おうさまと、はなうりのむすめ

hibana

おうさまと、はなうりのむすめ

  むかしむかし、あるところに────


 小さな国がありました。海もなければ、緑もない国でした。あるのはポツンと真ん中に、大きなお城だけ。周りの国々からは、醜い土地と蔑まれていました。

 そんな国を訪れた、花売りの娘。この娘は遠い国の海街で生まれたのですが、草花のない国があると聞いていてもたってもいられず、やってきたのでした。

 娘が花を売ると、民たちは大層喜びました。今まで野菜や野草を見たことはあれど、わざわざ美しく育てられた花など見たことがなかったのです。娘が次から次へ色とりどりの花を見せると、民たちは娘を奇術師と思い込みもてはやしました。


 そしてその噂は、大きなお城の中にまで届きます。

 突然お城に呼ばれた娘は、少し緊張しながらも王様と会うことになりました。元が天真爛漫で楽観的な娘でしたので、「王様もお花が欲しいのかしら」と思い、色とりどりの花を両手に抱えて王様の前に出ました。


「赤髪の娘よ。お前は、花を売っているそうだな」

「ええ、そうです王様」

「なぜ花など売る?」

「だって王様……この国にはお花がないんですもの。みんな、綺麗なお花を見られないなんて損をしているわ」

「なぜ、花なんかで金を取る?」

「まあ!」


 花売りはムッとして、「お花を育てるのにもお金がかかるんですよ」と鼻を鳴らします。驚いた様子で、王様が「なぜそんな無駄なことを」と目を丸くしました。今度こそ花売りは腹が立ってしまって、思わず睨みつけてしまいます。

「こーんなに大きなお城も、ムダだと思いますけど!」

 途端に、王様の周りにいた従者などが「この小娘……!」と花売りに向かって手を伸ばしました。「良い」と王様が笑います。

「一理ある。俺もここを耕して芋でも育てりゃあ満足いく結果になるだろうと思っていたところだ……取り壊すか」

 従者たちが「陛下、お戯れを」となだめました。花売りは花売りで、「そういう話ではありません!」とぷんすか怒ります。

 王様はにやにや笑って、「なかなかいな」と呟いています。

「俺は花などいらないが、お前のことは気に入った。お前、俺の娘になりなさい」

 花売りはふんと鼻を鳴らし、「故郷に父と母がおりますので。失礼します」と言いながら出て行きます。すっかり王様のことが嫌いになってしまいました。


 王様を嫌いなのは、花売りだけではありません。元は何度も戦果を上げた騎士であったといいますが、先代の王に選ばれて王様となったのです。血筋を重んじる王家の人達にはよく思われていませんでした。それに王様は政治をするにも戦争をするのにも非常に強引でしたので、国民から恐れられていたのです。だからなのか、『王様は魔女と結託して悪事を働いている』という噂までありました。

 そんな嫌なお人でも、王様ですから、呼ばれたら出向かなければなりません。

 しばらく日を置いてお呼ばれをした時も、花売りは渋々ながらお城へ出向きました。


「まだ花などを売っているのか?」

「いけませんか」

「いやしかし、あんな腹の足しにもならんものがよく売れるものだ」

「王さま、“売れる”ということは、“足りない”のです」


 王様は頬杖をついたまま、目を丸くします。「まあ、一理はあるわな」と呟きました。それから深くため息をついて、何か追い払うような仕草をします。

「今日はもういい、帰れ」

「お、王さまがお呼びになったのでしょ!?」

「お前の顔を見たかっただけだ。俺の国で花など売る異邦人が元気でやっているか、ふと気になった……というだけだ」

 しっし、と手を振って王様は帰るように促しました。思わず、花売りは舌を出して「べーっ。もう二度と来ませんからね!」と憎まれ口を叩いてしまいます。くるりと踵を返すと、背中から王様の笑い声が聞こえました。

「陛下! あの小娘の非礼、目に余るものがあります」

「そうかぁ? 良い、良い。いずれ親元に返す娘だ。ここで手を出してみろ、親御がうるさかろう。好きにさせなさい」

 そう言って王様は目を細めます。従者は、どこか不満そうな顔をしました。


 それから僅か三日で、花売りは王様に呼ばれました。玉座の前に立つと、王様はなぜか驚いた顔で、「なんだ、来るではないか」と言います。「仕方なくです、仕方なく」と娘は強調して訴えました。

「王さまにお呼ばれしたら来なければなりません。だから、仕方なく来ただけです」

「ほう……王位などつまらぬばかりと思っていたが、そのような効力があるのか? 得をしたな」

 またカッカしそうな花売りの娘を、「まあまあ、今日はお前に頼みがあって呼んだのだ」となだめます。「たのみ?」と娘はきょとんとしました。

「そうだ。お前、俺に花を買わせてはくれないか」

「なっ……」

 本当ですか!? と目を輝かせる娘に、王様はうなづいて見せます。

「お花は、どれにいたしましょう」

「どれでもよい。お前の好みの花をくれ」

 ちょっと待っていてくださいね、と言って娘は走っていってしまいました。音の速さで戻ってきた娘が、真っ赤な花を差し出します。

「チューリップでございます。素敵でしょう?」

「これは……」

 受け取りながら、王様はそれをしげしげと見ました。「なんとまあ、俺に似合わぬ花」と呟きます。

「さてはお前、本当にお前が好きなだけの花を持ってきたのだな?」

「王さまがそうおっしゃいましたので……」

 もう一度花を見て、「ふうん」と王様は瞬きをしました。「ふう~~~~ん」と何か釈然としない顔をします。

「まあ、良いか。お前、明日も花を売りに来なさい。次はもっと華やかなものを頼む」

 そんなことを言って、王様は目を伏せました。一体何を憂いているのか娘にはわかりませんでしたが、美しい花が王の心を癒すだろうとすぐさま了承しました。


 それからというもの、娘は毎日王に花を売りました。王は花を買っても嬉しそうな顔を見せませんでしたが、不思議と毎日飽きることなく花を買いました。


 ある日のこと。花売りの娘は夜に、お城に招かれたのです。

 不思議に思っていると、どこか気まずそうな顔の王様が玉座から立ち上がりました。「こちらへおいで」と言って歩き出します。泡を食いながら、娘はついて行きました。

 たどりついたのは、お城の大きな庭の中の一角です。そこには、色とりどりの花たちが植わっていました。

「お前に、『一理ある』と思わされたのは2度だ。まず一つ、この城は大きすぎる、無駄だということ。そして二つ、足りないから売れる、ということだ」

「これは……私のお花でしょうか」

「俺が買ったのだから俺のものだ。まさか、買った後の花を土に植え直してはならんとでも?」

「いえ……いえ、王さま。なぜこのようなことを」

「足りぬ足りぬと民たちが申すたびに、何が足りぬと俺も頭を悩ませてきた。多くは食糧であろうと思い対策を打ってきたが、よもやこんなものに金を出すとはなあ……。未だ半信半疑だが、だからこそ俺自身で愛でてみることにしたのだ。まあ確かに、美しくはあると思うが」

 こんなものがねえ、と王様は飾り気のない仏頂面で呟きます。そこに花売りの娘がいることも忘れた様子で、しきりに首をひねっていました。娘はこほんとわざとらしく咳をしてみせて、「それで私に何のご用なのです」と尋ねます。

「あ、ああ……それがな、」

 ちょっと目をそらして、王様は言いました。


「枯れるのだ。花が、すぐに」


 驚いて、花売りは激しく首を縦に振ります。

「切り花ですから。土に植えても根が張るわけではないのです。王さまは、植物を育てたことがないのですか?」

 さすがに王様もムッとした様子で、「作物を面倒見たことくらいはある」と言いました。「だが、」と言いづらそうに頭をかきます。

「お前の、花だからな……」

「私の?」

「花は枯れる、というのはわかる。わかるぞ。だが、それならば、お前はあのたくさんの花をどうやって用意しているのだ? 毎日毎日、枯れていくのだろう」

「育てているのです。種をまいて、水をやって、美しく咲くよう祈りを込めて育てているのです」

「まさか本気でそんなことを……」

「本気も本気でございます! 王さまは、私が嘘をついていると思っていたのですか?」

 自分の顎をさすりながら、「ふーむ」と王様は唸りました。そして、観念したように両手をあげて見せます。

「俺たちには、花をわざわざ己の手で育てるという文化がない。お前のことも、どこぞの花を摘んで売っているのだろうと思っていた。それにしてはいつまでも美しい花を売り続けると物珍しかったのだよ。タネや仕掛けがあろうなと思っていたが、文字通り種から育てていたとはなぁ」

 そういえば、花売りはこの国の民たちから『奇術師』ともてはやされていたのでした。次から次へ色とりどりの花を美しいまま売る花売りを、奇術師と認識していたのでしょう。花売りは驚いてしまいました。知らぬ間に詐欺を働いてしまったような気持ちです。

「ふむ、そうか、種からねえ」と腕を組んで王様は感嘆しています。「それは良かった」と言って笑いました。

「もしこれにタネも仕掛けもなければどうしようかと思っていたのだ。何か摩訶不思議な力でも持っていたら、と。この国は魔女に少々厳しいゆえな」

「まじょ?」

「良い、良い。気にするなよ」

 笑いながら、王様はかがんで花を撫でます。「これは今日お前から買った花だが、明日には枯れような?」と花売りに尋ねました。「枯れない花はありませんので」と少し申し訳なさそうに花売りは答えます。

「……お前に提案があるのだが」

「は、はい」

「知己の友もいないこの国で、種をまく土地も限られよう。一体どこで花を育てている」

「小さなお部屋を借りまして」

「そうか。しかしここに、お前の言うところの“無駄に大きな城”がある」

「あの、その……実は怒ってますか?」

「どうだ、お前。この城で、花の面倒を見なさい」

 当然のような顔をしている王様に対して、花売りの娘はきょとんとしてしまいました。時計の針が一回りするような時間、見つめ合います。


「ほ、本気でしょうか王さま」

「本気も本気だ。俺自身が花などに価値を感じたわけではないが、まあこの無駄に大きな城を有効活用できるあてもないのでな」

「やっぱり根に持ってますか……?」


 その日から、花売りの娘は城に住み込みで花を育てることになりました。美しい花がどんどん増えて、城下の街には花屋という仕事ができました。



 王様の執務室から、声が聞こえてきます。「あんな小娘を住まわせるなど、何をお考えなのです」という話し声に、娘ははたと立ち止まって部屋の外からそれを盗み聞いてしまいました。

「俺が何を考えているか、察するのがお前たちの仕事だろうに」

「勝手なことをなされては困りますよ」

「飲み物が冷たいな。何か熱いものを持って来なさい」

「……文が届いております。これも、あとこちらも。それから、目を通していただきたいものが数点」

「あの貴族の者どもか。良い、置いて出て行け。茶を淹れるなら砂糖も入れろよ、3つだぞ」

 ため息まじりに、付き人が部屋から出てきます。娘は慌てて顔を背けましたが、付き人はおろか部屋の中にいる王様にも見つかってしまいました。「おお、花売りか。おいで」と王様が声をかけます。戸惑っている花売りに、付き人が苛立った様子で「陛下が呼んでおられるのだ。早く行け」と急かしました。泣きそうになりながら花売りは部屋に入ります。付き人はその様子を睨みながら、歩いていってしまいました。

「あのう……王さま」

「もっと近くに来なさい」

「でも、」

 仕方なさそうに、王様は立ち上がって花売りに近づきます。目を丸くする娘を抱き上げて、そのまま椅子に腰かけました。娘は王様の膝の上に座らされ、身を固くします。

「ぬくい、ぬくい」

「お、王さま!」

「暖を取らせろ。そろそろ老体にはこたえる寒さなのでな」

「ご老体というにはまだお若いではありませんか!」

「寒くとも花は咲くのか?」

「咲く花もございます」

「休まぬなぁ、自然というのは」

 どれどれ、と言いながら王様は机上に置かれた文を読み始めました。しばらく顔をしかめて動きませんでしたが、「見てごらん」と花売りに促します。

「まったく、何が言いたいのか直接お聞きしたいものだ。学のない兵士の出と馬鹿にしていやがるから、このような複雑怪奇で難解な文を書く。どちらが阿呆丸出しか、神がいるのなら聞きたいよ」

 疲れた様子で、王様は目を閉じました。この人も大変なのだなあ、と娘はぼんやり思います。


 ふと、王様は目を開けて「お前は故郷に帰らないのか」と花売りに問いました。花売りは先ほどの王様と付き人の会話を思い出し、しゅんとしながら「帰った方がいいのでしょうか」と呟きます。

「まあ、なぁ。花が売れるとわかれば、お前のように種から花を育てるものも出てこよう。足りるのなら売れぬ。お前の仕事もなくなる。そうなれば、お前はやはり故郷に帰った方がよい。父君と母君がいるのだろう」

「私は……」

「どうした、申してみよ」

「花を売ってお金持ちになりたかったわけではありません。花のない国があると聞いたので、それは大変にもったいないと……美しい花で癒される痛みもあるのだと伝えたく思って……」

「ではお前の仕事はいよいよ終わりだ。この国の民は、元より花を愛でる心があったのだろう。それを俺が知らなかっただけだ」

 しかし、と花売りはうつむきます。「王さまにも、愛でてほしいのです」と続けました。

「王さまにも花を愛でてほしいのです。王さまが、おつらいとき……そこに花があって、それで少しでもお心が軽くなればと。私はもう、ずいぶん王さまのことが好きなのです。とっても大好きだと思うのです。あなた様のために何かできればと思うのですが、それはやはり私にとって、花を贈る以外ありません。だから、花を愛でてほしいのです」

 紙をめくる手を止めて、王様は花売りの赤い髪を撫でます。

「愛でているとも。しかし、そこまでの価値はやはり感じられぬ」

「美しいとは思わないのですか」

「思う。しかし……ふふ、まだまだ花よりお前の方がい。俺にとって花は、お前の付属品に過ぎぬよ」

 顔を見上げようとすると、王様はケラケラ笑って娘の頭に顎を載せました。そのまま、また紙をめくり始めます。

 そのうちにお城にある大時計が音楽を響かせました。もう夕餉の時間です。

「そういえば……王さま」

「何だ」

「この国に来てから、音楽はこれしか聞いていません。この国には音楽もないのですか?」

「……ないことはない」

 大時計の音楽は鳴り終えて、静寂が辺りを包みました。

「戦時中にある程度制したのだ、芸術の類はな」

「なぜです!?」

「必要と思うか」

「ええ、もちろん」

 ふむふむと言いながら、王様は書類の束を片付け始めます。「大時計の曲は、代々の王家とこの大きな城を讃える歌なのだ。俺も昔はこれを唄う側だった」と呟きました。「歌は良い。絵も良い。だが、腹の足しにはならぬ」と王様は言います。「そればっかり」と娘が不満そうにしました。

「もちろん、いつか余裕があれば自由にさせようとは思っていたが……俺の代では難しかろうな。あまりにも俺への不満が大きすぎる」

「ふまん、ですか?」

「芸術家はみな告発者だ……簡単に国を揺るがす。この小さな国では、王威が揺らげば他国からすぐに狙われよう。せめて誰もが納得するような人格者が王にならなければ、そのような自由を謳歌させるわけにはいかぬ」

 王様は娘を抱いたまま立ち上がり、ドアの前に下ろしました。「さあ、夕餉の時間だぞ。行ってきなさい」とドアを開けます。娘は名残惜しそうに王様を振り向いて、廊下に出ていきました。


 それから数日後、誰が言いだしたのか『花売りの娘は、王の暗殺を企てた他国のスパイである』という噂が流れ始めました。


 ひそひそひそひそと周囲で噂され、娘はとっても怖くなってしまいました。花売りはただ花を売りに来ただけなのです。

 王様に呼ばれた花売りは、また彼の執務室に入りました。

「お前、そろそろ故郷にお帰り」

 たくさん考えて、たくさんたくさん考えて、花売りの娘は下を向いたまま「はい」と答えました。自然と、涙がポロポロこぼれます。王様は近づいて、娘の涙を拭ってやりました。

「二度と来るでないぞ。お前は魔女だという噂まである。そうなっては俺にも庇うことができぬのだ。民たちは必要以上に魔女を恐れている」

「はい……」

「泣くな泣くな。花売りよ、お前の花で癒せぬ悲しみがあるか?」

「わかりません。ただ、今はたまらなく悲しいのです。この悲しみの前で、私の花は無力かもしれません」

「そう言うな。色々と言ったが、俺はお前の花には力があると思っていたんだよ。咲き誇る花々を見れば、自然笑顔がこぼれた。それはお前のことを思い起こさせたからかもしれないが」

 今度こそ、花売りは声をあげて泣きました。


「そら、パンと水を持ちなさい。それとこれは、今まで俺の庭を面倒見ていた報酬だ」

「そんな! こんなにいただけません」

「お前を泣かせた埋め合わせでもある。受け取りなさい」

「王さま、王さま、どうかお元気でいてください。きっといつか会えますね? 会えると言ってください。わたし、」

「そうだなぁ。次に会う時は……良い跡目に王位を譲って、俺は一介の騎士に戻っているといいのだが。父君と母君を大事にするのだよ。気をつけて帰りなさい」

 王様に見送られ、花売りは泣く泣く故郷への家路をたどりました。故郷の両親は大変に心配していた様子で、花売りの帰りをとても喜んでくれました。


 彼女が故郷で日々を取り戻し、ひと月が過ぎた頃でしょうか。かの国の王が倒れ、危篤だという話を聞いたのは。






 花売りの娘は取り乱し、食事も喉を通らなくなりました。あの人の容態はどうだろうかと心配で心配で、体をおかしくするほどです。ついに娘は、両親の反対を押し切ってまた旅路につきました。

 かの国にたどりついた花売りの娘を、もう誰もあたたかくは迎えてくれませんでした。誰もが『あの子だ』『なぜ戻ってきたんだ』とひそひそ話をしています。そうしてすぐに、憲兵に捕らえられてしまいました。


「離してください。私は王さまに会いたいだけなのです」

「お前など陛下に会わせられるものか、この暗殺者め!」

「暗殺者……? 私が?」

「そうだ。陛下は庭先の花を愛でている時に、花の棘で指を怪我されたのが原因でお倒れになった。花に毒が塗ってあったのだ。あの花の面倒を見ていたのはお前であろう」

「そんな! そんな、そんな……! 私ではありません」

「嘘をつけ、魔女め」

「王さまは? 王さまは回復なさっているのですか?」

「……陛下は、明日をも知れぬご容態だ」

 目の前が真っ暗になったような気がしました。花売りはすっかり希望を失くしてしまって、周囲になじられるまま牢獄へ入れられてしまいました。


(王さまが……毒で……)


 花売りが咲かせた花で怪我をした王様。そのせいで毒に侵された王様。

(私のせい。私のせいだわ)

 膝を抱えて、花売りは自分を責め続けます。せめてずっとお傍にいて花の世話を任されていれば、彼が花の棘で指を怪我することなどなかったのですから。

 あまりの絶望感で泣くことすらできずにいると、突然牢屋の奥から物音が聞こえました。

「もし」と声をかけられて飛び上がります。薄暗くてよく見えませんが、とても美しい女性でした。それこそ、花のように。


「ああ、ああ……赤髪の娘さん。随分と失望しているのですね。無理もない。だけれど、あまり自分を責めてはいけませんよ」

「あなたは……どなたです……?」

「わたくしは魔女でございます。あなたと違い、本物の」


 まじょ? と呟いて、娘はきょとんとしました。「おやまあ、あなたの国では魔女というのは絵本の中だけなのですね」と魔女は目を細めます。「もしかして、考えていることがわかるのですか?」と思わず娘が逃げるように身をよじりました。

「そう。わたくしは魔女でございます。心配なさらなくても、あなたの心は純真ですわ。美しいものを持っていますのね、こんなところが似合わぬほど。それに、たくさん陛下の心を癒してくれた」

「王さまを……知っているんですか? その、あなたの口ぶりだと……」

「そうですよ。わたくしは陛下をお慕い申し上げております。あの人は嫌われ者だけれど、素顔はこの国一番の愛国者でしたからね」

 ぐっと言葉に詰まって、花売りはうなだれます。「私のせいで王さまは」と呟けば、「あなたのせいではありません」と魔女がきっぱり言いました。

「そのように自分を責めては、陛下も悲しまれるでしょう」

「では、誰のせいなのです? 誰のせいで、王さまは」

「ああ、ああ……人を責めてもいけません。そのような目をしてはダメなのです。本物の魔女になってしまう」

 美しい魔女は娘を抱き寄せ、なだめるように頭を撫でます。

「この国の民は確かに愚かです。陛下が死ねば操りやすい若者でも王位につかせ、大喜びで自由を謳歌するでしょう。そんなお祭り騒ぎも束の間で、すぐ他国に侵略され国の形さえ保てなくなるでしょう。わたくしには見えるのです。そしてきっと、生死の境をさまよっている陛下にもそれが見えているはず――――今ごろお悔しい思いをしているでしょうね。でも、このような国だからこそ、陛下は愛して守ろうとしたのです。愚かで弱くて、それでも花を愛でる心を持った民を、陛下は守ると決めていたのです。それはあなたにもわかっているはず」

 魔女に肩を抱かれながら、「そんなのってないわ」と娘は泣き出しました。魔女が何も言わず背中をさすります。


 娘が落ち着いたころ、魔女は口を開きました。

「素敵な娘さん、こんなところに入れられてしまって可哀想に。わたくしは魔女。わたくしのできることであれば、願いを叶えて差し上げましょう」

 バッと顔を上げた花売りが、「王さまの体を治してあげて」と縋ります。魔女は悲しそうに首を横に振りました。「呪いをかけることも解くこともできるけれど、毒に侵された体を治すことはできないのです」と呟きます。

 爪が食い込むほど両手を握り締めた娘は、しばらく考えた末にぽつりと「花になりたい」と言いました。


「せめて、せめてあの人に手向けられる花になりたいわ。最後までおそばに」




 魔女は格子の間から、見張り番に声をかけます。「もし、そこのあなた」と。見張り番は胡散臭そうな顔で近づきました。

「何だ、魔女。陛下がご逝去なされば、お前の処刑だって決まったも同然だぞ。もう庇い立てするお人はいないんだからな」

「やはり陛下のご容体は、よろしくないのでしょうか」

 それには答えず、見張り番はふんと鼻を鳴らします。魔女はおどおどしながら、「陛下にこの花をお渡ししていただきたいのです」と言いました。差し出したのは、真っ赤なチューリップでした。

 途端に、見張り番は顔をしかめます。

「お前は何を考えている。陛下は花が原因で苦しんでおられるのだぞ。そんなものをお渡しできるものか」


 不意に、魔女は喉を鳴らして笑いだしました。呆気にとられる見張り番を前に、「何だい、何だい、つれないねえ」と欠伸をして見せます。

「この花には、わたくしの呪いをこれでもかと込めてやったのだよ。未だしぶとく息絶えぬあの男に、とどめを刺してやろうと思ってねえ。この花を枕元に置けば、一晩ほどで黄泉の国へ旅立てたろうに」

 ゾッとした様子の見張り番は、逃げ出したそうな顔をしました。しかし何とか平静を装って、「触れたくらいでは何ともないんだろうな?」と尋ねます。魔女は笑って、「あの男にしか効かない呪いだ」と言い捨てました。

「そのような危険な花は燃やさねばならぬ。さあ、渡せ」

「わたくしの呪いを無駄にするとはねぇ。罰当たりめ、早く行っておしまい」

 花を受け取った見張り番は、おっかなびっくりという風に牢屋を後にします。魔女はその姿が見えなくなるまで、ずっと見守っていました。


 チューリップは、その日のうちに王様の枕元に活けられました。





 王様はひどく苦しそうにしていましたが、その汗を拭う付き人すらいません。「暗殺とは、武人の恥……よなぁ」と呟いて、浅い眠りに落ちました。どこかがたまらなく痛むのか、呻きながら起きて、また気絶するように眠るのです。それを夜中までに何度となく繰り返し、はたと王様は花瓶の中のチューリップに気付きました。「いつからあったのだ、これは」と呟きます。


「……なんとまあ、俺に似合わぬ花」


 指一本すら動かせない様子で、ただ王様は頬を緩めました。「……あの娘にはよく似合うだろうなぁ。同じいろをしている」とぼんやり眺めます。元気にしているといいが、と娘の顔を思い浮かべました。

「しかし……ひどいことを、する……ものだ。毒を、塗られた花は……すべて、枯れてしまったろうか……?」

 深く息を吐いて、「よく見えぬなあ、よく見えぬ」と王様は残念そうに囁きます。「美しい花だが――――ふふ」と言って目を閉じました。


「まだまだ花より、お前の方がいよ」


 夜はどんどん更けていき、遠く遠くに朝日が生まれてゆきます。静かな部屋に、足音もなく人影が現れました。ドアを開けたのは、あの魔女の姿です。


 魔女は静かにベッドへ近づき、冷たくなった王の骸を確認しました。

「あなたの結末まで見届けるという約束でしたが、このような結果になろうとは。わたくしは悲しゅうございます……騎士さま」

 そう言って、王様の額に口付けます。

 それから一輪の花に近づき、「陛下は死んでしまわれたよ」と囁きました。花は悲しそうに震えます。

「あなたには未来がある……故郷にご両親が待っているはず。わたくしが送って差し上げます。さあ、人の形に戻しましょう」

 花がもう一度、震えました。悲しそうに目を閉じて、魔女は「そう……」と花弁に口付けます。それからチューリップを花瓶から抜いて、王様の隣に寝かせてやりました。


「おやすみなさい、せめて良い夢を」


 そう言って、魔女は窓から朝焼けの空を飛び立っていきました。


 

 明朝一番に、王様の体を焼くことになりました。呪いの花も、気味が悪いので一緒に焼くことになりました。


 灰になった王様の骨がなんだかちょっと多いようだった、というのは嘘か真か。だけれど彼の最期まで寄り添った美しい花があったことは、これだけは、ほんとうでした。

 それは国が侵略の末に名前を変え、ただの街に成り果てた後でも語られる、呪いの話となったのです。

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