第2話 乞食精神

自己愛性人格障害を「偉そうな乞食」と表現していて、うまいなあと思ったことがあります。目の前の少しを出し渋り、それによる長期的な未来への想像などが出来ない障害のようです。


今回の自己愛は、以前は人様のお宅にお邪魔する際、久々の訪問や夕飯をいただく場合には、手土産を欠かしませんでした。

チョイスも上手なので、私はお手本にしていたくらいです。

しかし残念ながら、相手に興味や関心、価値を感じなくなると、一銭も出したくなくなるのが自己愛。

新しい、自分の都合に合わせてちやほやしてくれる相手に投資したいので、それ以外には出し渋るようになりました。


ならば来なければいいのに、と思うのですが、私も呼ばれていたために「自分様抜きで自分の友人と友人(私。友人というより最後は下僕と思われていましたが)が勝手に親しくなることが恐怖」という自己愛が強く持ちやすい感情で参加していたようです。

私に紹介するために来てくれた、と前向きに受け取りたいところですが、一銭も払いたくないのならそもそもそんな予定を私に振らなければよかったのにと思います。


まず「到着前に連絡をください」という相手からの言葉を無視します。おまえごときの言うことをなんで聞かなきゃならない、という態度です。こうして書いてみると、その相手も私と似たようなポジションですね。

私は手土産のチョイスがうまくなく、また小さいお子さんがいらっしゃることから、友人とお子さんが好きなものを聞きました。


自己愛は何も持たずに来るだろうと思っていたので、駅ビルで、二人で割ってもちょうどいい価格帯のものを用意したのですが、

「二人からってことにしようか?」

と提案しても自己愛は返事をしません。

私ごときの提案に乗るのをプライドが許さなかったのでしょう。

「コンビニにも何かあるでしょ」

と友人宅最寄りのコンビニに入りました。


スナック菓子くらいしかなかったのですが、私の親戚の子が好きなものがあったので、自己愛をフォローする意味も含めて「これを喜んで食べてたよ」と言いました。


友人宅に(連絡なしで突然)到着すると、手土産は喜んでもらえました。

自己愛が先程購入したものを手渡すと、

「塩分が強いから、うちでは子供用のしか食べさせてないんだ。だから私達で食べよう!」

と説明とフォローをしてくれました。


それに対して自己愛が呟いたのが、


「この人(私)が大丈夫って言ったから…」


当然、私とそのお宅の友人は「えっ?」と言ってしまったと思います。何言ってんの?

残念なことに、言動は記録に残らないので、このような「普通の人間としてあり得ない言動」を、ほとんどの人の脳は「気のせいだろう…」と流して忘れてしまいます。

私は慣れているので、とりあえずメモを取りました。この違和感のメモが大量になると、離れ時が決心しやすいです。


自己愛は「自分のせい」「自分が悪い」と認めることができません。

少しでも「悪い子」だと親にシカト(生存のための保護を放棄)される、という養育環境から、自分がいい子であるために全てを周りのせいにする、とも言われていますが、いい大人がやると恥でしかありません。


自己愛には概ね乞食精神がありますが、仲良くなった初期や得のある相手、お気に入り認定した相手には大盤振る舞いをしますので、傍目にはそうは見えないと思います。

誕生日プレゼントのやり取りなどもそれ。


私もお気に入りに含まれていた時には随分よくしてもらったので、扱いが悪くなった時もその頃を思い出して悩みました。

しかしこちらも大人ですので、戴いた分にはお返しをします。どんどん高額化していってお返しに困るようになったので、

「あまり高額のやり取りはできないので、私にはお気持ち程度で十分」

とはっきり言いました。

了解と返事がきたはずなのですが、先に自己愛の誕生日が来ると、

「これとこれとこれ(通販URL添付)」

という事務的な発注がきました。


私に貰う物を計算して決めていたようで、

「都合の悪い話はなかったことにする」

を発動させて計画通りにしようとしたようです。

無理なので断りました。自分の時は今後は不要だと、それもきっぱり断りました。

周囲にも同じ状況の人が何人かいました。


そもそも自己愛からの贈り物は「自己愛があげたいものをあげ、行きたい場所に連れて行く」で、これ自体は贈り物だから構わないのですが、何故か自己愛からは「私の欲しい物はこれ、行きたい場所はこれ」というリストが誕生日の度に届いていました。

「贈り物」というものにまつわる精神性を根本から理解できないように見えました。


他に、職場で仲良くなった人にちょっとしたお土産を渡した話に対して、

「そんな奴に買う分も私に買えばいいのに」

以前高価な物を買ってきたことのある土地の別な物を渡したら、

「前の(高いので)よかったんだよ?」

気に入らない物や、少ないと感じると、

「これだけ?」

等、書き並べてみると完全に頭のおかしい言動のオンパレードとなりました。

ちなみに気に入らなかった物は、個人に渡してもずっと自室にすら持っていかれずに、居間の隅でグシャグシャになっていました。


お邪魔すると夕飯をごちそうしてくれる友人のところに行く際、私は毎回(気持ち程度の)手土産持参でした。自己愛はそれが面白くない(自分も何か用意しなければならなくなるため)ようで、友人が「お気づかいはいらないよ」と言ってくれる言葉を持ち出し「いらないつってんだから何も持ってかなくていいんだよ」と私に言ってきました。

それを知らずに、度々友人が自己愛をフォローすることを言うので、ある日ついに我慢の限界がきて暴露しました。


自己愛は何故、共通の友人や知人を小馬鹿にしているような態度を平気で取るのでしょうか? チクられるはずがない、と何故思えるのか未だに理解できません。

私は私が好きだと思う人が陰で馬鹿にされていることが許せません。


自己愛がこういった事柄に対してきちんとしていた時期は、家の人の指示があったようです。根本を理解できないまま従っていたようです。別で暮らすようになり、うるさく言われなくなったことで本人の好きにできるようになった結果、こうなったようです。


数百円単位の借金を忘れていきます。

一回ずつ請求すると「細かい金にうるさい守銭奴…」という顔をするので、積もり積もって数千円になってから請求すると驚かれました。内訳を聞かれたので即答しました。

「私もいい歳をして数百円を何度も請求したくないし嫌な顔もされたくないので、数千円になってからの請求がいい?」

と聞いたところ、何やらわけのわからない言い訳を述べ続け、私は悪くない、私のせいじゃない、と何故かこんなことで半泣きになっていました。


ちなみに自己愛は「こちらでまとめて支払っておいたものを会ってすぐに渡さない子がいる」と完全にブーメランなことを人に対して言っていました。自分のことは忘れます。


私は(万札しかなかった等で)借りてしまった時は百円でもすぐに返してしまいたいので、出会い頭に渡そうとしていたのですが、電車内等では「今はちょっと…」という顔をされました。

その時は「だよね、こんなとこでごめんね」と反省し、どこかで腰を落ち着けた際などに渡すよう気をつけたのですが、何故かどのタイミングで返そうとしても嫌そうにされました。

単に財布を出すのが面倒なようでした。

いつ返そうとしても嫌な顔をされるので、

「渡してほしい時まで家に置いておこうか」

と提案したところ、また何かゴニョゴニョ言っていました。


一円でも借りないのが間違いない、と途中で判断したので、それ以降は返金トラブルはありませんでした。



他にも金銭絡みのネタが出てきたらこちらの章に追加致します。

自己愛メモを全て書ききるまで続けます。

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