斜陽帝国

@SHEX

第1話

 かつて、この世に存在する四つの大陸すべてに派兵し、世界を統一する寸前にまで版図はんとを拡大した帝国がった。


 夏の強い陽射しを受け、一人の老人が眼下に広がる街並を見下ろしていた。

 賑々にぎにぎしい祭囃子のが耳に心地よく、彼の口のに微かな笑みが溜まる。豊作を願う夏祭りの喧騒に混じり、誉れ高き王の名を讃え、振る舞われた美酒で祝杯を上げる者達の声が届く。


 遠く見渡せば、秋の収穫を期待させる、青々とした農耕地が稜線にまで続き、よく整備された街道には、馬車の往来による轍の跡が深く刻まれている。


 そこは、七の丘に囲まれた帝国の都。その中央に位置する荘厳な宮殿の楼閣ろうかく

 彼はその主であり、一代にして大陸をせいし、巨大な帝国を築き上げた帝王であった。

 齢六十を越えてなお、壮健な体躯と強い意志を秘めた眼光を持った武人である。


「ウィンチェスター侯爵領に謀叛むほんきざしあり、か」


「はっ。いかがなさいますか?」


 王の傍らに片膝を突き、右の拳を床につけた娘が問い掛ける。

 彼女の名は朱美あけび。帝国を影から支える名張なばりと呼ばれる集団の一人であった。――長年、王に仕える名張の棟梁とうりょうの娘でもある。


「ウィンチェスターの領民を扇動し、その動きを封じよ。それで治まらぬようなら、侯爵の寝首を掻け」


「畏まりました。では、扇動の方は我等“風組かざぐみ”で――それで事足りぬようであれば、土組か火組ほぐみの者達を差し向けましょう」


「好きにしろ、アケビ。たとえウィンチェスターの小伜こせがれが兵を起こしたとて、この帝都からは遥か遠い。それに奴が動かせる兵などせいぜいが二万といったところだろう。他方に影響がなければ、捨て置いても構わんくらいだ」


「そうでございますね。この時期ですと、帝都に向かい軍を進めても、冬の到来の方が早いかと」


 その言葉の通り、南方に位置するウィンチェスターから帝都へ攻めのぼろうとしても、冬の到来により街道は雪に閉ざされ、兵を動かすことが極めて困難となる。補給もままならない状況で、立ち往生するのが目に見えていた。


いくさを知らぬこわっぱが。愚かなことだ」


「御意に。それでは主上しゅじょうのお言葉通り、手の者へ通達を出してまいります」


 朱美は音もなく立ち上がり、物陰へにじむかのように姿を消す。

 完全にその気配が消えると、新たな女の声が楼閣に響いた。


僭越せんえつながら王よ。あのような者達、この大陸を手中に収めた現状では、最早なんの必要もないのではございませんか?」


 女が彼の傍らに立つ。声同様、外見からでは年の頃が推し量れぬ妙齢の女性。


「サイベル。あやつらはお前と同じく、長年に渡り俺を支えてくれた者達だ。要不要の問題ではない」


「これは異なことを。私が申したいのは、そのようなことではございません。この太平の世にあって、王の治世を脅かす火だねがあるとすれば、それは名張のような影に潜む者達です」


「奴らは俺と違って、そんなものは望んでおらん。誰よりも争いのない世を願う者達だ。そのために身をにして働いてくれておる」


「では、王は……」


 サイベルが悲しげに彼を見やる。


「大陸の覇者となった今でも、新たな戦いを欲しているのですね」


 彼は応えることなく眼下を睥睨へいげいする。

 サイベルはただ、その険しくいわおのような老いた顔を見つめていた。

 いくばくかの時が流れ、彼がふたたび口を開く。


「俺は確かに王となることを望んだ。だが、本当に欲しかったのは、こんなものでは無い」


 彼は吐き捨てるように言った。


「手にしてみて気づいた。俺は平和な世になど…………安寧あんねいになど何の価値も感じられない」


 じっと自らの老いた手を見つめる。


「それほどまでにいくさを……?」


「そう、戦だ。甲冑まといし兵達がうごめき、軍靴ぐんかの音が轟くような大戦おおいくさだ! 勇壮なときの声が響き、鉄錆臭い乾いた風吹く戦場。その中にあってこそ、俺は喜びを見出みいだし、生を実感出来る」


 目を輝かせる彼に、サイベルは苦笑いを浮かべる。


「また、子供のようなことを。王は五十年前に会った小童わらしの頃から、まったく変わっておられませんね」


「お前もまた、変わらぬな。あの頃のままだ」


 年を取らぬ妖女と揶揄やゆされる女が、婉然えんぜんと笑う。


「私も王の願いとあらば叶えてあげたくは思いますが、あと十年もすれば西方大陸全土も帝国の所領となりましょう。そうなれば、四つの大陸は統一され、この世から大きな戦乱は消え去るでしょう――少なくとも王が存命のうちには、その望みは叶いません」


 彼が一代で帝国を築くことを可能としたその背景には、暗躍する名張の者達の存在も大きかったが、妖しの術をよくし五十年に渡り付き従ってきたサイベルの助けがあってこそだった。


「十年か……俺の読みでは、最後に残った西方大陸も、五年ともたぬと思うがな」


「かの大陸は広大です。さすがに五年では無理かと」


「かの地に住まう者達は、鉄器の精製もまともに出来ぬ程度の技術しか持たん。装備の違いは大きいぞ? しかも平原が多く、なだらかな地形が広がっておるそうではないか。騎馬の運送も順調にはかどっておると報告が来た」


「機動力、ですか?」


「そうだ。これまでの戦いを見て、それがどれ程重要かは、お前も知っておろう」


「それはそうですが……」


 彼はずるそうな笑みを口許にく。


「ならば賭けるか?」


「フフ、よろしいですよ。何をお賭けになられますか?」


「俺の望みは言った。血沸き肉踊る戦場をくれ」


「そのような無茶を……どちらにせよ賭が成立した時点で、戦乱などこの世から無くなっているのですよ?」


「それをどうにかするのがお前の仕事だろう――お前が勝った時は何が欲しい」


 サイベルは妖艶な流し目をくれる。


「王よ。あなたが欲しいです」


「……俺の世継ぎを望むのか?」


「フフ、私はあの小娘とは違います」


 サイベルが、朱美のことを言っているのだと気づき、彼は顔をしかめる。


「私は確かに王に惚れております。しかし、そのような即物的なものでなく、若き日より変わらず王の中で煌めく、その覇気にです。私は王の全てをほっします」


「……よく分からんな。俺の命が欲しいということか?」


「そう、似たようなものですね。私は最後の瞬間まで王に付き従い、あなたの没する様を看取りたく思います」


 ほのかな笑みが、じっと彼へと向けられていた。


「その瞬間に私一人だけが立ち会い、その死を私だけのものに……そして、王の輝かしい生涯を、いつまでもこの胸深くにしまい込むのです」


「……なんか、お前怖いな……」


 若かりし頃を思わせる彼の口ぶりに、サイベルはくすくすと笑いをこぼす。そんなサイベルから、彼は心持ち身を引く。


「まあどの道、すぐに結果が出る訳ではない。それまで俺が生きているかも分からんしな」


「なにをおっしゃいます」


「いや、分かるのだ。日々の鍛練は欠かしておらぬが、最近めっきりと体力が落ちた。これまでの戦いで無理をしてきたツケが、今頃になって現れてきている」


「王よ……」


「サイベル、お前は人の死期が読めるのだろ? ひとつ俺の天命とやらも見てはくれぬか」


「そのように弱気なことをおっしゃられては――」


「俺はな、常々戦いの中で死にたいと思っていた。さっきも言ったように、ただの戦ではないぞ。俺はこれまで一度も負けたことがない。今まで見たこともない大軍を向こうに回し、今まで経験したことのない負け戦をしてみたい」


「……」


「だが、このままでは望むべくもない願いだ。各地で起こる小規模な反乱など、二言三言命を下すだけで、苦もなく鎮圧されてしまうのだからな――ならばせめて自らの寿命を知り、それまでを悔いなく過ごしたい」


「そうまでおっしゃられるのでしたら。少し時間をいただき星を読んでみましょう」



 いつの間にか、太陽は地平線にかかり、赤い西日が射していた。そしていつの間にか、かつては広く逞しかったはずの背中が、驚くほど痩せ衰え、薄くなっていたことにサイベルは気がついた。


 祭の日から、半年程が過ぎた。


 西方大陸へ派遣した軍からは、度々使者が届き、戦いの趨勢すうせいは日増しに帝国側へ傾きつつあるとの報がなされた。

 現地に確固たる拠点を築き、物資の自足を計れるようになってからは、帝国の支配域は加速度を増し広がっていった。

 青銅器の武器となめした革で武装した現地住民を、帝国は鋼で鎧った騎兵をもって、一方的とも言える虐殺で平らげていく。西方大陸に、彼等を阻める者は存在しなかった。


 朱美も足しげく彼の許へ通い、南方の反乱を未然に防いだことなどを伝えた。

 帝国の首都を置く大陸でも、小さな火だねは依然くすぶってはいたが、それらもあらかた名張の手により、きな臭いと言える段階で封殺されていた。


 春先から体調を崩していた彼は、それらの報告を病床で聞いていた。


「賭けは……俺の勝ちのようだな」


「は?」


「なんでもない。気にするな。それよりアケビ、名張の里の方はどうだ?」


 朱美は嬉しそうに顔をほころばせる。


「今年は思いのほか芋の新芽が青々と茂り、里の皆もよい顔で笑っておりました」


「そうか。痩せた名張の地で、作物を育てるのは大変だろう」


「いえ。少なくとも命の危険のない仕事を、辛いと感じる者など名張にはおりません。それに、地を耕し平穏な暮らしを得ることは、父の願いでもあります」


「ああ、そういえば何度も聞かされたな。“草の根”とも呼ばれ、他国に根を張り諜報を行う名張の者が、故郷に根付き田畑を耕しすこやかに生きて行ける時代のいしずえとなる――それが唯一の望みなのだとな」


「表に立ち現れることなく闇に沈み、時代の礎となる。父の口癖です。そして、その時代を作る者こそが主上だと、幼い頃より聞かされてきました」


 年老い、深いシワの目立ち始めた顔に、何か苦い物を口にしたかのような表情が広がる。


「ですが、名張の者が必要とされるのも、私の代で終わりとなるでしょう。それは、とても喜ばしいことです。これも一重に主上のおかげでございます」


 自嘲めいた表情で、彼は低く笑う。


「皮肉なものだな。ただがむしゃらに戦場いくさばを駆けてきた俺は戦いの場を失い、長年に渡り戦乱の犠牲となってきたお前達は、耕すべき田畑を手に入れた」


 無念さを感じさせる独白に、朱美は寂しげな笑みで応えた。


「……アケビ。お前、何か欲しい物はないか?」


「え? 欲しい物、ですか?」


「そうだ。お前達名張はよく尽くしてくれた。俺もあまり先は長くないかもしれん。今なら一国をくれと言われても、大盤振る舞いしてやるぞ。なんでも言ってみろ」


「なんでも……でしたら、私をめとって下さい」


「……それは何度も――」


「ですが! 主上はなんでもと申されました。私は、三年前に奥方様が亡くなられたとき、失礼ながらこれは好機だと感じました。なのに主上は――」


「あの時の話はやめよ。何度も言ったはずだぞ。俺はお前の“おしめ”を替えた事もあるのだ。そんな娘を女として見れる訳がなかろう」


 アケビが恥ずかしそうに頬を赤らめる。


「そ、その話はもうなさらないで下さいと、私もお願い申し上げたではありませんかっ」


 朱美は、推しいただくように、床に伏せる彼の手を取る。老い萎び、筋張った掌に若く瑞々みずみずしい手が重ねられた。


「妻に、とは言いません。主上のお子が欲しゅうございます。たとえ主上が先立たれても、子があれば私は生き甲斐を得ます。それをもって褒美として下さい」


「それは出来ぬと言ったであろう。だいたい、たちの悪いはやり風邪を受けて寝込んでいる病人に、そんな重労働をさせるのか? 俺の死期を早めるつもりか?」


 力無く振りほどかれた手を、朱美は名残惜しげに見つめる。


「申し訳、ございませんでした」


「……いや、いい。それよりこのところ、サイベルの足が遠のいているのだが、何か知らぬか?」


「あのような女のことなど知りませぬ!」


 強い口調で言った朱美に、彼は不思議そうな顔をする。


「なにを怒っている。お前とサイベルは、俺の両腕のようなものだ。もう少し仲良くは出来んのか」


「右手と左手が、必ずしも仲が良いとは限りません」


 不機嫌そうに言った朱美が、はたと動きを止める。


「……主上、私とあの女、どちらが右腕なのですか? もちろん私ですよね」


 まったく女といったものは、よく分からん事にこだわる、と彼は呟く。


「己の腕に優劣などない。右も左も同じだ。そんなものお前達で勝手に決めろ。――それで、サイベルの動向は分からんのか?」


「これほど国が大きくなりますれば、左腕が何をしているかなど、そうそう耳に入っては来ません」


 あくまで自分が右腕だと言いたいらしい朱美を、彼はじっと見つめる。老いてなお、その眼光だけは衰えを知らず、視線が圧力となり返答をいる。朱美は肩をすくめ話しだす。


「サイベルが宮中にいるのは確かです。なにやらこそこそと動き回っているようですが、どうせ良からぬ事でも企んでいるのでしょう」


「そうか……あれに会ったら俺が会いたがっていると伝えてくれ」


「主上。あの女は、我ら名張と同じく闇に潜む者です。乱世でこそ役にも立ちましょうが、四大陸の統一が目前となった今、サイベルは最早不要です」


「……サイベルにも言ったのだがな、俺にとってお前達は、要不要の問題ではないのだ」


「ならば。先程いただいた、私のほっする物を何でもくれてやるという言葉に、甘えてもよろしいでしょうか?」


「……なんだ、なにが欲しい?」


「あの妖女めの首を所望しょもういたします」


 どちらが妖女か分からぬような妖しい笑みが、朱美の端正な口許を歪めていた。


「要人の首を掻き切るは、名張の得意とする所業にございますれば」


「お前は……ちゃんと俺の話を聞いていたのか? 右手が左手首を落としてどうする!」


 しばし二人の視線が絡み合い、先に明美が目を逸らす。


「……わかりました。では、気が変わられましたら、いつなりとお申し付け下さい。あのような怪しげな女は、早めに取り除いた方がよいでしょう」


「……女というのは、本当に恐ろしい生き物だな……」


「あらあら、そのお歳になられてようやく気づかれたのですか? 名張の者なら、小童ですら存じておりますよ」


 からかうように言った朱美に、彼は軽く手を振る。


「わかったわかった。もう下がっていい。サイベルの件はくれぐれも頼んだぞ。なるべく早く会いに来るよう伝えてくれ」


 朱美はするすると部屋の隅に移動し、暗がりへ溶け込むかのように姿を朧げとさせた。


「確かに……承りました……」


 微かな忍び笑いを残し、その気配は遠ざかっていった。

 静けさの戻った室内で、疲れを感じた彼は、ゆっくりと目をつむる。そして、どのくらいの時間が経った頃か……


「王よ」


 あるかなしかの囁くような声に目を開く。

 枕元に立つ妖女を見て、彼は目を細める。


「サイベルか……待っていたぞ」


「そうですね。ずいぶんとお待たせいたしました」


「俺の死期は、どうだった?」


 サイベルは無言で顔を伏せる。


「まだ、分からぬのか?」


「王よ、それより、賭けの話をなさいませんか?」


「ん? ああ。あれは俺の勝ちだ。そうだな?」


「ええ、その通りでございます。ご慧眼、畏れ入りました」


「安心しろ。今すぐ戦いを寄越せなどと無茶は言わん。俺も見ての通りだしな。最近は古傷が痛んで歩くこともままならん」


「そのような体となってもまだ、戦いを望んでおられるのですか?」


「当然だ。戦さえ始まれば、こんな病なぞ一瞬で吹き飛ぶ」


「王は、本当に変わっておられる。全てを手に入れた支配者は、最後には不老不死を願うものだとばかり思っていました」


「不老不死? くだらんな。そんな物になってしまったら、それこそ負け戦など望むすべも無い」


 サイベルは苦笑する。


「その口ぶりでは、本当に興味がないようですね」


「だいたい俺が死なくなったら、俺を看取るというお前の願いも叶わぬだろう?」


「そう……そうでございますね」


 なぜか悲しげにするサイベルの様子を、彼は計りかねた。


「おい、それよりも俺の死期はどうなったのだ?」


「王よ、あらかたの準備は整いました」


「ん? そうなのか?」


「はい。ですが王の望む舞台を整えるには、しばしのお時間をいただかねばなりません」


 どこか話が噛み合っていないことに、彼は気づく。


「……お前、なんの話をしている」


「必ず間に合わせます。ですから王よ、病床の身をいとい、今暫くお待ち下さいませ」


「どういう意味だ。分かるように説明しろ」


 あでやかに笑ったサイベルが、たおやかな指を彼の頬へ這わせる。


「賭けには負けました。が――私、欲しい物はズルをしてでも手に入れます。私の望む、そして王の望まれた死を、どんな手を使ってでも手に入れてみせましょう」


 彼の目の前で、サイベルの姿がすっと輪郭をなくしていく。


「おい、待て。話の途中だぞ」


「……ところで王よ、あなたの右腕は、この私ですよね……?」


 くすくすと笑う声と共に、妖女の姿は形を失い霧散した。



 その日を境に、サイベルは宮中から姿を消した。


 さらに半年が過ぎ、宮廷典医は王が肺の病を得たと診断した。それは決して死病ではないが、体力の落ちた彼にとっては、命取りにもなりかねない病だ。その間にも、宮殿から忽然と姿を消したサイベルを捜索するよう、彼は何度も命を下していた。

 さらに半年が過ぎたとき、彼の病は悪化の一途を辿り、遂には立ち上がることすら出来なくなっていた。

 宮廷では、王の崩御も近いと噂され、各大陸へ軍の指揮官として派遣されていた、三人の王子が呼び戻された。


 そしてある日。彼の元へ、朱美が訪れた。この一年の間まったく足跡そくせきの掴めなかった、サイベルの行方をたずさえて。


「主上。かの妖女めが見つかりました」


 病床にす彼の部屋には、大勢の者達が集められていた。内務卿、書記官といった者も居たが、その大部分は将軍職にある者、圧倒的に武官の方が多かった。


「そうか。サイベルが見つかったか――しかし、なぜこれ程の武官達を集めた。何か戦に絡む話でもあるのか?」


「はい。心してお聞き下さい。サイベルはウインチェスター侯にくみし、謀叛の兵を起こしました」


「なんだと? だがウインチェスターは……」


「以前に民衆の暴動を誘い、一旦は挙兵を諦めさせたのですが、サイベルの口車に乗せられ意を決したようです」


「どういうことだ? サイベルは何を考えておる」


「分かりません。ですが、あの女は本気でこの帝都を落とすつもりです。どのような手を使ったのかは見当も付きませんが、サイベルはこの一年の内に南方諸侯のことごとくを味方に引き入れております」


 集まった廷臣達が低く呻く。


「現在北上中の反乱軍は、各地で次々と兵を吸収し、今では十五万の大軍となっております」


「十五万だとっ!?」


 将軍の一人が、たま消えるような声で叫ぶ。


「解せんな。南方諸国の穀物庫を叩いても、それだけの軍勢は養えまい。兵を飢えさせ無駄死にさせるつもりか?」


 静かに問うた彼に、朱美は淡々と答える。


「フォンデベルトが寝返りました。信じられない手際ですが、サイベルはフォンデベルト公爵をも篭絡していたようです」


 大陸中央に位置するフォンデベルトは、各地に張り巡らされた街道の中心であり、通商の一大拠点でもあった。多くの人や物資が集まり、大陸の食物庫とも言える都市だ。


「すでに反乱軍へはフォンデベルトから大量の物資が輸送され、その流れに合わせ北上する軍勢は急速に増大しています。各地でも諸侯の挙兵が確認され、反乱軍へ合流するため進軍を開始しているようです。おそらく、この帝都に到達する頃には、今の倍――三十万近い大軍勢に膨れ上がると予想されます」


 おしまいだ、と誰かが悲鳴をあげた。

 居並ぶ将軍達は、口汚くサイベルを呪い、絶望的な叫び声を響かせた。その中で、王だけが――


「クッ!」


 さも楽しげに喉を鳴らした。


「ハァーハッハッハ!! やってくれたなあ、サイベルめ!」


「主上……落ち着いて下さい。お体に障ります」


「これが落ち着いていられるか! サイベルは、死にかけのこの俺から、強引に命をむしり取ろうとしているのだぞ!? あやつは、なんと――」


「ですから申し上げたのです。あれは早めに始末した方がよいと」


「あやつはなんと良い女なのだ!」


「主……上……?」


「サイベルだけだ。この俺が望むものを正確に理解していたのは」


 その言葉に、明美の顔から血の気がうせる。

 白くすら見えるその顔には、克明なまでに女の貌が浮き出していた。


「そうとなれば……呑気に寝てはおられんな」


 彼はかくしゃくと寝床から身を起こす。そして、数ヶ月振りに誰の助けも借りず、自らの足で立ち上がった。


「主上!?」


 慌てて駆け寄った明美や将軍達が、その身を支えようと腕を伸ばす。

 だが、その手は力強く振り払われた。一年余りも病床にあった、老人のものとは思えぬ膂力りょりょくでもって。


「心配いらん。信じられんほど身体が軽い――血が沸き立っておるわ!!」


 信じられないといった顔をする将軍達の後ろで、宮廷典医も馬鹿のように唖然としていた。

 そんな一同を鼻で笑い、彼は猛々しく言い放つ。


戦仕度いくさじたくだ!! 軍議の間へ移る!」


「お待ち下さい主上!」


 明美が悲鳴を上げた。


「今から兵を集めたのでは五万にも届きません。叛軍はんぐんが帝都に押し寄せるまでに、もうあまり時は無いのです」


「黙れ」


 短く言い捨てた彼に、明美は身も世もなく縋り付く。


「一旦帝都を落ち、北のカルンセルで各地へ触れを出しましょう。兵を募り防備を固めるのです」


「その判断は俺の領分だ。お前は成すべきことをせよ」


 明美を払いのけ、足早に歩きながら彼は命じる。


「剣を持て! 甲冑もだ!!」


 その意に従い、供回りの者が駆け足で散っていく。


「宮中に参内さんだいしている諸侯を召集せよ!!」


 軍議の間へ踏み入った彼は、玉座の前に立つ。後に続いてやって来た将軍達の中に、明美の姿は無かった。

 しばしの後、王剣を推し戴き姿を現した供回りの者に、激しい怒声が浴びせられる。


れ者めがッ!! 儀礼用の宝剣などでは魚もおろせんわ! だんびらだ! 大だんびらを持てい!!」


「はっ、只今!」


 その様子を見ていた供回りの者が踵を返す。飾り鎧の入ったつづらを持って来てしまっていたのだ。

 金糸銀糸きんしぎんしの刺繍が施されたきらびやかな外套マントを用意した者も、一喝される。


「貴様は俺を殺す気か!? こんな薄っぺらい物を着けたらただの的だ!」


 供回りを蹴り飛ばし、彼は吠える。


「分厚い革の物を持って来い!! なまなかなやじりなど通さんやつだ!」


 まるで、常に先陣に在り、戦場を翔け抜けていた若かかりし頃へ立ち返ったかのような姿だった。

 過ぎにし日々を想い、古参の老将達の胸にも、熱い猛りが甦る。


「全兵舎へ通達せよ! 一級兵装での緊急招集だ!!」


「使者だ! 帝都周辺の都市へ使者を出せ! 叛軍はんぐん討つべし!! 至急軍の編成を整えさせよ!」


「王宮騎士団に伝令だ! 軍馬とありったけのまぐさを用意させよ! 篭城は無い!! 打って出る仕度をさせておけ!!」


 口々に命令を下す将軍達に、彼は満足げな笑いを浮かべる。


「分かっておるではないか。城になど篭らん。――迎撃だ!!」


「御意に! 長年お仕えしますれば、主上のご気質は百も承知にございます」


「よし! では軍議に入る。相手は三十万の大軍だ。どうやって突き崩してくれようか、今から楽しみでしょうがないわ!!」


 人の出入りが激しくなった軍議の間に、闊達かったつとした声が響き渡る。



「明朝までに出陣の用意を済ませよ!!」


 まだ夜も明けきらぬ早朝。暗がりの中に気配がわだかまる。


「……主上……主上」


 戦支度の興奮冷めやらぬ浅い眠りから、彼は瞬時に覚醒する。


「……アケビか」


 辺りを見回した彼は問い掛ける。


「どこに居る?」


「常に……お傍近くに」


「顔を見せよ」


 一向に姿を見せようとしない明美に苛立ちが募る。それを悟ったかのように細い声が落ちる。


「お許し下さい。私はきっと酷い顔をしております。いまはお目にかけること叶いません……酷く醜い顔をしておりますれば」


「……分かった。だが、此度こたびの戦、お前は――名張の者達は不要だ。里に篭っておれ」


「それは……出来ませぬ」


「……」


 初めて返された拒否の言葉に、彼は眉をひそめる。


「名張は里を挙げて……一族を挙げて、サイベルを討ちます」


「なんだと? お前達名張は――」


「いえ。名張の意はすでに決しております。サイベルさえ除けば、所詮叛軍など烏合の衆。さすれば、この戦いにも勝ちの目が見えてまいりましょう。すでに父も陣頭での指揮にあたっておりますれば」


 闇から届く声に、彼は否と意を返す。


「勝手は許さん。三十万の軍勢を相手にどうするつもりだ。犬死には許さん」


「私は……私の成すべきことを成します」


 虚空を凝視する彼へ許しを乞うかのように、しかし決意に満ちて、明美は語る。


「我ら名張は、表に立ち現れることなく、闇に沈むが定め。屍を拾う者なく、その生に意味を持たず、死したのちは腐り落ちる徒花あだはなのように――ただ地へと還る。それが名張の者に課せられた生き方であり、我らの矜持にございます」


 悲壮さはなく、諦観ていかんもない。淡々とした声音に、覚悟のほどがうかがえた。

 彼は理解する。それ以上の口出しは無意味なのだと。


「あの妖女めの首を、必ずや御前に」


「……好きにせよ。それでお前の望みが叶うのなら、褒美の約束も清算出来たという訳だ」


「覚えていらして……くれたのですね」


「まあな……だが、アケビ。最後に一目、顔を見せて行け――これが今生こんじょうの別れとなるやもしれん」


 間髪に等しいわずかの間、迷いを振り切るかのように気配が揺れる。


「いえ……いいえ。それはなりません。私は必ず戻ります。主上のお傍へ」


 淡々としていた口調に、熱が篭る。


「私……知っているのですよ? サイベルが、主上の初恋の相手だということを」


 闇の中から、情のこわさが零れ落ちる。


「あんな女になど、主上を渡しはしない……必ず、お持ちします。妖女めの首を」


 鬼気迫るものを感じ、さすがの彼も言葉を失う。


「目をえぐり、鼻を削ぎ、唇を裂き……二目と見れぬ顔となったサイベルを、お持ちいたします」


「……やはり、怖いな。女というものは……」


 くすくすと悪戯っぽい笑いが響く。


「主上。“女”が怖いのではなく、“嫉妬に狂った女”が怖いのですよ……また一つ、勉強になりましたね」


「クッ――」


 皮肉げに喉が鳴らされた。


「いやいや、やはり女は怖い。お前達にかかれば男など、たとえ幾つになっても子供扱いだ。中でもとびきり怖い二人に、俺は好かれたようだ」


 ひとしきり、声を上げて笑った彼へ、別れの言葉が告げられる。


「では、そろそろ参ります」


「ああ。また、な」


 いらえはなく、笑い声の残滓と気配とが、しじまの中へ溶けてゆく。

 ふっ、と一息つき、彼は楼閣の窓から眼下を見渡す。

 まだ日も昇らぬ頃合いだというのに、すでに多くの兵達がうごめいていた。


 一晩で戦仕度を整えよという無茶な命令は、順調に実現されつつあるようだ。

 絶望的な兵力差を知らぬはずもないだろうに、士気は高い。

 優秀な兵達だ、と一人ごち、彼自身も鎧兜を身につける。

 部屋を出ると、いつからそうしていたのか、そこには将軍達が片膝をつき控えていた。

 付き従う臣下達を引き連れ、彼は中庭へと出る。



 そして、最後の戦いへとおもむくべく、昇る朝陽に赤く染まった城門へ向かい、一歩、足を踏み出した。

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