第22話 脱出



「ジェイ君、だいじょうぶかな」


コテージでジェイ君の帰りを待っていると、ミウが心配そうにつぶやいた。


「呼んだか?」

「きゃああ‼」


突然背後に現れたジェイ君に、柚子は悲鳴をあげた。


「もう、びっくりさせないでよ!」

「すまん。つい癖で」


ジェイ君はあいかわらずだった。


「……終わったの?」


瞳の問いに、ジェイ君はゆっくりとうなずく。

それを聞いて、三人は、ほっと息をついた。


「じゃあとりあえず、これで一件落着ね! 二人にもちゃんとお礼を──」


柚子はそう言って振り返り、思わず言葉を止めた。

そこにいたオオトカゲと市松人形の身体が、徐々に透け始めていたのだ。


「ど、どうしたの⁉ 病気⁉」


ミウがあたふたしながら、二人を交互に見る。


「ここに留まる理由がなくなったんだろう。呪いを倒すもう一つの方法だ」

「ま、待ってよ! 私達、この子たちを倒す気なんてもうない! 別に消えなくてもいいじゃん‼」

「そうだよ! いっちゃんのおかげでミウ達、助かったんだよ⁉」


自分達を守ってくれた。だから消える必要なんてない。

そう言って、二人は必死に弁明した。


「彼らがそれを望んでいるんだ」


ジェイ君のその言葉を聞いて、二人は何も言えなくなった。


二人は、オオトカゲと市松人形の方を振り返り、向かい合った。


「……せっかく、また友達になれたのに」


そう言って泣く柚子の涙を、オオトカゲの舌が舐めとる。


「いっちゃん……。また一緒に遊ぶって約束したのに! せっかく正義の味方になれたのに!」


市松人形を抱きしめるミウを、長い髪が優しく包み込む。


二人の身体は、その間にも、ゆっくりと透けていく。

それを見て二人は、これはもう決まったことなのだと、ようやく悟った。

涙を拭い、柚子はオオトカゲの喉を指でかいてやり、ミウは市松人形の頭をなでてあげた。

オオトカゲは嬉しそうに喉を鳴らし、市松人形の顔がうっすらと微笑む。


「……ばいばい。今度は、ちゃんと幸せにね」

「ミウ。いっちゃんのこと、絶対忘れないから」


オオトカゲは小さく鳴き、人形はいたずらっぽく笑い、二人は完全に消えてしまった。

今度は、トカゲのミイラも、市松人形も、現れることはなかった。


静かになったコテージの中で、二人のすすり泣く音だけが聞こえていた。


ジェイ君が、瞳の方を見る。

瞳は微笑み、ゆっくりとうなずいた。


「……次は俺達の番だ」


二人の泣き声がぴたりと止み、振り向いた。


「……え?」

「ジェイ君も私も、恨みは晴らした。もうここにいる理由はないわ」


全てをやりきったような、清々しい笑顔で、瞳は言った。


「な、何言ってるのよ! 私達、ずっと一緒にいるって約束したでしょ⁉」

「そうだよ‼ ミウ達、二人がいないとなんにもできないよ⁉ き、きっとここからも帰れないよ⁉」


瞳は、ゆっくりと首を振った。


「二人はもうだいじょうぶ。何があっても、自分の力で乗り越えていける。ずっと二人を近くで見てきた私が言うんだから、間違いないわ」


その優しい口調が、全てを決めてしまったことを物語っていた。


「……嫌よ! そんなの‼」

「ミウも‼ 絶対やだ‼」


二人は、ぶんぶんと首を振った。

それを見て瞳は、母親が子供にお願いするように、首を小さく傾けた。


「……私、最後は二人の笑顔が見たいな」

「……最後とか言うなよぉ……」


しゃくりあげながら涙を拭う二人の頭を、瞳は撫でてあげた。

彼女は振り返り、ジェイ君の元へと歩み寄る。


「じゃ、やろっか」


瞳はそう言って、禍玉の欠片を取り出した。

ジェイ君の手には、もう片方の欠片がある。

これを元の形に戻せば、願いと共に、呪いも消滅する。


ふと、ジェイ君は、瞳の肩が震えていることに気付いた。


「怖いか?」

「……ええ。ちょっと」


ジェイ君は、瞳の肩を抱きしめた。


「大丈夫だ。たとえどうなろうと、俺は必ず瞳の側にいる。決して、お前を一人にしない。約束だ」


その温かなぬくもりに、瞳はジェイ君の身体に顔をすり寄せた。


「……うん」


これで、恐怖は全て消えた。

瞳が欠片を掲げ、ジェイ君もそれに合わせる。


「……じゃあ、いくぞ」

「うん」


瞳はゆっくりとうなずいた。


「瞳ぃ‼」

「行っちゃやだぁ‼」


二人の叫び声に微笑みかけ、瞳は、ジェイ君の持つ欠片へと、自分の欠片を──


「感動の瞬間に悪いけどさ」


突然、そんな声が聞こえた。


「ボロボロのオレを無視して、それはないんじゃない?」


その声に、全員が顔を向ける。

そこには、身体を起こした統島がいた。

全員が唖然としている中、ふいに統島が、にっと笑い、何かを瞳に投げつけた。


「痛っ!」


統島が持っていた禍玉の欠片が、瞳の手の甲に当たり、自分の欠片を取り落とす。


「奪え‼」


その声にハッとして、柚子が駆け出した。

瞳よりも先に欠片を奪取すると、それをミウに投げ渡す。

ミウはそれをキャッチして、一目散にコテージから飛び出した。


「ちょ、ちょっとミウ!」


瞳が慌てて駆けて行くのを、ジェイ君は呆然と見つめていた。


「それもいただき‼」


ぼーっとしていたジェイ君の手から欠片を奪い、柚子も走り出す。

ジェイ君も、慌てて追いかけた。


「ミウ、待って!」


林の中を走り、瞳はミウを追いかけていた。

その時、瞳に追いついた柚子が、走る彼女の前に足を突き出した。

瞳は思わずつんのめり、盛大に地面を転がる。


「へへーん。足元ががら空きよ」

「……もう怒った。待ちなさい‼」


瞳が必死の形相で走るのを、二人は笑いながら逃げていた。

その、永遠に続くようにも思えた追いかけっこは、瞳が二人を崖に追い詰めたことで終結した。


「もう終わりよ。いい加減、子供じみたことは止めて渡しなさい」


二人は、つんとそっぽを向いた。


「瞳だってミウ達のこと、無視したもん。ミウ達は瞳と同じことしてるだけだよー」

「……一人で決めちゃったことは悪かったけど、分かるでしょ? 私にはもう、ここにいる理由がないの」


ようやくジェイ君が追いつき、瞳の隣に立った時、柚子が言った。


「理由? 理由ならあるよね」

「うん。あるある」


二人は顔を見合わせ、にっと笑った。


「「せーの‼」」


二人は声を合わせ、あらぬ方向へと、思い切り欠片を投げた。

欠片が、茂みの中へ、音をたてて落ちる。


「なにやってるの⁉ こんなことしても意味なんて──」

「私達は、アンタ達の大事なものを捨てたのよ。これって恨みの対象だよね?」

「……柚子? あなた──」

「ていうかさ。あんな汚い石を持ってる奴なんてダサイよね~?」


わざとらしく、ミウが言った。


「本当よね~。あ、でもそんなこと言うと呪われちゃうかも!」

「だいじょうぶ。どうせミウ達にビビって何もできないよ。柚子以上の怖がりだねぇ。柚子以上とか相当だよ」

「アンタ、喧嘩売ってる?」


二人が打ち出した小細工に、瞳もジェイ君も、唖然として何も言えなかった。

その時、背後から音がしたかと思うと、統島が歩いて来た。


「なるほどなるほど。つまり今、君達二人が消えるための条件として、二人と死ぬまで一緒にいなければならないという条件が加わったわけだね。確かにそれなら、今、呪いが消えるのは不成立だ」


この状況を作り出した統島を、瞳はにらんだ。


「統島さん。あなたね……」

「何か文句でも? オレの肩に大穴開けてくれたお礼だよ」


そう言われると、瞳もぐうの音もでない。


「瞳。言っておくけど、私達にだって未練はあるんだからね」

「え?」

「そうだよ! ミウ、瞳にもジェイ君にも、ちゃんと恩返ししてないもん! 二人からもらったたくさんのものを、ミウ達も二人に返さなくちゃいけないの!」

「そうそう。まあいわば、私達の呪い?」

「うん! 絶対に解いてあげないけどね」


瞳は呆れてものも言えなかった。

思わず、目を隠すように手で顔を覆い、震える声でため息をつく。


「……馬鹿ね、二人とも。いつだって、もらってばかりなのは、私の方だったのに」


涙を溜めながら、瞳は大きく深呼吸をした。


「ジェイ君」


ジェイ君を見つめながら、瞳は言った。


「俺は瞳に従う」


ジェイ君の言葉は短かった。

その短い言葉に隠された愛情と信頼に、瞳は思わず微笑んだ。


「私は──」


その時だった。

突然、地面が大きく揺れた。


「な、なに⁉」


揺れは徐々に大きくなっていき、キャンプ場の周囲を取り囲む山から、瓦礫が雪崩れ落ちていた。


「そうか。この盆地は、あの湖ができた嵐で、本来なら埋め立てられるはずだったんだ。それを、今まで呪いが繋ぎ止めていた。その呪いが消えたことで、本来の状態に戻ろうとしているんだ」

「それって、このままここにいたらヤバいってこと⁉」


ジェイ君はうなずいた。


「急いで! 早く逃げないと、生き埋めになるわよ!」

「ちょちょ、ちょっと待って! 二人の欠片を探さないと‼」


柚子が慌てて茂みの中を探り始める。


「そんなのいいから、早く逃げるよ!」

「ダメだよ! 何かの拍子でくっつくかもしれないじゃん!」


二人が懸命に探すのを見て、逡巡していた瞳も、仕方なく探し始める。

それにジェイ君も加わり、四人で地面を這いずり回った。

その間も、地面の揺れは酷くなり、なだれによって生じた埃で、息もしづらいほどだ。


「なんで捨てちゃうのよ!」


探しながら、瞳が思わずぼやいた。


「瞳が成仏しようとするからでしょ⁉」


口喧嘩しながらも手を動かしていると、突然、茂みの中からミウが顔出した。


「見つけた‼」


両手には、確かに禍玉の欠片が二つあった。


「じゃあ早く‼」


ミウが柚子に欠片の一つを渡していると、突然クラクションの音が聞こえた。

振り向くと、そこには運転席から窓を開け、悠然と微笑む統島の姿があった。


「この肝心な時に、ずいぶんと悠長だね。やっぱり一番優れた人間はこのオレ──」

「みんな、早く乗り込んで‼」


柚子とミウが、慌てて車に乗り込む。

瞳は助手席のドアを開けて席に座ろうとするも、少しだけ躊躇した。


「なにやってるんだ。早くしないと置いて行くぞ」


統島が言った。

瞳は車の中を見た。

統島も、柚子も、ミウも。みんな、温かく瞳を見守っている。

瞳は、車の側で立っているジェイ君を見た。

ジェイ君はゆっくりとうなずいた。


その時、初めて瞳は実感した。

自分がここにいる理由は、ここにいたいからだと。

自分は、ここにいてもいいんだと。


瞳は微笑み、ジェイ君と一緒に車に乗り込んだ。


「よし。しっかり掴まってろ」


統島はそう言って、ギアをドライブに入れ、アクセルを踏んだ。

途端、車は尻を振り回すように暴れながら前進した。

その衝撃に、車内にいた全員が吹っ飛びそうになる。


「ちょ、ちょっと! もう少し丁寧に運転できないの⁉」


思わず瞳は文句を言った。


「運転は得意じゃないんだ」

「下手にも程がある!」


瞳が悲鳴をあげる。


「うるさいな! じゃあ代わるか⁉」


統島の運転で、何度も木にぶつかりそうになりながらも、なんとか車道に入ることができた。

しかしその瞬間、崖の上から大小さまざまな岩がなだれ落ち、車へと迫って来た。


「うおわあああ‼」


統島が繰り出す斬新な蛇行運転が功を奏したのか、いくつもの岩を紙一重のところで回避していく。


「すごーい! さっきのもう一回やって!」

「少し黙っててくれ‼」


『キャンプ場の出口まで、あと1キロ』と書かれた看板を超える。

もう少しで出口だ。

そう思った時、まるで計ったかのように大岩が崖から転がって来て、車道を塞いだ。


「避けて!」

「無理に決まってるだろ‼」


雪崩に追われ、停車することもできない。

万事休すかと思われた時だった。

突然、ジェイ君が後部座席のドアを開けた。


「ジェイ君! 運転してる時にドアを開けたりしちゃダメだよ⁉」

「俺に任せろ」


そう言って、ジェイ君は車の上に乗った。


「スピードを上げろ! 全速力だ‼」

「……ああもう。死んでも知らないからな‼」


統島は、一気にアクセルを踏んだ。

車が唸り、猛スピードで大岩へと向かって行く。

ジェイ君はボンネットに飛び乗り、マチェットを構えた。


「おおおおおおお‼」


車が大岩にぶつかる瞬間、下から上に振り上げたマチェットが、車の加速度を利用して、一気に大岩を両断した。


ぱかりと開いた岩の隙間を、車は飛ぶように横断し、音をたてて道路に着地する。

瞳が後ろを見ると、『栗栖湖キャンプ場へようこそ』と書かれた看板が見えた。


「フー‼」


車の中で大歓声が響いた。

統島は今まで見たことのないはしゃぎっぷりで、柚子もミウをありったけの声で叫んでいる。

瞳は、ほっと息を吐いて、シートにもたれかかった。


長かったキャンプ場での死闘も、これでようやく終わったのだ。


「オレも、もう少し生き方を見直すかな」


突然、統島がそんなことを言うので、思わず瞳は彼を見つめた。


「急にどうしたの? 統島さんらしくもない」

「まあ、なんていうか……。君達を見ていたら、オレも仲間を作りたくなったんだよ。打算でつながったような関係じゃない。本当の仲間をね」


なんとなく気恥ずかしそうな統島を見て、瞳はくすりと笑った。


「良い心掛けね」

「帰ったら会社をたちあげようと思うんだ。さっき言った、本当の仲間と一緒にね。……それでまあ、君がどうしてもって言うなら……なんだ。その仲間に──」

「統島さーん。それって死亡フラグって言うんですよ」

「ミウも知ってる。次の瞬間には銃弾で撃たれるやつだよ」


統島はじろりと二人をにらみ、それから鼻で笑った。


「はっ。死亡フラグがなんだ。ここでの経験に比べれば、そんなもの怖くもなんともないね。むしろ今、オレはとても清々しい気分なんだ。どれだけ動いても疲れる気がしないしね」

「疲れ……」


瞳の頭の中に、一つの仮説が浮上する。

ふと、近くにあったシガーライターを取り、運転している統島の腕に押しつけてみた。


「あっつぅ‼ なにするんだ君は‼」


腕についた火傷が、一瞬の内に治っていた。

瞳は目をぱちくりさせた。


「……まぁ。統島さんなら、いっか」


瞳は思考を放棄して、シガーライターを元に戻すと、シートにもたれかかって息をついた。


「信じられないな。さっきの言葉はなしだ。もう絶対に誘ってやらないからな」


統島がぶつぶつと何か言っているが、瞳には何のことやら、よく分からなかった。


そんな騒動を、ジェイ君は車の上に腰を降ろしながら聞き、やれやれとため息をついた。

ふと、ジェイ君の目に、栗栖湖の光景が目に入った。

ちょうど昇って来た朝日に照らされ、キラキラと輝く栗栖湖が、周囲の雪崩に巻き込まれて埋もれていく。


「……さよならだ」


ジェイ君は小さくつぶやき、自分の故郷に別れを告げた。


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