入れていく。なるほど、こういったお客さんがいるから大目に発注しているのか。おっさんは他のパンに目もくれずあんぱんばかりをカゴに入れてそれをレジへ運ぶレジに置いてすぐ「いやぁ、腹減っちまってな。お腹空きすぎて泣きそうだぜ」なんて冗談を言っていた。レジの人もそんな冗談にほほ笑んであんぱんをレジを通していた。カバオの言葉で思い出した。俺も腹が減っているんだった。しかし、カレーパン以外のパンへの欲求が膨れてこないので、仕方ないのでカップ麺でも食うことにして、カップ麺のコーナーへ行く。ここはわりかし普通。やっぱり餡子が名産であるだけっぽい。俺はこの中からカレーうどんのカップ麺を選んで購入した。家に戻るのも面倒なので、コンビニの中に設けられているイートインコーナーで食べてしまうことにする。お湯を注いで携帯で時間を確認して三分後を待つために席を見つけて座る。すると一席空いた隣に不良っぽい男が座っていた。前言撤回、よく見ると紫の口紅をつけてつけまつげもあるいわゆるヴィジュアル系バンドにいそうな男だった。男はその紫の唇でカレーパンを頬張っている。あの人に買われたから俺はカレーパンを食い逃したのか! と感じて思わず睨んでしまう。食べ物の恨みは根深い。
すると、視線に気づいたのか向こうもこちらを見てきた。向こうも俺の前に置いているカレーうどんが気になるらしい。というより何か驚いている。もしかしてあいつ、本当はカレーうどん食べたかったのに、なかったから仕方なくカレーパン食っていたりするのか? いや、普通にあったぞカレーうどん。見落としていたとしたらバカだろ。それとも違う理由。
「おい」
すると声を掛けられた。やべえ! ヴィジュアル系怖ぇ!
「お前、あんぱん食わないのか?」
「はぁっ?」
意味不明の質問に俺も思わず首を傾げてしまう。しまった、ヴィジュアル系にタメ口っぽい返しをしてしまった。これはキレられる。今出来上がったアツアツカレーうどん頭からかけられるに違いない。
「ちっ、その反応だと新住人か」
俺はもう怖すぎて、「そうですそうです」という気持ちで何度も首を縦に振る。
しかし、どうやらこのヴィジュアル系は俺に対して言ったというよりは独り言だったらしく俺の方なんかまったく見ていなかった。しかし、また俺の方を睨む。
「いいか、一つ忠告しといてやる。公園には行くな。この町の中央公園だ。そこに行ってない奴らはみんな少なくても普通に生活は出来る。一応、俺は忠告したからな。ちっ」
舌打ちした後、ヴィジュアル系は残っているカレーパンを口にほおり込み、席を立ってコンビニから去っていった。店員のまた笑顔いっぱいの「ありがとうございました!」が店内に響く。俺はカレーうどんの蓋を開けて啜った。やっぱりカレーの香りとカップ麺用に薄くしているうどんの食感はたまらなくおいしい。そういえばあの人だけあんまり笑顔じゃなかったな。まぁ、俺が会った人達がたまたまそういう人だっただけか。それに「普通に生活できる」ってのはどういう意味なんだろうか? 公園にやばいものがあるのだろうか? 外国の基地とか? それだともっとニュースで話題になってもいいだろうに……。これ食べ終わった後行ってみるのもいいかもなぁ。
食べ終えて、公園に行ってみようか悩んだが、いったん家に戻ることにする。自分の部屋のドアをあけようとした時、隣から声がした。
「もしかして引っ越してきた人かな?」
少し白髪がちらほら見える太めのおじさんの姿がそこにあった。おじさんは俺を見つけてどんどん近づいてくる。
「おれ、この隣の部屋に住んでいる増岡っていうもんですわ」
大阪あたりから引っ越してきたのだろうか。関西弁っぽいイントネーションで話すおじさんだった。
「君は?」
「えっと、水瀬っていいます」
「ほぉー水瀬くん。今朝引っ越してきたばかりだよね」
「え、えぇ」
「あぁ、ごめんごめん。おれ、こうやって人と喋るの好きでなぁ、たまぁーにしゃべり相手はおらんかなぁってこの辺散歩したりすんのよ。今回は君が捕まったっちゅうわけやな。はっはっは」
増岡さんはそういって豪快に笑った。俺は笑っていいのかわからずに苦笑いした。
「あっ、そうだ。えっと、増岡さん」
「なんやなんや、水瀬くん」
「公園って何があるんですか?」
俺は気になっていたことをこのマンションの先輩である増岡さんに問い詰めてみようと思った。いざ行くにしても、なんの前情報もなく行くのもあれだし、これで危険なところだったら今なら足を踏み入れるのをやめることが出来る。
「あぁ、あそこな。中央公園。せやなぁ、あそこにおるおっさんにおうたら要注意やで。おれも落とされた口やからなぁ。やばっ、思い出して腹減ってきたわ。あぁー、すっごい腹減った。やばいなこれ」
お腹を擦りながら増岡さんは笑って言う。
「ごめんなぁ水瀬くん。えっと、また今度おうち呼んでえな。お隣同士やしな。じゃあちょっと家でおやつでも食うわ。じゃあねぇ」
そういって増岡さんは笑顔で自分の部屋へと戻っていった。俺も部屋に戻って少し布団で横になった後、やっぱり公園の正体が気になって、向かうことにした。
公園に入ってみると、とても心地のよい場所だった。草木も多く、噴水などもあり、納涼として優秀すぎる効果を発揮していた。春先なのに少し熱かった外なのに、ここはクーラーとはまた違う涼しさを感じさせる。だからだろうか、ベンチに座っているここからも、笑顔で燥いでいる子どもやデートをしているカップルなどが笑顔で過ごしていた。
「やっぱいいなぁ、この町」
なんであのヴィジュアル系はここに行くな。なんであんなことを言ったのか。
「よっこいせっと」
隣から声と一緒に香ばしい匂いがする。見てみると、何やら大きなカゴを持ったお爺さんが隣に座っていた。しかし、なんだろうこの、香ばしくも甘い香りは……。
「よいしょっと」
お爺さんは何やら準備し始めた。それを見つけた人達が少しずつお爺さんの周りに集まってくる。みんなとっても笑顔でお爺さんが準備を終えるのを待っている。
「お待たせ、あんぱんだよ」
お爺さんのそんな言葉で周りに集まっていた子どもたちはキャーキャーはしゃぎ始めた。他にもランニングしていた人やデート中のカップルもうれしそうだった。お爺さんは一人ずつ順番にあんぱんを配っていた。えっ? お金は? 取らないのか!? 隣のおじいさんは持ってきた大量のあんぱんを売るのではなく配っていた。それを受け取った人達は笑顔でそれを頬張っていた。周りでみんながあんぱんを食べ始めるから餡子の香りもしてきて少し食欲が刺激され、腹を手で擦る。
「おや?」
お爺さんが見上げるように俺を見つめる。
「どうしたんだい? お腹が空いたのかい?」
お爺さんのきれいな瞳がこちらの目を凝視してくる。まるでその目に吸い込まれるような。そらすこともできなかった。
「えっ、えぇ。ちょっとお腹空いちゃいましたね。おかしいなぁ。さっきカレーうどん食ったばかりなのに」
「よかったら、このあんぱん。食べますか?」
そういうとお爺さんはあんぱんを差し出しながら俺の肩に手を置いた。すると、不思議と安心してしまい、このあんぱんを食べたいという気持ちになってしまった。
しかし、この時、思い出す。増岡さんの言葉だ。お爺さんには要注意。きっとその要注意のお爺さんとはこの人のことだろう。だったら、この人からあんぱんを受け取ることが、あのヴィジュアル系の言っていたなのか? いろいろ考えるけれど、頭の中がどんどんあんぱんへの衝動に駆られていく。腹が減っているというより、あんぱんを食うために腹がスペースを作っているかのような気さえしてくる。俺はいつの間にかもうお爺さんからあんぱんを受け取ってしまっていた。少し手が震える。けれどそのあんぱんに魅了されている自分がいた。お爺さんに肩を触られてから、このあんぱんを拒絶出来ない何かを感じた。口の中はよだれのようなものが分泌され続けた。お腹はどんどんとスペースを作り、早く迎え入れろとばかりに鳴く。
「じゃ、じゃあ……。いただきます」
自然とそんな言葉が出て、あんぱんを一齧りする。焼きたてだからか、パンはとってもモチモチで温かくて、しっとりしている中に餡子の甘味が強すぎず、弱すぎず絶妙に口の中に広がっていく。これは、やばい。
「美味しい!」
「うん。やっぱり美味しいものを食べるとみんな笑顔になるよ」
お爺さんはそういって笑顔で微笑んだ。その笑顔を見て俺は一瞬怯えた気がしたが、彼の顔を見て俺もすぐ微笑み返した。お爺さんはまだ残っているあんぱんの入ったカゴを閉じて移動して行った。俺はなんとなく満たされた気分になって部屋に戻って、そのまま眠った。
「ほら、美味しいあんぱんだよ」
「僕は今蕎麦が食べたいよ」
「大丈夫。あんぱんがあれば笑顔になれるよ。ほら、僕の顔をお食べ」
そう言って目の前のあんぱんは自分の手で自分の顔を千切り、それを渡して僕は食べる。美味しい。けれど、目の前のあんぱんは欠けてしまった。けれど、周りの人はとっても笑顔だった。僕も欠けたあんぱんの顔を見て、思わず笑顔になってしまった。
「ははっ! 笑顔になったね。君も一緒に踊ろう。あんぱんを食べた人はみんな友達さ。さぁ、あんぱんを食べよう。あんぱんはみんな大好きな甘い甘い天国さ」
「あんぱん。あんぱん。あんぱん。あんぱん。あんぱん。あんぱん。あんぱん。あんぱん」
「あんぱん。あんぱん。あんぱん。あんぱん。あんぱん。あんぱん。あんぱん。あんぱん」
みんなが合唱する声から何度も何度も反響して聞こえてくる。だんだん自分でも何を考えていたのか、わからなくなって――
「……っ。いやいや」
目を細めて窓から差し込む光を見る。どうやら朝のようだ。布団でだらだらしていたいが、腹も減ったからコンビニに行く。戻ると買ったあんぱんを開けてそれをもしゃもしゃと食べた。
「そろそろ自炊用にいろいろ買いこんどいた方がいいな」
そう思った俺は、着替えてスーパーに向かうことにする。今日は前のコンビニにバイト募集していないか電話をしてみないといけないのだ。これからこの町で始まる新生活のための準備を着々と進めていく。口の中には、餡子の甘い匂いがして、奥歯の歯茎についた餡子が中々取れなくて取ろうと試みる度にクチャっと音を立てた。
「お前……」
「あぁ、貴方は。えっと、お名前は……」
「南部だ」
「すみませんでした。南部さん。こんなところで奇遇ですね」
「お前、昨日公園に行ったか?」
スーパーで偶然あのヴィジュアル系に会う。名前は南部と言うそうだ。南部がなぜそのようなことを聞くのか俺にはわからなかった。
「あんぱん。好きか?」
「えぇ、今もこうしてつまみ食いしている程度には」
「そうか。行ったんだな……」
南部さんは少し悲しそうな顔をしていた。買い物ついでにあんぱんを食べることの何が悲しいのだろうか?
「じゃあな。昨日のお前は俺を睨んでくれる、いいやつだったよ」
「さようならー!」
俺は猫背でスーパーを去っていく南部に大きく手を振ってバイバイした。
南部がなんか悲しそうな顔をしているのは、なぜだろう? お腹が空いていたのだろうか。
俺は手に持っていたあんぱんを口へ放り込む。そのまま買い物をつづけた。買い物をしている自分がなんだかとても楽しくて、お腹も空いていないからか、口角が上がっているのを感じる。買い物がこんなに楽しいことだなんて、今まで気づけなかったな。
「増岡さん。どうぞどうぞ」
「いやぁー悪いねぇ。どうだい? ここに来てそろそろ一か月くらいだろう?」
「はい。前のコンビニのバイトも決まってなんとか生活できそうです」
「そうかそうか。この町はどう?」
「素晴らしいですよ。想像通り福利厚生もいいですし、治安もいい。労働環境も素晴らしいですし、みんな笑顔で楽しそうです。本当にずっと笑顔でこっちまで楽しくなっちゃいますね」
「あぁ、この町は最高だよ。まだ笑顔に慣れてない奴もいるけどな。……悪い水瀬くん。ちょっとお腹空いちゃったよ。何かお菓子とかないかい?」
「増岡さん。いくらおじさんでも図々しすぎませんか? しょうがないですねぇ」
俺は席を立って冷蔵庫の方へ向かう。
「最近見つけたんですけど、冷やしたのも中々ありなんですよね。初夏も漂うこの季節だと特に」
「あぁー腹が減ってきたぁ! 早く持ってきてくれやぁー」
急がす増岡さんに俺はまた笑顔になって冷蔵庫を開ける。中には何個もストックしてあるあんぱんが入っていた。
安繁町 春之之 @hiro0525ksmtc
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