第51話 (第25話)

 ―――――


 翌日。予定されていた業務が中止になったため、僕は北関東州で初めての休暇を取った。

 幾つかの申請をしてから、自転車を漕ぎ出す。


 良い天気だった。

 仕事とは違う視点で眺める風景は、どこか色までが違って見える。

 僕は左手を陽に翳した。解放感と微かな不安。

 約束の時間より少し前に着くように時間を調整していた。一種のカンニングではあるが、この時間帯にドローンの配達便があることを知っていたのだ。僕なりの策略。勿論、厳密には規則違反に当たる。

 まったく、この短期間で僕の感覚も随分と違ってきたものだ。そのうちに、班長のような拡大解釈の常習犯になってしまうのかも知れない。

 やがて上空からローターの飛翔音が聞こえてきた。タイミングはバッチリだ。

 僕はペダルを踏む脚に力を込めた。


 目的地のすぐ近くで自転車を停め、ゆっくりと歩を進める。

 配達便を受け取るため、男性が家から出てきた。予測はしていたが、やはり奇妙にだらしのない風体。そこはある意味仕方ないにしても、全体的に一回り太い印象なのは修正を加えたからだろうか。あるいは若干古いデータを使用したのかも。

 何より気になったのはその眼だ。

 どこか生気の感じられない瞳。随分と印象が違う。

 しかし。うん。そういう外見的なことを問題にしてはいけない。大切なのは中身だよと僕は気持ちを切り替える。


「こんにちは」

 僕が声を掛けると、荷物を持ったままの若い男性はぎょっとしてこちらを見た。

「な、なんだよあんた」

「約束したでしょう。会いに来ました」

 当然のように一歩を踏み出した僕に対し、男性は一歩後ずさった。

「なんだよ約束って! あんたとそんなものっ」

 そう言ってから、少年の顔に理解の表情が広がった。

「ま、まさか……」

「はい。井沢です」


 少年の表情が狼狽のそれに変わる。

 僕は落ち着かせようと、明るい声で話しかけた。

「大丈夫。確かにオリジナルタグを付けるにはちょっと差異が大きいかも知れないけれど、それ位は結構普通だから。見た目の問題は、僕は気にしないよ」

 友好的な語りかけはなぜか実らなかった。少年から発せられる敵意に近い空気に僕は戸惑う。

 なんとか前回と同じような雰囲気に戻したいと、僕は必死に語りかけた。

「そういった偏見を抜きにして、きちんと向き合って話し合うことが理解に繋がると思うんだ。だから僕はこうやって会いに」

「うるさいっ!!」

 少年は手にした荷物を放り出して叫んだ。

「帰れ! ふざけるな!!」

「ちょ、ちょっと……」

「帰れ! 警察を呼ぶぞ、この野郎!!」


 少年は本当にそれをやり、僕は予想外の簡易訴訟に巻き込まれた。

 VRネット上での「会う」という表現の中に、現実に直接会うとの意図は含まれないという彼の主張は概ね認められた。しかしまた絶対に有り得ないとも断定できず、前後の会話に誤解を招く表現が含まれているとの指摘から、僕の訪問が形を変えた州の違法捜査であるとの結論は認められなかった。

 僕は課長から軽い叱責を受け、二日間の再研修。それで話はおしまいになった。


 ―――――


 数日後の昼。班長はいつものように僕の前に座った。

「大活躍だったな」

「大活躍?」

 言っている意味が分からない。

「お前のおかげで居住者二人が退去して、もう一人は厄介な事態の発生を防止できた。課長としては大助かりさ。叱責が軽かったのも、そのせいだぜ」

 ああ、そういう理由だったのか。もう少し重い処分も覚悟していたのだが。

 そこまで考えてからある事実に気付く。二人?

「退去したんですか? 彼」

 班長は軽く頷いてから、駱駝肉のローストという僕が聞いたことも無いメニューにフォークを突き立てた。

「あいつ、仲間に吹聴していたらしいな。障壁を作らずに人間同士が触れ合うことが大事だとか、VRに閉じ籠もらずに世界を変えるよう行動しようとかなんとか」

 班長は実に旨そうに肉片を頬張った。

「なのにお前が実際に会って話をしようとしたら、逃げ出したんだ。色々と物笑いの種にされたみたいでな」


 おそらくあの訴訟がまずかったのだろう。

 行政に対する訴訟は原則として公開情報の扱いを受ける。閲覧制限をかける理由も無い。未成年であっても検索の対象となってしまう。


「個人IDの変更と過去情報の削除を条件にした、限界区域からの転出希望だ。直ぐに承認されたから、明日にはあの建物も解体予定だぜ」

 俯く僕の頭上から班長からの声が降る。

「狙ってやった、って訳じゃなさそうだな」

「違いますよ」

 はあ。僕は哀し気な溜息をついた。

「むしろ期待していたんです。VRではなく生身で直接話し合うことも大事で、彼らのような次の世代がそれを引き継いでくれることには、大きな意味があると思ったんです」

 しかし、駄目だった。

 少年が抱いていたのは理想化したイメージだけだった。現実では、ただお互いに会って話をすることですら出来なかった。

 僕が抱いた希望は、根拠のない思い込みに過ぎなかったのだろうか。

 裏切られ、拒絶されたようなひどく切ない感情が僕を包む。


 もぐもぐと肉を噛んだ班長は、なんとも言い難い微妙な視線で僕を見る。

「俺に言わせれば、お前のやり方もどうかと思うがな」

「何がですか?」

「予想外のタイミングでいきなり訪問されたら、そりゃあ色々あるだろう」

 ひどく曖昧な言い方に、僕はムキになる。自分なりに考えて行ったことなのだ。

「ですけど、そういった瞬間だからこそ本当の姿があるんじゃないですか。予想外のタイミングだからこそ、飾ることが何も無くて。ありのままの自分を曝け出したまま、自信を持って対峙することが大事だと思うんですけど」

「いや、まあ。理屈を言えばそうなんだがな」

 意味ありげな視線が僕に向けられる。口の中で何やらモゴモゴと言った後、班長は降参するように両手を挙げた。

「まあほら。以前に言ったろ。現実に体験していない世界を、イメージだけで理解したつもりになっている奴は危ういんだ。いざ実行するとなると、とんでもない間違いを犯す」

 むう。なんだか釈然としない言い方だと思ったが、班長に話の先を続けるつもりは無いようだった。黙々と肉を頬ばり続ける。

 はあ。僕はもうひとつ溜息をつく。

「でも、現実世界で対面して話をするって色々大変ですよね。外見を飾り立てるにも物理的な制約があって。発言だって完全に自己責任ですし。そうですね、その意味では」

 僕は班長に頭を下げる。

「この訓練も色々と役に立ちました。ありがとうございます」

「ん、そうか」


 職場の同僚と物理的に同席しながら食事をする。そんな風習になんの意味があるのか最初は理解できなかった。しかしここで練習を積んでいなかったら、今回の出来事を上手く切り抜けられただろうか。

 老人との会話をスムーズに進め、女性に対して現実に顔をあわせての交渉を主張することが出来ただろうか。

 僕の職場は特殊な環境であり、そのためには他と異なるスキルが要求される。その点、班長の指導は正しかった。流石はベテランだと思う。


「お前もだいぶ慣れてきたようだからな。なんなら、もう終わりにしてもいいぞ」

「いえ。出来ればもう少しこれでお願いします」

「ん。分かった」

 班長はそれだけを言って食事を再開した。僕も自分の昼食に取りかかり始める。

「だけど本当に期待していたんです。きっとまた時代が変わって、現代のやり方は通用しなくなる。その時、過去の人々の感性を引き継ぐ者が必要になるんじゃないかって」

「あいつはまだ若い。こういった失敗も含めて経験を積めば、いつかそんな人間になれるかも知れんさ」

「なれますかね」

「さてな。保証なんてものは無いが」

 班長はいつもの軽い口調で言った。背負い切れない責任に閉口しつつ、それでもまだ何かを果たそうとする、少し優しい瞳で。

「あんまり難しく考えたって仕方ない。どのみちいつか終わりは来るんだ。生き物に出来るのは、次の世代にバトンを渡すことだけさ。もしそれだけでも果たせたら、大いに満足すべきなんだろうよ」

 班長の言いたいことはなんとなく伝わった。

 しかし、やはり分からない点もある。

「すみません。質問してもいいですか?」

「なんだよ」

「バトン、って何でしょう?」

 ふむ。と班長は考え込む。

「その時点の主役であるってことを示すためのシンボルさ。一定期間が過ぎると、それは次の者に手渡される。重要なのは、シンボルを受け継いだ者達が勝敗の責任を連帯で取らされるって点だな」

 ああ、成程。チーム分けのフラグ立て機能のようなものか。

「自分が主役の時にしでかした失敗で負けると、他のメンバー全体から非難される。だからバトンを受け取った奴は、嫌でも頑張らざるを得ない」

 はあ。と僕はその状況をイメージする。

「要するに、集団の結束を恐怖で固めるための小道具だ」


 だけど、それって。

「話だけ聞くと、一種の呪いにしか思えないんですけど」

 班長はにやりと笑った。

「察しがいいな。一種の呪いさ。まあ、祝福と称しても良いがな」

 班長は再びナイフとフォークを動かし始める。

「さっさと食え。午後も仕事はたっぷりある。少なくとも、生きていて退屈せずに済む位の量はな」

 はいと頷いて、僕は素直にそれに従った。

 班長の言葉はやはり正しかった。僕はその先、退屈どころではない時間をこの職場で過ごすことになる。


 僕の名前は、井沢 至。北関東州都市計画管理部限界区域対策課第三班所属の公務員だ。 やや詳細を端折った説明ではあるが、おおむね、そういうことになっている。


 fin

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都市計画管理部限界区域対策課 有木 としもと @Arigirisu

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