第5話 大人な後輩


 空が茜色を帯び始めるころ、第四中央高校の正門から学生服を着た生徒達が溢れだす。時刻は16時過ぎ、莉乃はサボった学校まで脚を運び、銘板が隠れないように寄りかかりスマートフォンを弄っていた。

 莉乃は内心、クラスメイトと顔を合わせるのは気まずいのだろう。正門を背にしているが、見る人が見れば一目瞭然だ。溜め息をつきながらもそこにいるのにはもちろん理由がある。


 つい一時間ほど前、剛介に見送られ国立神経科学研究センターを後にした莉乃に幾つか連絡があった。

 ひとつ、正確には複数であるが、母から電話がかかってきていた。当たり前のように制服を着て、いつも通りの時間に出て行ったが学校から登校していないと連絡があったようだ。折り返しですぐ電話をすると、声を荒げる母へ莉乃はひたすら平謝りをするしかなかった。それはサボった事に対する叱りではなく、これまで何もかも当たり前のように皆勤を果たしていた娘が、明確な理由も話さず休んだことに対する心配からであった。

 体調を崩す方が難しい程に整った平和な環境では、身心ともに当たり前のように健全で在り続ける。その上、所属コミュニティで一歩遅れることに対する危機感と対抗意識が学生を休ませない。ほとんどの高校生が友との切磋琢磨以上に魅力を感じるものを知らない故に、学校を休むということは非常に理解されない行動なのだ。過保護な親であれば、病院に連れていくことも珍しくない。

 好奇心が先走り、親の心配など露ほども考えていなかった莉乃としては、自分の浅ましさに呆れると共に申し訳なさが湧きあがっていることだろう。


 そしてもうひとつが今の莉乃の行動原因である。瑠奈から連絡があったのだ。

 今朝、予定では同行するはずが急遽1人で送り出した瑠奈だが、渋々学校に来たまでで本当は莉乃と一緒に行きたくてたまらなかったのだ。彩音京也との接触による反応もそうだが、何より瑠奈は莉乃と一緒に行動すること自体が目的となっているような雰囲気であった。

 莉乃は電車に乗りながら帰宅している旨をメッセージで伝えると、一緒に帰ろうと提案が返って着たのだ。しかし、莉乃と瑠奈は駅としては反対方面。彼女達が「一緒に帰る」となると、学校から駅までの徒歩十数分以外にない。

 莉乃としてもサボった日にわざわざ学校まで行くのは億劫で最初は拒否したが、彼女も女子高生である。駅近くの喫茶店でパンケーキをご馳走を条件に、瑠奈の提案を呑んだ。ゆえに、今莉乃はあまり良い顔はしてないものの、確約されたパンケーキのために正門で瑠奈を待っている。


 瑠奈は一年生であるため、部活見学の時期なのもあるが今日は即時莉乃と合流すると連絡してきた。しかし、返りのホームルームが終わるにもクラスによってバラつきもあり、帰る生徒は多いものの瑠奈から未だ連絡はない。

 特に目的もなくスマホを開き、しきりにメッセージを確認する莉乃に1人の女子生徒が覗きこむように近づいてくる。


「あれ~莉乃じゃ~ん! 今日どしたの? 大丈夫?」


 女子生徒は明るいトーンで莉乃に声をかけ、茶色いボブカットが垂れるように首を傾けて莉乃の顔を覗く。それは莉乃がよく知る顔であった。佐野明美、莉乃のクラスメイトのよく考えられる女子である。


「あっ、明美か……。まぁね、うん、全然平気。今日の授業どこまで進んだ?」

「今日はね~、数学が積分の応用やって、体育は前回の続きでバスケで、現代文が『こころ』の続きで教科書の――」


 明美は一限目の授業から全て説明していく勢いで、指を折って数えながら唸って莉乃に全て伝えようとする。莉乃は大雑把な説明を求めていたのだろう。困ったように笑いながら明美の呪文を静止する。


「あぁごめん、うん、大丈夫、オッケー。明日ノート見せて貰っても良い?」

「良いけど~……莉乃はちょろっとやるだけで出来ちゃうからなぁ、羨まし~」


 ぷくっと頬を膨らませる明美は幼さを加速させる。だが、その発言は本当に莉乃へ抱いている感情と傍目に見てもわかるほど、彼女の目元は暗いものになっていた。明美もまた、点差が少ない世界ながら成績は上から数えた方が早い部類である。一年生の時から莉乃と交流を持ち続け、あまり異常性を感じてはいないようではあるが彼女の『手抜き』には気付いていたのだ。

 莉乃は返す言葉に詰まり、頭を掻いて愛想笑いをするしかなくなっていた。2人に妙な間が出来る隙もなく、正門の中から明美を呼ぶ声がした。


「あっ、じゃあ私部活に戻るから! また明日ね!」


 元気に手を振りながら明美は校舎の方へと戻っていく。声をかけた生徒たちの方へ行く前に、明美は途中にある花壇をじっくりと眺めた。彼女は植物部という少し変わった部活に入っており、学校内の空いているスペースを耕しては農作物を育てたりもしている。花壇にある小さい苗は最近埋めたものだろう、遠目には何かわからないが育つのが待ち遠しそうにニコニコと見つめていた。


 莉乃は明美を目で見送ると、そのまま未だ絶えず出てくる生徒達をぼんやり見渡す。

 ついさっきまで莉乃が経験した異常な物事を、ここで今披露したらどうなってしまうのだろうか。橘のように嫉妬に狂うのか、明美のように羨望の目向けるのか、あるいはそれ以外にも反応の可能性は様々ある。莉乃もまだ16歳の女子高生なのだ、自分が特別であるとわかれば自己顕示欲が湧いてきても然るべきだろう。スマホを胸ポケットにしまい、彼女自身の右手へと目を移す。さっき1人の女性を文字通り狂わせてしまった莉乃自身の右手。これをまた別の誰かへ向け、また何か異常なことが起こればどうなってしまうのか。

 良からぬことを考えるようにしてもの憂げに佇んでいた時。


「織原ちゃんおまたせ。結構待たせちゃったかな?」


 目当てであった瑠奈がようやく現れ、スルッと莉乃の胸元まで挙げていた右手に指を絡ませてくる。恋人繋ぎのように手を組ませると、肩が当たる程に近づいてきた。


「瑠奈さ、昨日は勢いで抱きしめちゃったけど何でも距離近過ぎない?」

「そうかな? 健全な女子高生はこうして愛を育み合って――」

「私は健全で無くても良いから、もう!」


 これに増して腰に手を回してくる瑠奈に対して、莉乃は無慈悲にも綺麗なステップを踏んで距離を置く。「恥ずかしがり屋さんだね」等と言う瑠奈に対して、冷やかな視線を送る。


「で、脚がもう棒よ。早く行きましょ」

「それなら元陸上部の私が織原ちゃんの御御脚をば……」

「おっさんかアンタは! ほら行くよ!」


 ソロっと脚へ伸ばしてくる瑠奈の手を見事にはじき、莉乃はずかずかと駅の方へ歩き出す。納得のいかないような表情をして、瑠奈も置いていかれまいとその小さな身体でちょこちょこと莉乃の後を追いかける。

 2人の超能力者はまたも夕暮れが顔を出した空の下、今日は女の子として和気あいあいと話しながら並んで歩き続けた。

 窓から夕陽が差し込む落ち着いた雰囲気の喫茶店。スーツ姿の中年男性は新聞をかじりつくように読み、年老いた夫婦はにこやかに紅茶を楽しんでいる。店に相応しい客層の中、一画に若干場違いな女子高生が二人、歓喜の声を上げ甘味を堪能していた。


「口の中で溶ける……これは本当にパンケーキと言って良いのかしら、もはや芸術よ!」

「外から見てたらこんな美味しいものあるお店なんてわからないよね! これは私達だけの隠れ家的、いや、もはや愛の巣と言っても――」

「黙って食べないとフォーク刺すわよ」


 莉乃と瑠奈の前には三段に重なった分厚いパンケーキが、彼女たちの繰り出すフォークとナイフを受けふわふわと揺れ動く。普通のパンケーキより圧倒的な工程数を感じられるこの作品は、かつて流行ったパンケーキブームを思わせる逸品だ。今や健康的食事において、全世界的に米が強く推奨され且つ好まれている。だが、反面精神衛生上のケアという名目で、このような甘味の存在は根強く有り続ける。事実、現在莉乃と瑠奈はまさにその効力を最大限発揮されている最中であろう。

 一連の会話もパンケーキのおかげか、満面の笑みで執り行われた。だが、莉乃がフォークを指すと言うのは冗談でも無さそうであるのが怖いところだ。

 莉乃は様々な顔を持つ。正確には持っていることがここ二日で、彼女自身も気づいたことである。女子高生、もとい社会的立場で要求される「この世界では普通の子供」としての一面。そして、戦闘が発生した時に開花した戦うことを存在理由とするような冷徹な顔。だが、それと相反する負の感情やシチュエーションに極端なほど狼狽する側面も併せ持つ。


「織原ちゃん、本当にやりそうな時あるから怖いって~」


 どこまで考えてかは定かでないが、瑠奈が笑いながら手を上げて無害であることをアピールする。それを言われた莉乃は少し寂しそうに笑った。


「今のは本当に冗談。でも昨日から自分がわかんないよ、私がもっと食べ物に執着するやつだったら本気で言ってるかもね」

「それも織原ちゃんの能力が原因で――そうだそうだ! パンケーキで忘れてたけど、彩音先生はなんて言ってた? もう命名もされちゃったり?」


 会ってからここまで茶化すような態度を取っていた瑠奈だったが、能力の話を思い出すと一転して机に身を乗り出すほど迫ってくる。


「それね、調べてみようかってなったけど。ほら言ったじゃん、なんか謎のお姉さんが研究所襲ってきたって。それで延期よ」

「でもどうせ織原ちゃんがボコボコにしたんでしょ? また顔面に蹴り入れたの?」

「どうせってね……。ちょっと動けなくしただけ、お姉さん凄くて近寄りにくかったし。熱を操る能力って先生とかは言ってたかな」


 莉乃は今日の国立神経科学研究センターで起こったことを、彼女が覚えている限りではあるが瑠奈にも話していった。坂上澪という襲撃者の存在、彩音京也の贖罪とも言えるような夢、そして莉乃自身の「自他共に操り得る能力」について行ったこと。

 特に莉乃の能力の話の最中、聞いている瑠奈は何度も大声を上げては店主に注意の眼差しを受けた。


「織原ちゃんエッグい! 何が『触らないで! 気味悪い!』だよ! 自分の方が私よかよっぽど酷い能力と使い方じゃんか~」

「あれはもう一人の私が的な? なんか敵と戦うぞってなると、我ながら恐ろしいこと平然としちゃうんだよね……」


 瑠奈に突っ込まれ、実際返す言葉も見当たらないようであった。冗談っぽくしようとしてみたものの、莉乃は自分がしたことに対して恐怖するように俯いてしまう。

 あからさまに落ち込む莉乃を見て、瑠奈はその小さな身体で必死に手を伸ばし、莉乃の手を掴む。


「心配いらないでしょ! だって織原ちゃんは『敵』って思った相手にしかそれしてないんでしょ? それなら十分制御出来てるじゃん! 何かに没頭すると性格変わっちゃう人なんていっぱいいるよ!」


 大声で莉乃のフォローに励む瑠奈に、とうとう店主から直々に注意をされてしまう。平謝りをする以外ない瑠奈は、店主が去ると落ち着き直し莉乃を見る。


「やっぱりさ、わからないと怖いよね。ちょっと違うけど私もそうだったからさ、織原ちゃんの気持ちわかるよ。多分剛ちゃんもそう。先生の元に来る人はみんな自分がわからなくて怖くなったことあるはずだよ」


 優しく語りかけてくる15歳の、ひとつ年がしたの後輩に莉乃は思わず涙ぐんでしまう。しかし、莉乃も年上としてのプライドがあるのか、泣くまいと唇を噛み締めているのが一目瞭然だ。


「良いんだよ織原ちゃん、寂しい気持ちはこのあと私と一緒にホテルで――」

「行かないわよ、しかも未成年がそういう所入れるわけないでしょ。バカみたい」


 いつものように軽いノリで来る瑠奈に、莉乃もいつも通り軽くあしらった。


「……ありがとね、悔しいけど私よりよっぽど大人だわ」

「もっと大人な私、ベッドの上で織原ちゃんに思い知ら――」

「だから行かないわよ! 人が珍しく誉めてもこれなんだから!」


 瑠奈は湿っぽいのが苦手なのか、あるいは単に目の前の先輩に気を遣ってか、ふざけたように返す。莉乃もそれは察しているのだろう、二人は笑いながら言葉をぶつけ合う。


 だが、残念ながらこれが決定打となってしまったのだ。月がうっすらと見え始める頃、二人のもとに再度人影が訪れる。店主、その顔は怒りの一色に染まり上がっている。

 莉乃と瑠奈は無事退店を命じられ、そこそこに話した末にその日は解散する運びになった。

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織原莉乃は出る杭だから打たれる前に打ち返す 20時18分 @pm2018

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