第22話 ダンシングブレイド22


 弔鐘が、どこかで鳴り響いていた。

 静寂なる墓所に、厳かなる鐘の音だけがただ有った。

 昼間の光の中に並ぶ立つ墓標は、いずれも簡素なものばかりだ。素っ気ない石に、名前だけが刻まれている。中には名前でさえなく、「青髪の剣士、男、三十代」など特徴だけしか書かれてない墓標もある。共通するものは、死後の安寧を祈る言葉のみ。


 ここは主として冒険者達が眠る場所だ。身元の分からぬ者達は名も記すことさえできない。

 しかし、ここに眠るものはまだ運のいいほうだろう。人知れず迷宮で死んでいくものはもっと多いのだから。


 一抱えほどある丸石に、名前が刻まれていた。「リブラ・イリニッヒ、ここに永久の安らぎを」


 その前に、ヒートは座り込んでいた。片目には眼帯。左手は包帯に巻かれ吊られている。寝間着のままの全身。肌が見える所には包帯。背中に伸ばした黒髪は、石畳へと届いていた。

 少女は呆然と、力無くその墓石を見つめていた。


 アルバートとの決着、その後の昏睡から目覚めたヒートは、すでに一週間が経っていることを知る。

 リャーベイやベネディクトから昏睡中に何があったのかを聞いて、その後初めてリブラの墓にやってきた。


 伸ばした手が、冷たい石に触れる。彼女が生きていたという証は、やはりただの石にしか見えない。

 全てが終わったという実感が、ヒートにはまだ無かった。怒りと、殺意と、そして混乱。それらに満ちた数日が過ぎ去ってみると、ヒートの中には空洞があった。

 つくづく、自分には何も無かった、何も知らなかったのだと思う。こうしてリブラがいなくなり、何も無い自分と向き合うと、涙さえ流れないことに気づく。泣くことさえできない。

 何も無いということを、憎むことも、怒ることもできない。


「ここにいたのか馬鹿犬ヒート


 背後に気配。足音と、ステッキが石畳を突く音。聞き慣れた声に、ヒートは振り向くことさえしない。力無く、返事を返した。


「うるせぇよ、血反吐吐いて死ね、クモヒゲダーク

 

「その分ならば後遺症は無さそうだな。後で存分に仕置きしてやろう」


 嗤う黒紳士。墓場の中で彼だけは、昼の光を絶たれたように黒い。


「どこいってやがったんだよ。こっちは色々テメェに聴きたいことがあったんだけどな」


「色々用事があってな。なにせウォーベックの娘と妻の処刑を見届けてきた」


「……? な、なんでウォーベックの家族まで処刑されなきゃ」


「お前はなにも知らんのだな。境界大陸はギルド主権を守るために、ギルドの腐敗を厳しく取り締まる。それこそ前時代的な重罰と見せしめをすることになってもな。

ギルド構成員とされるものがギルドの職権を乱用し犯罪を行ったと判断されると、二等親以内の親族さえも共に処罰される場合があるんだよ。犯罪の内容にもよるが、利益が本人だけでなく家族へ渡っていたとされるのが条件だが、今回はウォーベックがすでに死亡していたので、その代わりといった面もあるようだな。まあ一週間で執行されたのは私が証拠を提出したからだが」


「も、もっとわかりやすく話せよ!! 頭良いやつは難しいこともわかりやすく教えるってリブラが言ってたぞ!」


 振り向いて怒鳴る。ダークの説明は早口で理解が追いつかない。


「ようするに、ウォーベックが犯した罪は家族も贖うことになるということだ。それが今回は死罪だった。ギルド構成員はそういうルールの元に働いているんだ。ウォーベックが死にものぐるいで私やリブラの口を封じようとした理由も解るだろう?」


 全てを隠蔽せねば、自分だけでなく家族が死ぬのだ。手段を選ばぬのも当たり前だろう。


「……わざわざウォーベックの家族が縛り首で死ぬのを見届けに行ってたのかよ、お前は」


「当然だ。私の復讐の結果だからな。私のやったことだ、最後までそれを見届けるのが責務だろう。どれほど醜悪であろうと、な」


 嗤いと、不機嫌さがより強まる。一体何を見たのか、ヒートでも察しはつく。


「そりゃ、助ける義務は、無いけど……あ、アルバート、アルバートには娘がいるんだ! そいつは!? 病気の子で、その子は、その子は関係無い! 関係無いんだ!」


 何故かわからない。だが、彼女は巻き込んではならないとヒートは思った。アルバートが、全てを捨ててでも守ろうとしていた存在だ。憎しみはある、けれど、それだけは傷つけてはいけないとも思う。


「今度は仇の子の心配か。お人好しも極まれりだな。アルバートの娘? あぁ、それは問題ない。なにせ、すでに死んだ人間を刑罰にかけることはできん」


「……は?」


 呆けた声が出る。アルバートが、命をかけてでも戦った理由ではないのか。


「そ、そんなこと、アルバートは一言も」


「心臓病、だったよなその娘は? アルバートがリブラを殺害したその二日と経たず、病状が悪化して死んでいるんだよ。もうあのアルバートには、生きる理由が無かったんだよ」


 凶牛鬼ミノタウロスを初めて一人で倒したあの日、ダンジョンで出会ったアルバートは、娘のことを嬉しそうに語っていた。あの時、すでに娘が死んでいることを知っていたのか。知っていて、まるで生きている風に娘のことを語っていたのか。

 アルバートは、あの時、何を思いヒートと話していたのか。


「お前のシャイアンの血の顕現……万魔の銀デモニウムの操作や銀獣化シルバライズには、恐らく命の危機、あるいは極度の興奮状態がその起動のスイッチとなる。手形の男ハンドマンが幾多のダンジョンに挑んだ理由の一つだろう。凶牛鬼でも、はたまた私自身でもなかなかそれは目覚めなかったが、アルバートは恰好の相手だった。

実力的に拮抗し、根本的な所で生きる理由に欠けていた。お前も理解しているだろう、やつが最後に勝つことも生きることも捨てていた程度は?」


 あの時、最後の瞬間、アルバートは剣を落とした。ヒートの黒髪に触れるために。

 どこか遠い場所を見ていたあの眼は、眼前のヒートではなく、すでに失われたものを見ていた。アルバートが命をかけた、かけがえの無い、すでにもう二度と会えない存在を見ていた。


「……お前、全部知ってて、オレと戦わせたのかよ! 最後に、アルバートが全部投げ出すって、戦う理由が無いって、全部知ってて! お前は!」


 行き場の無い怒りがあった。自らの全てを賭した戦いが、誰かの思惑の上で結果を計られていたということが許せない。だが、それで今ヒートは生き残っている。それも現実だ。

 そして今はっきりとわかる。アルバートは、リブラを殺していたことを後悔していた。だから、リブラの仇を取ろうとする自分に、生きる目的の無い己の命を渡した。


「勘違いするなよ。私はそう予測しただけだ。最後にそれを選択したのはアルバート自身だ。お前は奪ったのではない。救ったのだよ。生きる目的無く、ただ生きて利用されることしかない人生があるとするしかないのならば、目の前に救いとなる己の死があれば、抗えるものなど居はしない。この世界のどこにもな」


「そんなもの! オレに押し付けるな! オレは救ったんじゃない、奪ったんだ! リブラの仇を取るために、オレ自身のために! 救うなんて言葉で誤魔化すなよ!」


 弾かれるように叫ぶ。それだけは否定したい。救いのための死など、そんなものはこの世界のどこにも無いはずだ。愚かな頭でも、それだけは解る。


「若いな……そして何も知らん。お前も生きていけば、アルバートの選択の意味が解るだろう。わからぬのならばお前は人生というものを何一つ己の意思で生きていないだけだ。

さて、話が長くなった。阿呆と話すと疲れるものだ。これは、リブラの送ってきたお前宛ての遺書を録音した蓄音符ログ、そして彼女の全財産をお前に相続させることを承諾する証書だ」


 突き出される手には、書簡と片手ほどの巻き貝の貝殻のような道具。


「全……財産? なんだよ、その道具……?」


「西方大陸で普及している音声を記録する道具だよ。耳に当ててみろヒート」


 言われた通りに貝殻を耳に当てる。音が、聞こえ始めた。やがてそれは、人の声になる。


『……ロー、ハロー? 聞こえる? 私の声が聞こえるかしら、ヒート?』


「リブラ! あ、あぁ、リブラ! リブラだ! リブラの声がする!」


 わずか半月前にも聞いた、しかし今はもう酷く昔だと思える、リブラの声に、ヒートが叫ぶ。


「落ち着けバカ犬。それは音声を記録するだけの道具だ。それは生きているリブラではなく、リブラの生きていた頃に録音した声だ」


『これがあなたの所に来ているということは、私はもう死んでるってことかしらね。あんまり想像つかないけど、あなたが無事でいてくれることを祈ってるわ。

これを渡してくれたダークって人は、私の昔からの友達よ。見た目は少しとっつきにくいけど、誠実で頼りになる優しい人よ。それにとてもチャーミングなのよ? 私が死んだ後のことを色々お願いしたの。急に頼んだからちょっと怒ってるかもしれないけど、仲良くしてあげてね』


「優しくもねぇしぶっ殺してやりたいほどクソヤロウだよリブラぁ……」


「聞こえてるぞこのサルが」


『あなたが、私の元に来てもう八年。やせっぽちだった女の子が、今は身長も私と並んでる。ほんと時間が経つのってあっという間ね。

あなたと居て、本当に楽しかった。初めて、あなたが迷宮獣を倒した時、覚えてる? あなた血まみれになりながらこっちに走ってきて飛びつくんだもの。こっちまで酷い有り様よ。でも、あの時のあなたの笑顔を、いつまでも覚えてるわ。

本当に楽しかった。

でもね、いつも心のどこかで思ってたわ。あなたが奴隷で、私が主人だから、この関係は続いているのかなって。

あなたを奴隷ではなく、一人の人間として解き放ったとき、私のそばに居てくれるのか、その自信が私に無かった。でも、どこかで、それをしなきゃいけないって、わかってた。わかってたのに、それができなかった』


「リ、ブラ……?」


 リブラの声には、どこか後悔があった。ヒートをいつまでも奴隷としていることと、奴隷ではなく一人の人間として解き放った時、共にいてくれるかの不安。関係性が壊れることへの恐怖と、ヒートが一人の人間として歩き出せるように何をすべきかの苦悩があった。


「オレは……どこにもいかない! リブラの隣にいる! どこかになんていけないよ!」


 とめどなく、涙が溢れていく。自分は、何も知らなかった。アルバートの悲劇も、リブラの苦悩も、何も知らず、ただ彼女の隣にいることだけが幸福だと思っていた。

 なぜ、自分はこんなにもバカなんだろう。なにも知ろうとせず、失った後に多くのことに気づく。


『だから、ひょっとしたらこのもしもへの備えは……もしその《もしも》の日が来たというなら、神様がいつまでも迷ってる私に罰を与えたのかもしれないわね。そして、《もうあなたを解き放ちなさい》って言ってるのかもしれない。


だから、きっとこれはこれで良い機会なのよ。出会うこともあれば、別れることもある。冒険者って、そういうものよ?


とりあえず当面のお金は残しておくから、これで生活の基盤を作っておきなさい。お金の管理、ちゃんとできるようにね? 計算がめんどくさいってなんでもテキトーにやらないこと。

お風呂はきちんと入りなさい。歯も磨くこと。体のチェックは毎日やる、女の子は自分を大切にしなきゃだめよ?

なにかあったら、ギルドのリャーベイに色々聞いてみなさいな。


……ねえ、ヒート。もし、涙を流しているのなら、悲しまないで。いつか、また私達はきっと出会えるわ。

その涙が私のために流れているのなら、ヒート、あなたのために笑って。あなた自身のために笑うのよ。

あなたの笑っている顔が、私はとても好きだった。あなたが優しかったから、私は生きていられた。

今までありがとう。ヒート、ずっと、ずっと愛してるわ。生きて。生きなさい――あぁ、もう、死にたく、ないなぁ』


「――あ、ああああああ!!」


 音声が切れた蓄音符を握りしめ、少女は泣き叫ぶ。強く、愛されていたのだと思う。そしてそれを永久に自分は失った。どれほどに泣いても、もうそれは戻らない。それでも、涙を流すことしか自分にはできない。自分は、自分のために笑わなければいけないというのに。それがリブラの願いなのに。彼女の最後の願い一つ、叶えることができない。 


 ダークは無言のまま、少女の前に立ち尽くしていた。


 やがて、泣き声が止む。涙でグシャグシャになった顔を上げ、ヒートはダークに問う。


「――なあ、オレが……オレがもっと強かったら、リブラは死ななくて済んだのか? 

もしオレじゃなくて、お前がリブラの隣にいたのなら、リブラは、死ななかったのか? オレが、弱いから」


「……そうだな。その通りだよ。ヒート」


 ダークの長い脚が持ち上がる。そのまま勢いよく少女の包帯に巻かれた左腕を踏みつける。


「ぐあああ!」


 痛みにもがくヒートを気にもせず、ダークは言葉を続けた。


「珍しく頭が良いじゃないか? それが正解だよヒート。私がリブラの隣にいたならば、彼女は死ななかった。全てはお前の弱さ、彼女を守れなかったお前の能力の無さが招いた結果だ。

お前は弱い。

アルバートはお前に殺されることに救いを求めた。

リブラは自分が死ぬことを前提にしてでもお前を救った。

これらは、お前が弱いからそうなっただけのことだ。

強さとは、己の意志と能力で己や他人の状況を選択できることをいう。お前は他人に自分の状況を選択され続けている。

弱さとは、己や他人の状況を選択できないことをいう。お前は弱いがゆえに与えられ、奪われるだけだ。そこにお前自身が掴めたものは無い。

それはお前に抗うための強さ、思考する強さが無かったからだ。

お前はなにも決められなかった。ただ彼女達の意志に流されてきただけだ。そんなものにリブラが守れるはずがない。そこで泣きわめいてるのがお似合いだ」


 ダークの言葉に、ヒートは反論できない。正しいと、思う。涙では、なにも変えられない。運命も、弱い自分も、なにも変えられない。


「――だがな、それでも、リブラは私ではなく、お前が隣にいることを願っただろう。人の弱さなどで、己は曲げない。彼女はそういう人間だ。

彼女は生前に言っていた。『愛するということは、自分の全てを惜しみなく与えること』だと。

リブラは自らの言葉に最後まで殉じたのだろう。

……私はそのとき思ったよ。彼女に愛されたものは、きっと幸福になれるのだろうと」


 脚が、降ろされる。呆然と見上げるヒートへ、ダークは不機嫌な表情を崩さずに魔術令文を起動させた。


「『我は戒めを解く。汝は自由にあれ』」


 ヒートの首、奴隷の首輪が音を立てて外れた。石畳へ音を立てて落ちる。


「これでお前は自由だ。もう私には関係無い。好きなように生きて、好きなようにどこぞで野垂れ死ね。――リブラもそれを望んでいる」


 背を向けて歩きだす黒い紳士。ヒートはただ、首輪を見つめていた。


――オレは、自由なのか……?


 自由なのだろう。もう奴隷ではない。しかし、これは。


――与えられた、自由だ。


 ダークは言った。与えられ、奪われるのが弱者だと。与えられたものは、いつか奪われるものだ。

 アルバートは、生きる理由を失っていた。それに気づくことさえ、ヒートは出来なかった。

 リブラは、ひたすらに自分を愛してくれた。そんな人でさえ、自分は守れなかった。


――オレは……


 強く、なりたい。今まで出会ってきた人のために。リブラのために。そう思う。そのために、この自由は。


「待てよ、クモヒゲ」


「なんだ、バカ犬。お前と私はもう関係がない。話しかけるな」


 足を止めるダーク。振り返ることはない。


「オレは、幾らで売られてたんだ?」


「……リブラが送ってきた金額に、ラズロのやつがお前が暴れた分の損害やら手間賃やらを色々上乗せにしてきたからな。まあ差し引き二百万ダルといったところか。

私にとっては端金だ。お前を手放すことで得られる私の精神衛生環境の向上に比べればどうということはない」


「その金、オレが払う」


 少女は、墓所から立ち上がる。それまで空虚があったその眼には、再び燃え盛る生命と意志の熱があった。彼女の名はヒート。それこそが彼女を現す。


「リブラの金で、か? 下らんことを」


「違う、あの金は使わない。俺をお前の戦闘奴隷ブレイドにしろ。その働きで金を稼ぐ。自分の自由は、自分で買う。リブラから与えられたものじゃなく、自分で自由を手に入れる

そう決めた。――お前の奴隷になってやるよ」


 これがヒートの決めた結論だ。与えられることを拒む。まずそこから始めよう。リブラがくれたものではなく、自らの手で掴むことから、全ては始まる。なにも無い自分では、リブラからなにかを受け取る価値すらない。

 強く、なりたい。何かを掴み、何かを得るために。リブラの願いに応えるために。


「くっ、くっ、――――はっはっはっ! ようやく面白いことの一つも言えるようになったなヒート! 奴隷にしろと強要してくるバカなど生まれて初めて見たぞ!」


 笑いながら、振り返るダーク。


「いいだろう、暇潰しに飼ってやる。飽きたら捨てるだけだ。私を飽きさせぬよう、精々芸をやってみろ!」


 ヒートもまた、牙をむき出し、笑う。


「いいさ、お手だろうとなんでもやってやるよ! 絶対強くなって、最後はお前をぶち殺しておさらばしてやるぜ!」




 境界大陸ホライゾン・ゴールド、東部の街バトワイズにて、紳士と少女は出会う。それは最悪でろくでもない、しかし二度と忘れられぬ出会い。

 境界大陸歴二百四年、シャイアン族の生き残りであるヒートと、西方大陸クラッシャー・ホワイト最強の剣士ダーク・アローンの戦いの旅の物語はここから始まる。



 一章、ダンシングブレイド 完

 

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バルバロイ・ダンス! 上屋/パイルバンカー串山 @Kamiy-Kushiyama

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