時を超える贈り物

ひろ法師

 枯葉が舞う十二月。曇天の空の下、私は一人アパートに向かっていた。コートを着ているものの、顔に風が当たると身を切る冷たさを感じる。

 私が通う高校から歩いて十分ほどの住宅街に、住んでいるアパートがある。


〈ケオパレス22 晴風(せいふう)〉


 二階建てアパートの一階に私の部屋がある。鞄からカード式のルームキーを取り出してドアノブの差込口に入れた。

 中は家電製品が備え付けられたワンルーム。家賃が安いので、学生でも借りられる。

 玄関の電源スイッチを入れて、室内を明るくした。ふと、私の視線は玄関の段上に向けられた。

 十センチ四方の小さな段ボールが置かれ、レシートが張り付けられてあった。


 “SDカード 宛先 水鳥(みどり)綾(あや) 様 〇〇県松野町××十丁目 ケオパレス22 晴風 〇〇〇号室

 送主 水鳥研也 〇〇県××市〇〇”


 ――水鳥(みどり)研也(けんや)


 お父さんの名前だ。もうお父さんは亡くなってるのに、なんで……。

 私の父親は十年前に亡くなった……いや――


 突然思考が止まる。

 死んだ理由なんて、これ以上は考えたくない。今はこの送り主がなぜお父さんなのか、理由を探らないと。

 いろいろ考えているとふと私の頭に、子供の記憶がよみがえってきた。

 そういえば、似たことがあった。

 あれは十年前の誕生日――


***


 駅前の喫茶店〈きね〉。雪がちらつき大勢の人が行きかう駅前の光景を、私は喫茶店のガラス越しに眺めていた。


 当時まだ八歳の小学生だった私、水鳥あやはひとりお父さんの帰りを待っていた。

 ぼーっと外を見ていると、近づいて来る足音に、私ははっとした。

 振り向くと、若い男性の店員さんがお盆に水を乗せてやってきた。


「おや、アヤちゃん。お父さんを待っているのかな」

「うん……」

「ゆっくりしていきなよ」


 店員さんはコップをテーブルに置くと、お辞儀して去っていった。

 お父さんは大学の研究所で働いていて、忙しくて帰ってくるのが遅い。

 だけど、今日は特別。なぜなら私の誕生日だから、いつもより早いのだ。早帰りができるときは、喫茶店まで迎えに行くのが日課だった。


 手提げかばんから何かが震える音がした。開けてみると、スマホが光っている。


【おとうさん】


 お父さんだ!

 心が跳ねる。


「もしもし? アヤです。いつこっちにこれそう?」

【あと十五分ほど待ってくれ。お母さんに連絡してるから。お母さんからのプレゼントだ】

「ほんとう? ありがとー!」


 一気に感情が湧き上がる。

 お母さんは二年前から仕事で遠いところに行っている。ちょっとした病気で入院していたが、退院した直後に仕事の都合で、海外に行ったらしい。

久しぶりに会えると思うと、自然と心が弾んだ。

 嬉しさのあまり、思わず立ち上がって椅子を後ろに弾いてしまった。周りのお客さんの視線が私に向けられた。

 視線の圧力に、私は押し止められた。


「ご……ごめんなさい」


 小声で謝罪する。

 スマホからお父さんの声が漏れていた。


【どうした? おーい】

「……なんでもない」


 苦笑いしながらも、席に戻る。


【そうか。準備ができたらそっちに行くから、いい子にしてるんだぞ】

「はーい」


 通話を切ると、私は湧き上がる嬉しさを抑えながらも、スマホを触りながらお父さんが帰ってくる時を待った。


 チャリン、と入り口ドアの鈴が鳴る。

 外からコートを羽織った、白髪交じりの眼鏡をかけた中年の男の人。


「待たせたね、アヤ」

「おとうさん……!」


 思わず立ち上がると、私は大きなお父さんの胸元に飛び込んだ。コートを掴み、お父さんのぬくもりを噛み締める。


「よーし、よく待っててくれたな」


 お父さんは大きくて暖かい手で私の頭を撫でた。


「うん!」

「さて、ご飯食べて帰ろう」


 誕生日ということで、今日は喫茶店で夕食だ。日常のたわいもない話、時間が、そして私たちの笑顔が、確かにあった。


 その後、二人でおしゃべりしながら家に帰る。私の実家は、もう取り壊されているが駅近くの住宅街にあった。


 〈水鳥(みどり)〉とある表札の下に郵便受けがある。郵便がたまっておりお父さんは一つずつ確認していた。


「アヤ、鍵を渡すから先に中に入っててくれ。お父さんが準備できたら呼ぶから、宿題を済ませておきなさい」

「はーい」


 お父さんから鍵を受け取ると、私はルンルン気分で中に入っていった。


 お父さんが来るまでの間、私は宿題を進めていた。しかし、プレゼントとケーキで頭がパンクしそうで、なかなか宿題が終わらなかった。


 頭がパンクしかけで疲れていたのか少々うとうとしながらも、私はなんとか宿題をこなしていた。


「おーい、アヤ! 準備できたぞ!」


 お父さんの声にはっとする。さっきまでのルンルンが戻ってくる。


「はーいっ!」


 駆け足で階段を降りると、すでにケーキとプレゼントは用意されていた。

 バースデーケーキに蝋燭(ろうそく)が八本、椅子にはカラフルな虹色の包装紙にラッピングされたプレゼント。


「ねえ、中に何入ってるの?」

「ん? それは火を消してからのお楽しみだよ。さあ、始めよう」



 蝋燭に火を点けて電気を消す。


 ――ハッピバースデートゥユー、ハッピバースデートゥーユー、ハッピバースデーディア、アーヤー ハッピバースデートゥーユー


 ふうっと私は蝋燭に息を吹きかけた。火は消え、拍手が響き渡る。

 そして、明かりが灯された。


「おめでとう、アヤ!」

「ありがとう、お父さん! プレゼント、開けていい? お母さんからなんでしょ?」

「ああ」


 カラフルな包装紙を開けると、テレビゲームの「ダブルカート」が入っていた。私が好きなゲームで、夢中で遊んでいた記憶がある。

 去年発売されていたが、クラスのみんなは持ってるのに私だけなくてもどかしい思いをしていた。


「うわあ……いいの?」

「ああ、お母さんが仕事先から送ってくれたんだ。楽しんでくれたらお母さんも喜ぶと思うぞ」

「やったあ!! ありがとう、お父さん、お母さん!」


 この時私は欲しかったゲームをもらえたことで胸がいっぱいすぎて、他は忘却の彼方にあった。

 お父さんも満面の笑みで祝福していた。


 でも、違和感がなかったわけじゃない。

 私は二年前からお母さんの声を聞いていない。すべてお父さん伝いだ。

 さらにお父さんは私にお母さんの連絡先を教えてくれない。スマホの連絡先に彼女の名前はない。


 だが、私は衝撃的な答えを知ることになる。それは誕生日から半年経ったある春の日のこと。

 桜舞う季節、別れの季節とはいうが私の平和だった日常も突如別れを告げた。


「アヤ、ちょっといいか」


 お父さんは朝日が差し込む窓際に立ち、私を呼び掛けていた。


「ん?」

「スマホ、貸してくれないか。お母さんからメッセージが来てる」

「うん」


 何の違和感もなく、普通にスマホを手渡す私。

 だけどまだ無垢だった私が知るには、残酷すぎる事実であった。

 

 少しして、お父さんはイヤホンを付けた状態のスマホを返してくれた。


「自分の声で聞きなさい」


――十二歳のアヤちゃんへ。あなたがこの音声を聞いているということは、私はもうこの世にいないでしょう


 私の耳にこだまするお母さんの音声。一字一句がまだ幼かった私にぶつかり、痛みを与えた。

 衝撃は徐々に大きくなり、涙腺を刺激する。

 お母さんが不治の病にかかっていて、音声は亡くなる直前に収録されていたこと。

 プレゼントは事前にお母さんが買って、用意されていたものであること。

 そして、お父さんには私が大きくなるまでこの事実を隠していたこと……。


「……お母さん」


 私は不意に目に一気に溢れるものを感じた。ぽたぽたとカーペットが濡れる。

 膝をつき、私は思いっきり声を上げて泣いた。


「お母さん……どうして、お母さん……!!」


 まだ八歳だった私には辛すぎた事実。

 でも、受け入れるしかないのだ。受け入れるしか――


 どれくらい泣いていたかはわからない。少しずつ落ち着いてきたのを確認していたのか、お父さんは、


「今まで黙ってて、すまんな……アヤにとって辛いだろうから」

「……いいの。お母さんとずっと会えないなんておかしいって、思ってたから」

「そうか」


 でも、お母さんの音声に間違いがあった。


「だけどお父さん、私まだ八つだよ?」

「そうだね……でも、今しかアヤに聞かせるチャンスはないんだ」

「……え?」


 意味深だったお父さんの言葉。今しかできないって、どうして?


 だが、その答えはすぐに明らかになった。お父さんは数日後、私の目の前で姿を消した。


***


 あのプレゼントだってお父さんが隠し持っていたんだ。この贈り物も事前に用意されていたんだろう。

 でも……誰が持ってきたんだろう。


 ピピピ……と鞄から音がする。私のスマホだ。

 画面を確認すると【田原(たわら)康太(こうた)】と画面に出ていた。

 お父さんの兄弟で親戚だった。


「もしもし? 水鳥(みどり)です」

【あ、アヤちゃん? 久しぶり。そして、誕生日おめでとう】

「もう祝ってもらえる歳じゃないですよ」


 康太さんの祝福に、力なく笑いながらも、答える。


【ったく……君は喜ぶの下手だなー】

「……下手でいいです」

【ま、いいさ。それはそうと、中開けてごらんよ。すごいもの入ってるよ】

「もう子供じゃないんですから……そんな」

【いいからいいから。君のお父さんからのプレゼントだよ】

「……」


 康太さんに言われたとおり、箱を開けた。

 私の運命を大きく変える、この箱を。


 そして半年後、物語は動き始める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時を超える贈り物 ひろ法師 @hiro_magohoushi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ