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「キーン、コーン、カーン、コーン」

4時間目の授業の開始を告げる、鐘の音が校内のいたるところにつけられたスピーカーから鳴り響く。校舎は築50年とかなり古く、スピーカーもしわがれ声を出しながら10年以上の間、校内に時報を告げている。しかし、最近の頻発する地震と防災意識の高まりから、一昨年にこの校舎でも耐震工事がなされた。太く丈夫なコンクリート製の筋交いが入れられた外周は、外から見るとかなり歪な格好になっている。

「はーい、道徳の授業を始めるわよ。早く席について。」

外の五月晴れの心地よさをそのまま映したような、美代子の快活な声が、教室内に響き渡る。低学年の子供たちの集う教室では、休み時間で校庭を走り回ったその高揚した気分を沈めさせ、落ち着いて席に座らせるところから教師の一仕事が始まる。尤も多くの学校の場合それが高学年になっても大して変わらないのだろうが。

「ほら、晴翔くん。早く、本を戻して。教科書の準備ですよ。」

晴翔は、小さな机と椅子が少し乱れつつも並んだ教室の後ろ、ロッカーの上に並ぶ本棚に読んでいた魚の図鑑を戻した。この本は、晴翔のお気に入りの一冊で、外で遊ぶ気分でないときはよく手にとって黙々と眺めている。もちろん単なる図鑑であるため、魚たちはピタリと時を止めたように本の上に行儀よく貼り付いているが、写真家の技ゆえか晴翔の想像力のたくましさゆえか、今にも動き出しそうな魚たちに、何度見ても心が躍るのである。しかし、昨日の「それ」を見て以来、彼らの生き生きとした風景は、今日の晴翔には見えなくなってしまっていた。


「はい、じゃあ今日は教科書の20ページ。『いきものをたいせつに』をやっていきますよ!」

美代子の掛け声とともに、ざわつきながらも一斉に教科書が開かれる。高学年の反抗的な子供達とは違い、先生の言うことを素直に聞くところはまだ可愛げがある。

「せんせ〜、道徳の教科書、家に忘れちゃった。」

「智洋くんは、前も忘れていたわよね。まあ、教科書がなかったから授業にならないから、隣の晴翔くんに見せてもらいなさい。晴翔くん、いいわね。」

「はーい。」

「じゃあ晴翔、机くっつけようぜ。ほら。」

晴翔は、右隣の席に座る智洋に促されるまま、机をピタリと一つにくっつけた。

「他に教科書忘れた人はいない?大丈夫そうね。じゃあ始めましょう。今日は『いきもの』についての話だけど、みんなはお家で生き物を飼ったことはあるかな?」

美代子が言い終わるのを待つまでもなく、元気よくいくつかの手が上がる。

「俺、カブトムシの幼虫飼ってる。去年も飼ったけど、でかい幼虫がいるんだ。」

「私は、金魚4匹。私の家族もお父さんとお母さんと、お兄ちゃんと、それから、私で4人なの。」

美代子は、大学時代に書道部に所属していたことがうかがえるような達筆な字で、黒板に子ども達の発言のメモを取っていく。

「カブトムシの幼虫に、金魚。私も子供の頃飼ってたな〜。他の生き物を飼ったことがある人は?」

「オタマジャクシ。」

「カエル!」

「え、カエルとオタマジャクシって同じ生き物じゃね。」

「確かに〜。私、お母さんと一緒にオタマジャクシ取りに行って、カエルまで育てて雨の日に逃がしたんだ。それ去年の自由研究にした!」

美代子に促されるまでもなく、発言が矢継ぎ早に飛び出してくる。低学年は、良くも悪くも恥知らずで、思ったことがそのまま口をついて出てくるので、うまく質問を投げかけると、収拾がつかなくなるくらいに発言が広がることも多い。美代子は、昨年からこの2組の担任を持ち上がりで受け持っているので、クラスの子供達の扱いには長けていた。このクラスの子供達は、快活な美代子の教え子というのもあり、一つ質問をすると、勝手に十くらいまで発言を広げてしまうことも多かった。晴翔は、「生き物」の授業であるにも関わらず、口達者な周りの子供達が元気に手を挙げる中、始終押し黙っていた。


「今日のお話では、正くんと剛くんという兄弟がアゲハチョウを飼うお話が出てきます。みんなも、自分が飼ったことのある生き物を、飼ったことがない人は飼ってみたい生き物を想像してみながら一緒に読んでみましょう。」

美代子は、ひらがなばかりの教科書をゆっくりと噛みしめるように音読して行った。アゲハチョウの卵が孵化し、みかんの葉を食べてぐんぐんと成長していく幼虫に驚く兄弟の様子が、美代子のナレーションによって鮮やかに描き出されていく。

「最後の1匹、一番末っ子で小さかったために小太郎と名付けられた蝶は、正くんと剛くんに見守られながら、一番綺麗な翅を持つ蝶として虫かごから旅立って行きました...。無事、最後の1匹が蝶になるまで育てられたようね。ほら、智洋くん。起きなさい。あなた、せっかく教科書を晴翔くんに見せてもらっていたのに、ずっと寝てたんじゃないでしょうね。」

「...ふぇ、あ、起きてますよ!」

「いや、さっきまで寝てたでしょ。」

「ほら、ちゃーんと起きてるって。アゲハチョウがちゃんと旅立ったんだろ。めでたしめでたし。」

「まあいいわ。晴翔くん、せっかく智洋くんに教科書を見せてもらったのに、ごめんね。」

「うん...。」

晴翔は、ほとんど黙ったまま小さく頷いた。美代子のナレーションがついたことで、昨日自分の部屋で黙読した時よりも、物語がより鮮明に、活き活きとしたビビットカラーで描かれていった。しかし、いつもは大好きだった快活な美代子の声が、ことこの物語のナレーションとなると、晴翔には奇妙な心持ちを覚えざるを得なかったのである。


「じゃあ、①ただしくんとつよしくんは、アゲハチョウをどんな気もちでそだてたとおもいますか?だって。なんか国語の問題みたいだけど、ちょっと一枚紙を配るからそこに自由に書いてみようか。絵を描くのでも良いよ。」

そういって、美代子はA4の紙を1枚前から回して行った。「絵を描くのでも良い」というのは、言葉の発達段階にかなりの差がある低学年の子ども向けに、美代子なりに考えた表現のさせ方である。実際「絵を描いて良い」と言われると、あまり普段喋らない子供が、漫画家ばりに上手な虫の絵を描いてきたり、はたまたピカソのアヴィニョンの女たちのような、どこから見たらこんな絵が描けるのだろうという画伯のような絵を描く子供もあり、子どもの表現を多面的に見ることができると、美代子自身も楽しめる側面が大いにあるので、数年前から積極的に取り入れている。

「お、千尋ちゃん。その絵、いいね!前にも大きく描いてもらえるかな?」

そう行ってチョークを渡された小柄な千尋は、黒板の前に出ると、懸命に背伸びをしながら、アゲハチョウが綺麗に翅をひらく姿とその横で微笑む兄弟の姿を、小学二年生の可愛らしい絵で描ききった。

「この笑顔、いいですね。生き物を育てたぞ!という感じ。そして千尋ちゃんもそれを描ききったぞという感じの笑顔が素敵。」

千尋は、照れ臭い顔を隠しながら教室の中央の席へと戻って行った。

「じゃあ、晴翔くんは?珍しく何も書いていないけど、どうだろう。どう思った?」

「僕は...、生き物を飼ったことがないので、よくわからないです。」

「えー、晴翔、あんなに魚とかクラゲとか好きなのに、生き物飼ったことないの?意外〜。」

おちゃらけた智洋が横からちょっかいを入れてくる。

「そうなんだ。生き物好きな晴翔くんのことだから、何か生き物を飼っていると思ったから、先生も意外だったな。」

「キーン、コーン、カーン、コーン」

再び鐘の音が鳴り響く。

「あー、途中で終わっちゃった。まあ②は最初にみんなで少し話したから、それで話したってことでいいかな。生き物飼ったことがない人は、ちょうどオタマジャクシとかが学校の近くの公園の池にもいるので、一度飼ってみると面白いと思うよ。だんだん足が生えてきて、カエルの形になっていくの、先生は今見てもワクワクするな〜。じゃあ、給食の準備。給食当番の人は、準備して〜。」

4時間目の授業は、晴翔のもやもやとした気持ちと疑問とは裏腹に、窓の外から差し込む太陽の光のごとく明るく朗らかな美代子の声で幕を閉じた。

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クラゲの舞う空に 柚月 智詩 @yuuki-philosophia

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