最終話 ナツのロケット

「本当に忘れ物はないか? トイレは大丈夫か?」

 運転席から身を乗り出してくどいほど確認する真弓先生に、私は苦笑気味に頷いた。

「先生、さすがにもう小学生じゃないんですから。大丈夫ですよ」

 雲一つない冬晴れのこの朝、ガッティーナの駐車場にはロケット部のメンバーが勢揃いしていた。空港まで一緒に行くのは運転手の真弓先生の他には保護者権限絶賛発動中の優月シェフと由里子、加えてカメラマンとして大野さんだけで、それ以外のメンバーとはここで約半年間のお別れとなる。

「ナツさん、頑張ってきてくださいね」

 中村君が右手を差し出し、ぐいと力強く握手された。途端にわれもわれもと右手が差し出され、全員と握手を終える頃には右手が腫れて真っ赤になっていた。

「もう!みんな少しは遠慮してよ」

 ぼやいたところで誰も聞いちゃいない。

「中村君も、部長代理、よろしくね」

「判りました、留守は任せてください。あと、走さんの件は……」

「うん……」

 そのまま少しだけ言いよどむ。結局、あの打ち上げの日以来、彼とは連絡が取れていない。

「走ママの話だと、来月には復学できるみたい」

「そうですか」

 中村君は抑えた口調でそう答えて小さく頷いた。

「後は……。本人次第だけど、でも、もし」

「もし?」

「彼が入部してきた時には暖かく迎えてくれるとうれしいな」

「……判りました」

 中村君はそのまま沈黙し、私の目をのぞき込みながら神妙な表情で頷いた。


 Nー4型ナイチンゲールは私の、走に対する異常なこだわりが生んだロケットだ。

 そのことはみんなが知っている。

 だから、その想いが拒絶された今、私が果たして次のロケットを作る気持ちになれるのか、みんな、かなり心配している。

 それは痛いほど判る。判るんだけど……。

 クリスマスイブの夜、月をバックに見せた走の悲しげな表情は今でも脳裏に焼き付いている。

 思い出すだけで胸の奥がズキリと痛い。

 みんなには申し訳ないけど、由里子に指摘された通り、私自身、もう少し自分の気持ちを整理する時間が必要なんだと思う。

 そう。

 私のロケットは約束の“宇宙そらに届く機械”にはまだ届いていない。

 そのつもりになりさえすれば、やれることはまだまだたくさんあるはず。

 この先、アメリカでの半年間で、私が走の存在とは一切関わりなく、それでもなお、ロケット作りに情熱を傾けることができたとしたならば……。

 その時、初めて、私自身が本当にやりたいことが見えてくるだろう。

 そうなればいいなと思っている。 

「とりあえず、今は向こうのことだけ考えるよ。結構重責だしね」

 私はそう言って、無理やり微笑んだ。


 結局、私は学校側の思惑に乗ることにした。

 先方のたっての要望と言うことで、滞在費もホームステイ先もすべて面倒見てくれるというのは魅力だったし、技術的な知識ではなく、とりまとめ役としての経験が求められていることに少しだけ安心した。

 何より、留学が本決まりして、ニュースを知った向こうのメンバー達が動画投稿サイトに次々と書き込んできたコメントにも勇気づけられた。

 ただひたすら一直線に、夕暮れの空を切り裂いて遙かな高みを目指すナイチンゲールの映像は、迷走を続ける彼らにとってもわかりやすい明確な目標になったみたいだ。

 打ち上げの動画に寄せられた『コマンダーの早急な着任を求む』というちょっと大げさなコメントに対し、たくさんの”いいね”がついたのには少しぐっときた。

 ともかく、自分が求められているというのはうれしい。

 どこまでやれるかは判らないけど、まあ、全力で頑張ってみようと思う。

「ところで、お母様とはその後?」

「ううん。何も。手紙には住所も電話番号も書いてないの。実際に行ってみないと何もわからないよ」

 判っているのは、彼女がネバダ州リノの国際空港で私を待っているということだけだ。

 いや、もう一つ。岸本由里子諜報員がネットから拾ってきた情報がある。

 ネバダ州のリノに開発拠点を置く航空宇宙ベンチャー、スペースシップコーポレーションという会社の技術担当役員に”HARUNO AMANO”という人物がいるらしい。

 もちろん、確証は何もない。

 同姓同名の別人かも知れないし、彼女が現在もまだ同じ会社に在籍しているかを含め、それ以上の情報は何も手に入らなかった。

 一方、私が通うことになる学校はカリフォルニア州サクラメントにあり、リノとはそれほど離れていない。さすがに毎日通えるような距離じゃないけど、日本で言う東京~名古屋間と大して違わない。

 母がどこでどんな暮らしをしているかよく判らないけど、たまに遊びに行くくらいのことはできるだろう。

「そういえば、安曇の神阪さんから伝言っす。このチャンスに是非とも向こうの最先端技術を身につけてきてくださいって」

 坂本くんが珍しく真面目な顔で言う。

「私にも電話があったよ。そんなの無理だって言っといた。せいぜい英語が少し上手になるくらいが関の山だって」

 安曇窯業はアメリカの小型ロケット市場にも興味があるようで、留学期間中にラスベガスで開催される見本市でナイチンゲールの増強型をプレゼンするらしい。

 まだ世の中に影も形もない機体を先走ってアピールするのはどうかと思うけど、私もプレゼンターとして引っ張り出すからそのつもりでと念を押された。いずれはナイチンゲールをベースに、小型人工衛星打ち上げビジネスの構想もあるらしい。

 これは私に対するプレッシャーか、あるいはエールのつもりなんだろうなと思うことにしている。

 とにかく、先のことは何も判らない。

 私がもう一度、今度こそ宇宙に届く自分ナツのロケットを打ち上げることができるのか。それとも……

「じゃあ、そろそろ出すぞ」

 真弓先生にせかされ、私は大野さんに続いて後部座席に乗り込んだ。スライドドアがピーピーと音を立てながらゆっくりと閉じる。

「みんなも元気で」

「ナツさんも」

「ずっと待ってるっす」

 スライドドアがガチャリとロックされ、ブーンという低い電磁音を響かせながら車がゆっくりと動き出す。

 手を振るみんなの姿が次第に遠くなり、角を曲がって完全に見えなくなった。


 私は大きく深呼吸すると進行方向に向き直る。

 そして、二度と振り返らなかった。


---I'd like to meet you again soon.---

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ナツのロケット ~文系JKの無謀な挑戦~ 凍龍(とうりゅう) @freezing-dragon

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