エピローグ
ジリリリリリ!
けたたましく鳴る目覚まし時計を、布団から出てきた手がごそごそと探す。
ようやく目当てのものを見つけ、ばちんと時計を叩くと、ようやく部屋の中は静かになった。
「……ん~」
ゆっくりと瞳は起き上がり、大きく伸びをした。
しかし未だ眠気眼な瞳は、ベッドから起きると、落ちていた鞄に足をひっかけ、盛大に顔面を床にぶつけた。
「ふべっ!」
しばらくそのまま動かなかったが、ゆっくりと顔を上げる。
「痛い……」
涙混じりに鼻を押さえながら、瞳は立ち上がった。
「でもまあ、眠気は覚めたから、結果オーライか」
瞳は身支度を整えて学生服に着替えると、エプロンをしてから調理を始めた。
慣れた手つきで自分一人の弁当を作り、用意した朝食を一人で食べる。
「おいし~♪」
静かな食卓でパンを齧りながら、瞳は至福の表情を浮かべる。
しかし、あまりゆっくりしている時間はない。
「あ、もうこんな時間!」
慌てて残りのパンを口に放り込み、リビングにある父の仏壇に手を合わせると、すぐに鞄を取って、母親の部屋へと向かった。
扉を前に大きく深呼吸し、コンコンとノックする。
「……あの、お母さん。今まで、ごめんなさい。私のせいで、ずっとずっと、お母さんを苦しめちゃったよね。……でも、今日でもうおしまいだから。私はお母さんについた呪いだけど、お母さんを呪う以外の方法で、生きていこうと思う」
瞳はしばらく待った。
しかし、母親からの返事はなかった。
「……当然か」
瞳は小さく自嘲する。
ほんの少し悲しいけれど、以前のようにその感情に呑まれることはなかった。
「今日は、お弁当作ってないから。明日も、明後日も。私はもう作れないけど、ちゃんとごはん食べてね。部屋に籠ってばかりじゃなくて、ちゃんと外に出て、人と会って、笑って……そしてきっと、幸せになってね」
瞳はそれだけ言って、鞄を持ち、玄関から後ろを振り返った。
もう戻ることはない、偽りの日常に、瞳は寂しそうに頬を緩めた。
「……いってきます」
最後になる、孤独な挨拶を済ませ、瞳は家を出て行った。
しばらくして、ガチャリとドアが開き、ぼさぼさの髪をした女性が顔を出した。
「……瞳?」
誰もいない玄関に、ぼそりとつぶやく。
「私の娘はどこ? 私の……私の、娘……」
女性は玄関の前で崩れ落ち、顔を埋めて泣き始めた。
◇◇◇
瞳は、通学路を元気よく走っていた。
「あ、瞳じゃん。今日も元気だね」
「おはよう! 久しぶりの学校だからうれしくて!」
学校へ向かう知人に声をかけながら、瞳は学校の門をくぐった。
そこに、見知った二人の背中を見つけ、瞳は思わず微笑んだ。
一気に駆け出し、二人に飛びつく。
「柚子! ミウ! 二人とも、おはよう!」
瞳の重さでつんのめり、二人が首から下げていた禍玉の欠片が、大きく揺れた。
「きゃあ! って、瞳じゃん。も~。びっくりさせないでよ」
「柚子だって、よくこうやって挨拶するじゃない」
「柚子ねー。あれから一人でトイレにも行けないんだって──」
「あああああ‼ なんでもないなんでもない‼」
瞳は思わず笑ってしまった。
「な、なによぉ! 瞳まで馬鹿にするの⁉」
「違う違う。なんだか楽しくて」
クスクスと、瞳はお腹を抱えて笑っている。
柚子とミウは顔を見合わせると、途端に吹き出し、一緒になって笑い出した。
その時、突然、門の方から歓声が聞こえてきた。
「な、なになに⁉」
慌てて三人が様子を見に行くと、そこにはぴかぴかと光る高級車にもたれかかる、サングラスをかけた一人の男がいた。
悠然と腕を組むその様子を、学校の女子たちが取り囲んでいる。
「うげっ」
思わず柚子が声を漏らすと、男はこちらに気付き、サングラスを上げて微笑んだ。
「なんだ。やっぱりこの学校だったか。探したよ、三人とも」
「あなたがここまでストーカー気質だったとは知らなかったわ」
あの事件以来、統島はしつこく瞳と連絡を取りたがり、最近では、それを拒否する彼女のことをつけ回していた。
「ストーカーというのは、要は相手にされてない人間のことだろ? オレが当てはまるわけないじゃないか」
「ストーカーって、意外と自分で気付いてない人が多いって、テレビでやってたよ」
その情報を裏付ける存在を、三人はじっと見つめた。
「ていうか統島さん。この人だかりは一体なんなの?」
統島は、自分に甘い声をあげる女子たちを見回し、大きく肩をすくめた。
「どうやら、オレの美貌に惚れてしまっているようだね」
「正直、神経を疑うわ」
「ナルシストってやだよね~」
「どっちかというと、高級車の方じゃない?」
三人の毒舌にも、統島は気にすることなく、ふっと笑みを浮かべた。
「君達の感性が、それだけおかしいということだよ。それより瞳ちゃん。君に聞きたいことがあるんだけど」
「私達、これから授業があるから。統島さんも会社を立ち上げて大変だって言ってたじゃない。いい加減、私に付きまとうのはやめてほしいんだけど」
「そう邪見にしないで欲しいな。君には感謝しているんだ。君のやり方を見習って、今までのやり方をほんの少し変えただけで、ほら。短期間であんな高級車を買えるくらい、みんなが馬車馬のように働いてくれるようになってね。やはりあれだな。凡人はおだてるに限るってやつだ」
「本当に、相変わらずでなによりだわ」
三人が、すたすたと校舎の方へ歩いていく。
統島はめげずに彼女達と足を並べた。
「それで本題なんだけどさ。あれから、なんだか身体がおかしいんだ。なんていうか、怪我が一瞬で治るというか……」
「さ。そろそろ授業が始まるわ。早く教室に入りましょ」
「なぁ、君は何か知ってるんだろ? なんで無視するんだ?」
「もぉ~。統島さん、また自慢? もう聞き飽きたんですけど」
「いや、自慢っていうかさ。傷が一瞬で回復するって、どう考えてもおかしいよな?」
「ねぇねぇ。ミウ、今日は甘いもの食べたい気分。放課後にアイスクリーム食べに行かない?」
「「さんせ~い‼」」
二人は元気よく手を挙げた。
「じゃ、彼にも聞いてこないとね」
三人は駆け出し、校舎の裏に顔を出した。
「ジェイ君!」
そこには、用務員の恰好で身体を屈め、花壇に水をやる、ホッケーマスクを被った長身の大男の姿があった。
「今日、みんなでアイスクリーム食べに行くの。ジェイ君も来るでしょ? 前に一緒に行くって約束したところ!」
ジェイ君は立ち上がり、マチェットの代わりに持っていたじょうろを掲げた。
「仕事がある」
「じゃ、終わるまで部活して待ってる! 終わったら声かけてね!」
「ちゃちゃっと片付けてね。早くしないと置いてくから~」
ジェイ君はこくりとうなずいた。
二人がさっさと走って行くのを、瞳がついて行こうとした時だった。
「瞳!」
ジェイ君に呼び止められ、不思議そうな顔で彼を見つめる。
「いってらっしゃい」
ジェイ君のその言葉に、瞳は目を丸くした。
あの家では、決して聞くことのできなかった言葉。
でも今日からは、毎日それを聞くことができる。
それは瞳が、最も望んでいた日常だった。
「……いってきます!」
天真爛漫な笑みを浮かべ、瞳は元気よく言うと、そのまま二人の元へ駆けて行った。
「分かった。その店までオレが送ろう。だからちゃんと話を聞いてくれ。もしかしてオレって──」
「えぇ~。統島さんの運転とか、もう勘弁なんですけど。命の危機でもない限り、絶対乗りたくないわ」
「ミウは楽しかったけどなぁ」
「私もパス。あれなら遊園地のジェットコースターでも乗っている方がまだ安心するわ」
「あ、いいね遊園地! 今度みんなで行こうよ! 実は親戚の叔父さんが経営してるところがあってね──」
当たり前の会話。
当たり前の日常。
そんなかけがえのない瞬間を噛みしめるように、三人の談笑は、いつまでも続いた。
Fin
殺人鬼のジェイ君は女の子を殺せない 城島 大 @joo
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