第2話 二日目、そして

 起き抜けの僕の目に飛び込んできたのは、なんとものどかな風景だった。あたり一面には青々とした木々が生い茂り、しんとした空気の中を暖かな陽の光が降り注いでいる。砂漠はいったいどこへ消えてしまったのか。恐る恐るベッドから降りると、足の裏にざらりとした土の感触があった。


「ここは……森の中?」


 少し湿ったような朝の森の匂い。


「いったい何が起こっているの?」

「わからない。でも、昨日とはまた別の場所にいるみたいだ」

 

 柔らかな風が枝葉をざわつかせ、僕たちの間をそっと吹き抜けていく。


「ねえ、一度家に入りましょうよ。リクも心配だわ」


 玄関の扉を開けると、上がり框にはリクが待ち構えていた。二人の姿を確認すると、トコトコと近づいて来て、その小さな体を摺り寄せてくる。

 一通り調べてみたが、家の中に変わった様子はない。水も電気も繋がっておらず、何もかもが昨日のままだった。ソファに腰を下ろすと膝の上にリクが乗ってきた。さらりとした毛並みを撫でてやると、ごろごろと喉を鳴らして気持ちよさそうに目を細める。


「コーヒーでもいれようかしら」

「そうだね。一息入れていったん落ち着こう」


 僕たちは温かいコーヒーを飲みながら、今起きていることについて話し合った。昨日までは砂漠だった世界が今日は森に変わったのだ。なぜ、どうしてと議論を重ねても答えなど見つかるはずもなく、そのうちに考えること自体が嫌になってしまった。砂漠よりは森の方がましだろう、そう思うことにした。最終的に僕たちは、今できることを一つずつやっていこうという意見で一致した。

 まずすべきは家に保管してある食料の確認だ。しまいこんであった水や保存食を一つずつ取り出して、テーブルの上に並べてみる。その結果、二人で三週間はまかなえるほどの蓄えがあることがわかった。リクの餌に至ってはドライフードや缶詰などを合わせると二カ月近い備蓄があり、こちらも当面問題なさそうだった。いざとなれば人間だってキャットフードを食べることができるはずだ……多分。


「緊急時の備えをしておいて良かったわね」

 

 どこか誇らしげな様子のチサト。僕はしぶしぶ買い物に付き合わされた時のことを思い出していた。こんな時、食料があるのとないのとでは雲泥の差だろう。

 それから僕たちは庭に出したままのベッドを寝室へと運びこんだ。雨が降るかもしれない。


「よし、次は家のまわりの様子を調べに出かけよう」


 ここが深い森の中だという可能性もあったので、まずは近場を探索して周辺の地図を作ることにした。食料はまだ充分にあったし、危険を冒さない範囲で少しずつ探索エリアを広げていくのだ。

 昨晩のすき焼きの残りで腹ごしらえをしてから出発することにした。万が一を想定して、リクの食器には多めに餌を入れておく。

 外に出ると、やっぱりそこには森が広がっていた。迷わないよう、目印として木の幹に銀色のダクトテープを張りながら進んでいく。ハイキングにでも来たのかと錯覚してしまうほど、どこにでもありそうな森。足元には落ち葉や枯れ枝が散乱し野草も生えている。


「見て、ここにキノコがある」


 赤みがかった色をしたキノコが生えていた。野草もそうだが、食べられるものも多くあるのかもしれない。アウトドアの知識が乏しいことが悔やまれる。せめてインターネットでも通じていれば調べることができたのに。

 人工的につくられた道のようなものは一切見当たらなかった。ところどころに倒木があったり、背の高い草も生えていて、思っていた以上に進むのに難儀する。


「ねえ、水の音かしら。聞こえない?」


 立ち止まって耳をそばだてると、微かだがたしかに聞こえる。音のする方へ向かって進んでいくと、ついにはそれが水音だとはっきり聞き取れるまでになった。


「川だ!」


 森の切れ間を縫うように川が流れていた。水量は豊富で、水は澄んでいる。近づいて手を浸してみるとひんやりと冷たい。少しすくって口に含んでみると、ほんのりと甘さを感じて、飲み水としても問題なさそうに思えた。

 それにしてもこんなに近くに水場があるなんて。直線距離だと家からは10分とかからないだろう。


「あそこ、魚がいる。あっちにも!」


 いたるところに魚影がちらついていた。魚を釣ることができれば、頼りない食料事情も多少は変わるだろう。何を隠そう、かつての僕の趣味は釣りだったのだ。


「もしかしたら、この川は海に繋がっているかもしれないわね」

「ああ。川沿いに進めば迷うこともないだろうし、こんなところに川があるなんてラッキーだよ」


 思いがけない発見に気を良くした僕たちは、下流に向かってもう少し進んでみることにした。立ち止まってはノートに地図を書き足していき、小一時間ほど歩き続ける。すると、突如前方の森が開けた。そこは切り立った崖のようになっていて、川はその先から滝になっているようだ。崖の上からは付近一帯の様子を一望することができて、眼下にはどこまでも続く森が広がっていたのだが……。


「ねえ! あれって鉄塔じゃない?」


 遠くに鉄塔が並んでいた。それぞれが送電線で繋がっているように見える。


「きっとどこかに街があるんだ」


 鉄塔の発見は僕たちに大きな希望をもたらした。あの送電線はどこか人のいる場所に通じているに違いない。少なくとも人工物があるということは、この世界には僕たち以外にも人がいるということだ。

 ただ、これ以上先へ進むとなると、もっと多くの食料を持ってくる必要がある。無理をする必要などなかったし、今日のところはここで引き返すことにした。

 

 家に戻ってきた時、太陽はまだ高い位置にあった。手持ち無沙汰になることは避けたかったので、ガス節約のための薪を集めることとする。幸いにも枯れ枝はその辺に転がっており、労せずに充分な量を確保することができた。ついでに手頃な大きさの石を積んでかまども作ってみた。

 夕暮れまでにはまだ随分と時間がありそうだったので、釣りに出かけることにした。僕は数年ぶりに釣り道具を物置から引っ張り出し、チサトと一緒に川へと向かった。


 夜のとばりが落ちる頃、僕たちは庭の焚火を囲んで食事にありついていた。野菜スープに焼き魚が二匹。パチパチと音を立てて燃える薪があたりをオレンジ色に染め上げる。二人の間にそう多くの会話はなかったけれど、僕はただ、オレンジ色に照らされたチサトの顔を見て綺麗だと思った。夜空には無数の星たちが輝いていて、昨晩と同じような大きな満月が浮かんでいた。


 寝室の窓から覗く木々が囁き合うように風に揺れている。僕はチサトの胸に耳を当てて、彼女の心臓の鼓動に耳を澄ませた。送電線の向こうには街なんて無くてもいいのかもしれない。僕とチサトとリク。二人と一匹にとって、キングサイズのベッドはちょうどいい大きさに思えた。

 



 ――翌朝、僕たちはリクが部屋中を駆け回る音に目を覚ました。


 寝室には、昨日まではなかったはずの猫用のおもちゃ、リクの大好物の袋入りおやつが山のように散らばっていた。それはあり得ないほどの量で、一晩のうちに突如としてどこからか出現したとしか思えなかった。

 リクは興奮気味にベッドに飛び乗ると、咥えていた小さなぬいぐるみをぽいっと放り、とても嬉しそうな表情で一声、みゃおーと鳴いた。

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目が覚めたら、家ごと砂漠に引っ越ししていた件 ミトイルテッド @detlily

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