最終頁 優しさの本質

 ノベラニアを呼ぶ魔法、イリスユニテ。

 その行使が終わる時。


 私達は『全書ぜんしょの館』に戻る。


 世界の全てが記録された場所。

 世界層の間にある、あの大きな館。


 この世を生きたすべての人の記録が保管される、終着点。


 ――けれど、今回が最後。


 私は自身の身体が魔素化し、運ばれていく中、そのことをはっきりと感じていた。


 そもそも、私は病気でとっくに死んだ身。

 むしろこうして生を繋いでいっていることが異常なのだ。


 しかし、何の因果か秘術であるイリスユニテの対象になり、人生の続きを顕現という形で繋いでいくことになった。


 生前は短い人生だったから、顕現の度に色々なものを見て、色々なことを体験できたことは嬉しかった。

 一族の産んだものが、どうやって広まっていったかを時折確認できるのも喜びだった。

 



「お帰りなさい。アイリア」

 

 見る方向によって色が変わる、現世では一度も見たことがない髪。

 全てを見抜くような瞳には、優しさの光が灯っている。

 すらりとした長身に、白いドレス。


 全書の館の館長は、深い赤色のソファから立ち上がり、私を出迎えた。


「そして、お疲れ様」


 その言葉に、私は崩れ落ちてしまいそうになるのを堪えるので精一杯だった。

 彼女が言う『長い間』の意味が深く突き刺さったから。 


「どうぞ座って?」

「……はい」


 自身と向き合うソファに私を促しながら、館長は再び座る。

 私は震える足取りで従った。


 柔らかい座り心地は、どんな富豪のもとへ顕現しても経験したことのないもの。

 けれど今は、その心地よさが嬉しくなかった。


「今回は随分と無茶な旅だったみたいね。貞淑ってわけじゃない貴方だけれど……それでも驚いたわ」

「て、貞淑じゃないって……」


 まあ……あまり否定はできない。


「『全書』から呼び出されて、依り代に顕現するノベラニア達。ここで色々な例を見てきたけれど、イリスユニテを無意識で行使する子は初めて。その顔だと悪い旅では無かった……のかしら」

「……良い旅だったと思います」


 これが最後で良かった。

 心の底からそう思えるほどに。


 でもだからこそ。


「……っ……」


 私は頬を伝うものを止められなかった。

  



 叩き起こされるような衝撃と合わせて、呼び出されたあの夜。


 久しぶりに顕現してみると、ピンク色の服を着た野獣が今回の書士だった。

 

 随分な変人に呼び出されてしまった。

 行使を拒否しようか、そんなことを思ったほど。


 けれど。


 流れ込んでくる魔素はとんでもない量なのに。

 あの量をいきなり流されて、私自身に痛みが走らなかったのは驚愕だった。


 むしろちょっと心地よくて、温泉に入っているみたい。

 変な声が出て、思わずひどいことを言ってしまったけれど。

 恥ずかしかっただけで、本当は全然嫌じゃなかった。


 だから、興味が湧いた。

 初級者には似つかわしくない魔力。

 私を呼べるだけの素養。

 その不思議な魔素の質。


 同時に誰かを守りたい、という暖かくて強い気持ち。


 私はそれを無視できなくて、そしてなぜか気分が高揚して。

 初日から定義文を見せてしまった。


 今思えば、浮足立ってた。

 素敵な出会いだって、予感があったから。


 ……恥ずかしい。

 なんかほんとに、小娘じみてるとは自分でも思う。

 


 でももっとふわふわとした気持ちになってしまうこともあった。


 彼は私を、極当たり前に、何の疑問も挟まずに、人として扱ったのだ。


『えっと……』

『ぐーって引っ張るんだ』


 あの美味しい牛乳パンを渡された時。

 彼は私が袋の開け方がわからない、そう思ったらしい。


 でもそうじゃない。


『魔法が物を食べるのか』

『必要でない時は姿を見せないでほしい』

『言葉を話す必要はない』


 人生経験の長い書士達でも……いやそうだったからこそ、容赦の無い言葉達。

 戦う時でさえ、横に並ぶことを拒絶されたことすらあった。


 けれど、彼はそんなことを一言も言わなかった。

 

 ユカリはノベラニアについてそれなりに詳しかったみたいだった。

 だから、食事をすることも分かっていたんだと思う。


 けれど彼はそうではなかった。

 そうではない人が……普通に接してくれた。


 私が食べる様子を見て、少し微笑んですらいた。


 あの鈍感な書士はきっと、今も分かっていないだろう。


 それがどれだけ珍しいことなのか。

 その行動が、どれくらい私の心を打ったのか。



『君と一緒にこっちで過ごす人でいたい』



 その言葉が、私をどれくらい喜ばせたのか。


 

 彼の魔素が心地よい理由を、私はその後少しずつ理解することになった。

 

 やたらと美味しい料理も。

 妙に様になっている格闘術も。

 

 彼はいつも近付こうとするのだ。


 相手を理解しようと。

 相手と、理解し合おうと。


 拒絶を繰り返し経験してきているはずなのに。

 悲しいことだって少なくないはずなのに。


 何か役に立てないだろうか、何か近づけるきっかけはないだろうか。

 それを一生懸命考えて、行動に移している。


 一度、どうしてそこまでするのかって聞いてみたことがある。

 そうしたら、彼は照れくさそうに言った。


「人と仲良くなれるのは嬉しいんだ。そのきっかけを増やしたくてさ……。まぁあんまり成果が上がってはないんだけど」


 しかも、妙にはまっちゃうこともあって……。

 と苦笑する彼に、私は抱きしめてしまいそうになるのを堪えるので精一杯だった。


 その時に知った。

 優しさの本質は他者を『理解したい、理解しよう』という気持ち、その姿勢なんだと。


 そして彼が扱う魔素にも、その気持ちが隅々まで行き届いているんだと。

 



「あらあら……」


 涙を拭っていた私に、館長の手が伸びてくる。

 頬をそっと撫でられて、また一粒涙がこぼれた。


「優しい書士だったものね、彼」

「はい……」


 持っている魔力の割に不器用で、善人すぎるところがあるけれど。

 彼を評価しないノベラニアはいないと思う。


「人が全書の一節を呼ぶ魔法を編み出した時。本当はその法を封じるためにもっと奔走ほんそうすべきだったのでは、と今でも思うわ」


 館長は寂しそうな表情をする。


「けれど、彼らはそれを『イリスユニテ』と名付けた。そして……認識の壁は彼らに向かって開かれた。私の意思とは別にね」


 貴方を大切にします、という再会の願いを世界は許したのね。

 端正な顔に影をつくりながら、彼女は言う。


「だからせめて、貴方達の苦痛を取り除く意味で。一定以上の無茶から貴方達を守ろうと思ったの。それが、定義文を無理に引き出そうとした場合の措置。人格を休ませて、安らかに眠ってもらうための」


 魂が輪廻へ帰る時、私達の人格は全書に預けられ、つづられる。

 だからこそ、再び生まれた人が前世の記憶を持つことはない。


 その全書から、人格を見つけ出し、依り代へ顕現させる。

 それがイリスユニテという魔法の実態。


 意思持つ魔法の作り方なのだ。 


「そんな貴方達に苦痛の記憶を和らげてもらうために。世界からイリスユニテを奪い、再顕現まで十分な期間を取る。そのことは私の責任。そう思っていたわ」


 でもね、と館長は続けた。


「強い意思を持って自らを捧げるノベラニアが現れることを……その時の私は、考えていなかった」


 せつなそうな表情のままだった館長は、そこで少しだけ笑みを浮かべ、私を見る。



「人を好きになったのね、貴方」

「……!」



 短かった生では感じることのなかった感情。

 そして、顕現を繰り返しても私には縁がないと思っていた感情。

 まさか、最後の夏にそんな気持ちになるなんて。


 私は胸を締め付けるこの気持ちを改めて自覚した。


「例外を作ることは避けたいわ。でも……今回は世界が貴方を呼んでいる。イリスユニテを世界が受け入れた時と同じように」

「えっ……」


 さあ、立ちなさい。

 彼女が優しい笑顔で、私の手を取る。


「え、あのっ……」


 例外という言葉に、私は期待してしまう。

 心が逸る自分を抑えきれない。

 そんなことを感じるはずがない場所なのに、私は口の中がカラカラに乾いていくようだった。


「本来は即時に消えるはずのイリスユニテの一部が、とてもゆっくりと消滅をしたわ。そしてそれを、一人の書士が書き留めた。貴方へとつながる、最後の索引。それが今彼の手元にだけ収まっている」


 一筆が……!


「認識の壁を彼はわずかに越えようとしているわ。人がそう簡単に入り込めない、魔素の世界へ手を伸ばし続ける書士に、貴方はどうしたいの?」


 暖かな表情を見せる館長。

 

 全書の番人。

 軌跡の管理者とも呼ばれている彼女が、嬉しそうに眼を細めた。


「私も……っ!」


 それ以上話す必要は無かった。

 私の身体が、ゆっくりと魔素化を始めたから。


「ふふふ……不思議な子が気になって、お遊びしておいてよかったわ。帰ったら言っておいて?横断管理局はあるけど、『田中さん』はいないわよって」

「た、田中さん……?」


 顕現の準備に入った私を見て、彼女は嬉しそうに笑った後。

 静かな威厳を感じる表情で、私を見た。


「次は無いと思いなさいね。世界は気まぐれだから」

「はい……はい……っ!」


 私は涙を流しながら頷く。


「伊予川だから……織姫と彦星じゃなく。奴奈川姫ぬながわひめ大国主おおくにぬしの物語を世界は選択したのかもしれないわね」


 彼女はどこか楽しそうにつぶやいた。

 

 そして、いつもの言葉を。


「全書の一節、文の名をアイリア。希望ある改行、未知なる旅路を祝福します」


 けれど、最後だけはいつもと変えて。



「暖かな彼のもとへ、帰りなさい」



 母のように、私を送り出してくれた。




「ぐはぁっ!!!」


 一筆の第一声が凄く情けない声だったのは、聞き流してあげた。


 だって仕方がない。

 顕現もそこそこに、思わず全力で抱きついてしまったんだから。

 

 彼の顔が見えた時、とにかく夢中で飛び込んでしまったのだ。


 そのまま部屋の壁にぶつかった気がしたけど、一筆は頑丈だし大丈夫。

 大丈夫……よね?


「あ、アイリア……!?」


 あはは、眼が真っ赤じゃない。

 って一言からかいたかったけれど。


「……っ……!」


 涙が溢れてどうしようもないから、とにかく首を縦に振る。

 抱きついたままだから、一筆の胸にがしがしと頭が当たるけど、全然構わない。

 嬉しくて仕方がなくて、何度も何度も頷いた。


 顕現が完了したらしく、どんどんと身体の感覚が戻ってくる。

 随分と久しぶりに感じる翠屋の空気。

 彼が住んでいる和室の、畳の香り。


 そして思い切り抱きしめた、彼の身体。

 見ていた時より大きくて、思ったより筋肉質。

 

 顔を上げると、泣きながら笑みを浮かべる一筆と眼があった。


 優しくて暖かい野獣の顔に、みっともなく泣きながら。

 でも自然とあふれる笑顔をそのままに、私は万感の思いで言う。


「ただいま」


 私の言葉に、一筆は更に笑みを深めて……。


「おかえ……り……?」


 ギュッと抱きしめ返してくれたら嬉しいな、と期待していた私。


 けれど、野獣の動きが急におかしくなる。

 目線があちこちへと随分せわしない。


 んん……?


「あ、ああ……ええと。おかえりアイリア。会えて嬉しいんだけどね……」

「ユカリ……!」


 私は彼女にお礼を言わなくてはならない。

 原典をこっそり覗いたことは怒ったけど、それがなければ今日は無かったのだし。

 

 ま、まあ、もうちょっと一筆には引っ付いておくとして……。


 と、彼女のほうに顔だけ向ける。

 けれど、ユカリの表情もどこか浮かない……というか、ちょっと赤い。

 しかも目線が安定せず、ちらちらとこちらを見るだけ。


 んんん……?


 すると扉の開く音がして、足音が近づいてくる。

 

「諏訪さん、合鍵使わせてもらったよ〜。書森くんに、色々美味しいもの作ってきたん……だ……けど……?」


 部屋に入ってきたのは詩織。

 なんだか彼女の顔も随分と懐かしい。


 ただいま、と私が言う前に。


「……あ、アイリアちゃん……?」


 詩織はドサッと持ってきたらしい荷物を落とす。


「そ、相馬さん!こ、これはですね……えっと……!」


 にわかに慌てはじめる一筆。

 まったく何だってのよ……と、私は少し冷静になったところで気づく。


 彼の手には、私のイリスユニテが改めて刻まれていく魔法用紙。

 

 ……そう、魔法用紙だけ。

 イリスユニテが書かれた魔法用紙だけ……。


 の私だけ。


 ようやく私は、自分が今どのような状態なのかに意識が向いた。

 

 ……なんか、やたらとスースーする。

 あの短い服に着替えた時の比じゃないくらい、スースーする。


 これ……わ、わたし……。


 別の意味で泣きそうになりながら、野獣を見る。



「ひ、光ってたから!顕現の途中だったし!み、見てないから……っ!」



 全く説得力の無い、顔を真っ赤にした彼はともかく。


「き、貴重な再会シーンだしね。うん、悪用はしないから……!」


 ちゃっかり写真に収めようとするユカリに。

 ……私は。



「ユカリィィィッ!!!!」

「ぎゃああああああ!!!!」

「……っ!」

「アイリアちゃん、全部!全部見えちゃってるって!!隠して!!隠して!!」



 すごく恥ずかしくて。

 もう何がなんだかわからなくなってはいたけれど。



 ただいまが言えた今日を。

 私は一生忘れない。

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ノベラニアのいる魔法文具店〜夏休みに出会った少女は「ノート」でした〜 澄庭鈴 壇 @staylindan

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