第4話 無情なヒロイン
莉乃達4人は長い道中を超え、天上につかんばかりに積み上げられた本の塔が幾つもある部屋に着いていた。彩音が意識のある莉乃と剛介へドリップしたコーヒーを振る舞っていることからも、ここが彩音京也の研究室で間違いないだろう。
「ミルクとガムシロもそこにあるから、遠慮せず使いたまえ。私の好みを押しつけるつもりは無いからね」
彩音はマグカップを回し、香りを愉しむように鼻孔へ近づける。剛介は言われるまでもなく、真っ黒なマグカップの中へミルクとガムシロップを溢れんばかりに入れまくっていた。
「それ、逆に身体に悪そう」
莉乃は特に何を入れるでもなく、年不相応にブラックコーヒーを真顔で飲む。一方、剛介はガムシロップの層を崩すように混ぜる。
「苦いもん甘くして何が悪いんだよ。それに俺は何飲んでも食っても超健康体を維持出来るんだからな」
「傷は治っても好き嫌いは直らないんだね、ウケる~」
微塵も表情を変えない莉乃に剛介は溜め息をつくと、ガムシロップの層が残ったままコーヒーを満足げに飲む。
「織原くん、面白いこと言うね。確かに好き嫌いは直らない……いや、これは物の例えに過ぎず実際は適応の可不可。だが健康を指標にすれば矯正も……でも苦味は生物の生存本能が……」
莉乃の何気ない一言に彩音は過剰に反応する。またもや1人の世界に入っていく彩音に、餌を与えてしまった莉乃も乾いた笑いをする他ない。絶え間なく独り言を発しながら本の山へ突入して何かを探し始める。すると、山積みの本が崩れ出し莉乃と剛介、部屋の隅でぐったり立てかけられている澪にも猛威を振るう。
「先生! ちょっと! あぁもう、だからあれだけ人が来る前くらい片付けろって! おい! 彩音!」
「一応お姉さんと部屋から出とくから、阿古さんガンバ」
「織原ぁぁぁぁぁぁあああ!」
驚異的な身のこなしで澪を担いで部屋から離脱する莉乃、本の波に呑まれて悲鳴を上げる剛介。本題に入るのはいつになるのやら、彩音京也は非常時ですら普段と変わらぬ変人っぷりを発揮した。
◆
「――いやぁすまんすまん、気になると周りが見えなくなってね、でもさっきのは織原くんもいけないと思うよ? とても良い所を突きすぎじゃない?」
「先生、人のせいにしないでください。みっともないです」
莉乃の冷静なツッコミに、彩音は手を叩いて爆笑する。この男はいつでもどこでも上機嫌だが、もう少し頭のネジが外れてなくても良いだろう、と言わんばかりに剛介が虚空を見つめている。
彩音が笑い終えると、一呼吸置くこともなく彼の声のトーンが変わる。
「失礼したね。織原くんは野比くんから真の史実を聞いているよね?」
「あっ、はい。日本がこの世界の実質の支配者って事ですよね」
「ド直球な言い方だね、その通りだ。」
彩音は口角を上げるが、その眼は先程爆笑という爆笑をしていた男と同一人物とは思えないほどに微動だにせずまっすぐ莉乃を見つめている。莉乃はあまりの迫力とギャップに思わず唾を飲む。
莉乃の緊張は伝わっていただろうが、彩音はクールダウンを挟むことなく続ける。
「これを創り上げた超能力は日本固有の政略兵器だったんだけど、形式上世界がひとつになった事で情報も漏洩してしまったんだ。今は名もなき旧諸国の研究者達は報復と好奇心から手を出し、その矛先がここに向いてるってわけだ。」
彩音は背もたれのついた椅子へ腰をかけ、今の国立神経科学研究センターの置かれている状況について詳細を莉乃へ伝える。
かつて猛威を振るった超能力者達は旧日本国領土内にある複数の研究施設をと送られた。兵器として開発された彼らの出生は様々であったが、例え家族がいようとも殺戮兵器と化した我が子を平和で世界を抑えつけている支配者から奪い返そうという気概のあるものはいなかった。
超能力者達の大多数は、命を尊重されることもなく研究者達の好奇心によって殺されるばかりであった。彩音京也の父と母もその研究者達の1人であったという。両親が自分と同じ年頃の人間を何の躊躇いもなく実験し、処分していた事に強く疑問を抱いた。彩音は大学院へ進学し、後に両親が執着した超能力というブラックボックスの封を開けるまでに至り、血は争えず魅入られてしまった。
だが、それでも彩音は優しい男だったのか、あるいは真に外道であったのかはわからないが、新たな形態で超能力者を受け入れ、研究に没頭した。
かつて兵器と恐れられ、人権の欠片も無かった者はもちろん、今の時代に生を授かり、無意識のうちに能力を発現し得る子供達も含めた全ての超能力者を保護し、適切な力の使い方を覚えさせようとしたのだ。その過程で、剛介のような若干非人道的な実験――これもひとつ、彩音と剛介の信頼関係が成せる事ではあるが――も超能力者当人の健全な選択の権利を確保した上で了承を得て行う。そこから彩音は、望むならば能力は得る事も消す事も自在である世界を目指す事に尽力することになった。
しかし、日本という国の業は酷く深い。彩音の理念を聞いて多くの超能力者が集まったが、彩音の研究施設及び研究それ自体への悪意も集まるにようになった。幾度とない襲撃が訪れ彩音の命も脅かされたが、彼の仲間であった超能力者達がそれを良しとしなかった。
だが、若き超能力者達は能力を有している以前に1人の子供であった。それ故に突きこまれる隙はあまりにも多く、それぞれの出生への寝返りが後を絶たず散り散りになってしまった。そこから漏れた彩音の研究実績が多くの暗躍する機関を生みだすに至った。
この背景事情を全て彩音の罪とするのは馬鹿げているが、そうしないとやりどころの無い怒りや憎しみがこの世界に、若き才能溢れる子供達が多く生まれてしまったのだ。彩音はそれを受け入れいた上で、再度真に平和な超能力者達の居場所を設立しようと努めている。
彩音の話を聞いた莉乃は俯いてしまう。彩音京也の研究に対する好奇心は言われずともわかっていたが、責任を取ることを厭わない真摯な姿勢は未だ16歳の彼女にはあまりにも重かった。
「だから、私は君達を救いたい。能力を有するもの全員だ、誰ひとり例外は無い」
莉乃が目を反らしても、彩音は自身で紡ぎあげた言葉を、ただひたすらまっすぐに投げかける。それは全てをわかって貰おうという事ではない。自分をさらけ出すことで信頼を勝ち取るという、彩音がこの使命を自身に化してから身に付けた彼の能力なのだ。
「……なんで先生は日本の助けを借りるの?」
絞り出すように莉乃は彩音へ問う。その疑問は最もだろう。彩音は自身で日本のした数々の所業に対する贖罪とならんと言わんばかりの行動をしている。それも、憎しみの象徴たる日本の後ろ盾を借りているのだ。
「私が無力だからさ。だがこのままでは終わらんよ、絶対に中からこの世界を変えてみせる」
力強く言葉を放つ彩音に、剛介が立ち上がり莉乃へと歩み寄り肩を叩く。
「俺らは先生なら出来ると信じてんだ。この人には、世界をそうさせるんじゃないかって決意と熱意がある」
剛介の言葉に彩音は目を伏せ、笑みを浮かべる。多くは語らずとも、彼らの信頼関係の強さが想像を凌駕するものだということを人生経験の乏しい莉乃でも察することが出来た。
「ペテン師が……ウチは、お前を……!」
3人は思いもよらぬ事態に、勢いよく声を主へと目をやる。彩音の長話の間に坂上澪が意識を取り戻していたのだ。だが澪は立ち上がることもなく、肘で這いながら彩音を睨みつけていた。
「手厳しい評価だ。だが私は、それも覆さなければならないよね」
「……先生、こいつどうすんだ?」
ニヤつく彩音に剛介が間を置き投げかける。敵意をむき出しに、ついさっき殺そうとしてきた相手へも慈愛の眼差しを送る彩音を剛介は刺すように見る。
「もちろん、実験に協力してもらうのさ。それは即ち、私が生涯助けを差し伸べることを意味するよ」
彩音はスッと立ち上がり、部屋の隅で這い寄ろうともがく澪へと近づく。澪は歯が割れんばかりに歯ぎしりをし、瞼がめくり上がりそうなほど眼をカッと開いていた。澪の数歩前まで行くと、彩音は膝をつき彼女へと視線の高さを寄せる。
「殺す! 喉首噛みちぎってやる! お前は絶対にウチが殺してやる!くそっ!」
澪は肘で無様に、だが確固たる憎悪の念を全身から溢れだし彩音へ吠える。剛介はただまっすぐに彩音の行動を見つめるが、莉乃は強い負の感情に怖気づいてしまう。
「何が救いたいだ! ウチは知ってるぞ、お前だ、彩音京也。お前が世界を滅ぼし、ウチらを異常者扱いしていじくり回して、兵器にして……」
威勢良く叫んでいた澪だったが、次第にその声は掠れて小さくなり、彼女も顔を伏せて肩を震わせる。嗚咽を堪えるように肘を地に打ち、未だ満身創痍の身体に鞭を打っている。
「返してよ……ウチらの平和を……パパとママを……」
澪の顔の下にはぽつりと涙が床を跳ね続けていた。四肢の自由を奪われた彼女は何もかも奪われきった後で、唯一拠り所としていた能力をも実質奪われてしまったのだから。澪の能力の練度は彩音から見ても口に出して驚くほどであったのだ、その背景には想像を絶するほどの努力があったことだろう。
強気な発言を繰り返していたが、彼女の精神は既に擦り切れていた。何もかもを無くし、憎むべき相手には見降ろされ、拘束されているわけでもないのに立ち上がり殴りかかることさえ叶わない。そんな人間がどうすれば気持ちを保てるというのだろうか。
目も当てられない程に打ちのめされた澪に、莉乃は思わずその場に倒れるように座り込む。剛介は澪へ近づき手をかかげようとするが、彩音がそれを止めるように腕で遮る。
「かたき討ちを譲るわけにはいかないが、君の助けをしたいんだ」
彩音は腕を下ろし、目の前でうずくまることも叶わずむせび泣く女性へ語りかける。
「私は多くの研究に携わってしまった。その中で君のご両親をも巻き込んでしまった事は、ただ謝るしかできない。でもせめて、それで苦しんでしまった君を救いたいんだ」
真摯な眼差しを澪に送るが、伏せたままの彼女が彩音と目を合わせることは無かった。
彩音の研究室内に静寂の時間が流れる。彼の語りかけに澪は答える気配もなく、ただ静かに涙をこぼすのみだ。莉乃は3人をしきりに見ては困惑し、どうするべきかわからないでいる。剛介は彩音と澪を見つめ続けるが、次のコーヒーを勝手に淹れ、またもガムシロップとミルクを片手間に注ぎ込む。
痺れを切らしたように、彩音が一息つくと立ち上がって剛介を見る。
「阿古くん、ひとまず彼女の腕と脚を治してやれるかな?」
「待ちくたびれましたよ。でもそれ、さっき言った通り治したこと無いんでわからないっすよ」
おかわりを淹れたコーヒーカップを近くの積み重なった本の上に置き、剛介は再度澪へと近づき手をかざす。淡い光が患部から溢れだし、澪の見えざる傷を癒やす。だが、剛介は怪訝な顔をして光を見つめていた。
剛介の表情から何かを察したのか、彩音は莉乃へと顔を向け手で招く。
「織原くん、阿古くんの手伝いをしてやってよ」
思いもよらぬセリフに莉乃は驚くが、小さく返事をして立ち上がると澪の元へと小走りで向かう。未だすすり泣く澪と距離を縮めたことで、莉乃の表情が一層暗くなる。
莉乃はここまで重い重い事情を抱えた人に関わることもなく、死というものも遠くに感じたままの少女である。表面上の健やかさのみを享受し続けた少女には、今日だけでも新しく得た情報の量はあまりにも多すぎたのだ。
だが、戦いの中では常人の域を逸脱したセルフコントロールを平然とこなし、超常の力をも天才的な閃きで使いこなす。眉ひとつ動かさずにおこなった非情な選択をしておきながら、莉乃は今その結果にすくみあがっている。異様な光景に剛介は強い違和感を抱くが、彼自身の目の前の仕事に尽力するように澪へと目を向け直す。
「先生、私に何ができるの……?」
莉乃は不安げに彩音に訪ねるが、同時にどこか顔色を伺うようにも見えた。そんな莉乃を見て、彩音は優しく微笑みながら莉乃を導く。
「織原くん、まずは君自身が落ち着くことからしようか。君なら簡単に出来る、絶対に。その能力に、君自身に誇りを持つんだ。そして、それを取り巻く何もかもは決して怖がる必要は無いんだよ」
彩音に対して莉乃はこくりと頷くと、祈りを捧げるように眼を閉じる。彼女が心で何を思い、反芻したのかはわからないが、次に眼を開けた時には別人のように落ち着いた表情になっていた。
顔を上げた莉乃は治療に従事する阿古の、澪の患部へかざした手首を掴む。
「阿古さん、これは治療とはまた違う。何かの欠損による障害じゃないから、多分アンタの能力の対象外」
「どういうことだ、ちゃんと説明を――」
剛介が言い終える前に莉乃は彼を澪から引き離してしまう。すると、莉乃は澪の顎を添えるように持つとガッと勢いよく顔を上げさせる。ぐしゃぐしゃに泣いている澪の顔が露わになるが、彼女は抵抗することも出来ずにただ泣き続けるだけだ。
それだけではなく、莉乃は先程の戦闘で澪の顔につけた爪跡の傷口にグッと人差し指を突き刺す。傷口は開き、浅いながらも多量の血液が澪の顔を滴り流れる涙と混じり合う。
「あ……あああぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」
静かに泣いていた澪だったが、能力と四肢の自由を奪われた光景がフラッシュバックしたのだろう。鼓膜が破れんばかりに叫び、泣き喚き始めてしまう。
「ここが織原くんの悪い所だねぇ」
「鬼かよ……」
彩音が莉乃の無慈悲な所業を見て呟いた。泣きじゃくる女性の顔を強制的に上げ、それにとどまらず顔の傷口を広げているのだ。流石の彩音ですら若干引いたような表情をしており、隣まで下がってきた阿古に至っては更に数歩実際にあとずさる。
ただ、指を刺したかと思うとすぐに抜き去ってしまう。噴き出す事は無いが、痛々しいほどに血は流れ出し、澪の顔はほとんど赤く染まってしまった。
「はい、終わり。お姉さん動けるはずだよ」
莉乃は指に着いた血を振り払い、澪へ告げようとする。
だが、それを告げるまでもなく莉乃が指を抜くのと同時だろうか。澪は上体を手で起こして立ち上がり、跳ねるように部屋の隅へ逃げる。つい今まで這う事しか叶わなかった澪だが、両脚で見事な逃げっぷりを披露した。
「来るな! 来るな! 来るなぁぁあ!」
しかし、当の本人は恐怖に支配されてしまっており、自由に身体が動くようになった事実に気付かず狂ったように莉乃へ叫び散らかす。
「マジかよ……手足の治療も回復も、何も手応えが無かったのをどうして……」
澪の元気に発狂する姿に剛介は開いた口が塞がらないようだった。彼自身の能力では何一つ変化の手応えを感じ得なかったものを、回復を剛介に頼っていた莉乃が一瞬で解決してしまったのだから無理もない。
「阿古くんは機能障害は不可と――」
「先生、これ治療とかってのと違うんです」
彩音が顎に手を添え考え出そうとするが、莉乃が間髪いれずに否定した。自身の好きな時間のひとつである考察を邪魔された彩音は少しムッとするが、その続きを求めるように莉乃を見つめた。
莉乃は鼻で笑うと少し間を置き、敢えて焦らすようにゆっくりと口を開く。
「私、先生のヒントを貰って逆のことを試してみたくなっちゃったんです。それで、『手を動かそうとしたら眼を開いちゃう』とか、別の部分へ動きって移せないかなと思って。それを元に戻してあげただけですよ」
莉乃の答えに、彩音は堪え切れず高笑いを始めてしまう。
彩音京也の研究室には悲鳴と笑い声が交錯する、先程とは一転して大変賑やかな様子となり果てた。
「それはなんとも、いやはや狂ってる! 本当にただの女子高生してたのかい? 織原くん、勿体なさ過ぎる! 君は私の予想を平然と超えるね!」
まるで無邪気な少年のように彩音ははしゃいでみせると、元いた彼の大きな椅子へと戻ってどっしりと座った。机の脇に置いていた薄い鞄からノートパソコンを取り出すと起動するが、立ち上がりの数秒も堪え切れないように指で机を叩いて見せる
「色々試したくて滾るねぇ! ……ただ、ちょっとその前に片付けないと、だね」
パソコンが立ち上がったのか、止まることを知らぬが如くキーボードを弾き出し、同時に貧乏ゆすりを始める。彩音の身体は落ち着きを知らないが、その口と目線は部屋の片隅で震えて吠える澪へと向けられていた。
歓喜の声を上げる彩音とは対照的に、無事に身体の自由を取り戻したはずの澪は四肢を折り畳むように縮こまり、莉乃を真っ直ぐ見て言葉にならぬ声を上げている。その眼は恐怖の一色で染まっており、莉乃は何の感情も抱いていないかのような、表情筋の活躍の無い顔で見降ろす。
「先生、俺には心の病も治せる自信はもう無くなったぞ。目の前の化け物女子高生のおかげでな」
剛介もまた澪を見つめていた。彼の苦々しい顔と自信の消失を招いた原因は、斜め前に立つ織原莉乃という女子高生にあった。彩音へ遠まわしに無理だと言いつつも、剛介は澪へ近づいて彼女の頭に手を添えるてはみているが、怯えきった女性があり続けることが答えとして無慈悲に突き付けられる。
彩音は剛介にヒラヒラと手を振り、やめるように促して澪から離れさせる。
「阿古くんは散々データを取ってるからね、駄目もとだから大丈夫。これは野比くんでも試してみて、駄目なら瀬良くんか」
彩音はクルクルと椅子で回りながら上を見上げ、幾つか案を出した。剛介は一言謝るが、彩音は笑っており全く気に留めていないようだった。
「瀬良さん……は何をする人、ですか?」
2人の間へ若干控えめに莉乃が質問を挟んだ。初めて聞く名前、瑠奈と並ぶということは超能力者であることを察するのは容易であろう。
「悠美……瀬良悠美は精神操作の類いの能力者だ。ほとんどセラピストみたいな事しか出来ないけどな」
「瀬良くんはとても優しい子だからね。この研究所内で救われている者は多いんだ、戦う力だけが超能力じゃあないんだよ」
彩音は剛介の言ったことに付け加え、瀬良悠美という女性について説明した。剛介はばつが悪い顔をするが、彩音はにこやかに「拗ねないでよ阿古くん」と茶化す。
「だからね、野比くんに精神的な成長も出来るか試したうえで、無理なら瀬良くんへポイッとね。十中八九、坂上くんの精神状態は回復するさ」
剛介を茶化した表情のまま彩音は莉乃へ視線を送る。莉乃が澪を心配しているかどうかはわからない。正確には、心配ないしは不安げな瞬間と興味が微塵もない瞬間のどちらも存在した。今の莉乃がどう思っているかは不確かだが、それでも彩音は彼女へ気を遣ったのだろう。
「やっぱり今日は一先ず解散だね。アナウンスは無かったが警報は止んでたし、長話をしているうちに襲われる事もなかったということは澪くんだけだったようだね。」
パソコンを叩き終えると、彩音は施設内の警戒解除を伝えるメールを開いてパソコンを莉乃達に向けた。
「いやぁ、君達の身の安全を第一に考えるべきだった。好奇心が勝ってしまってつい忘れてたよ……」
またも笑って誤魔化そうとする彩音に、莉乃と剛介は顔を見合わせて呆れたように肩をすくめる。そんな2人を相変わらず気にせず、彩音は電話をかける。
「――あぁもしもし、沖おきくん元気? そっちどう? 火災? 大変だぁねぇ……うん、そうね――」
話を聞いている限り、同施設内の研究員と話しているようだった。世間話のように被害状況を軽く確認し終えると、襲撃の犯人たる澪の確保と状態を伝え、人手を寄越すように伝える。
「あぁ、阿古くんは織原くん送ってあげて。エスコートは男性の嗜み――ん?そうそう、例の女子高生の子ね、いやぁ凄くてさぁ――」
電話をしながら片手間で指示された剛介は生返事をし、莉乃に一声かけ部屋を出ていく。莉乃は彩音へ一礼し、彼が手をひらりとして返したのを見て剛介の後に続いた。
彩音京也の研究室は一転人口密度が減るも、彼の賑やかな話し声と澪の現実逃避するようにあげる声とが広がり続けた。
◆
莉乃と剛介は歪んだ廊下を歩く。澪の能力がどれほど強力であったか示すように、窓のない研究室内の壁や扉がひび割れを起こしていた。建物内だというのに、2人は微妙な勾配を成す道を進み続けた。
「アイツ、どうなっちまうんだろうな」
いびつな廊下をじっと見つめて歩きながら、剛介が独り言のように呟く。
「どうって、お姉さんは敵なんじゃないの?」
「お前先生の話い本当に聞いてたのか?あの人はアイツも救うつもりだ、つまりは俺達と同じように迎えようとしてるんだよ。でもあのザマじゃな……」
莉乃は「あぁ」と抜けた返事をするが、そのあとに続く言葉は無かった。莉乃は何を考えるのだろうか。澪を狂わせた直接の引き金を引いたのは彼女なのだ。人一人の人生をめちゃくちゃにしたと言っても差し支えない、誰が見ても明白にわかる状況だ。それならば、狂わせてしまった一介の女子高生はどう思い、考え込んでしまうだろうか。
だが、その莉乃は一介の女子高生ではなかった。何も負の感情を思わせるような表情を見せない。
「瑠奈もその瀬良さんって人も無理だったら、多分私がどうにか出来るし大丈夫でしょ」
真顔で非常識なことを言う莉乃を、剛介は若干引き気味で見つめる。だが、発現した当人は至って真面目であるかのように、剛介に対して疑問符の浮かんだかのように首をかしげる。
「いや……お前、自分の能力のこと何かわかったのか?」
「うん、大体。とりあえず人なら自分でも他人でも思い通りになるんだと思う」
「は?」
剛介は思わず立ち止り、若干声のボリュームが上がる。
「阿古さんも頭に爪グイッとさせてくれれば、運動神経抜群にしちゃうよ」
いたずらに莉乃は笑うが、全力で首を横にふって剛介は距離を取る。莉乃の言う事に信憑性が無いとは言い切れないが、先程の澪の様子を見せられて同じように能力を味わう人――それが超能力者となれば尚更だが――は決していないだろう。自身のアイデンティティを奪われでもすれば、誰しも澪のように発狂しても不思議ではない。
それが、ただの女子高生に、一瞬で行われでもすれば無理もないだろう。
「これ先生が最初に提案したんだから、やっぱあの人おかしいわね」
クスクスと莉乃は笑うが、剛介は血の気が引いたような顔色と化していた。つまりは、もし何か能力の勘違いでもおこしていて、莉乃が彩音の提案通りに動いていたら剛介の能力が崩壊していた可能性もあったのだ。勘弁してくれと言った矢先、その危険がついさっき訪れていた真実に気付けば顔も青ざめるだろう。
莉乃は「やんないから」と剛介の背中をバンッと叩き、上機嫌で廊下を進む。
日差しの差し込む所まで戻り、一件の出来ごとが一瞬であったことを再認識させられる。日が少し傾いた頃、2人は数時間ぶりに澄んだ空気を全身に浴びた。
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