王女と魔女
ヒールが床を叩く音が響く。
長椅子の並ぶ礼拝堂を、スリットの入った長いスカートから一歩毎に白い脚を覗かせながら女性が歩いてきた。
暗い礼拝堂では黒にも見える濃紺の修道服を見る限り、シスターだろうか。
もっとも、その修道服も背中が大きく開いていたり、肩が出ていたりと扇情的だ。
ヴェールからは紅色の髪が僅か覗いている。
口には火の着いた葉巻タバコがくわえられており、とても敬虔な女性とは思えない。
長椅子の間を抜け、祭壇の前に立った彼女は視線を上げた。
ステンドグラスから射し込む柔らかな日差しは朝の物。
夜は去り、命ある者が営む時間であることを告げている。
「タバコは辞めろと何度も言っているだろう。シスターアズール」
「これくらいしか楽しみが無いんだ。多目に見てくれよ袖無し神父」
背後から聞こえた男の声に、アズールと呼ばれたシスターは振り向きもせずに返す。
その彼女の後方、闇の中から左腕の無い男が現れた。
茶色の髪をオールバックに纏めた大男だ。
改造されているとはいえ修道服のアズールに合わせてか、キャソックと呼ばれる――左の肩から先が無い――服装を身に纏っている。
皺の刻まれた顔を見る限り齢は五十を超えているだろうか。
聖職者に見えないアズールとは対照的に、その背筋は鋼の芯が一本入っているかのようにまっすぐ伸ばされ、荘厳な雰囲気を漂わせている。
「で? アタシに何の用? まさかタバコのお説教だけしに来た訳じゃないだろう?」
「当然。東の教会でイモータルが殺された」
「へぇ」
語調は淡々と。
しかし、つまらなさそうに煙を吹くアズールはどこか不機嫌そうだ。
灰が床に落ち、それをヒールで踏みつけて捻る。
相変わらず祭壇の前に立つシスターとは思えない態度だが、最初の一言を除いて袖無しは咎めるような事も言わない。
「あいつは大丈夫なんだろうね」
「私が知った事か。気になるのならば遮二無二探す他無いだろう」
小さな舌打ちは、それでも静かな教会に響く。
アズールからすれば直属の上司であるが、袖無しをどうしても好きになれない。
言動のどれもこれもが癪に障り、結果的にタバコが増える。
つまるところ、タバコが辞められないのもこの男のせいだ。
「急ぎたまえよ。アレは出来損ないのイモータルとは比べ物にならないが、万が一が無いとは言い切れない」
「ああ、分かっているよ。あいつだけはアタシの獲物だ」
アズールはタバコを上へ放り投げると、いつの間にか手に握っていたナイフで着火部分を寸断した。
宙を舞う、赤く光る火種を空いた手で掴み、踵を返しながら握り潰した灰を床へ落として行く。
振り向いた時点で袖無しの姿は無かった。
「信仰はただ殺しへ捧ぐ」
神無き教会で青のシスターは静かに祈る。
ロザリオの代わりに銀のナイフを握りしめて。
◆
復興街を見渡せる小高い丘に魔動二輪車を止め、黒布に金の装飾が施された外套を纏ったクロイツが眼下を見下ろしていた。
サイティングマークが浮かぶクロスアイズは緑色ながら、その瞳は数名の見知った顔を捉えていた。
女性ばかり――クロイツの体も女性だが――四人の大所帯。
進行方向を見る限り、どうやら自警団の番所に向かっているようだ。
――いかがなされましたか? クロイツ様。
「アルシェ、カルメリア、ルナリア……もう一人の黒髪は誰だと思ってな」
――確かに、目立つ格好の割に見覚えがありませんものね。
「気になったなら直接出向けばいいか」
魔動二輪車ならば丘を下って街まで行くのに時間も掛からない。
クロイツはマシンに跨がるとスタンドを蹴り起こし、クリスベリルが魔力を流す。
幾何学的な緑色の線がマシンの表面へと走り、車輪が高速で回転を始めた。
地面を蹴り、車体に体重を掛けるとそれは弾丸のように空を切る。
飛び出してくる物が無いか、クロスアイズを用いて細心の注意を払いつつ、裏腹にマシンは加速を続ける。
轍の上に新たな跡を刻みながら、丘を下って復興街へと駆け続ければ、到着までに幾ばくも掛からなかった。
クロスアイズとクリスベリルの身体能力を考えれば危険ということはないだろうが、流石に市街に入ってはこれでの移動は市民が怖がりそうなので大人しく下りて引いて歩くことに。
土色の壁を白に塗る男、木製のテラステーブルで食事をとる女性、痩せた猫を追いかけ回す子供、開けた通りの端で立ち話に興じる老人。
老若男女を問わず人々の営みが目に入るのは、ここの傷が癒えつつある証だろう。
そんな風景を抜けた先、目的の建物の前に銀のエルフは立っていた。
「あれ? おーい! クロイツー!」
クロスアイズを有するクロイツ程ではないが、長らく森で暮らしながら弓の腕を磨いてきた彼女は目が良いらしい。
まだ遠く離れているにも関わらず、人波の中でクロイツを確認して手を振っている。
クロイツも軽く手を上げて返すと、アルシェの言葉で気付いたのか隣にいたカルメリアも丁寧に頭を下げた。
「自警団の連中は留守なのか?」
「集団食い逃げの逮捕に皆して出動して行きました。騎士である私がここは預かっているという次第です」
「集団食い逃げって……」
顔色ひとつ変えずに淡々と告げるカルメリアに、クロイツは状況も踏まえて半目で呆れ顔だ。
まあしかし、確かに騎士団の人間……それもクリスベリルと一対一で戦って生き残る程の者が留守を預かるのならば大概の事はどうにかなるだろう。
「私が行っても良かったのですが、休暇中の身でして」
「面倒だったんだな……ん? いや、そうなると何でお前達は王女様なんかと一緒にいるんだ?」
カルメリアは一度だけ小さく頷くと、アルシェに話したのと同様に事情を説明する。
ツッコミたい所はあったものの話が進まなくなりそうなのでぐっと飲み込んだ。
一通り話を聞いた後、クロイツはゆっくりとカルメリアとアルシェの後ろに居る二人へと視線を向けた。
「お前、事情が分かってて正体隠してたな?」
「アッハハー……いやー、まさかクロイツ君と出くわすのは予想外だったかなぁー……」
気まずそうに笑うのはルナではなくコウゲツだ。
彼女は編笠を脱ぐと、聞こえもしない小さな声で何やら呟いた。
弱い魔力がコウゲツ……いや、ルナリアの周囲を取り巻いた後、艶やかだった黒髪はレーヴェフリードの物と同じ美しい金へと色を変えた。そして、その瞳も薄い緑色へ。
唐突の出来事にアルシェとカルメリアは固まったままだ。
ルナと名乗った女性に至っては何が起きているのか分からない様子でクロイツ、ルナリア、アルシェとカルメリアへと次々に視線を送っている。
「アルシェちゃん、カルメリアちゃん、ルナちゃん、改めて自己紹介。あーしはネレグレス王国の王女ルナリア。騙しててゴメンね」
「アルシェさん」
「何かしら」
「お昼奢ります」
「塩漬け肉多目で頼むわ」
「反応に困る現実逃避しないでよー!?」
騒ぐ三人を尻目に、クロイツはその目をもう一人へと向けた。
困惑した様子で佇んでいる口数少ない金髪の……いや、先程ルナリアが用いたのと同じ魔法で本当の姿を隠している黒髪の女に。
クロイツの目に気付いたらしく、彼女はこれまでのおどおどした様子から一変、小さな笑みを浮かべるとふくよかな唇に艶かしく人差し指を当て、まだ喋らないでほしい旨を伝えてきた。
背筋に悪寒が走る。
この女、普通の人間じゃない。
「すぐに正体は明かすけど、人目が減ってからにしてください、ね? そうね、アナタがその外套を脱げるようになりましたら、でしょうか」
「…………了解しておいてやる」
真顔で直立しているアルシェとカルメリアに、ルナリアは身振り手振りで意思疏通を計るが、どうにも二人はまだ状況を受け入れられないらしい。
さっさとここを離れてルナの正体を知りたい所ではあるが、少なくとも一人は自警団が戻ってこない限りは動けない。
ならば、とクロイツはふと考えていた事を聞いてみることにした。
「ルナリア」
「んにゃ?」
「ここから大分東に行った所にある廃教会で見たこともない魔物と出くわした。お前なら何か分からないか?」
「ほほう、いーよ。詳しく聞かせて」
ルナリアの目付きが変わる。
彼女は近くにあった手頃な椅子に腰を下し、やや猫背に前傾してクロイツへ視線を向けた。
騒がしかったアルシェとカルメリアも様子の変化には気付いたらしく、静かに耳を傾けている。
「…………」
話始める前に僅か沈黙。
別の椅子に行儀よく腰掛け、やや俯いているルナにまで……素性の知れない相手にまで話を聞かせて良いものか。
そんな事を思案している矢先、不意にアルシェが視界に入る。
視線が合った訳ではなく、彼女はクロイツに見られていた事すら意識してないだろう。
アルシェは人の悪意に敏感だ。
かつて悪意を持って嘘を吐いた者を臭いで見分けた事があった。
そんなアルシェが、短い間とはいえ何事も感じずに行動を共にしていたのならば、きっと大丈夫だろう。
万が一があったのならば、後始末を出きるだけの力もクロイツにはある。
「なら、大丈夫か……」
「え? 何か言ったかしら?」
「いや、何でもない。じゃあ、まず状況からだ」
不死種魔物の大量発生。
ネレグレス王国としてもその原因究明は急務ではあったのだが、騎士団は各地への対応に追われて人員を割くことができない。
そこで民間ギルドでありながらネレグレス騎士団と互角の戦力を有し、国との繋がりを持つグラースへと白羽の矢が立ったという訳だ。
中でもクリスベリルの身体、来訪者としてのスキル、魔動二輪車の行動範囲と三拍子揃ったクロイツはまさに適任。
それ故、クロイツはここ数日単独――クリスベリルと二人ではあるが――で各地を調査に回っていた。
「ここまでは知っていたか?」
「いーや? お兄ちゃん達ってばあーしに意見聞く割にはなーんにも込み入った所は話さないしー」
「それはお前が聞かないからだろ?」
「アッハハ、おっしゃる通り」
調査を続けるクロイツはふと視界の端に捉えた教会へ立ち寄る事にした。
この魔物の大量発生が起きる最中に人里から離れた場所に立つ教会では少なからず被害が出ている筈だ。
だが、その教会は人の気配はしないものの外観に目立った損傷がない。
それがおかしいことに気付くのに、クロイツとクリスベリルは時間を要さなかった。
クロイツが調査に回っているのは魔物の襲撃が起きた事のある場所だ。
ならば、人気の無い教会の外装には新しい傷の幾つかはあって然るべきだろう。
「ほほーう? それで気になって入ってみたら、教会の中には見たことない魔物が居たんだね?」
「見たことがない、と言うよりは見えない魔物だ」
「どういうこと?」
静かに聞いていたアルシェが割り込んできた。
彼女は元々エルフの森番だ。
普通に暮らしている人々と比べ、魔物と遭遇する機会は圧倒的に多い。
同時に、それらに対処する術も学ぶ必要があったはずだ。
きっと、その知識のどれにも見えない魔物なんてものは無かったのだろう。
「周囲の景色に完全に同化……いや、あれは姿を透明にすることができると言った方がいいか。この目が無ければ、気付くことも無かったかもしれん」
「クロスアイズ……本当に不思議な目よね」
外套のフードから覗く瞳を、その黒い籠手に覆われた手で指差す。
クロイツの名前の由来にもなった、サイティングマーク……十字模様が浮かぶ光る瞳だ。
銃を操るスキルを有するクロイツは非常に高い射撃精度を誇る。加え、このクロスアイズは視覚の強化や視力の強化、幻覚や幻影に対する耐性など、射撃の補助となる能力を有している。
まさに真実を視る瞳とも言える物であり、いかに姿を消そうともクロスアイズはハッキリとその姿を捉えていた。
魔物の容姿を説明できたのはクロイツだったからこそだろう。
本来の色、異形の頭、竜にも似た身体……彼は可能な限り事細かにルナリアへと説明する。
「うーん……」
「流石に実物を見ないと判断はできないか?」
「いーや? それ、多分ホムンクルスの類いだよ」
聞き慣れない単語にクロイツだけでなくカルメリアも怪訝そうな表情を浮かべる。
ホムンクルス。
確かに聞き慣れない言葉ではあるが、来訪者の世界でも全くこれを聞いたことがない人物は少ない言葉でもある。
錬金術によって産み出される人造生命体……あるいはそれに類する物。
あちらの世界のフィクション作品では扱われやすい題材でもあり、人に近い姿をした、所謂人造人間として描かれる事も多い。
ルナリアは背もたれにだらしなく寄り掛かり、椅子の前足を浮かべさせて前後にゆする。
服装、髪色、身分、仕種、あらゆる要素がちぐはぐな彼女だが、その目だけは悠然と事の真相を見極めようとしているかに見えた。
「透明になるってのは知らないけども、真っ白な体に日光に弱い事は一応ホムンクルスにもある特徴。あと、外見的な特徴が既知のモノとなーんにも一致しないなんてのは、それこそ人造物だからじゃないかな?」
「なるほどな。じゃあ大量発生との関連は薄いか……」
「どーかなぁ……ホムンクルスなんて普通は置き去られる物でもないし……もし一連の騒動が人為的な物なら無関係とは言い切れないね」
カルメリアとアルシェは、開いた口が塞がらないといった様子だ。
口頭の説明だけで即座にここまで推測できるものなのかと。
目の前のチグハグな女性が、間違いなくあの二人の妹なのだと思い知ったといった所か。
カルメリアはともかく、アルシェに至ってはもう考えるのもやめて夕飯でも考えてそうな顔をしている。
昼もまだなのに。
「はっ! 寝てたわ!」
訂正。
本能が難しい話をシャットアウトしていたらしい。
ルナがそんなアルシェを見ながら苦笑いをしていた。
「あ、皆さーん! 留守番ありがとうございました!」
ナイスタイミングと言うべきか。
聞こえた声にカルメリアが番所の外へと出て行く。
「そちらはもう良いのですか?」
「はい! それにしても苦労させてくれますよ。どいつもこいつもボールに手足が生えたような体格だから余裕だと思ったのに、転がって逃げやがるんですから! 最後は登り坂に追い詰められて観念しましたけどね!」
「はあ……まあ、良かったです」
自警団の話が中にまで聞こえてきてアルシェ苦笑いをしている。
彼女もあまり他所の事は言えない気がするが、クロイツは余分な事は言わず半目で彼女を見るばかりだ。
「何よ」
「お前は本当に美人だな」
「知ってるわ」
「へーそーですか」
「すみません。自警団の方も戻られましたので私はそろそろ失礼しようかと思います」
「ああ、ご苦労だったな。エメリスとレーヴェフリードによろしく言っておいてくれ」
「はい、それでは」
「じゃあーねー」
丁寧に頭を下げたカルメリアに、クロイツやアルシェと並んでルナリアが手を振っていた。
しかしカルメリアに即座に襟首を捕まれ、ズルズルと地面を引き摺られて行く。
「うえええええ……分かった! 分かったから引き摺らないでー!!」
鮮やかな着物を纏った金髪の王女の半べそ混じりの声が昼前の復興街に響くのだった。
◆
「で、何でルナを番所に預けなかったのよ」
グラース本館、ルクスの執務室でルナリアの一件を一通り話し終えたくらいで、アルシェはクロイツに問うた。
中央のテーブルの隣に置かれた椅子にはルナが行儀よく腰掛けており、ルクスが彼女の前に置いた琥珀色の茶が湯気を立てていた。
カップを口に運ぶルクスは何も言わず、外套を脱いだヘソ出しルックスのクロイツはルナへとその目を向けている。
クロイツの目は口よりも饒舌だ。
その視線にはさっさと話せと言わんばかりの威圧感が含まれているようにも感じる。
湯気の上がるカップに一度だけ静かに口を付けると、ルナはおもむろに立ち上がってクロイツとルクスへと深々と頭を下げる。
「自己紹介が遅くなってしまってごめんなさい」
ルナの周囲に魔力が渦巻く。
魔力は風を巻き込みながら螺旋を描き、美しかった黄金の髪が黒く染まって行く。
その様子はコウゲツという名を騙っていたルナリアが正体を現した時と同じであり、そして真逆だった。
ルナリアが使っていたのは変装の魔法といった所か。
一方、ルナ……いや、この魔法使いの使っている魔法は変身と言っても良いだろう。
金の髪が黒く変わるばかりではない。
その身長はアルシェよりも少し低いくらいまで縮み、髪はその腰あたりまで伸びてゆく。白く美しいドレスの様な服装もその身の丈に合った黒いローブのような服装へ変わった。
最後にその手にとんがり帽子が現れ、それをゆっくりと頭に乗せる。
その姿はおとぎ話に登場する魔女そのもの。
クロスアイズで元の姿を知っていたクロイツはともかく、ルクスは驚いた様子でその変化を見ていた。
しかし何より反応をしたのは意外にも昼間似たような光景に遭遇したアルシェだった。
金と白の女性が真っ黒な少女へと変化するに従って、アルシェの顔が青ざめていったほどだ。
「改めてはじめまして。そして久しぶり」
「え、え? え!? 嘘でしょ!?」
「何がですか? 相変わらずで安心しましたよ? アルシェ」
「し、師匠ーー!?」
「師匠って、え!? あの黒魔女リーズかい!?」
「は!?」
――はい!?
少女の様でありながら落ち着いた柔らかな声で銀のエルフの名を呼ぶ。
アルシェの師がエルフで無かった事も驚きだが、ルクスが口にした名前にさらに驚愕させられる。
黒魔女リーズ。
おとぎ話にすら名前が出てくる魔法使いの代名詞とも言える大物だ。
「そんな奴の弟子がこんなアホなのか……」
「ちょっとお!? 師匠の前でなんてこと言うのよ!?」
「大丈夫ですよアルシェ。よく知ってますから」
「なら良かったわ」
「苦労したんだな」
「ええ、それなりに」
常に柔らかい笑みを浮かべる様子はさながらクリスベリルを彷彿とさせる。
違いがあるとするならば、リーズの笑顔からは内に潜む獣の気配を感じない事か。
人の笑み。
なにもクリスベリルのそれが悪いなどとは言わない。
獣であることを己に課した女が浮かべる、せめて人に見せようとする笑顔なのだから美しくないはずがない。
彼女の場合は美しすぎるからこそ恐ろしいのだが。
「貴女が幻惑の森に囚われてからも幾度か森の近くにまで向かったのですけれども、きっと目を醒まさせるのは私でない方が幸せだと思い、静観しておりました」
「そうね。ありがとう。きっと師匠に助けられたら、今の私は無かったと思うの。復讐しようとして、一人で問題起こして罪人として死んでたと思うわ」
信頼する相手に対してとは言え、ここまでハッキリと事が言えるのがアルシェの良いところだろう。
クロイツは銃を使う来訪者。
アルシェにとって何よりも許容できない相手でありながら、不器用にも真摯に向き合おうとした彼だったからこそ、アルシェを本当の意味で救うことができたのだろう。
恨むなと言うのではなく、恨まれてでも手を差し伸べる者も居るのだと。
「クロイツさん」
「礼は要らないぞ。俺が好きでやったエゴの押し付けだ」
――あらあら。
「まぁーたアンタはそんな風に言って!」
「あはは、クロイツらしい」
「では、言葉とは別の形で謝意を示させてもらいます」
リーズが何やら小さく呟くと、その手元で黒い光が弾けた。
飛び散った光は部屋を飛び回り、リーズが手を掲げると元の場所に戻ろうとするかの如くそこへ集う。
「何を」
「口頭の説明だけでは解りづらい事もあるかと思いまして」
翳した手から放たれた光は窓へ向かい、黒い光の陣を描いた後に地図が映し出された。
「これは……ネレグレス。いや、ラルムフローレ大陸かな」
「はい。即座に理解なされるとは感服致します」
「ラルムフローレ大陸?」
「俺達が立ってる大地だ。ネレグレスはその大陸にある一国家にすぎない」
ラルムフローレと名付けられたこの大地には、いくつもの小国が点在した。
それぞれが王と言う名の領主を擁立し、独立した国政で動いていた。
そう、大戦が起きるまでは。
大戦によって疲弊し、国力の衰えた小国は民の生活すらもままならなくなりつつあった。
その為、各国は領主と同じ種族の王を擁する国力の強い国へと吸収され、現在では人国、獣国、石国の三つが大陸に残るのみとなっている。
元の王達はその王位こそ失ったが、各地の領主として管理を任されており、実質的にはあまり変わっていない。
ネレグレスは、この中の人国にあたる国だ。
「……理解できないと思うが、まあ頭の隅にでも置いておけ」
「うん!」
「この赤い点は……魔物の発生が起きた場所かな」
「はい。魔物や人の魔力……その残滓を各地で調べてきた物ですので、全てが正確とは言えませんが、そこは大きな問題ではないかと」
「そうだね……リーズ様。一応聞くけども、ネレグレスの他も調べたんだよね」
「はい。それこそ、この国よりも念入りに、ね」
窓に映し出される大陸地図。
そこには魔物の発生が起きた地点にマークがしてある。
クロイツもハッキリと国境線が分かるわけではないが、ネレグレスの大まかな領土くらいは理解している。
それ故に、この地図に記されているマークに怪訝な表情を浮かべざるを得なかった。
「ネレグレスでしか魔物の発生は起きていないのか」
「はい。今のところは」
「今のところ?」
「自分で言うのは大変恐縮ですが、私は魔力の流れや残り香を感じ取る事に関しては恐らくこの世界の誰よりも長けています。ですので、不死種魔物の発生が起きた大まかな時期も分かるのですけれども……どうやら、ネレグレスの国境に近付くにつれて発生時期が新しくなっているようなのです」
「え? どういうこと?」
「いいですかアルシェ? つまり、不死種魔物の発生が拡大しつつあるという事です」
一同が息を飲む。
なんとか人的な被害を抑え込んではいるものの、事態は鎮静化しつつあるどころか拡散しているなど。
各地に派遣されている騎士団やグラースでの対処にも限界がある。
範囲が広がればそれだけ対応は困難になり、いずれは大きな被害が出ることも想像に難くない。
重い沈黙が執務室を満たした。
「ネレグレスから拡散する魔物の発生……廃教会のホムンクルス……何が起きている」
「……吸血鬼……」
顎に手を当てながら、ルクスが小さな声で呟いた。
リーズを含む一同の視線が彼へと向く。
いつも困ったような笑顔を浮かべている長身の男は、しかし眼鏡の奥に緑の眼光を湛えていた。
「吸血鬼と言いますと、不死種魔物の王とも言える存在ですね」
「うん。数多の魔物を従えて君臨する夜の王。生き物の血を己の魔力に変える力を持ち、時にドラゴンとも渡り合うと語られる強大な魔物」
「数多の魔物を従えて……夜の王……確かに今の状況とは一致するけど」
ルクスは目を瞑って何やら思案している。
相変わらず顎に手を当て、背筋をしっかりと伸ばした姿勢のまま動かない。
どれほどそうしていたことか。
数分、何かを思い悩んだ後にふと目を開いて三人へと向き直った。
「ごめんクロイツ。これから王城へ向かって明日緊急で会議を開きたい旨を伝えてくれないかな」
「分かった」
「即答だね」
「お前が考えて口にした頼みなら間違いはないさ」
美しい黄金の髪の女性は踵を返す。
振り向く直前、口元に笑みを浮かべたのは果たしてクロイツだったのかそれともクリスベリルだったのか。
◆
一人では広すぎるグラースの個室も、二人ならば丁度良い。
アルシェはベッドに腰掛け、向かい合うように黒い人形のような少女が椅子に座っていた。
落ち着かない様子で足をばたつかせるアルシェだが、さてどう話題を切り出すべきかが分からずにいる。
合えたならば言いたい事はいくらでもあったのに、いざ顔を合わせるとどうすればいいかわからない。
そんな心地よいもどかしさに、自然と笑みがこぼれるのだった。
「アルシェ」
「は、はい!?」
「お洋服、黒にしたのですね」
「う、うん! 師匠とおんなじ色! 似合う……かな……」
「ええ、私はとてもよく似合っていると思います」
柔らかな笑顔はかつて、夢ではなかった頃の森で向けてくれた物と同じだ。
服装も、景色も、仲間も違うのに師であるリーズと話しているとかつての森の香りが戻ってくる。
伏し目がちで、いつも何かを憂うように遠くを眺めているような朧な視線も、今ははっきりと自分に向けられていると感じられる。
もうすぐで頭頂まで昇る日差しは窓から鋭い角度で入り込み、小さな日だまりを作っている。
「魔眼の彼、素敵な方でしたね」
「あれ、師匠にクロイツの正体話したっけ?」
「正体……は分かりませんが、あの女性……クリスベリルさんの体には二つの心が見えました」
「そんな事まで分かるんだ……」
「ふふ、貴女の師匠は貴女が思っているより大物なんですよ?」
大きなとんがり帽子を両手で持ちながら控え目に笑うリーズは本当に人形のようだ。
人の戦争になど関与しなかった筈のリーズにすら名前と顔が知れているクリスベリルにも驚きだ。
世界に多くの傷跡を残した大戦。
あるいはクリスベリルという存在も大戦によって刻まれた傷なのかもしれない。
彼女の本当の名前と今の名の由来を知っているだけに、アルシェはそれを哀しく思う。
しかし同時に、そんな傷ですら今はこうして差し伸べる者の中で暮らしている事を嬉しくも思うのだ。
人は傷を癒せるのだと。
過去を失った者の集まりでも、誰もが前を向いているグラースは、アルシェにとって第二の森とも言える場所なのだろう。
「ねえ師匠」
「なんですか?」
「私、今幸せよ」
白い歯を見せて花開くように笑うアルシェに、リーズは僅か驚いたように目を見開き、しかしすぐに優しい笑みを溢して椅子から立つ。
日陰の中だが決して暗くはなく、かつての森で木々の隙間でアルシェを師事していた頃のように佇むばかりだ。
「アルシェ、こちらへいらっしゃい」
呼ばれるがままにアルシェもベッドから立ち上り、リーズの前に立った。
そして次の瞬間、リーズはアルシェの手をぐいと引っ張り、自分の方へと寄せて抱き締めた。
「師匠!?」
「いきなりごめんなさい。また合えた時に立派に生きていたのなら、こうしてあげようと決めていたのです」
「そういう事は先に言ってよ!」
「先に言ったら恥ずかしがって抱き締めさせてくれないでしょう?」
「そうだけど!」
頬を膨らませるアルシェの銀の髪を、リーズは愛しそうにゆっくりと撫でる。
初めはどたばたしていたアルシェだったが、懐かしい感覚に抵抗する気もなくなり、気づけばリーズの肩に顔を埋めていた。
「身長、追い抜かれてしまいましたね」
「当たり前よ……何年経ったと思っているのよ」
「さあ……長生きすぎるのでもう忘れてしまいました……」
黒魔女は頬笑む。
二度とは会えないと思っていた弟子との再会を、心より喜ぶように。
銀のエルフも笑う。
偉大な師に、今の自分を見てもらえるのが嬉しくて。
◆
黒金の影が大地を走る。
魔動二輪車に乗る際は向かい風でフードが捲られる。
クリスベリルの体で各地を移動するのは問題こそあれど、速度が速度なだけに口布さえしていれば早々騒ぎにはならない。
道すがらすれ違う魔動二輪車の、それも口元を隠した相手の正体などそれこそクロスアイズでもなければ看破できないだろう。
「随分と大人しかったじゃないか」
クロイツは体の本来の持ち主、クリスベリルにからかうように投げ掛ける。
リーズが正体を明かした一件、クリスベリルはほとんど会話に口を挟まなかった。
歪んだ破滅願望の持ち主であり、戦闘狂でもある彼女ならばリーズほどの大物を前にした時に昂りが抑えきれなさそうなものである。
だが、彼女の体は熱を持つ事はなかった。
――興味が湧きませんでしたの。
「だと思ったよ」
――分かってたのにお訊きになられましたの? うふふ、酷いお方。
今の自分と同じでありながら、しかし決定的に何かが違う声が頭に響く。
布で隠れてはいるがクロイツの口元は笑っている。
きっとこれはクリスベリルがこの体を動かしていても同じだっただろう。
そして、それは笑っていない目も同様に。
――わたくし、人間に殺されたいのです。黒魔女は人間ではありません。
クリスベリルの歪んだ破滅願望は、長らく化け物として扱われてきた事に起因している。
人間と一対一で対峙し、全力を出した末に殺されるのならば自分は人間であると。そう思って逝く為に彼女は己を殺せる人間を探している。
ネレグレス騎士団の団長である白騎士エメリスは現在最もそれを叶えるに近い力を持ちながら、決して彼女に個人で当たろうとはしない為に除外。
副団長である赤騎士カルメリアは敗北。
残るはクロイツだが、彼は見ての通り誰かの体を借りねば行動もできない身だ。
しかし、クロイツはクリスベリルと一つ約束を交わしている。
元の体を取り戻したならば、人として彼女を殺すと。
「人じゃない……か」
――はい。人格者であることも、実力者であることも間違いはございませんが、あの方は人であることを捨てた……あるいは元から人の身ではなかったのかと思いますわ。
おとぎ話にすら名前の登場する高名な魔女は、その生きる歳月だけを考えても人間の領域は超越しているのだろう。
望まずして人の身ではなくなっているクロイツでも、その思考を窺い知る事はできない。
クリスベリルはリーズが人の身を捨てた可能性を口にしたが、クロイツはそうではないと根拠も無しに思うのだ。
いや、根拠ならばあるのかもしれない。
人であることを捨てたような魔女ならば、きっと愛弟子にあんな視線は送らないだろう。
――クロイツ様、最近物事の判断にアルシェちゃんを据えることが増えてません?
「む、言われてみれば」
――少し妬いてしまいますわ?
「お前を判断基準にしたら俺まで狂人だろうが」
――あら? これは一本とられてしまいましたわ。
馬車の轍、復興街の外壁、草原……移り行く景色を抜け、やがてそれが視界に入る。
白く立派な壁に囲まれた、遠目にも巨大な王の城が。
ハンドルを今一度強く握り、黒金の悪魔は跡だけを残して大地を駆ける。
不死の夜を明かし、人の夜明けの先駆けとなるために。
クロスアイズの魔砲使い 九尾ルカ @no9orca
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。クロスアイズの魔砲使いの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます