おうさまと、まじょ
先代の王が亡くなった時に、初めてその男は魔女の前に姿を現しました。新しい王だというその男は、魔女を見て「お前は本当に魔女か?」と尋ねます。魔女はひどく疲れていたので、「ええそうです。あなたを呪い殺すこともたやすい」と答えました。新しい王は朗らかに笑って、「やってみせよ」と言いました。
「わたくしは冗談を言っているのではありません」
「なぜたやすく人を呪い殺す魔女が、このようなところに閉じこもっている。外に出る気はないのか?」
ハッとして、魔女は少しだけ姿勢を正します。「賢き王よ」とその目を見ました。彼の目は、ひどく綺麗なエメラルドグリーンでした。
「わたくしは疲れてしまったのです。幼き頃から魔女と忌み嫌われ、虐待されてきました。それならばいっそ、この湿った薄暗い牢獄で、一日に一度の食事だけを待ちながら生かされている方がましでございます。むしろ処刑の日を待ちわびたほど。死にたくとも、わたくしの信じる神は自死を許さないのです。しかし先代の王は、わたくしを処刑しませんでした」
王は何やら考えている様子でしたが、「先代の王がお前を処刑しなかったのであれば、俺もしないよ。もう少し生かされていなさい」と言います。ため息まじりに肩をすくめ、その場を去っていきました。
それから数日後、また王は姿を現しました。「いや仕事をしろしろとうるさくてかなわん。お前のもとへ行くと言ったら誰もついてこないのでな。これはいい、避難所にしようと思ったのだ」なんて言って頭をかきます。「誰も魔女に近づきたくないのでしょう」と魔女は言いました。
「しかし陛下、魔女なんかと話していると、よくない噂をたてられますわよ」
「元々だ、元々。俺の噂は大抵よくない」
思わず、魔女は笑ってしまいます。「なんだ、笑うではないか」と王が目を丸くしました。
言葉通り、王はたびたび魔女の前に姿を現すようになりました。
「俺は一介の騎士でなあ。本当は王位を継ぐ資格などないのだ。誰もがそうとわかっているが、先代の王が俺にすべて託していかれたのでな。何とか次へ冠を渡さねばならぬと思っているのだが。なかなかどうして、跡目が見つからん」
「そうでしょうとも。あなた以外、全員愚かですわ。わたくしを本当に閉じ込めた気でいるのですもの」
「俺には学がない」
「だけれど勤勉でいらっしゃる」
他愛のない話をしました。お互いの愚痴などを、誰にも言えない本心を、言い合いました。
ある日のことです。魔女のもとへやってきた王は、分厚い本を持っていました。
「よくよく考えたのだがな」
「いかがされました?」
「この国は魔女に厳しすぎる。世界は広い。どこかには、もう少しばかり魔女に優しい土地があろうと。そう考えたわけだ」
「えっ……」
もっと近くにおいで、と言いながら王は本を開いて見せます。「見なさい、たとえばここだ」と指さしました。
「この西の国の、海沿いの街だ。この街では、魔女をある種の職業として……憲兵のようなものとして、重宝しているという。50年も前の書物だから今はどうだかわからんが。……ちと遠いな。しかしたどりつけぬほどではないだろう。探せば、まだまだこのような街があるやもしれん。どうだ? 外に出たくなったか?」
そう言って、王はにやりと笑います。悪戯をする子供のような笑顔でした。
「それを、わたくしのために、調べてくださったのですか?」と魔女は信じられない思いで尋ねます。「どうしてそこまで」と彼の目を見れば、彼はひどく真剣な顔で「納得がいかぬのだ」と言い切りました。
「俺の国にいる間、お前は俺の民だろうに。俺の民が理不尽にも狭苦しい牢屋に閉じ込められ、満足に食えず、あたたかいベッドで寝ることもできないとは。納得がいかぬ。俺の王政の敗北だ」
表情を和らげ、王は魔女の頭を撫でます。
「人にできぬことを可能とする女よ。お前はもっと尊ばれるべきなのだよ。その力は、きっと誰かの為になろう。この国で幸福にできぬことは悔やまれるが、空を飛べる鳥を籠に閉じ込めておくような愚行は犯すまい。いつか文でも送ってきなさい。楽しみに待っているから」
魔女は涙を拭いながら、「いいえ、いいえ」と首を横に振りました。
「わたくしは、あなたの結末を見とうございます」
「結末? 俺の死か?」
「いいえ。あなたが跡目を見つけ、もう何もかも満足し、また一介の騎士さまに戻るところを見たいのです。それまでは、この牢にいさせてくださいませ」
驚いて、王は「いよいよ跡目を見つけなければなあ」と呟きます。魔女は笑いました。花が咲くように、笑いました。
「この街に行きたいのですが」
不意に声をかけられた水手の男は、思わず裏返った声で「あいよっ」と返事をしました。その時男は考え事をしていましたし、声の主である女は、足音も立てなかったからです。
渡し舟の様子を確認してから、男は女が持っていた紙をまじまじと見ました。それから少しトーンダウンした声で、「奥さん、この辺は初めてかい?」と尋ねます。
「この街は、5年前の大地震で海の底さ……知り合いがいたんならお気の毒だけど、諦めた方がいい」
痛いほどの沈黙が辺りを包みました。
やがて女は「行きたいんです」と言いながらポロポロと涙を流します。男はぎょっとしてそれを見ました。
「行きたい……あの人が、わたくしのためだけに残してくれた希望ですもの。たとえ幻想だとしても、行ってみたいのです」
男はしばらく考えて、頭をかきます。それから、「乗りなよ」と言いながら舟をたぐり寄せました。
おうさまと、はなうりのむすめ hibana @hibana
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