キャラメルマキアート

ふくたろう

キャラメルソース

 窓から優しく差し込む朝日で光輝は目を覚ました。久々に自然に起きたおかげで二度寝してしまうことはなさそうだ。

 体をゆっくりと起こし、大きく伸びをした。窓から覗く瓦屋根は無機質なコンクリートと違い、何か暖かみを感じさせる。

 窓を開けると、心地の良い風が部屋の中へ海街独特の潮の匂いを運んできた。それに少し懐かしさを覚えながら、光輝は同時に後ろめたさも感じていた。


 高校卒業と同時に家を出た光輝は、憧れの東京での学生生活を始めた。初めて見る景色に驚嘆し、煌々と輝き続ける街に感動すら覚えた。

 しかし、元々人見知りが激しかった光輝はなかなか大学に馴染めず、想像していた学生生活とは程遠い現実に疲れ果て、休学し、瀬戸内海に面する故郷の街へと里帰りしていた。


 誰も彼を責めなかった。いっそのこともう東京へは行かせないと怒鳴られたならどれほど楽だっただろう。

 元気そうで良かった、と笑顔で迎え入れてくれた両親の優しさがただただ痛かった。


 階段を降りると懐かしい匂いが光輝の鼻をかすめた。リビングのダイニングテーブルにはラップされた朝食と千円札が二枚、それに昼ごはんは買うようにとのメモが置いてあった。

 朝ごはんはやっぱり味噌汁、ご飯に焼き魚だよね。ラップを外しながら一人でつぶやく。

 誰もいない家にレンジの音が響き始めた。


 光輝の家は元々裕福ではなく、母親は光輝が東京への進学を決めてからパートをするようになっていた。

 駅まで見送りに来てくれた両親にありがとう、と言い出せずにモジモジしている光輝に、何も心配しないで行っておいで、と送り出してくれた母親の笑顔を思い出す。

 駅を発つ電車の窓から見える両親が少しずつ小さくなって、そして見えなくなってからようやくありがとう、と呟いて、泣いた。悲しかったわけではない。親に感謝も伝えられない自分の未熟さが、どうにも情けなかった。

 レンジの甲高い音が光輝の憂慮を打ち消した。


 朝食を食べた後はブラブラと目的もなく街を歩いた。昔から外が好きだったわけではないし、本当に気まぐれだった。

 半年ぶりに歩く故郷はこれといって変わったところがあるわけではなく、たった半年じゃあ何も変わるわけないよな、と光輝は自嘲した。


 きっと自分が辛く、悩んだ半年がちっぽけに感じて、でもそれは光輝の中では確かに長く辛い時間で、だからこそその時間の流れを感じたかったのかもしれない。確かにその半年は何かを変えて、そして自分は前へ進んでいるはずだと。


 久々に見る母校は想像よりも何倍も小さかった。小学生の頃は広く感じていた校庭も改めて見てみると特に大きいわけではなく、もはや窮屈に感じた。

 その校庭の奥の校舎から小学生の黄色い声がうっすらと聞こえる。そうか、まだみんな学校か。それはよく考えれば当たり前のことで、しかし途端に自分が場違いに感じ始めた。もう家に戻ろう、そう思って踵を返した時だった。


 カフェぽんぽこ、というなんとも可愛らしい看板が目に入った。それ以外特にカフェとわかりそうなものはなく、ドアの横に立てかけられているカフェぽんぽこと彫られた綺麗なベニヤ板だけがぽつんとこちらを見ているかのようだった。

 コーヒーが飲めない光輝が店に入ったのはまたも偶然で、でも不思議とドアを掴む手に違和感を感じなかった。


 小さな部屋の中の左手にはいくつかのテーブルが並び、それぞれに二つずつイスが向かい合って置かれていた。右手にはカウンター。カフェというよりはラーメン屋さんのようなつくりだが、全ての家具が木で作られているため違和感はさほどなかった。カウンター席の前にはキッチンがあり、いかにもカフェらしくポットやカップ、小さなお皿などが入った棚が壁に取り付けられていた。大きめの窓からは日が差す明るい店内にはコーヒーの匂いがフワッと漂い、どこか暖かみを感じる。

「いらっしゃいませ!」

背が高くスラっとした若い女の子がキッチンから顔を覗かせた。

「あ、どうも。」

「お一人様ですか?」

ハキハキと笑顔で喋る彼女に、どこか見覚えがあった。


 小学生の頃、光輝は片思いをしていた。同じクラスの由梨ちゃん。背が高く男勝りな彼女にいつの間にか惹かれ、好きになっていた。

 他の女の子と比べ成長が早かった由梨ちゃんは、同じクラスの男子に体のことで意地悪を言われることが多く、おいやめろよ!と止めに入るのが光輝の精一杯のアピールだった。

 明日こそは告白するぞ!と意気込んでは眠れない夜を過ごし、結局次の日も告白出来ずに下校するという日々が続き、いつの間にか卒業。それ以降彼女に会うことはなかった。


「え?もしかして由梨、さん?」

どうしてその女の子を小学校以来、顔を見てもいなかった由梨ちゃんだと思ったのかはわからないが、そんな気がした。

「え?私のこと知ってるんですか?」

彼女は怪訝そうに眉をひそめた。確かにこんな時間にカフェに入ってくる見たこともない男から突然名前を言われたのなら怪しく思うのも無理はないだろう。

「あ、えっと、小学生の頃一緒だった光輝だけど…。」

「え、光輝?うわー凄い久しぶりだね!小学生以来?」

「そうだね、7年ぶりとか?」

「懐かしいー。」

久々の想い人はどこか少し雰囲気が変わっていて、でも面影はまだあった。昔と変わらず綺麗で、可愛い由梨ちゃんだった。

「大学とかどこ行ってるの?」

「一応、東京の…」

嘘はついていない。

「え、凄いじゃん!私なんかずっとこっちだからさぁ。」

「そうなんだ。どこの大学行ってるの?」


 こんなたわいも無い話をしたのはいつぶりだろうか。人と話すことが久々だった光輝にとって、それはとても楽しく感じられて、時を忘れるようだった。


「あ、なんか飲む?」

「んー紅茶とかある?コーヒー飲めなくて。」

由梨ちゃんの大きな二重の目が丸くなる。

「コーヒー飲めないの?チャレンジしてみたことは?」

「いや、まだなくて…」

「じゃあさ、私が初めての人でも飲みやすいの作ってあげるから飲んでみてよ!」

断る理由があるだろうか。人生初のコーヒーはかつての想い人が作ってくれたドリンクである。

「是非お願いします。」

どんなに苦かったとしても飲み切ろうと心に決めた。


 しばらくカウンターでぼーっとしていると、突然目の前にカップが置かれた。

「出来たよ。飲んでみて?」

由梨ちゃんが顔を覗き込んでくる。カップの奥に見える由梨ちゃんの美しい顔に少し赤面しながらも礼を言ってカップを受け取った。カップの中で白い泡の上にチェック柄に引かれた茶色いツヤツヤしたソースが溺れそうになっていた。

「キャラメルマキアートっていうの。私もこれがきっかけでコーヒーとか飲めるようになったんだよ。」

「キャラメルマキアート。可愛い名前だね。」

「そう?」

由梨ちゃんがクスッと笑った

「さ、飲んでみて?」

カップで飲み物を飲むような仕草をした彼女に若干の照れを感じつつも、光輝はカップに口を近づけた。

 最初はキャラメルソースが甘ったるく感じられたが、すぐにマイルドな味のコーヒーが口の中に流れ込んでくる。少し苦いが想像してたほどではなく、キャラメルソースの甘さと混ざり合って飲みやすく、美味しかった。

「美味しい。これ、すごく美味しい。」

「ほんと?良かった!それ私が一番好きなドリンクなんだ!」

彼女は嬉しそうにはにかんで見せた。

「まだ他の飲んだことないけど、きっとこれが一番好きになる気がするな。」

ちょっと臭い台詞のような気がして言った後で少し後悔した。

「じゃあ他のも今度作ってあげるね。いつまでこっちにいるの?」

「ありがとう。俺はしばらくこっちにいるし、またすぐ来るよ。楽しみにしてるね。」


 店を出ると日が傾き始めていた。口の中の残った微かな甘みと苦味を楽しみながら、来た時より少しほかほかした気分で家路についた。

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