第3話 紅蓮の襲撃


 国立神経科学研究センターは研究施設であるが、不相応な程に広大な敷地面積を誇っている。地図上で確認すれば、まるで運動公園を施設内に有しているのでは無いかと思わせる大きさである。外観は大学のキャンパスに似た建造物であるが、中庭らしい中庭はなく建物がどっしりと構えるのみだ。


 三人は延々と続く見応えの無い廊下をひたすらに進み続ける。彩音と剛介は特に意にも介さず歩みを続けるが、痺れを切らしたように莉乃が口を開く。


「ねぇ、これどこに行くの?」


 何度か曲がったり階段を上がったりはあれど、似たような廊下を何も知らされず歩いていれば当然の疑問だろう。先頭を歩く彩音は足を止めず振り向き、不思議そうに莉乃の顔を望む。


「私の研究室さ。さっきも言っただろう?」

「聞いたけど……あんまりにも遠過ぎないかって」

「ほら、誰が来てもこう言うんですよ。もうちょい施設内の移動方法に気を遣って貰っても良いんじゃないですかね」


 剛介がすかさず賛同の意を示した。彼も彩音に呼び出されるたびに、この道中の長さに辟易としていたのだろう。今や絶滅したヤンキーを彷彿とさせるような眼光を彩音へとぶつける。


「阿古くんも織原くんも若いんだし、これくらい問題無いでしょ? 私はこうでもしないと運動不足でね、おじさんの健康のためと思って許してくれたまえ」

「とか言って、酒も煙草も薬もやるじゃないですか……。俺いなかったら今頃墓の中っすよ」


 彩音は相変わらず笑いだすが、剛介は疲れきったような表情をして肩を落とす。莉乃はそれらの事実にまたもや驚いていたが、今度は口には出さずに飲み込む。

 趣向品の多くはかつての世界統一に伴って規制されており、今や持っているだけでも世界統治法という新設された法律に触れることとなる。剛介の言ったそれぞれの趣向品は、莉乃のような今の普通の女子高生をしていれば教科書の写真か博物館でガラスケース越しでしか見たことのない化石のようなものだった。


「やっぱりそういう中毒性のある成分物質って身体に――」



「緊急事態発生、侵入者及び施設内で火災が確認されています。職員の皆さんは速やかに――」



 莉乃の言葉を遮るように、大きな警告音と共にアナウンスが施設内に響き渡る。照明は赤白く点滅し、視覚でも聴覚でも訴えかけてくる。彩音と剛介は顔を合わせるが、驚く剛介と対照的に彩音は心底嫌そうな顔をしていた。


「先生! これは!」

「来たようだね、タイミング悪いんだよなぁ……」


 彩音はやれやれと溜め息をつき、後ろを歩いていた莉乃へと向き直る。チラリと莉乃を見て思う所があったのか顔を伏せ少し唸るが、それをやめると視線をまっすぐ莉乃へと向けなおす。


「織原くん、申し訳ないけど邪魔者が来ちゃったようだ。まだ能力の把握が出来てない以上は危険が伴うし、今日は帰って貰ってまた後日かな」

「その侵入者って、一体何なんですか……?」


 唐突に帰そうとする彩音へ、あまりの切り替えの早さに莉乃は噛みつくように質問を飛ばした。彩音は再び悩んだが、剛介に目線を送り、コクりと頷くのを見て一呼吸置いてから口を開く。


「超能力者、なんだよね。ここを襲撃するような輩となると、日本への恨みからプログラム参加を拒否したりってところかな」



「その通り! ウチらの原動力は報復と自由の獲得!」



 三人の後ろから、彩音の言葉へ応えるように叫ぶ女性の声が、警告音でやかましい廊下に響き渡った。


 女性はコツコツとヒールの音を立てながら近づく。無造作な赤毛が顔を覆うように伸びきっており、黄色い瞳が爛々と三人を見渡す。シンプルなシングルのライダースに白いシャツ、スキニーパンツとスタイルが良し悪しを決める組み合わせを見事に着こなしており、一挙手一投足がやたらと恰好がつく。


 女性が歩みを止めると、彼女の周りの廊下や床が歪み始める。隅々まで空調が効いており適温であったはずが、真夏を超えたような熱さが廊下に蔓延した。女性を見つめる三人の額には汗が急速に滲みだすと、廊下の窓ガラスが割れ、空気が吹き荒れる。その場がどれだけの温度上昇をしているかを物語っていた。


「なんで急に……火災の影響?」

「違うな、これはやつの能力だろ」


 莉乃の一言に剛介は即座に否定し、目の前の確固たる「敵」を見つめながら彼自身の見解を述べた。彩音はただ首を縦に振るのみで言葉は発さず、彼もまた熱気を撒き散らす女性から視線を外すことは無かった。


「彩音京也に……そっちの女は知らないが、男の方は回復自慢のサンドバック君か。ウチってもしかしてラッキーじゃん?」


 赤毛の女性は踏み込むと地を勢いよく蹴りだし、一気に距離を詰めてくる。それと同時に熱風が三人を襲いかかるが、あわせるように剛介が一歩前へと出る。迎え討とうとするも、女性の右ストレートは剛介の顔面を綺麗に捉える。

 しかし、今度の阿古剛介は噛ませ犬ではない。顔面で右拳を受けとめ、そのまま彼女の腕を両手で掴んだ。


「捕まえ――あっつ! いや冷てぇ!」


 取り押さえることに成功したはずだったが、剛介は反射的に赤毛の女性の腕を自ら振り払ってしまう。赤毛の女性は不敵に笑うと、体勢を立て直し、腰に手を当て立ちつくす。


「お前、身体は丈夫でも普通の神経してんだろ? 熱いのと寒いの、どっちで死にたぁい?」


 赤毛の女性が鼻で笑うと、今度は周囲の温度が一気に下がり始める。建物の内装には亀裂があちこちに走り、またしても風が強く吹き荒れる。異常な温度変化の中、依然として目の前の女性は平然としており、急激な温度差に苦しむ三人を見て愉しんでいるようにも見えた。


「織原! お前は逃げろっ!」


 剛介は劣勢であると現状を受け取ったのか、莉乃へと叫ぶ。赤毛の女が言うように、剛介の能力は超次元的回復能力に尽きる。それは一見無敵を意味するようで、似て非なるものだ。


 これまで、日常生活から彩音の実験やお遊びに至るまで、剛介は様々な刺激を五感全てで浴びていた。例えば、つい先程の莉乃の上段蹴り。当てどころが悪いわけでも無しに、蹴りを繰り出した本人が痛手を追うほどの衝撃を顔面で真正面から受ければ様々な負荷が身体を襲う。痛覚が大量の情報を脳へ送り、且つその脳は震えるのだから物理的ダメージも発生する。強烈な刺激でも、死亡ないしは意識の喪失に至らなかったのは、先述の刺激による閾値の異常なまでの拡張及びそれに伴う再生速度の向上があった。

 しかし、目の前にいる赤毛の女性はいわば剛介の死角を突き得る。彼はこれまでマグマの中に突っ込んだことは無いし、逆に北極で海水浴をしたこともない。つまり、温度変化による細胞の破壊や活動停止に対する経験値はあまり無いのだ。


 これは剛介を援助する彩音もよく知っていることであることは言うまでもない。その彩音の表情はというと、苦々しいようにも見えるが未だに赤毛の女性から目を離さなず、口角は微かに上がっていた。現状の劣勢を強く認識する以上に、彼の研究者としての好奇心が溢れだして止まらないことの現れであろう。

 寒さで震える莉乃は、状況を上手く把握出来ていなかった。剛介は何故逃げろと叫ぶのか、明確な殺意を抱いた相手に対して勝てる見込みがあるのか否か。困惑する彼女は赤毛の女性と目が合ってしまう。


「そこにいるって事はお前も……。悪いけど、可愛い女の子でも容赦は出来ないよ!」


 赤毛の女性が指を鳴らすと暴風が吹き荒れ、細い熱波が莉乃の頬を掠める。莉乃の頬に焼けるような痛みが走ると共に、室内という密閉空間で急激な温度変化が起こったことで気圧の変化に伴って空気の流れが現れた。自身を襲ったものが一体何かもわからない莉乃は、一層顔をこわばらせるのみだ。


「熱量操作……凄い精度でやるね。」


 彩音が穏やかに呟き、再度考え込むように唸りだす。そう間を空けることなく、彩音は莉乃を見ると、状況がわかってないのか随分楽しそうな表情をしていた。


「織原くん! 君のもひょっとして、他者へ干渉出来たりしないかな?」

「え? 先生、急にどういう――」

「君の能力は恐らく神経パルスの伝達効率を最適化するものと見ている。それを阿古くんにやってあげて、彼も君のように動きを良く出来たりしないかなぁ、なんてさ!」


 そう言い放つも、彩音は続けてブツブツ呟きながら傍から見て気味が悪いほどの笑顔であちらこちらを見回しだす。特に何をするわけでもなくそれを続けているあたり、これが彼の熟慮する姿なのだろう。考えた結果なのか、再度莉乃へと向き直って笑顔を飛ばす。


「うん! 織原くんなら簡単に出来るよ、出来ないわけがない!」

「ごちゃごちゃうるさいよ、彩音京也!お前さえ殺せば――」

「絶対出来る! この私が強く保証しよう!」


 赤毛の女性の言葉へ耳を傾けることも無く、彩音が断言した次の瞬間。


 否、莉乃の体感時間としてである。赤毛の女性が彩音に対して矛先を変えた時、彼女は世界が静止したかのように見る。スポーツにおけるゾーンのような、異様なまでの集中力が成せるそれに近い。しかし、莉乃は集中することへ尽力したわけではない。


 織原莉乃は、ただ自身が全能であると再認識したのみであった。


 彩音の発破掛けがある種のスイッチと化し、彼女は様々な可能性に考えを巡らせる。これが出来るのも彩音が言ったように神経パルスの最適化――あらゆるセルフコントロールの究極化――が成せる技であろうか。

 そして、莉乃は選択を終え、行動へ移る。


「――今回の任務は完了なんだよ!」


 赤毛の女性の言葉が続く。女性はセリフを放つと、大気を舞わせるように両腕を開こうとする。だが、腕が開かれるまでの一秒もない間に、莉乃は赤毛の女性の懐に潜り込んだ。

 彩音は未だ莉乃が先程までいた虚空へと笑顔を放っており、剛介は熱弁を奮う彼を庇うように射線へと動こうと脇目で見ていたはずだった。だがその二人とも、莉乃のあまりにも異様な動きを目で追うことも、「織原莉乃が敵へと突っ込んだ」という事実を認識することも叶わなかった。それは剛介越しに彩音を狙っていた赤毛の女性も同様であったことは言うまでも無い。


「――なっ!」


 赤毛の女性は思わぬ襲撃に一歩退こうとするが、莉乃がそれを許さない。後ろへ重心をずらす赤毛の女性を眼で知覚し、まるで予想していたかのように追撃をかける。

 勢いをそのままに、体幹を維持したまま見事に全身の回転軸を活用して右腕を引いて掲げる。



「ごめんなさい。お姉さん、普通に生活出来なくなるかも」



 謝意の感じられぬ澄ました顔で莉乃は呟くと、身体のバネを存分に発揮して右腕を突き出す。莉乃は赤毛の女性の頭へ爪を立てた右手を放つと、そのまま頭を叩きつけるように押し倒した。


「うぐっ!」


 赤毛の女性は危険を感じ、どうにか背中から着地するように倒れた。莉乃がそれのみでは許さず、浮いた頭を地に強く叩きつける。莉乃の爪はそれほど伸びていないはずだと言うのに、赤毛の女性のこめかみに深々と刺さり、当然血が滴っていた。


「お姉さん、近くで見ると綺麗ね」

「なに呑気なこと言ってんだよぉ!」


 莉乃が馬乗りになりながら、抑え込んでいる右手越しに女性の顔を覗いた。啖呵を切る赤毛の女性が莉乃の腕を両手で強く握り、体温を奪うように冷気を強める。急激な温度変化に莉乃は顔を歪め、腕を強く振り払おうとする。しかし、赤毛の女性も決して離す事はなく、一度崩れた形勢の優位を確信したのか笑みを見せた。


「どんだけキレが良くてもなぁ、お前も人間だもんなぁ!? 今のはビビったが、一撃で決めらんなきゃただのカモだよ!」

「おい織原! 早くそいつから離れろ!」


 剛介が叫ぶも状況は変わらず、莉乃の制服の上着に霜が現れ伸びていき、今にも肩を超え身体へと達しようとしている。袖から出る莉乃の右手は既に真っ赤に腫れあがり、全面が凍傷し尽くしていた。未だ赤毛の女性の顔を捉えて離さないが、莉乃の右手が痛々しく腫れあがり霜が広がるのとは対照的に、女性の顔は健康的な肌色を保ったままだ。

 右腕が凍りつくように冷えると共に、全身の体温も当然奪っていく。莉乃は依然苦しそうな表情を崩すことは無かったが、何か思い当たったように口を開ける。


「そっか、お姉さんも人間だし、超能力も――」

「遺言を言わせてやる趣味は無いよ! 終わりな!」


 赤毛の女性が啖呵を切り、いっそう強く莉乃の腫れあがった冷たい腕を握りしめた。


 少しの間を置き、莉乃は表情を緩めると一息つき、目の前の赤毛の女性に目もくれず後ろを振り向いた。


「阿古さん、右腕早く治してくれない? 冷たいし痛い」


 莉乃の予想だにしない行動に、赤毛の女性も剛介も呆気に取られる。それも当然であろう。敵を組み伏せてはいるが、眼前の敵は――唖然としている一人でもあるが――莉乃へのトドメの一撃を放っているのだから。

 当の本人はというと、先程よりも苦い表情ではなくなっているものの、冷気に苦しんでいる事は変わりないようではあった。霜は右肩あたりで止まっており、顔は寒さで赤くなっているが健康的な赤さを見せている。


「織原……お前どうして――」

「どうして! なんでウチの能力が効いてねぇんだよ!」


 話しかけられた剛介以上に、熱を奪い去ろうとしていた赤毛の女性は激昂していた。無理もない、今さっきまで正常に機能していた彼女の能力が異常を見せているのだから。冷静さを欠いた赤毛の女性は、莉乃の腕を揺さぶり強く問いただそうとし続ける。


「てめぇ! 早く凍え死ねよ! なんで!」


「アンタの能力を凍らせちゃった、なんてね」


 いたずらに莉乃は笑うも、赤毛の女性は更に睨みつける。女性の顔には憎悪もあるが、それ以上に困惑の色が隠せずにはいられなかった。

 莉乃はそれを見て鼻で笑うと右手で女性の頭を軽く揺らすと、今度は赤毛の女性の腕を軽く振りほどいてしまう。女性はつい今さっきまで強く握りしめていた、ふわりと離れる自分の手の方を凝視して固まる。


「お姉さんの能力、とても心躍るものだったわ。でも私の方が優秀だった、それだけよ」


 莉乃は立ち上がり、剛介の元へ歩いて戻る。


「織原くん……やはり君の能力は……」


 静観を決め込んでいた彩音がぼそりと呟くも、誰の耳にも留まることは無かった。超能力に目が無いような様子を見せていた彼だったが、この時ばかりは表情がいくらか曇って見えたのは気のせいでは無かろう。


「おい織原! お前一体どうやってあいつを止めたんだよ!」

「凍傷って結構まずいんだよね、後遺症残したくないんだけど」

「全く、どいつもこいつも人の話をよぉ……待っとけ、時間はかかるが生活に不便ないくらいには出来る」


 剛介が莉乃の右腕に手をかざし、ほのかに光が浮かび上がる。徐々に莉乃の表情が和らいでいくが、腕の凍傷が急速には回復するわけでは無かった。


 剛介の治癒能力は他者への干渉を得意とはしておらず、主に自身の回復に特化しているためだ。それでも人の傷を医療の常識を超えたやり方と早さで治せるのだから、十二分に恐ろしくも頼もしいものであろう。


「結構ゆっくりね。『超再生』の名が泣くわよ?」

「そう言ってくれるな織原くん。能力開発において、他者を用いた人体実験はこの環境でも難しいんだ。特に阿古くんの能力は元から内側に向いているってのもあるけどね」

「そういう事だ。俺がいなきゃ肩から切除だぞこんなん……しっかり感謝しろ」


 ぶつくさ言いながらも、剛介は莉乃の腕へ処置を続ける。莉乃はぼそりと「ありがと」と呟くが、剛介は気に留める事もなく治療に集中する。


 二人を傍目に、彩音は赤毛の女性へと近づく。女性は相も変わらず放心状態といった様子で、莉乃に倒されたまま天上を無心に見つめていた。


「君、坂上澪くんだよね。プロジェクト参加候補者の一覧で見た覚えがある。うちにも熱量操作の出来る子はいるが、どこでここまでの開発を?」

「あ……あぁ……」


 彩音は赤毛の女性を坂上澪と呼び質問をするが、彼女は心ここにあらずといった様子で返事をしない。彩音が言うように、国立神経科学研究センターは世界各地の超能力者候補について情報が集約している。実質の最高権力者であり且つ好奇心の鬼である彩音京也にとって、何千という数の人間についての情報を頭に入れておくことなど、ましてや関心のある分野に関係しているのだから容易いことだった。

 澪の元へも、莉乃のように案内人たる人物が訪れる予定であったが、決行を果たす前に彼女は行方をくらませてしまっていた。超能力者候補の失踪は様々な事情が背景として考えられるため、一層強く彩音の記憶には残っていたのだろう。


「……ねぇ織原くーん、どこまでやっちゃったのー? 喋れなくなってるよー?」


 やれやれと言わんばかりに頭を掻き、治療を受ける莉乃に対して彩音は不機嫌そうに投げかけた。


「感覚器官を意識したのと、手の動き変えられないかなって。あと最初に脚も動かなく出来ないかやってみたけど、これじゃわかんないですね」


 彩音の質問に抽象的な答えを返すが、その信じがたい事実の羅列に莉乃は表情ひとつ崩さない。それはつまり、莉乃自身がそれらへの干渉を出来るという確固たる自信の表れ、あるいは確信から来るものだろうか。


「なるほど、こりゃ人によっちゃPTSDものだよ……彼らの長所を一瞬でね」


 乾いた笑いと共に、少し悲しげな顔で澪を覗く。彩音は優しく澪を担ぎ上げると、ぐったりとする彼女に向かって語りかける。


「恐らく、織原くんが君を元に戻せるはずだが……それよりかはねぇ、阿古くーん!」

「今度は俺ですか……」


 剛介は呼ばれると、心底嫌そうな顔で彩音の方を向く。


「君、まだ精神疾患の治療って自他共にしてないよね? あと機能障害、試してみたくなぁい?」

「試したいのは先生でしょうが……好きにしてくださいよ」


 剛介は今日一番の深い溜め息をつく。この状況下でも遠慮の全くない、研究にのみ没頭する彩音の姿勢は剛介も敬意を表しているが、そのせいでどれだけの苦労を強いられているかは語るまでもない。


「にしても織原、お前一体何を……」

「人をそんな化け物に向けるみたいな目で見ないでよ、いつもやってる自己暗示をネガティブにして流し込むイメージをしただけよ、多分」


 莉乃の回答では全く理解出来ず、剛介の眉間には無数の皺が寄るばかりであった。莉乃もわかって貰えるとは思っていなかったようで、特に嫌な顔を返すことはなく澄まし顔のままだった。

 そうこう話している間に、無事に莉乃の右腕は健常者のそれになっていた。手をグーパーして感触を確かめると、莉乃は頷く。


「やっぱり良いね、まだ全然わかんないけど凄い事ばっかり!」


 右腕を冷凍された女子高生のセリフとは信じがたいが、莉乃はにこやかに顔を上げる。

 目の前に広がる景色はひび割れた廊下に息苦しい室内、窓ガラスは割れて散らばり未だ警報が鳴り響いて照明が危険を伝え続けている。おまけに後ろでは女性が1人放心状態で担がれている地獄絵図だ。


「織原くん……君は末恐ろしい、いや、既にもう恐ろしいね」

「野比はとんでもない化け物を寄越しましたね」


 彩音と剛介はかすかに微笑む。彼らにとって莉乃は味方になるということなのだから、心強い、あるいは研究が捗るといった所だろう


「さて、諸君! まだ他にも侵入者がいる可能性もある。気を引き締めて行こうか!」


 澪を背負った彩音が再び先頭に立ち、歩みを進める。その後ろには頼もしい超能力者が二人、彼の背中を追い掛けて歩きだす。

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