第50話 (第24話)
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立ち並んでいた家は全て埋められ、真新しい土だけが作業の名残を留めていた。
だがそれも瞬く間に草木に覆われる。遠からず、ここに住んだ人々の息吹を示すものは何一つ残らなくなるのだろう。
僕はヘルメットを脱いだまま、ぼんやりとその場に佇んでいた。軽い規則違反。
家屋撤去作業完了の目視確認。今や完全に無視され、誰も行わない手続きを完了させることを名目に、僕は先日限界区域に指定された地区に来ていた。
「なんで、おめぇがここにいる」
背後からぶっきらぼうな声がかけられる。
「今日あたりに、来るんじゃないかと思いまして」
僕は敵意を示さないよう、ゆっくりと振り返った。
「移動記録を見やがったな」
「公務ですから」
僕たちには限界区域内の移動記録、GPS情報を参照する権限がある。老人はこの数日ずっと、周辺一帯を歩き続けていた。
おそらくは、二度とそれを目にできなくなる可能性を考えて。
僕はゆっくりと息を吐いた。
自分自身を奮い立たせるように右手で左の手首を掴む。
「ひとつ、ご提案があるんですが」
警戒の沈黙。僕は姿勢を崩さない。
「言ってみな」
「今回の件です。AIが処分を決定した理由はリスク量が判定の閾値を超えたことにありました」
老人は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「当たりめぇだろうが。何もなけりゃ判定が変わるモンかよ」
僕は埋め戻された更地に視線を移した。
もう既に、幾ばくかの雑草が育ち始めている。
「ここから民家がなくなったことで、あなたは完全に孤立しました。居住地に監視機器の設置はなく、通信回線は旧型もいいところ。何か緊急事態が生じた場合、行政は全く対応できない可能性が高いと言えます」
「限界区域の継続居住は自己責任だろうが。何が起ころうが、州は責任を取らねぇだろ」
「ですが、あなたは限界区域の居住者ではないと主張している」
そう、それが問題だったのだ。
「何かあれば、あなたは州の不備を追求できます。訴訟で賠償を求めることも」
老人は本気で驚いていた。
「おいおい、そんなこたぁ考えたこともねぇぜ。オレがそんなことをすると思うのかよ」
「AIはあなたをむしろ法廷闘争に積極的なタイプとして把握していますよ」
僕は微かな可笑しみを感じつつ、言った。
「自覚、ありませんでしたか?」
僕の言葉に老人は虚を突かれたようだった。
本人にそんなつもりはなかったのだろう。あの土地について争いを起こしたのは、老人からすれば止む無く行った行為だったに違いない。
しかしAIはそう判断しない。平均からの乖離として見れば、老人は明らかに州に対して挑戦的で、事情があるならばためらわず法廷闘争を起こすタイプだ。事実だけを冷静に眺めれば、そのカテゴライズも正しい。
暫し考え込んで、その事実に思い至ったらしい。老人は自嘲の笑いを浮かべた。
「ハン、なるほどな。機械とオレ自身じゃ評価が違う。言われてみりゃ当たり前な話だ」
老人は僕に向き直った。
「それで? 提案てぇのはなんだ。今後一切訴訟はしませんから許してくださいとでも言えってか? だが、そんなことをしたって無駄だろうよ」
「ええ、そんなことをしても無意味でしょう」
僕は冷静に応じる。行政に対して決して訴訟を起こす権利を放棄することはできない。そんな取り決めをすること自体が不当な行為であり、よって州政府が申し出を受けることはないだろう。
「オイオイ。じゃあ、どうしろってんだ」
「もしよろしければ、ですが」
無意識に力がこもる。僕のやろうとしていることは明らかに何らかのルールに反していた。
それが軽い規則違反なのか、重大なそれなのかは良く分からなかったが。
「あなたの私有地に対して、監視機器の設置を依頼してみてはどうでしょうか」
「おめぇも法律は知ってるだろうが。監視機器を設置できるのは限界区域の中だけだぜ」
その通りだ。僕たちの権限は限界区域の中にしか及ばない。
「はい。だからAIはそんな提案はしません。規則の外ですから」
僕は一瞬息を止める。
「ですが人間は規則に外れたことでも主張できる。違いますか?」
僕たちが私有地に対して監視機器の設置をすることはできない。だが、所有者がそれを希望することは禁じられていない。
そして、そんな提案がされたケースは類例が無い。そもそも、限界区域内にこんな馬鹿でかい私有地が残っているケース自体が稀なのだから。
前例の無い提案がレーティングに影響を及ぼすことは確実だった。
沈黙の中、老人の瞳が計算高い医師のそれに代わる。脳内で巡る思考の渦が見えるようだ。
僕は思わず苦笑しそうになる。レーティングはそれなりに正しい。
やっぱりあなたは、油断できないタイプだと思いますよ。
「オレの自由はどうなる?」
「監視機器が対象としているのは、基本的に不法居住者です」
つまり、GPSをつけずに限界区域内を移動する存在だ。
「ですがあなたは普段からGPSを着用されていますよね。だとしたら実質は何も変わらない。僕にはそう思えますが」
「期日まであと一日だ。今更そんなことをしても手遅れじゃねぇのか」
確かに人間ならばそうするかも知れない。しかし。
「AIはそういった部分を気にしませんよ。期限が到来していないなら、一秒前でも一年前でも同じように扱うはずです」
AIにとって期限は単なる期限だ。何の拘りも無く、単に閾値の境界線を踏み越えたかどうかだけを判定する。
「じゃあ、最後だ」
老人が僕をねめつける。
「なんだってオレにそんな話を教える? それでおめぇに何の得がある」
それは予期された質問だった。だから、淀みなく答えることができた。
「僕のせいなんです」
「何がだ」
「今回の決定です」
そう言って僕は、停められた公用車に視線を移した。
「先日あなたを乗せた際。僕はこういった理由をつけました。あなたは高齢で、付近には熊の出没が増えている。だから危険性を考慮して自宅に送る、と」
そう。申請には理由が必要だった。だから僕は深い考えも無く、適当に思いついたそれを送信したのだ。
「現場を見ている職員の評価です。それが微妙にあなたに対するレーティングを狂わせてしまった」
前例の無い行動。その際は、評価者の意見が強目に反映されてしまう。だから突然にこんな決定がされたのだ。
老人は、呆れた顔で僕を見返した。
「そうかよ。だがその程度で結果に違いが出るなら、どうせ数字はギリギリだったって事じゃねぇか。知らない顔していりゃ済むことだろ」
猜疑と不信を隠さない視線。
「なんでわざわざ危ない橋を渡る」
「気分が良くないからですよ。ああ、因みに」
僕は老人に笑いかける。
「これで本当に強制措置の決定が覆るという保証はありません。僕は単に思い付きを喋っているだけです。そうですね。ひょっとしたら」
僕は軽く肩を竦めてみせる。
「協力しているフリをして、あなたの心証を良くしようとしているだけなのかも知れない。その点については、そちらの解釈に任せます」
僕は右手を解き、老人が背負っているケースを指さした。
「ええと、良ければ約束して貰えませんか? もし強制措置になっても、その銃で僕を撃ったりはしないと。それだけでも、僕には結構なメリットなので」
数秒の後、老人は大きな声をあげて笑った。
全ての問題が解決されたかのように。
「ああ。約束してやるぜ。どちらにしても、お前さんは撃たねぇでやるよ」
じゃあな、そう言って立ち去ろうとする老人に僕は公用車を指し示した。
「良ければ、送っていきましょうか?」
ニヤリと笑った老人は人差し指を僕に向け、おどけた口調で言った。
「ばーん」
幸いなことに、それによるレーティングの変動は無かった。
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